ボスという存在に対する、準備への価値の違い
トレント。
有名な魔物であるが、その姿を一言で述べるとすれば『樹の魔物』である。
ちなみに、先ほどエルフの男を踏み潰したとおり脚があって動く。
樹、というだけあって、非常に巨大だ。
それこそ、この森の中であろうと周りの樹よりも遙かに大きいほど。
私はトレントを視界に入れて警戒しつつ、隣のシンディに声をかける。
「どうしてシンディが先に来たの? お母様は?」
「あっ、えっと……その、確かに呼んだんですけど、手分けして探そうということになって。見つけ次第合流しようと」
「じゃあ、どうして。駄目じゃない」
危険なことを冒してほしくはない。その気持ちが表面に出てしまった私の言葉に、シンディは押し黙ると……気持ちを爆発させた。
「……だって、だってあんなに魔法の音がすぐ近くで聞こえたんです! もしも、フィー姉様がやられたと思ったら、私、私は……!」
その言葉を聞いて、ようやく私は気付いたのだ。
——ああ、自分はなんと独善的な考え方をしていたのだろう。
私がシンディのことを心配するのと同じように、シンディが私のことを心配してくれたのだ。
そのことに、能力の多寡など些細な問題。
たったそれだけのことにすら、私は気付けなかったのだ。
「……ごめん、心配かけたね。あれは私の風魔法。見ての通り、私もルビーも無事だから」
「そう、だったんだ……。……あの、取り乱してごめんなさい」
「な〜に言ってるの。むしろ、シンディに心配されるって本当に私の中だと嬉しい。私なんて苦労知らずの貴族だし、嫌われても仕方ないって覚悟してきたから」
「……え?」
あ、ちょっと本音が漏れてしまった。
実際さ、もしもめちゃめちゃ恵まれた環境の姉とかいたら、小学生なら嫉妬するのが普通だと思うんだよね。
それは姉にいびられる妹限定で起こることじゃない。
姉が優しい妹にとっても十分起こりえる話だ。
だが、シンディは血の繋がらない私のことを『自慢の姉』として扱ってくれる。
それだけでもう、言うことないよね。
だから、後は。
「……《マナチャージ》《マナチャージ》。っふぅ〜……よし」
実践でやってきたからか、随分とこの短時間でマナチャージが上手くなったように思う。
それこそ強い敵を倒した経験値でレベルアップみたいな、そんな感じ。
……もしかしたらそういう要素も、私にもあるのかもしれないね。
「二人とも、もう走れるよね。あっちに街があるから、助けを呼んできて!」
「フィーネは!?」
「まあ大丈夫でしょ」
私のあっけらかんとした答えに珍しくルビーがきょとんとすると、すぐに吹き出して「まかせてー!」と返事をして走り出した。
「シンディも」
「……わ、私はフィー姉様の傍にいます……!」
「えっ、危ないよ!?」
「危ないのはフィー姉様もではないですか、絶対離れませんから!」
……わ、わあお。
めっちゃ嬉しいのはもちろんだけど、ちょーっとこれは予想外だ。
悪役令嬢が死ぬぐらいなら、主人公も死んでもいいってぐらいですか。あまりに愛が深くて照れちゃうね。
「仕方ない、シンディのためにも頑張ろうじゃない!」
私は気合いを入れて、自分の足元を何度もぐりぐり動かしているトレントを見た。
……召喚者を恨んでいるのだろうか。最初の一撃で即死だっただろうに、念入りな潰し方だ。
そのトレントもさすがに満足したのか、ゆっくりとこちらを向く。
お待ちいただきありがとう。
さあ、そろそろ勝負といこうじゃないか。
「——《トルネード》ッ!」
私の叫びとともに、ごっそりと身体の中から何かが抜けるような感覚。同時に現れる、周囲の落ち葉を巻き込んだ巨大な竜巻。
トレントの周囲に集まった緑の魔力風が、その肌に刃を向ける。
まずは小手調べ、とはいかない。風魔法の最大クラスのものを、早速ぶつける。
デビルボア同様、かなり強いボスモンスターなのだ。油断は出来ない。
「……っ」
目の前に展開される魔法を見て、私は少し焦り始めていた。
効いている実感が薄いのだ。
元々風魔法とは自然魔法の一つで、緑の属性。自然属性の樹とは近い属性である。
葉っぱを散らせるようなことは風の刃には可能でも、木の肌を傷つけるような魔法ではない。
とりわけ、猪ならともかく相手は巨木だ。質量が違いすぎて浮き上がりもしない。
足に、震動が伝わる。
……震動?
まさか、このトレントは……歩いている?
「倒し切れる? まさか……倒せない!?」
属性の相性は厄介だ。
私の魔法は、どうやら正面の魔物にあまり有効なダメージを与えられないらしい。
ならば、もう一つ!
私には普通の人にはない、二つ目の属性があるのだ!
「《ウォーター……あっ」
その魔法を叫ぶ途中で、私はすぐに発動をやめた。
何をやってるんだ私は。
樹に対して水を与えるとか、それで攻撃したつもりなのか!?
お母様みたいな、氷の魔法を……いや、今使っている風の魔法と同じぐらいの威力だったとして、果たして倒せるだろうか。
それと同時に、これだけマナチャージをした私の身体が、上位魔法の連発に耐えられるだろうか。
MPは、数字で表示されないのだ。気を失ったら、そこで終わり。
いくつか目の前のトレントを倒す可能性を考えてみる。
しかし、その全てにおいて欠点が見つかるのだ。
まいったなー、コレ。
「打つ手がないのでは?」
この状況、打破する手段が見当たらない。
マジックポーションとか買い溜めてセーブしてから挑んでるゲームでのボス戦じゃないから、本当に相手に合わせた準備ができていない。
……ああ、なるほど、これが現実のボス戦ってやつか。
そりゃあゲームの中の登場人物達は、大きなボスに対して危機感も段違いなわけだよ。
いつ、どこで規格外の強敵が出現するのか分からないんだものね。
ゲームを遊んでいたら、攻略サイトを見れば出会う前から出現場所が分かるし、大体洞窟やフィールドの端っことかにいるから不意打ちって感覚はほぼない。
これ、『災害には常に備えよ』っていうのと一緒だ。
後悔後の祭りってところも一緒。
普段から準備しなくては、起こってからでは遅いのだ。
……今の私のようにね。
まだ抑え込めているけど、これ以上はどうするか……。
追加でトルネードを放つタイミングを見計っているけど、次撃った時に自分があの時のように気絶するのか分からない。
でも、やるしかない。
そんなことを考えながら、正面のトレントに意識を集中させていた。
だから、気付かなかったのだ。
「お姉様が、危ない……!?」
後ろで主人公が、覚醒しようとしていることに。