第01話:マサツグ様はなろう主人公!
「いつまで引きこもるつもりよ?」
「34歳までだ」
少年が登校拒否になって1週間が経過した。
いじめを苦にしての逃避だった。教師も少年を助けなかった。
「やけに具体的ね……」
「当然だ。将来設計は緻密が望ましい」
少年の意志は固かった。
断固たる決意のもとに、34歳まで自宅に引きこもって死ぬ覚悟を決めていた。
「その将来設計は底辺過ぎでしょ……」
少年には、幼馴染の女子高生がいた。
お説教が大好きで世話焼きな、小中高と同じ学校に通った美少女だ。
「那狼君の奇行は珍しくないけど、今回はさすがに不安になるのよ……アタマとか」
「無用な心配である」
少年――那狼正嗣の口から紡がれたのは、鋭利に澄んだ美声だった。
透明感のある低音は、バリトンの力強き旋律を魅せる。
溢れ出る嗜虐を孕んだ正嗣の美声は、声の響きだけで乙女を絶頂させる魔声であった。
その威力を言葉で表現するなら耳への射精である。
細胞単位でメスを発情させる正嗣のエロボイスの前では、汚れなき少女の鼓膜など処女膜に過ぎない。
「心配はしてないわ。呆れてるだけよ」
「貴様には関係ないことだ」
絶対零度の視線が、ぷんすか怒る美少女を睥睨する。
鋭利に尖った切れ長の双眸は、人外の色気を孕んだ淫眼である。
目尻からにじみ出る抑えきれない攻撃性は、悪鬼羅刹を眼光だけで萎縮させる鬼眼だ。
全ての愚者を蔑む孤高の支配者を思わせる正嗣の視線に晒された婦女子の多くは、網膜で受信した正嗣のエロスで絶頂に達するだろう。
正嗣の視線は脳を錯覚させ、擬似的な妊娠を体験させる。
神話の怪物にも勝るエロ魔眼を所有する正嗣は、少女と目が合うだけで子宮を痙攣させて排卵を起こすのだ
「…………」
無言で美少女を見据える、凍てつく視線に愛情はない。
そこに弱者を哀れむ感情もなければ、悲しみの居場所さえ見受けられない。
銀河の闇を物質化したような瞳の虹彩は、曇りのない邪悪な濁りで彩られている。
「俺こと那狼正嗣が、他人の指図を嫌うことは存じているな?」
「人の話を聞かないアホなだけでしょ?」
「ヤレヤレ。俺こと那狼正嗣が宮本友奈に教えてやろう」
「どーぞ。聞き流すから」
宮本友奈と呼ばれた幼馴染の美少女は、壁に背を預けながら相槌を打った。
那狼正嗣は、ニタッと嗜虐に嗤う。
壁にもたれる友奈に、引き締まった腕を伸ばして――ドンッ。
背を預ける壁に手をつき、友奈に覆いかぶさって逃げ場を奪うような姿勢になる。
「壁ドン?」
「悦ぶがよい。貴様の耳元で解説してやる」
ニタニタと頬を緩ませる正嗣は、嗜虐で歪んだ顔を近づける。
犬歯を剥き出しにして愉しげに嗤いながら、言葉をかわす二人の距離は数センチ。
「俺こと那狼正嗣の計画は完璧である。34歳まで童貞のまま引きこもりトラックに轢かれて死ぬ。この計画にぬかりはない」
「脳みそが致命的にぬかってるのよ。あと顔にかかる吐息がウザい」
那狼正嗣の仕草や振る舞い。
傲岸不遜な動きの全てが、口から紡がれる言葉のことごとく。
正嗣の全てが、彼こそが本作の主人公であることを物語っている。
そう、WEB小説の主人公は「やれやれ」と呟く傾向がある。
更に言えば、現実世界で満たされない作者だとヤレヤレ発言の確率が上がる。
リアルの不満と鬱憤を燃料に自己の理想と憧れを投影して制作される『WEB小説』の主人公は、作者が意識せずともヤレヤレと呟いてしまうのだ。きっと何事にも熱くならないクールな感じがカッコイイと勘違いしてるのだろう。作者は現実世界だとキモオタ童貞の癖に。
「いいか、宮本よ」
「耳にかかる息がウザいのよ」
また壁ドンから見て取れるように、アレな作者が描く小説の主人公は女性を支配したがる傾向がある。これは作者が現実世界で女性と接した機会が極端に少ないがゆえに創作世界においても女性との接し方が分からないという社会経験の不足がもたらした資料的な意味での不備の結果であるが、単に『女は欲しい。でも恋愛には興味がない。ならば女は所有すればよい』という短絡で愚劣な女性蔑視の感情が無意識に現れたケースがある。
多くの場合で両者は共存するが、ようするにWEB小説の作者は非リア充なのだ。
現実で満たされないゆえに現実とは異なる異世界の物語を好んでしまう。社会の底辺を這いずる劣等人種が執筆を通じて自らを慰撫するために製作したモノがWEB小説の正体である。そしてWEB小説はリア充と非リア充の階級で区切られた現代社会の敗北者に評価される。
WEB小説の利用者は、作者も読者もクソしかいない。
WEB小説とは現実世界で女に見放された下等人種に適応した新文化であり、作者も読者も妄想世界でハッピーになれる新文化なのだ。
それは、いびつに歪んだ現代社会のディストーション。
愚かな人類が生み出した、文学性を放棄した快楽特化の作品群である。
文学に残された芸術性を投げ捨てた精神ポルノ小説。
それこそがネット小説の正体である。
「クククッ」
そんなネット小説において生まれた、無比無双の主人公。
その名も那狼正嗣。
ごく一部で『マサツグ様』と畏怖される、醜く歪んだ最強にして最低のサイコパス主人公である。
宮本友奈は、愉しげな正嗣に言うのだ。
「あんた、脳みそ湧いてんじゃない?」
「俺こと那狼正嗣の脳みそが湧いてるだと? クククッ、ハァーハッハッ!!」
罵倒に高笑いをあげる、那狼正嗣は不完全な存在だった。
作者の正気を疑うイカれ具合、哀れみすら覚えるキモゴミ具合、吐き気と寒気が同時に押し寄せるサイコパスな猟奇性が共存した、醜く劣悪なカリスマ主人公だ。
「
那狼正嗣は、歪んだ存在である。
誇りあれども中身はなく、慈悲はあれど偽善未満の自己満足に過ぎない。
怒りはあるが協調性はなく、愉悦あれども悲しみはない。
人として大事な人格の一部が欠落した、作者を模倣した異質の主人公。
それが、那狼正嗣ことマサツグ様なのだ。
悪を正すが正義ではなく、勧善懲悪で完全超悪。
どこまでもいびつで歪んだ主人公が那狼正嗣ことマサツグ様なのだ。
宮本と呼ばれた美少女は、正嗣を挑発するように言うのだ。
「どうしたの? いきなり笑いだして? 現実のツラさに心が壊れちゃった?」
「クククッ、愚民の戯言が心地よい。その蔑みが俺を昂ぶらせる」
「なにその異常性癖? ただの変態じゃない?」
友奈にドン引きされた那狼正嗣は、自宅マンションにいた。
都内の高級マンションの一室で、家賃は月240万円。
「ハァーハッハッハ! 俺こと那狼正嗣の夢を語ってやろうっ!」
「興味ないわよ……」
「聞くがよい。俺の夢は童貞のまま34歳まで自宅に引きこもり、トラックに轢かれて異世界に転生して無双することだっ!」
「ばっ~かじゃないのっ?」
尊大な態度で鼻くそ以下の夢を語った正嗣。
真面目で堅物な委員長系の幼馴染な友奈は、容赦ない辛辣ボイスを浴びせる。
「異世界に転生したいのはまだ分かる。無双したいのもオッケー。でも童貞のまま引きこもる必要が分からないのよ!」
「それが様式美だ」
「ンなくだらない伝統芸能なんて、モニターから取り出して窓の外に投げ捨てなさい! そもそも様式美って何よっ!?」
「これを見ろ」
正嗣はスマートフォンを取り出す。
画面に表示されているのは「作家になろう」という小説投稿サイトだった。
「なにそれ?」
「いわゆる小説投稿サイトである。個人が無料で小説を投稿して公開できる場所だ」
「ふーん」
友奈は『なろう』のトップページを眺める、
分かりやすく整理された情報が表示されており、修飾の少ないページだ。
ちなみに累計1位のタイトルは「無職童貞転生 -異世界に行けたら本気だす-」だった。
「なんとなく客層が把握できたわ……」
「貴様の推測は正しい。作家になろう――以後は短縮して『なろう』と言われるサイトの利用者の多くは、人間関係や社会生活で底辺に属するゴミクズ以下の下等人種が占めている」
「言いたいことは分かるし、間違っていないのも分かるけど、もっと言葉を選べないのかしら?」
「ならば、劣った民草と言い換えよう。このサイトの利用者の多くは、容姿に劣り、誇るべき才能もなく、努力もせず、そのくせ文句だけはいっちょまえ、自身の能力のなさを社会の不満に転換させ、現実社会における自分の立ち位置に不満を抱く、この世の掃き溜めにうごめく劣等種が占めるゆえに――」
「わたしが悪かったわ……さっさと結論をどうぞ」
「俺こと那狼正嗣は、なろう小説のような異世界転生に憧れている」
友奈の問いに、ニヤッと嗤って答えた。
「なろう小説の主人公と同じく、俺も現実世界に不満を抱いているのだ」
「あっそ。実家が戦国時代から続く名家の系譜で両親は資産家、政府に口利きができるほどの権力者で見た目のスペックは認めたくないけど超絶イケメンな美男子、文武両道かつ芸術センスに優れていて性格を除けば非の打ち所がない那狼くんが現実世界に不満を抱いてると主張しても、平凡な女子高生のわたしは『死ねばいいのに……』と月並みなコメントしか出てこないわよ」
「死ねとの要望は却下しよう。俺が死ぬのは34歳と決めている」
「やたらと34歳にこだわるわね……」
「クククッ、これもなろうにおける様式美である」
正嗣はスマートフォンを操作して、なろうのトップページを表示した。
「見ろ。なろうのトップページだ。なろう登録者の多くが毎日見るページであり、なろうを初めて訪れる利用者が最初に目にするホームページの顔でもある」
「ふーん」
友奈は、スマートフォンの画面を眺める。
わかりやすいレイアウトで、必要な情報が羅列されている。
タッチひとつで行きたい場所に飛べる、とても親切設計なサイト構成だった。
つまり、
「コメントがないわ……」
「だろうな。俺が注目するのはスマホ版のトップページだ」
正嗣が【ランキング!】という項目をクリックする。
折りたたまれたページが表示されて、一番最初に出てきたのは、例の【無職童貞転生】という作品だった。
ニヤッと嗤う正嗣は、幼馴染の美少女に誇らしげに言った。
「見ろ。これがなろうに投稿された40万作品で頂点に立つ、もっとも多く読者からポイントを集めた作品になる」
「クソな題名ね……」
美少女のぼやきは、とても一般的な反応だった。
累計ランキングのトップ顔ぶれは、いずれもよく分からんものだった。
1位:無職童貞転生
2位:謙虚と堅実をアイデンティーに生きています!
3位:八男だけど、それはない
4位:よくある職業で世界最強
5位:転生したらスライム
「5位の作品おもしろそう。あとはよく分からないかも?」
「目のつけどころがいい。その作品はいずれ累計三位まで駆け上ると予想している作品だ。やはり転生スライムは目を引くな」
「うん、パッと見で面白そうだもの。そう考えると、無職童貞転生もインパクトあるのかしら?」
「なろう累計1位の作品だ。タイトルが目を引くのは必然だが、無職が読者に評価されたのは作品が持つポテンシャルだ。ここで無職童貞転生のあらすじを語ろう」
正嗣は、なろう累計1位の作品を語りだした。
・主人公は34歳の童貞無職引きこもり。
・高校でいじめに遭って引きこもる。
・自慰行為を親の葬式帰りの兄妹に見られる。
・無職童貞職歴なし34歳が実家を追い出される。
・交通事故でトラックに轢かれて異世界に転生する
・赤子に転生した主人公は失敗した人生を異世界でやり直すと決意する。
「これがストーリーだ」
「なにそれ? ただのゴミじゃない?」
「この底辺さが読者の共感を誘うのだ。常に現実世界で蔑み対象の読者に『俺以下の存在がいる!』と自尊心を満たさせる冒頭になっている。ちなみに自慰のおかずは一緒に風呂に入った姪だ」
「さらにゴミさがアップしたわね……で、この作品って面白いの?」
「読めば分かる。無職は面白い。物語の完成度もなろう作品とは思えぬほど高い」
「ん? お兄ちゃんとユーちゃん、なに話してたの?」
正嗣が演説していると、ドアが『ガチャッ』と開いて、黒髪の美少女が現れる。
おせんべいを「ぱりぱり」齧る、黒髪ロングの美少女は言うのだ。
「パリパリもしゃんじゃ、ぱりもしゃ、でね」
「真央ちゃんは、口の中のものを食べ終わってから喋ろうね……」
那狼正嗣の双子の妹――那狼真央は、いつ見ても綺麗だった。
清楚で可憐な容姿は細く、抱きしめた折れそうなほどスレンダーな体型。
だが、胸だけはGカップという痩せ巨乳な体型。
端正な顔つきと腰まで伸びた滑らかな黒髪は、華族や皇族の子女を連想させる。
高貴な容姿であるが。おっぱいのサイズはGカップだ。
清楚なのにエロく、清純派なのにGカップ。
ちなみに正嗣とは二卵性双生児なので、双子でも容姿はあまり似ていない。
正嗣の幼馴染――宮本友奈は、頭痛の痛さにこめかみを押さえながら言った。
「唐突に引きこもり宣言した、クソたわけの話し相手をしてたのよ……」
「あはは。お兄ちゃんにはあたしから言っとくからさ」
正嗣の奇行は、いつものこと。
幼馴染の宮本友奈と、妹の那狼真央は、顔を見合わせてため息をひとつ。
呆れる二人など眼中にあらず。
異世界転生に憧れる正嗣は、声高にその素晴らしさを喧伝するわけで。
「賞賛に値するは異世界の自由さである! 見知らぬ土地を探索し、悪党を正義の名のもとに斬り伏せ、魔法や異能といった超常を操り、知略を用いて文明を発展させ、軍略を用いて多勢に無勢の戦況を覆し、奴隷を所有して服従させる背徳に酔い、勧善懲悪に身を震わせ、富と快楽の全てを手中に収める! 己が欲望を満たすべく才覚のみで生き抜く異世界転生は、俺こと那狼正嗣が所望する世界ではないか! それに比べて現実世界のつまらなさはなんであるか! 習得すべき魔法は存在しない! 身に備わった異能も存在しない! 野望を阻止する悪の組織は見当たらず、未探索の古代遺跡も人跡未踏の秘境も存在しない! つまらぬッ……至極ッ、つまらぬッ! 俺こと那狼正嗣は現実世界に退屈している! それゆえに――」
「那狼君は、憧れの異世界に行きたいのね……」
「いかにも。俺こと那狼正嗣は異世界転生小説の主人公になる下準備をしている」
「ここ最近の奇行、原因が分かった気がするわ……」
「お兄ちゃんはやるとキメたら一直線だからね。パリパリ」
「真央ちゃん。おせんべい食べてないで、那狼君を止めて……」
「あははー☆ とりまぁー、高校には登校するよう説得してみようかな?」
「たはは……マジでお願いね」
首を傾げて思案する那狼真央に、幼馴染の宮本友奈は乾いた笑い。
本作の主人公――
異世界転生に憧れる男子高校生、那狼正嗣は知らない。
宮本友奈が、前世で勇者と呼ばれていたことも――
那狼真央が、前世で魔王と畏怖されていたことも――
友奈と真央は、顔を見合わせながら言うのだ。
「剣と魔法のファンタジー世界って、そんな良い世界じゃないわよ……」
「そうそう。やっぱ平和で快適なのが一番だもんね」