マーガレット:歴史が変わった瞬間
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春。色とりどりのつぼみが花開く季節。
今年も、新たな新芽が人生の花を咲かせるために、学校を訪れる。
もう暗記するほど聞いたなと思いながら、校長先生の話を聞き流しつつ、私は生徒達をじっくりと見ていた。
キングスフィア王立魔法学園。
初等部から9年かけて、この国の未来を担う貴族の卵たち。
彼ら彼女らを増長させることなく、かといって卑屈にさせることなく。
謙虚で実力のある大切な存在へと育てるのが、我々の役目だ。
普段は生徒の忖度などしないことが絶対。
しかし今年は、事前に友人のアンヌから話を聞かされていたので、私も他の教員と相談して対応に追われた。
——トラヴァーズ家。
それはジェイラス・トラヴァーズの武勇とともに知られていた、有名な家。
私の友人トライアンヌが、政略結婚として嫁いだ家。
娘も授かって、将来が楽しみになったところに、まさかのジェイラス様の早世。
あれほど勇猛果敢だった人物が、たかだが山賊相手に戦死するということが想像できなかった。しかし、そのことをじっくり考える暇もないほど、アンヌの動きは速かった。
瞬く間に山賊を全滅させてしまったのだ。
結局主な原因も分からず仕舞いのまま、彼女は娘の子育てに戻る。
ジェイラス様の残した二人の娘。
子育てをすること自体はいい、のだけれど……。
……少し、気を張りすぎている。そうレイチェルとは相談していた。
ここ数年は、いい顔など見ることもなかっただろう。
わがままな次女の話で、自己嫌悪に陥る姿を何度もなだめた。
そんな彼女の変化を感じたのは、去年の……秋、ぐらいからかしら。
急に、悩みの種だったフィーネ嬢が、いい子になったというらしい。
話半分にその親馬鹿っぷりを聞き流しつつも、アンヌは更に驚くべき報告をしてきた。
それが、まさかの再婚である。
夫を亡くして少し思い詰めたような子育てをしていたアンヌが、随分と柔らかくなった……と思ったらこれである。
相手は平民とのことで、その事実にも驚いた。
あのアンヌがね……やるじゃない。
しかし、話はそう単純には終わらない。
平民の旦那に、連れ子がいたの。
その子そのものは、件のフィーネ嬢が随分とかわいがってくれて、家の中では軋轢がないと言っていた。
他ならぬ彼女自身がそう言うのなら、それはそうなのだろう……と思うのだけど。
まだまだ、初等部は純粋な子供達。
純粋というのは……同時に、残酷でもあるの。
悪意というものがない。
悪意がないから、平気で他者を下に見る。
平民だからという理由でも、そうでなくても。
純粋に、他者を傷つける行為に遠慮がない。
だから、アンヌの相談はすぐに他の教員の承認も得られた。
同い年姉妹の、同クラスへの編入である。
それは結果的に、正解だったと入学式で教員誰もが思っただろう。
——あの子が元平民!?
遠目にフィーネさんと仲良くしているシンディさんは、明らかにお姫様以上の美しさだった。
前の方や隣はちらちら見るだけだけど、後ろの男子はシンディさんの横顔にずっと目を向けている。
もう既に『あの子が一番かわいい』という感情で脳が支配されている、というのが露骨に分かるぐらいだわ。
あれで元平民なんて知られようものなら、どんな絡まれ方をするか分からない。
だから、シンディさんの隣にフィーネさんがずっといる状態にしておくのは良い選択だと思えた。
アンヌからの願いもあって、私はシンディさんにばかり注意していた。
よく教えられていて、文字の学習から魔法の練習まで、ちゃんとやっている。とても優秀そうな子だ。
そう思っていたのは、その瞬間まで。
ティルフィーネ・トラヴァーズ。
私は、この子に対してあまりいい印象を持っていなかった。
だって、あの頃の眼に隈を作って自嘲気味に笑うアンヌを作り出したのが、このわがまま娘だというのだから。
そりゃあ私だって、年齢を重ねたのなら猫被ってるんじゃないのかって思うわよ。
実際そういう子、多いものね。女の子は11歳ぐらいから、男の子の三年ぐらい先を行って大人びるという印象。
初日は、特に問題なし。
翌日も、特に不自然な部分なし。
平民のシンディのことを、本当にかわいがっている。嫉妬という感情とは無縁、ともいえるかな。
今のところは、かもしれないけど。
問題は、魔法授業から。
「《マナチャージ》、フウッ」
私は、何を見せられているのか。
二重マナチャージを、立ったまま一瞬で済ませたフィーネは、そのままあろうことか身体を動かし始めた。
学園でも、高等部が補助されながら使いこなして、ようやく高威力の魔法が撃てるようになるという危険なもの。
それを、立ったまま補助なしでやるなんて。
それだけじゃない。
今、マットの上で飛び跳ねている姿が、あまりにも異常。
マナチャージは一回でも、魔力の循環が悪いとすぐに気持ち悪くなって人によっては嘔吐してしまう。
だというのに、今にもフィーネさんは走り出しそうな勢いで使いこなしている。
私は、教員部屋に呼んだ。
そしてフィーネさんと話をした。
4回というのは、さすがにハッタリだろうと思った。
だけど、違った。
フィーネさんは四回重ねがけして……そのまま立ち上がってしまった。
不安定な様子は全くない。それどころか、不安定になることそのものを知らないとでも言わんばかりの、首を傾げた無邪気な表情。
魔法の技術以外は、完全にただの9歳の女の子だ。
アンヌ……あなた一体、何を育ててしまったの……?
私は、もう何も言えなくなってそのまま二人を帰した。……だってもう、何も言うことないんだもの。
出て行った直後、にわかに騒ぎ出す他の教員達。
気持ちは、分かる。だってそりゃあ目の前で『不可能』とすら言われた理想の魔力安定を見せつけられたのだから。
さらっとやってのけたけど……あれは歴史が変わった瞬間かもしれない。
まずは学園長に報告に行かないと。
そして次に、当然他の教員からの視線が刺さる。
質問されても、何も答えられない。
トライアンヌに聞いてください。
とりあえず、アンヌには後で質問攻めするとして。
私は今、一つの事柄に気付いて頭を悩ませた。
——えっ、今年一年あの子の先生するの? 無理じゃない?