新たなヒロイン……ヒロイン?
——自分が眠った後、もしもその意識が戻らなかったらどうしよう。
そういう想像をしたことがある人も多いと思う。
死、というものを明確に意識したとき、そう思った。
私はこの世界に来た瞬間、鏡を見ていた。
眠っていたわけではない、いきなりティナ姉のいた部屋の鏡の前にいたのだ。
思えば、これが普通の異世界転生と全く状況が違う一番の部分だったように思う。
普通の異世界転生ってどういうことだよって感じではあるけど。
何の前触れもなく、唐突に、記憶を引き継ぐこともなく始まった私のフィーネとしての生活。
それまでずっと生活していたフィーネの元の意識からしたら、どんな感覚だっただろう。
分からない。何もかも、結局憶測に過ぎないのだ。
ただ、ハッキリしていることは一つ。
元フィーネにとって、その人生は唐突に終わりを迎えた。
そして恐らく……元の私の人生も。
もしも元のフィーネの意識がこの世界にまだ残っていて、私が順風満帆な生活を送っていると知ったらどう思うか。
そんなの、分かりきっている。
フィーネなら、こう思うだろう。
今のお前の環境は、私のものだ、と。
◇
さて、新学期になっても貴族学園の教室は変わり映えしない。
そもそも、そこまで生徒数が多いわけじゃないからね。一学年数百人も居たら、平民に対して貴族が多すぎてしまう。
スザンヌやルビーと一緒になるチャンスもあるかなと思ったけど、二人とも別クラスだった。
ただ、そういう状況でも絶対に全く同じクラスになるとは限らない。
療養や退学はもちろんのこと、家の都合でいなくなることもある。
そして反対に、人が増える場合もある。代表的なのはシンディみたいに平民から貴族になった例で、もう一つは——。
「本日より、このクラスの一員になります、ロンジャイルズ・セインティアです。ジル、と親しい方は呼んでいますので、みんなもそう呼んでくれたら嬉しいな。よろしくお願いします」
——編入生だ。
ロンジャイルズ・セインティア。
その見た目は、ピンクゴールドのふわふわしたセミロングヘア、柔和な顔つきに私達と同じ制服を着ている。
スカートの下には白いタイツを履いた、私より背丈の低い子。
誰が見ても可憐な、クラスのアイドルになりそうなキラキラ美少女。
それが、彼だ。
……うん、そうなんだ。
そわそわしている男子諸君には申し訳ないが、ジルちゃんは正真正銘の、男である。
しかも裏の攻略対象である。
男性向けエロゲに時々紛れ込む、攻略できないけどやたらと可愛らしい男の娘なる存在。
しかしこれは乙女ゲーム、当然男の娘は『異性』なのである。だから、男の娘キャラクターでも攻略対象。
彼一人のためにゲームを買った男プレイヤーも少なくなかったという、まさに魔性の女、もとい男。
それがジルという登場人物である。
勿論私は最初からそういうことも分かっているけどね。ここは知識を持っている者の特権です。
しかしそっか、ジルは二学年からか。
「可愛らしい方ですね」
「ソウダネー」
「……フィー姉様?」
明後日の方を向きながら、シンディの言葉に返す。
ジルちゃんは、空いている席へ……席へ?
こちらの方にやってきたと思ったら、シンディと私を見ている。
「あの、あなたがフィーネさんですか?」
「え、ええ……」
「よかった。先生が、分からないことがあればフィーネさんに聞くようにと言っていましたので」
せんせー! マーガレット先生ー!
私のことを、便利キャラみたいに扱わないでー!
ま、まあ先生に信頼されているということで、前向きに捉えるようにしましょう! うんうん、前向き大事。
ジルちゃんは、シンディにも軽く挨拶をすると私の隣に座った。ま、参ったな……。
まあ、気付かなければ普通の女の子だし、っていうかぶっちゃけ高等部卒業の最後まで男の娘だし、全く違和感なくピンクヘアーの美少女で居続けるし……支障はない、かな?
そんなわけで、二学年の授業が始まった。
しっかり勉強して、頑張っていきますかね。
……ちなみに授業中、男子からの視線が結構やってきた。
なんでだろうなと思ったけど、そんなの当たり前だ。
私の右側には絶世の美少女であるシンディ。
反対側には編入生のアイドル系美少女ジル。
その二人に挟まれているんだから、そりゃもう存在感あるよね。
ここ、男子だったら絶対座りたい席だろう。だけど私の可愛いシンディとお近づきになりたいというのなら、まずは私を倒すことだ!
なんて、すっかり保護者気分である。
ジルは、休憩時間中にやってきた男子生徒達から一斉に質問攻めに遭っていた。
同時に「ちょっと男子〜」みたいな女の子たちもわらわらやってきていた。
そりゃね、このクラスの新しい生徒だもんね。気になるのは当然だと思う。
でもその子の性別を知っている身からすると、男子がそわそわ遠巻きに見つつ女子が触れるほど近くに来ている現状は、ちょっと面白いものがある。
「そういえば、どうして途中編入なのでしょうか」
ふと、シンディ側から質問があった。
ちょっと慌ただしさに参っていたような気もするジルは、シンディからの質問に明るく答えた。
「私の家が、ちょっと教育熱心で……それで、最初の一年は自宅での勉強だったの。大きい家とはいえ、さすがに一年間もずっと家のルールばかりだと疲れちゃいましたね」
「大変だったんですね……」
「それより!」
今度は他の男子女子達があれこれ言い合っているところから離れて、こちらにずいっと身を乗り出してシンディに近づいた。
「あなたのお話も、聞きたいな。姉様って呼んでたけど、二人は姉妹なの?」
「はい! フィー姉様は、えっと……義理の姉で、父がフィー姉様のお母様と再婚したんです」
「わあ、トラヴァーズ家と再婚したということは、魔術系の家庭なのかな?」
明るく返事をしていたシンディが、その質問にはっとして言い淀む。
……そうか、いきなり平民の娘というのを打ち明けるのは勇気が要るか。そりゃそうだよね、急に扱いが変わることもあるし。
ここ一年の間、私はシンディの隣にずっといた。
特に、ルビーの誘拐事件があってからはずっとだ。
その間、このクラスや上の学年でも、改めてシンディという少女の置かれた環境というものを意識することが多々あった。
トラヴァーズ姉妹、姉のレヴァンティナは校内でも元気が取り柄で良くも悪くも有名だったため、その妹ということもあって迂闊に悪戯する生徒は出て来なかった。
特に隣にずっと私の耳があるのだ、私からティナ姉に話が行く可能性が高いということを、皆意識していたように思う。
やっぱりティナ姉は、いない時でも頼りになるね。
それでも……分かってしまったのだ。
シンディを、露骨に避けている子もいることに。
人は皆、同じ赤い血が流れている。
ヘモグロビンなんていう言葉が通じるかは分からないけど、貴族は別にブルーブラッドが流れているわけではない、同じ人間だ。
だけど……特に女子なんかは、シンディが平民であるということを薄ら見下しているんじゃないかと思うことも多い。
貴族の家に生まれた、ただそれだけ。
それでも、そのことを生まれながらの誇り……というより、自慢の材料にしていた子からすると、平民でありながら美少女で、王子とも仲のいいシンディに思うところがないわけではないのだ。
そして、聡いシンディ自身もそのことを十分に理解している。
故に、思ったのだろう。
この明るいジルが、自分の出自を知ったときに、拒否反応が出ると嫌だと。
——だからここは、お姉ちゃんの出番だ。
これは、ゲーム中では絶対出来ないこと。
不幸なシンデレラを最初に天涯孤独にするために、父親は早い段階で居なくなってしまう。
それ故にできなかった、初等部段階でのジルとの距離の詰め方。
ここで最強の、反則兵器をつかわせてもらおう。
「シンディのお父さんはね、すっごいのよ。なんといっても、あの『スイーツエデン・エド』の店主なんだから!」
私はシンディを抱き寄せて、笑顔で宣告する。
シンディはきっと、平民であるという答えを選ぼうとして迷っていたことだろう。
だけど、ジルに対してはその方向以外から攻めることが出来るのだ。
ジルは、私の発言にゆっくりと目を見開くと……シンディの両肩を掴んだ。
「シンディさんのお父様って、まさかあのパティシエ・エドワード様なんですかっ!?」
それまでどこか明るくも余裕があったジルが、食い気味にシンディへ興奮した様子で熱い視線を向ける。
その本気の顔を見て、私は勝利を確信した。
そう。
このジルという男の娘は、作中ぶっちぎりの甘い物好きである。