トラヴァーズ親子と山賊との戦い
トライアンヌ・トラヴァーズ。
それは、ラスボスである『暗闇の魔王』とかいう真っ黒いシルエットみたいな手抜きボス一つ前の、プレイヤーの壁となるボスである。
とてつもなく強い上に、プレイヤーの苦手となる属性。
故に、無属性扱いの闇魔法を使うラスボスより強いと言われている。
実際ラスボスよりも主人公が受けるダメージは大きいので、回復が間に合わなくて負けることは多々あるほど。
そんなアンヌお母様の、全力魔法。
普段は冷静で穏やかなお母様の怒り任せの攻撃が、敵の脚を貫通。
山賊の悲鳴をどこか他人事のように聞きながら、私はお母様の姿を見る。
「《ダイヤモンドダスト》」
周囲一帯が冬のような気温となり、山賊たちは足を滑らせる。
そんな中で、アンヌお母様はまるでそんな気候の変化などないとでも言わんばかりに、堂々と普通に歩いている。
完全に、お母様だけ別次元の存在だ。
ていうか実況してる私もめちゃ寒いですお母様。
(《マナチャージ》)
魔力を纏うと、幾分か寒さが和らいだ。
これなら、大分余裕が出来る。
山賊達はさすがにマナチャージとかいう魔法は使えないみたいだね。
「おい! トラヴァーズ夫人だ!」
「逃げろ!」
「何故だ、今日は来ないはずじゃ……!」
慌てふためきながらも逃げようと藻掻く山賊に、再びアンヌお母様は手を向けた。
「《ライトニングショット》」
次の魔法は、なんと電撃。
お母様の手から超スピードで発射された電撃が、トライアンヌと山賊と歪な線で繋げる。
一瞬であり、一撃。その魔法によって、一人を除き全ての人間は煙を吹き出しながら倒れ伏した。
し、死んでないよね……?
……いや、ゲームや原作でもここらで旦那を殺すのは確定事項。
ならば、因果応報でもある。
こいつらも、そういうことぐらいは理解しているだろう。
まあ理解したところで、納得するとは思えないけど。
それにしても。
お母様……これは……。
「嘘、だろ……なんで、確かに今日は一人のはずじゃ……」
「あなたがこいつらの頭領ね。何か言い残すことはあるかしら」
「……。……死ねええええーーーッ!」
山賊頭、往生際の悪い!
お母様の問いに何も答えることなく、いきなり襲いかかってきた!
危ない!
「——《トリアイナ・ギガントマキア》」
ぼそり、とお母様は小さく呟いた
その瞬間……大地が、割れた。
「ぐおおおオオオオ!」
割れた地面に巻き込まれた山賊頭は、脚を取られ……。
「《ジャッジメント・エンド》」
お母様の次の言葉で、地面が閉じる。
人間VS地球。質量差がありすぎて、戦いにすらならない。
山賊頭の脚は完全に潰され、地面に埋まったまま身動きが取れなくなっていた。
野太い悲鳴が響く山道。そこに立っているのは、表情のない『氷の夫人』ただ一人。
戦いとすら呼べない一方的な蹂躙は、一瞬で幕を下ろした。
……強すぎる。
これが、トライアンヌ・トラヴァーズ。
私達のお母様の、本気の怒り。
凄い。だけど、怖い。
……それだけじゃない。
どうしようもなく、悲しい。
お母様は、こういう人間同士のいざこざによる戦いの場には、長い間立っていなかったはず。
恐らく、前回がジェイラスさんが殺された時の復讐だ。
私は、この人をこんなふうにしたくなくて、動いたんじゃないのか。
このまま見ているだけなら、何のためにやってきたというのだ。
既に一度、大切な人を失った人の心を救えずして、何が転生者だというのか——!
「——お母様!」
びくりと震えるアンヌお母様へと、私は更に畳みかける。
「外傷はなく、呼吸も脈も確認できました! 気絶しているだけです!」
それまでどこか幽鬼のようにじっとしていた無表情のお母様が、私の方へと瞠目して振り向く。
周囲のみ南極にでも変えたかのような気温が一気に上がり、国内最強の氷魔法使いは、ただの女の子になって、こちらへと駆け寄ってきた。
「エド!」
横転した馬車に飛び乗ると、お母様は私の隣に来て馬車の中へと降りる。
そして、気絶したエドワードさんを両腕で抱きしめて……そのまま嗚咽を漏らし始めた。
……ああ、やっぱりアンヌお母様はそっちだよ。
氷の夫人なんて、似合ってないよ。
情熱の塊、好きな人に一直線の恋するアンヌちゃんだよ。
アンヌお母様の姿を見て、ようやく私はエドワードさんを救うことができた実感が湧いてきて……同時に、これが全く知らない話へ繋がることに気付いた。
私は……私は、運命を変えることができたのか。
そうか、本当にあの運命を変えたのか。
元になったシンデレラでも、父親が元気に生き続けてはいなかった。
原作の童話なんて、父親が娘の灰被り姫に優しい描写すらないぐらい。
だから、これは本当に未知の世界。
パパにもママにも愛されているシンデレラが、そのまま大人になれる世界。
シンディが、平穏無事に迎えられる未来。
だから……油断は、できない。
そう。今日のように山賊に襲われることが、将来もう二度とないとは限らない。
死を逃れられたのはいいことだけど、その先の話を誰も知らないのだ。
次の襲撃日は分からないし、やり直すこともできるはずもない。
だって私は、悪役令嬢ティルフィーネ。
主人公シンシアを操作するプレイヤーではない。
『セーブ&ロード』はできないし、死に戻りもできない……と思う。
だから、油断はもうしないと決めたのだ。
「くそっ、せめて娘だけでも……!」
山賊頭が私の方を見ると、斧を持ちながら私を睨む。
間違いない……投擲だ!
山賊頭は、その手に持つ妙に綺麗なバトルアクスを、私に向かって投げてこようとしている。
当然そんなものが頭に刺されば、私は即死。
お母様は、お父様が死ぬとき以上に後悔するだろう。
してくれるといいな。しちゃうんだろうな。
そんなことを思いながら、私は山賊頭の方へ手を向ける。
山賊頭が私の命を狙うために、腕を後ろに大きく振りかぶる——
——だけど、それは予測済みだ!
「《マナウィンド》!」
私は風の魔法を叫び、山賊頭へと叩き付けた!
以前のように周囲に砂埃が舞い、山賊頭は振りかぶった瞬間のところで台風の瞬間最大風速みたいな突風を受け、手からバトルアクスを離す。
地面に横たわっていた山賊達も、ごろごろと転がっていった。
手元から大幅に離れた位置に斧が落ち、山賊頭は愕然とする。
そう、あいつは足が挟まって動けない。もう何もできないのだ。
お母様に、親指を立てて笑いかける。
私のファインプレイにすっかり驚愕して、ぽかんと口を開ける可愛いアンヌお母様を見ながら……私は新たな謎のことを考えていた。
——トライアンヌ。私が知る限りでは電撃魔法なんて使わなかったし、まして『ギガントマキア』なんて神話みたいな魔法、ゲームでは一度も使ったことないぞ……?