見切り発車の灰被らせない姫は、その光景を独占する
後ろから聞こえてきた声は、唐突だった。
平時ならちょっと着火する程度の、マナファイアという魔法。
ティナ姉が、クッキーを焼くときにちょこっと使ってくれた魔法。
オーブンが熱を持つ程度の、本当にシンプルな魔法だ。
それと同じ魔法を、後ろの人物——シンディが使ったことは分かる。
分かる……が、その結果は意味不明だ。
「……なんじゃこりゃあ」
気の抜けたドラマのラストシーンみたいな呟きをして、目の前の光景を眺める。
降った雨の湿度が、まだ肌に感じられる。
マナファイアなんて魔法の火、雨に濡れたらすぐに消える。自然現象に、人間一人の力なんてたかがしれているんだから。
だけど、目の前に広がる炎の力強さは、そんな理屈なんて笑い飛ばしてしまうが如く、大きく天高く——それこそ天高くそびえ立つトレントの姿を超えるほど——燃え上がっている。
そう。
私が苦戦していたトレントが、燃え上がっているのだ。
私は、慌てて後ろを見る。
そこには、青い顔をして倒れ込んだシンディの姿があった。
「シンディ!」
私は慌ててシンディを助け起こし、その顔を見る。
魔力を大きく犠牲にして放った魔法、きっとマナチャージも相当派手に使っただろう。
間違いなく、二重に使ったはずだ。
「どうして、こんな無茶を……!」
しかも、あの叫びっぷりだ。
込められた魔力の量も半端ではないだろう。
シンディは、私の問いに自然に答えた。
「だって、お姉様の役に立ちたかったですから……」
「……!」
ああ……君は、なんてことを言うんだ。
灰被り姫の物語の主人公であるシンデレラが、よりによってシンデレラをいびり倒していた元祖悪役令嬢である私みたいな義姉を守るために、自分を犠牲にするなんて。
そりゃあ、嫌われるより好かれたいなとは思ったよ。
でも、それでもさ。
ここまで彼女が、私のために動いてくれるまで心境変化しているなんて……。
ほんと、馬鹿だよ……私みたいな悪女のために……。
「……お姉様、泣いているのですか?」
「私の、中では……シンディより大切な人なんて、いないから……」
「えっ……? それは、ティナ姉様や、トライアンヌお母様よりも、ですか……?」
その問いに、私は頷く。
シンデレラの物語に、シンデレラが死ぬストーリーなんてバッドエンド以外の何物でもない。
特に私なんて、最初に死ぬはずの小物キャラなのだ。
主人公がモブのために自爆だなんて、童話がやっていいストーリーではない。
そこまで考えて、私は自嘲気味に笑った。
ああ、すっかり私の考え方、このゲームを遊んでいる人らしくなってるなあって。
よく考えたら、それって私の前提知識を元にしているエゴだ。だってシンディは、この世界の主人公ではないし、無論ゲームプレイヤーでもない。
シンディからしてみれば、貴族の娘である私が平民の娘であり資金援助された側でしかない自分のことを、そこまで考えていることを不思議に感じるだろう。
最初は、自分が死にたくないだけだった。
そのために、打算的に生きようと思ったのだ。
今更だけど、シンディがろくに魔法も使えないままなら、私はそれで目的達成だったのだ。
だって、私が破滅する原因である本人にその能力がなければ、当然私にとって一番都合のいいことだから。
でも私は、結局シンディに対して自ら進んで魔法を教えた。
本当に、自分が破滅するのを避けるためなら全く意味がないというか、一番やってはいけない行為だ。
ああ、なあんだ。
フィーネのために無茶をしたシンディのことを馬鹿だと思っておきながら、実のところやってることは私も大して変わらないっていうか、私の方がよっぽど必要ない苦労やってるんだなあって今更ながら思った。
でもさあ、やっぱ思っちゃうんだよね。
シンディ、すんごい可愛いし、いい子だし。
そんな子が私のことをここまで慕ってくれるのだ。そりゃ自分のこと以上に大切に思っちゃうって。
これはもう、ティルフィーネとしてではなく、あくまで私個人としての感情。
役割を無視した行動。自由度最大のロールプレイングだ。
それに、私がシンディにマナチャージを教えたことによって、私は今こうやって助けられている。
これもきっと、神様……なんてものがいるとは思えないけど、シナリオライターから見た私の行いが、ちゃんと報われるような行為だったと思ってもらえたということなのかなあなんて、そんなことも思ってしまう。
だから、私は立ち上がった。
「さて」
後ろを振り向くと、まだまだ燃え上がり続けている樹の魔物。
それでも火力が足りないのか、こちらに踏み出そうとしてきている。
それに何より、その火が周りの森に燃え移りそうだ。
コレはあまりよろしくない。
「ならば……《トルネード》!」
私は再び竜巻を出して、トレントの周りを覆い尽くす。
風は牢獄となり、魔物は勿論のこと、火も封じ込められる。
そしてシンディが付けた火が風に煽られて燃え盛り、暴れ出した火にトレントが再び苦しみ出す。
だけど、逃がさない。私の魔法は決して相性が良いものではないけど、それでも威力だけなら誰にも負けないように鍛えてきたんだ。
今はその魔法に、シンディの魔法が乗っている。
そう。
これは原作シナリオのことを考えると本当に有り得ないレベルのこと。
奇跡の、ヒロインと悪役令嬢の合体魔法なのである。
『——オォォ……』
断末魔の悲鳴のような物が聞こえてくる。
トレントはまだ、生きている。油断は出来ない。
私は、消えかけた魔法を再び唱えて竜巻の牢獄を作る。
シンディが、私のためにここまでやってくれたんだ。
お姉ちゃんである私が踏ん張らなくちゃ、格好悪いってもんだよね!
『——……。……』
トレントは、ようやく動かなくなる。
しかし、まだ最後まで油断は出来ない。このタイミングで解除した瞬間に後ろから襲ってきた、なんてこと、よくある話だからね。
「……」
私は黙って見つめる。
トレントは、動かない。
「……。……《トルネード》」
しかし、まだ止めない。
もう何度も油断してきた。いろんな人を巻き込んでしまった。
ならば、こんなところで余裕があるのに油断なんてできない。
殆ど鎮火した火を再び燃え上がらせるように、今日何度目か分からない竜巻の魔法を叩き付ける。
『——オオオオオ!』
こい、つッ……! まだ生きていた!
やはりここで魔法を止めるべきではなかった。きっと死んだフリ作戦をするつもりだったのだ。
私が最後まで解除しないと理解して、最後の力を使って脱出しようとしている。
でも、残念。
今回ばかりは、負けてあげるわけにはいかない。
シンディの協力を受けた私が、シンディの前で情けないところ、見せられないからね!
『——!』
「《トルネード》……無駄よ、《トルネード》。私はこういう日のために、鍛えてきた。風の魔法だけでも倒しきれるぐらい、鍛えてきたんだから」
『……。……——』
ぼろり。と、巨木の腕が落ちる。
トレントの声が止まったと同時に、その身体が徐々に崩れていき、その姿が全て真っ白になる。
灰だ。
倒しきった後に……結局私は、シンディに魔法を使わせてしまったなと言う後悔に苛まれていた。
姉としての勝手なエゴではあるけど……優秀な成績を修めつつも、綺麗なお姫様でいてほしかった。
滅びを司るような火の力を、極力使ってほしくなかった。
しかし結局のところ、そのシンディに助けられて私は今こうやって無事にいきていられている。
はは……お姉ちゃん、情けないなあ。
雨の上がった森。
その中へ、私の魔法ではない自然の風が舞い込んでくる。
疲れで汗を掻いた肌に、気化熱の涼しさが頬を撫でる。
その風の影響を真っ先に受けたのは、もちろん軽い灰だった。
トレントの残骸である灰は、自然の風に流されるがままにその灰を崩していく。
——それは、咄嗟のことだった。
「《エアフィールド》ッ!」
私は風の防御魔法を、反射的に使った。
魔法を実践した初日に砂が舞った時、ちょうど使ったのがこの魔法である。
あの時と同じように、灰を被りたくなかったのもあるが、咄嗟に魔法を使った理由はもう一つある。
「……え?」
シンディも中に入れるように、魔法を使ったのだ。
「あっ、フィー姉様、ありがとうございます……」
私は、お礼を言ったシンディの方を振り向いた。
綺麗な顔は、少し汗をかきつつも汚れていない。
この魔法が今、シンディを守っているのだ。
……あの灰は、トレントの灰。
シンディの魔法によって作り出された、灰。
このゲームのシンデレラは、無理矢理掃除をさせるから灰被りであると同時に、灰を作り出すから灰の魔術師と呼ばれている。
綺麗で純粋で人を疑うことを知らない、どこまでも無垢な少女にはあまりにも無骨な渾名。
その名を体現するのが、この魔物を倒した後に現れる灰だ。
そして……灰は、家族を殺しても、浴びることになる。
色のない燃えカスは、少女のその過酷な生き様の映し鏡のよう。
私は……私は、この灰を被ってほしくない。
だから、シンディに立ち塞がる障害は、自分が取り除こうとここまで頑張ってきたのではないのか。
シンディの火に助けてもらった。
……でも。
それでも、この灰をそのまま彼女に被らせるなんてこと、私のプライドが許せなかった。
この子は私の妹だ。
世界一幸せにしてやろうとニューゲームを始めた、シンデレラのもう一つの人生だ。
この子を『灰被り姫』だなんて、私が呼ばせない!
「可愛い妹の為なら、どんな灰でも防いでみせる! それが私、風のティルフィーネ!」
「……お、お姉様?」
本来幸せになるはずだった、誰よりも鮮やかな少女のために。
私が、その単語を受け継ごう。
灰被り姫の代わりに。
「——敢えて言うなら私の名は、灰被り……じゃない方なんだった。えっと、えっと……そう、『灰被らせない姫』!」
かっこよく決めようと思ったんだけど、見切り発車でした。
何言うか決めてないまま、思いっきり勢いで喋りました。
今、ノリですごく適当なことを口走った!
シンディは私の叫びを聞いて、ぽかーんとしていたけど……やがて口元に手を当てて、肩を震わせながら堪えきれないように笑い出した。
「ふっ、ふふっ……! フィー姉様って何をさせても完璧ってぐらい凄い人だなあって思っていたんですけど、ネーミングセンスは壊滅的ですね……! お姫様になるなら、もうちょっと可愛い名前の方がいいですよ、あはははは……!」
言われて気付いたけど、『灰被り姫』という名前を元々知っていないと、唐突に自分のことを姫扱いしたちょっとイタい子である。しかも収まりが悪い。
私は、最後の最後でスベったなあなんて思いながら頭を掻きつつも、目の前の光景に目を奪われてうまく声を返せなかった。
何故なら、私の視線の先には……あのどこか一歩引いていた元平民の少女が、貴族の私に遠慮という仮面を取り払って、世界一可憐な笑顔を花開かせていたのだから。