レイチェルさん達と巨大猪デビルボアとの戦い
課外学習のボスである、デビルボア。
ゲームでも実装されている、体力が高く厄介な魔物だ。
分かりやすいぐらい全ての魔法が有効。それ故に、正攻法でなければ倒せない。攻撃力を上げて、ガンガン魔法を放っていくのだ。
……私は、一度こういう場面を想像したことがある
RPGでも剣を持ったザコ敵に切られたら、小さな数字のダメージが入る。
強い敵では、大きな数字のダメージが入る。
ただし、どんなダメージを受けてもキャラはぴんぴんしていて、万全な状態の攻撃でダメージを与えられる。
だけど……現実で腕を切られたら?
死ななくても、腕のない剣士が通常の攻撃ダメージを出せるとはとても思えない。
私達は、HPで生きているわけではないのだ。
だとするのなら——
——あの猪の攻撃を一度でも受けたら、人間はどうなるんだろう。
ゲームではないという当たり前すぎること、私以外の皆が分からないわけがない。
あの猪の攻撃を受けるわけにはいかない。
皆がまだ現実に直面できていない中、真っ先に動いたのはやはりレイチェルさんだった。
「《マナチャージ》、《マナチャージ》!」
って、いきなり禁忌とされたマナチャージ重ねがけをしたーっ!?
しかし当然のことながら、私と同じような気功の練習をしているわけではないのか、叫んだ直後に大きくふらつく。
レイチェルさんが動いて現実味を帯びた命の危機に、クラスメイトの女の子が悲鳴を上げてその場に座り込む。
当然そんな人間の姿を見た猪は、こちらをはっきりと『弱者』と認識して首を低く構える。
——来る!
「《エアフィールド》!」
猪のいた地面が爆発したかのような、戦車のようなスタートダッシュ。
一瞬で間合いを詰めてきた猪との衝突の瞬間、他の大人に支えられたレイチェルさんの渾身の叫びによる防御魔法が私達クラスメイトを覆った。
一体何百キロか、最早1トン超えてるんじゃないかというぐらいのヤバい存在感を持った猪は、防御魔法に突っ込んだ瞬間に天高く吹き飛んだ!
遙か私達の上空を巨体が飛び越えて、猪はクラスの後ろ側へと自由落下していく。
魔力回復のマナポーションを飲みながらレイチェルさんは自分の足で立ち、私達クラスメイトを勢いよく飛び越えていく!
すっごくアクティブ! 魔法使いってイメージではない!
「《ウィンドカッター》!」
レイチェルさんはそのまま落下中の猪を追いかけるように走り出し、私達を守っているエアフィールドを抜け出して上空に向かって魔法を連射しまくる。
風の刃によって切り刻まれた木の葉が一斉に落ちてくる——だけでなく、太い枝までバキバキと細かい枝を巻き込んで地面に土煙を立てる。
未だ魔物は上空のまま。
凄い、あの人は生徒を自分の力で守るつもりだ。
その姿はじっとしたまま呪文を唱える、一般的なRPGの『まほうつかい』とは一線を画す戦い方だった。
最前線に出て、弱き者を守るために身を張る魔道士。これが、アンヌお母様を下した魔道士の姿……!
私がその姿を見逃さないように身を乗り出すと、メルヴィンも隣に来た。
彼にとっても、戦うレイチェルさんは目指すべき到達点なのだ。
その本気の戦いを見られるというのは、本来の予定以上の貴重な経験である。
慌てて他の大人たちもウィンドカッターとウォーターカッターを上空に撃つけど、明らかに威力が足りていない。
だって元々、スライムぐらいしか出ないはずなのだ。きっとこの戦いには役者不足なのだろう。
大人達の中には、彼女より大きな壮年の男の人もいる。そんな彼でも脚がガクガクしてることが、こちらからでもはっきりと分かった。
震えてる——だけど、逃げないのだ。
これが本来の『勇気』ってやつなんだろうなと思う。
猪が地面に近づいた時には、もう体中が血まみれになっている。
だけど、地面を跳ねて轟音を立てた直後に、猪は立ち上がった。
「《エアブラスト》!」
猪が怒り任せに突っ込もうとした瞬間、再びレイチェルさんの魔法が炸裂して地面が爆発する。
いや、違う。足元を風で吹き飛ばしたのだ。
猪は魔法を受けて、前転するようにひっくり返り、頭から地面に突っ込む。
その背中目がけて、レイチェルさんは再び風の刃を連発した。他の大人達も、レイチェルさんの強さを目の当たりにして余裕が出てきたのか、魔法の頻度が上がっていく。マーガレット先生も参戦だ。
ゼイヴィアママ一人で、流れを変えてしまった。
凄いぞレイチェルさん。あなたがボスとして実装されていなくてよかった。
「フィーネちゃんがいるの……絶対に、抜かせない……命に代えても……!」
……えっ、私、ですか?
レイチェルさんに気に入られているとは思っていたけど、さすがに自分の命を賭けられると困ります。
だってゼイヴィアまだ10歳だよ、泣いちゃうって。
「全員下がって!」
レイチェルさんのかけ声により、風の防御魔法の中へと全員が入る。
そして、突進してきた猪がそのままレイチェルさんに衝突——する瞬間、先ほどと同じ防御魔法を受けて
自分の防御魔法は、自分の影響を受けない。猪は衝突の瞬間まで、大丈夫だと思い込んだだろうね。
一回目よりも怒りと殺意により速度を出した猪は、そのまま超低空飛行をして森の遙か奥へと消えていった。
「マギー、私は追うわ!」
そう叫んだレイチェルさんは、振り返らずに森の奥へと消えていった。
他の大人達も、レイチェルさんに続いて走り去っていく。
マーガレット先生は腰を抜かして、座り込んだ。
「もう……大丈夫かしら……。みんな、この魔法の範囲から出ないようにね」
普段は悪ガキみたいな男の子も、黙って顔色を悪くして震えるのみだ。
私はそんな皆を見ながら、小さく呟く。
「《マナチャージ》、《マナチャージ》、フゥ……」
そして、恐らく使えるのではないかという魔法を試した。
「《マップ》」
途端に私の頭の中に、地図が広がる。
これは、裏コマンド魔法だ。
ゲーム中のフィールドマップを歩くときに、どこに何があるかを表示してくれる、ちょっとした公式チートコード的な魔法。
使うと攻略に便利なので、二周目以降はいつも使っていた。
頭の中に、はっきりと図が現れる。
自分たちを中心とした青い点、そして正面に飛んでいった青い点複数。
そして——高速で迂回して、左側に回った大きな赤い点。
マジか、あの速度はまだ大ダメージってほどじゃなさそうだ……。
「……シンディ」
「な、何……?」
「シンディは、私のこと嘘つかないって信じてる?」
シンディは疑問に首を傾げつつも、黙って頷く。
「分かった。……すぐ帰ってくるからね」
「えっ……!?」
私は腰を低く屈めると、木々を縫って赤い点目がけて走り出した。