馬車の中で、私は気付いた
——油断した。
馬車は走る。
道を走る。
どんなに魔力が上がっても、自分の脚が馬より速くなることなどない。
それがひどくもどかしい。
風の魔法には、そういうものもあるのかもしれない。だけど、少なくとも今の私にはない。
約束を、守った。マナチャージ以外は何も学習していない。
そして乙女ゲーム……恋愛アドベンチャー系のRPGゲームに移動魔法なんてものはない。
上手くいっていた。
上手くいっていたからこそ、私は油断した。
イレギュラーな事態に対して、力業で解決するような主人公になろうとしなかった。
上手く行き過ぎていた。
だから、こういう事態に、私は弱い。
これまで全く話してこなかったのだけど……この乙女ゲームは魔法を使うRPGということもあって、当然のように魔物が現れる。
そいつらを倒してレベリングすることにより、節目節目を切り抜けていくのだ。
今まで触れてこなかった理由は一つ。
私達の破滅の原因が、シンディにあったから。
シンディを追い詰めた、自分たちにあったから。
だから、気付かなかったのだ。
悪役令嬢が破滅フラグを立てる、その前の段階。
破滅フラグを『立たせるような人間になる』出来事に、想像が行かなかった。
私は油断した。
「もっと急げないの!?」
「で、出来る限り頑張ってみます……!」
御者はアンヌお母様の剣幕に気圧されながら、必死に鞭を振るう。
こちらの馬車もガッタンガッタン揺れてるけど、そんなものに構ってる気持ちの余裕などないのだ。
恐らくエドワードさんが出てから私が気付くまで、そこまで時間はかからなかった。
だから、大きな距離があるわけじゃない。
問題は……山賊が人を殺すのに、数秒もあれば十分ということだ。
そんなこと、何よりもお母様が分かっているはず。
ここで間違えれば、全てが終わる。
今までの努力が水の泡になりかねない恐怖。
……違う。これは恐怖ではない。『寂寥感』だ。
楽しかった、私達の日々。
ようやく始まった、本当の家族になれた時間。
もう私の心の中には、自分が死ぬことへの恐怖は……全くとまではいかないけど、ほとんど残ってない。
それよりも、仲良くなった私とシンディが離れてしまうことの寂しさの方が、私には大きくなっていた。
もっと踏み込んで言おう。
今の私は『シンディの悲しそうな顔が見たくない』のだ。
あの子は私の可愛い義妹。泣かせるような奴、絶対に許せない。
だから私は、元のフィーネを一番許せない。
その上で……今の私がシンディを泣かせたら、私は私を許せそうにない。
……ああ、なるほど。
今更、こんなことに気付くなんて。
アンヌお母様……トライアンヌは、ジェイラスとの仲は日記から察するにそこまで会話が多いわけではなかったのだろう。悪いというほどでもなかったのだろうけど、とにかく微妙な感じというのが伝わった。
それでもトライアンヌは、ジェイラスが死んだ後は怒り任せに山賊を滅ぼした。
気付いていなかったのだ。彼女は意外と、ジェイラスとの寡黙な時間を悪くないと思っていたことに。
さすが母子。もうすっかり、心の中でもこの人の娘みたいになったのだろう。
シンディとは仲良くなっていた。最初は打算だったし、媚びるつもりもあった。相手の性格を知る前から、私はシンディを持ち上げようと考えていた。
だけど、シンディは普通にとってもいい子で……いつの間にか、もう自分が死亡フラグを回避したことすらどうでもよくなるほど、シンディのことを気に入っていた。
あまりに自然に受け入れてしまったから……今更気付いたのだ。
私は自分の命と並べられるぐらい、シンディが大事なんだって。
もう、自分がシンデレラの世界の悪役であることすらどうでも良く思えるほど、あの子のことが大好きなんだって。
……シンディのために、間に合ってほしい。
私はその思いだけを胸に、馬車が進む先を見た。
それが馬車の速度に何の影響も持たないと知りつつも、その先を見ずにはいられなかった。
ある程度進んだところで、馬車の急制動が身体に伝わる。
あれは……エドワードさんの乗った馬車!
山道の先に、横たわった馬車がいる。既に襲われた後だ……!
無事なのだろうか。毛皮に身を包んだ山賊達が、斧を持って取り囲んでいる。
その姿が視認した瞬間、アンヌお母様が飛び降りて駆け出した!
私も慌てて追うけど、とてもじゃないけど追いつけない!
フィーネは元々成長したところで身長の低い悪役令嬢。
それに引き換え、アンヌお母様はエドワードさんに近い長身。
すぐにアンヌお母様は山賊のもとへと到着すると——!
「《コキュートス・スナイプ》!」
いきなり会話もなく、高威力の氷の魔法で山賊の脚を貫く。
容赦なしの一撃だ。
かつてゲーム中最も苦戦した『氷の夫人』、その本気が目の前で繰り広げられた。