ティルフィーネの本来の力
頭の中で敵対表示のボスを確認しながら追いかける。
あのルートなら、レイチェルさんはぶつからないはず。
ならば、この迂回した巨大猪デビルボアがどう移動するかなんて、考えずとも分かる。
恐らく猪はレイチェルさんには勝てないと判断し、生徒達の集団に突っ込んでくるだろう。
レイチェルさんもそれを踏まえてエアフィールドを使っていると思う。
ただ……ゲームでは、エアフィールドの効果というのは一定のターンで消滅するようになっている。永続する魔法ではないのだ。
ならば、レイチェルさんが戻ってくるのが遅れたらどうなるか……想像に難くない。
ならば、どうするか。
私が先に倒せばいい。
私は学生として……そしてコントローラーを持たず自らの肉体を使う身としては、完全初心者の魔道士である。
それでも、さすがにゲームを一通り遊んだことと、レイチェルさんの魔法の使い方を見れば戦い方は分かる。
事前にレイチェルさんの姿を見られてよかった。
恐らく二回目のマナチャージをやった時点で、ふらつきながらも二本の足で立ちながら魔法を使えるのは、相当な熟練者なのだと思う。
そこから考えると、自ずと理解できてくる。
——私の魔力、かなり高いのではないかと。
可能性としては、実際に強いか、全然そんなことはないか、半々といったところ。
魔法自体をほとんど使っていないので、マナチャージの精度がどれほど魔法に影響するのか、全く分からないのだ。
それでもいい。
ここで動かなくては後悔する。
「……すぅ……《マナチャージ》。っふぅ〜……」
赤い点が、ゆっくりと向きを変えてこちらに歩いてくる。
それを認識しながら、木に手をついて三回目のマナチャージを終えた。
大丈夫。まだ、余裕がある。
肉眼で、猪の姿が確認できるようになってきた。
こうやって一対一でにらみ合うと、本当に大きい……レイチェルさんが大人とはいえ、よくこの魔物の正面に立てたものだと思う。
一瞬戸惑うように立ち止まり、私を見る。
……まあ、この期に及んで『迂回する』なんていう方法でレイチェルさんを避けたところを考えると、明らかにこの猪はそれなりに野生以上の知能がある。
弱そうな私一人だけ出てきたところで、罠にしか感じられないだろう。
だけど、罠だからといって、攻めてこない理由にはならない。
「……」
静かに頭を下げる。
間違いない。これからあの猪は、私目がけて襲いかかってくる。
当たれば……まあ、普通に考えて無事じゃないだろう。
自動車の体当たりみたいなもんだし、この猪がその一回で許してくれるはずないからね。
だけど、こちらだって勝算なくやってきたわけではないのだ。
猪が低く低く、頭を下げて……瞬間、先ほどと同じように地面を爆発させる。
この一瞬が勝負だ!
「《トルネード》!」
右手を向けて叫ぶ。
私の右手は緑色に光り……猪を、不可視の風の檻が包み込む。
暴風により、こちらにも砂埃が……そうだ、最初にこれもやったんだから忘れてはいけない。
「《エアフィールド》」
風の壁が私を中心とした広範囲に広がり、砂埃や落ち葉からも身を守る。
正面には、大きな渦が巻き起こり猪を上空に縛り付けている。
レイチェルさんの、防御魔法による反撃を受けて打ち上がったのではない、明確な攻撃魔法によるもの。
私はその猪が風の刃に全身を縦横無尽に切り刻まれ、逆光になって見えにくい空にも血飛沫が飛び散っているのを認識できる。
もちろんその血は、風の壁に弾かれて私の服が血に染まることはない。
ここからあれだけ見えるのなら、相当なダメージだろう。
その様子を見ながら、内心ほっとする。
私は、最初に魔法を使った日のことを思い出していた。
マナチャージを使った魔法は大きな威力で、次は砂埃を防ぐために防御魔法を使った。
その両方において、私は素手で十二分に魔法を発動できたのだ。
しかも、エアフィールドは本で読んですらいない。ゲームの魔法を思い出しながら叫んだだけ。
それでも、魔法は発動した。
だからこそ、思ったのだ。
素手の私でも、マナチャージを重ねがけすることでゲーム中の魔法を使えるのではないかと。
今の私が使っている魔法は、ゲーム中で覚醒したメルヴィンが順調に魔法を覚えた際に使えるようになる、風の上級魔法だ。
雷は高威力だけど燃費が悪いからね。だから一応、シンディのレベリングのためにも風の魔法も全て覚えてくれるのだ。
そんな彼の最終魔法の一つ。それが竜巻の魔法だ。
結果は見ての通りの大成功。ティルフィーネの本来の実力は、現段階で既に攻略対象の最終レベル並だ。
自分の力を認識する。
その力を正しく理解し、勘違いや過小評価ではなく、過不足のない認識でまだまだ入学したばかりの生徒たちを守る。
それが転生者知識を持つ私の、ノブレス・オブリージュだ。
懸念事項は二つ。
果たしてデビルボア相手にこの魔法で倒しきれるかということ。
そして——私の魔力は、いつ尽きるのかということ。
ゲーム中では、数字が出てきた。
いつでもMPの残量は確認できたし、MPが足りなくなったら魔法は使えない。
だからゲーム中のプレイヤーが魔法を使って気絶することはない。RPGでも、MP切れしてでも魔法を使って気絶とか、そんなシステム採用してないからね。
でも、私は初日に気絶した。
まだマナチャージ習い立てだったこともあるけど、魔法二つで気絶してしまったのだ。
その時の『MPが足りなかった感覚』というのは、未だに掴めていない。
願うのは、私の見えない数値が滅茶苦茶大きくなっていること。
何より、デビルボアが倒れてくれることだけ。
「……。……」
上空に留まったまま切り刻まれる猪から吹き飛ぶ血が、かなり減っているように見える。
っていうか、魔法の持続時間がかなり長い気がする。
ゲームだったら、多分エフェクト演出の関係もあるだろうけど、それでも5秒もあれば長いものだ。
だけど、見た限りまだ威力を維持している。さすがに長すぎる。
ふと思い出す。
そういえば、お母様はマナチャージのことを説明したとき、予想通りに3乗で計算していた。
トリプルチャージ27回分。
つまり、今の私が使っているのはトルネード27回分。
……調子に乗って、四重にしなくてよかった。
考え事をしているうちに、二分は経過しただろうか。
弱くなった竜巻の中から、猪が落ちてきた。
「やばっ、逃げよ」
私は落下地点を避けるように、走って遠くに退避。
上空から落ちてきた猪は、轟音と共に地面に衝突し、土を吹き飛ばす。
「……」
動かない……よね?
見た限り、もう指先一つ動いていない。体中の血液を抜いたのだから、これで動いたらとんでもないけど、そういうことはなさそうだ。
ぴくりとも動かない猪の姿を見て、勝利した現実感がようやく湧いてきた。
やった、倒せた……。
私は安堵とともに、クラスを抜けている気まずさを思い出して慌てて戻る。
一応魔法を使っている間もマップの点は確認できている。
レイチェルさんもちょうど戻る頃。周囲の捜索といっても、大人達が分散して探すわけにはいかなかっただろうからね。
私はクラスメイト達に、後ろ側からやってきたように移動してから接近する。
「……フィーネさん!? どこに行ってたの!?」
「いやあ……その、ちょっと我慢出来なくて」
私はちらっちらっと男子に目線を送る。
お花を摘みに行ってたのよ……ということを先生は察してくれて——もちろん嘘だけど——それ以上聞かないでくれた。
「もう……勝手に移動してはいけないからね?」
「はい、すみません」
私は先生に謝ると、シンディの方へと向かった。
シンディは最初私をじーっと見ていたけど、すぐに「お帰りなさい、フィー姉様」といつものように出迎えてくれた。
んー、とりあえず、問題は無事解決……だよね?
レイチェルさんがマーガレット先生に首を振って、魔物がいなかったことを伝えると、後々討伐隊を組む方向で今日のところはお開きとなった。
初めての課外学習は、突然のトラブルに見舞われたけれどみんな無傷で乗り越えることが出来た。
貴重な体験だったのか、トラウマになっちゃったのかはわからないけど……それでも、魔道士になるってこういうことだ。
いずれきっと、守る側になる時が来る。
その時に、あの脚が震えていた男の人みたいに、勇気を持って子供を守る人になれることを目指して。