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「あーもう!最悪!」
ミュゼットは思わず声に出して愚痴った。もちろん独り言だ。
馬車を持っていないことを知られて「送っていくよ」とか言われてはたまったものではない。今のところはっきりとばれてはいないのでこのまま逃げ切りたい。
それに店に住んでるのもばれたくはないので、いつも授業が終わり次第最速で帰るか、出来なかった時は図書室などで時間を潰して人が少なくなってから学園を出ている。
ただ、ここ最近は魔道具の売れ行きがとてもよく、ミュゼットは早く帰って作業に取り掛かりたくて仕方がなかった。最速で帰り、ぎりぎりまで作業したい。魔道具バカと身内や従業員にはよく揶揄われているが、ミュゼットにとってはむしろ誉め言葉だった。
それなのに。
「なんで私が無関係の生徒会の手伝いしなきゃいけないのよ!ふざけんな!」
一年生ながら生徒会長になった王太子エルリックは、ミュゼットを生徒会に入れようと躍起になっていた。だが生徒会には伯爵位以上の爵位を持つ家の令息令嬢しか参加出来ないことになっている。だからミュゼットはそれほど気にしなかったのだが……
エルリックはあろうことか生徒会補佐という新しい役職を作り出し、その補佐は厳密には生徒会でないからと爵位に関係なく任命出来る様にした。王太子という立場を全力で利用して。
ただミュゼットは今のところ逃げ続けている。幾らなんでもぽっと出の男爵令嬢が生徒会という存在に近づけるはずがない。教師たちもやんわりとエルリックを止めようとしているので、それに便乗して逃げている。
そんなことに巻き込まれたら今以上に居辛くなる。今はまだギリギリ学園内の話に留まっているが、これ以上広がると社交界にも影響する。つまり商会の信用問題に繋がってしまう可能性がある。
祖父の代から誠実に真摯な商売を心掛けてきた大事なベンジャミン商会が、ようやく日の目を浴びられるようになり、従業員にもいっぱい給料を渡せるようになってみんな喜んでたのに。ミュゼットが子どもの頃は朝から晩まで働いて一日二食食べるのが精一杯だったのが、やっと三食おやつも食べられるようになってきたのに。繕いすぎて別物になった私のお下がりではなく、新品の服を弟に着せてあげられるようになったのに。
自分のせいで。
ミュゼットは唇を噛んだ。毎日下駄箱前で待つエルリックから逃げ回り、校舎の隅に隠れるようにして魔道具のアイデアをノートに書き留め、暗くなってからそっと裏口から帰る。遠回りしながら家を探られないようにして尾行の有無を確認してから店に戻る。時間を多く使う上にこのところ誰かにちょくちょく尾行されている気配がするのが恐怖でしかない。あれこれ対策の魔道具を使いつつ、こっそり店に帰るのはどっぷり日が暮れてからになる。
「バカやろー!生徒会なんて知ったことか!!私の邪魔すんじゃねーーー!!」
裏道を歩きながらムカつきすぎて、思わず足元にあった石をミュゼットは蹴り上げた。
思い切り、全力で。
そして次の瞬間、ガン!という音が石が飛んで行った方向から聞こえた。その後人の話し声がしてきた。
「!!やばい、何かに当てちゃった!!」
ミュゼットは急いで音の方向に走り出した。ぱっと見誰もミュゼットが石を蹴ったところを見てはいなかったので逃げることは出来たが、誠実真摯がモットーのベンジャミン商会の娘としてそれは出来なかった。
「ごめんなさい!私が石を蹴りました!」
石が飛んでった先、角を曲がったところに誰かが居たのですぐに謝った。相手も見ずにまず頭を深々と下げて、ごめんなさい!と叫んだ後に一度顔を上げた。
そこにあったのは、公爵家の紋の入った高級馬車と、御者と思しき人と会話をする自分と同じ制服を見に纏った……
「アンジェラ様……」
「……ミュゼットさん?」
王太子エルリックの婚約者であり、ハンズベル公爵令嬢の、赤薔薇姫アンジェラ・ハンズベルの姿だった。
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「大変申し訳ございませんでした。弁償はベンジャミン商会が責任を持って」
「いえ、必要ないわ。ちょっと傷が付いたくらいだもの。馬車なら走らせていればいずれ起こることだわ」
往来で話し込むのは周りに迷惑だとアンジェラが言い、ミュゼットは停車したままのハンズベル公爵家の馬車の中で深々と頭を下げていた。膝におでこを擦り付けながら。
御者台の端、小指の爪の十分の一ほどの小さな傷がミュゼットの蹴った石によって付けられた。
アンジェラとしては何故石を?うちの馬車と分かってたの?ということが聞きたかったのだが、ミュゼットは弁償の話をするために馬車内に入らせたのだと思っていた。
ミュゼットはエルリックの事もあり、アンジェラとは接点を持たないようにしていた。そもそも公爵令嬢と男爵家の娘では例え同じ学生でも会話することなど殆ど無い。
それでも自分がどう思われているかなど予想がついた。
(毛虫のように扱われて当然なのに、アンジェラ様は優しいな)
たしかにアンジェラの言う通り、御者台は馬車を走らせていればそれなりに小石などが当たり、傷はつく。それでも許さないのが貴族だとミュゼットは思っていたが、アンジェラは一貫して気にしないという。
だが、解放される気配はない。
ミュゼットはただ頭を下げ続け、アンジェラの言葉を待った。
アンジェラはとある用事がありここで馬車を停めて少し離れようとしたところだった。急に馬車にガン!と何かが当たる音がしたので慌てて護衛が確認したが、小さな石が転がっているだけだった。御者台に本当に小さな小さな傷が一つ増えたみたいだと御者が気づいて、念のため調べを、と話しているところにミュゼットが飛び込んできたのだ。
今そのミュゼットを車内に入れ、御者と護衛、侍女が周りを警戒しながら他に異変がないか確認している。
公爵令嬢かつ王太子の婚約者ともなれば身の危険とは常に隣り合わせ。ミュゼットの石を蹴ったという発言が真実だとしても、調べない訳にはいかなかった。
同様にミュゼット自身のことも調べなくてはいけない。ただそれはアンジェラが自ら買って出た。
危険ではと止められたけれど、アンジェラは引かなかった。
エルリックだけでなく、ほかの令息たちに囲まれているミュゼットがどんな人間か以前から知りたかったのだ。調査結果ではなく、直接話して自分で見極めたかった。
(我儘で男たちを手玉に取る悪女だなんて噂だけど、そうは見えないわね)
アンジェラの目に映るミュゼットは髪に艶がなく、体つきが心配になるほど細く、手指は荒れている。制服を支給されたままきちんと身につけ、ブラウスのボタンもきちっと留めている。化粧っ気もなく、はっきり言えば地味。顔立ちは可愛いが、野暮ったく垢抜けない。
(どこが悪女なのかさっぱりわからないわ……これが演技だとしたら一流の間者でしょうけれど)
この世の終わりみたいな顔をして頭を下げているミュゼットの手は震えていた。冷や汗もかいているようだ。
なにより、声が震えていて動揺しているのが丸わかり。念のためと軽く中身を見せてもらった鞄の中身もごく普通だった。
(これは……違うでしょうけれど、でも聞いてみないとわからないわね)
次は明日のお昼に投稿します。