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ハレかな! 〜いもーれ★奄美民謡研究部〜  作者: 麓清
第一話 神の引き逢わせに
8/20

唄わない唄者

  6


 翌朝、七海はすこし早めに登校すると、職員室に置いてある学級名簿に目を通した。目的の名前は意外なほどあっさりと見つかった。一年一組の名簿の中に「泊清風」とあった。七海はその名前を確認すると、学級名簿をそっと元の場所に戻して、何事もなかったかのように職員室を後にした。七海が教室に着くとすでに李心と碧が登校していて、彼女が来るのを待っていた。七海は自分の席にはむかわず、鞄を持ったまま李心の前の席に腰を掛けた。


「なんだ、二人とも早いね」

「うん、気になってね。それで、どうだった?」

「一組にいたよ、泊清風さん。それで、ひとつ思い出したんだ」


 七海はそういいながら鞄の中から去年の日付の新聞を取り出した。それは昨年五月に開催された奄美民謡大賞の受賞者を伝える記事で、『最優秀賞に泊さん(少年)』と大きく見出しが打たれた中に、『少年の部の最優秀賞に泊清風さん(龍北中学校三年)』と掲載されていた。その記事を見て、李心もはっと驚いたような声を出した。


「そうか、どこかで聞いたと思ったんだよ、トマリサヤカ。この子って去年、民謡大賞の少年の部で最優秀賞を獲った子だ!」

「そう、多分その子のことで間違いないと思う。それなら伝芸が欲しがるのもうなずけるしね」

「へえ、どれどれ?」


 顔を突き合わせるようにして、机の上の新聞記事を眺めている李心と七海の間に碧が割ってはいった。碧は七海が持ってきた地元の新聞紙を手にすると、何気なく新聞の一面を開いた。一面記事のど真ん中に、大きな写真とともに『泊愛美さん(南海大島高校三年)大賞に』という見出しが躍っていた。そこに掲載されていた三線を演奏しながら唄う女性の姿の写真を見た瞬間に、碧はアッと声をあげて顔を三〇センチメートルの距離まで近づけ、大声をあげた。


「この人、メグミさんやん!」

「ミドリがいってたメグミさんって、去年の奄美民謡大賞を受賞した人?」


 まさか、とでもいいたげに声のトーンを一段あげて李心が振りむいた。


「うん、写真よりも髪も長くて、メイクもしてたからもっと大人っぽかったけど、間違いないわ。この人、あたしが会ったメグミさんやわ」

「もしそれが本当なら、この泊愛美さんは当時高校校三年生だったから、普通に考えれば大学生のはずで、ミドリが会ったっていっていた時には、多分島外の大学に通っているはずなんだけど」


 七海が訝しげにいったが、今、話題にするべきはそこではなかった。李心が話の流れを仕切り直すようにいう。


「ミドリとメグミさんの問題についてはいったん脇においておこう。今はこっちのサヤカさんのほうだからな。それにミドリがいってたみたいに、伝芸部が狙っているってことは少しでも早めにコンタクトしたいところだけど」


 李心の言葉に七海と碧も顔を合わせてうなずく。気がはやるように早口で碧は李心に問いかける。


「リコちゃん、今から早速一組に行ってみる?」

「今からって、まだ登校しているかもわからないし、第一、伝芸だって断られている状況なんだよ。何の対策もせずに行ったところで、わたしたちだって断られてしまうんじゃない? リコ、わたしは焦らずにサヤカさんのことをもう少し調べたほうがいいと思うんだけど」


 七海にそういわれて李心は腕組みをした。眉を寄せて難しい顔をして考える。


「確かに、断られる可能性は高いけど、ミドリの話だとミズエって人が一緒に勧誘しに行くっていってたんだよな? クラブ見学の時に会ったけど、あたしはあのミズエって人は油断ならないと思うんだ。人に取り入るのもうまそうだったから」


 数秒間、李心は腕組みをして考え込んでいた。七海と碧は息をのんで李心のことを見つめていたが、やがて、李心は手をほどくと、パンと手のひらをたたいた。


「とりあえず、こうしよう。次の休み時間までにどうやって誘ったらいいか考えておく。それで、あまり大勢で押しかけて警戒されるのもまずいだろうから、あたし一人で次の休み時間に勧誘にいってくる」そういって、李心は七海と緑の顔を交互に見ると肩をすくめて、「ただ、あんまり期待はしないでよ。まだ全然考えがまとまっていないんだ」と、自信なさげに眉をハの字にさげた。


 三人はしばらくその場で、どうすればうまく勧誘できるか意見を出し合ってみたものの、結局いい案は出てこないまま予鈴のチャイムが鳴ってしまい、七海は不安げな表情を残したまま自分の席へと戻った。


 その日の一限目の授業は英語だったが、李心は全く集中できなかった。普段は集中しているのかと聞かれれば、自信をもって肯定はできないのだが、今日は時計が壊れているのかと錯覚するほど、時間が過ぎるのが早く感じられた。それでも、授業の終わりを告げるチャイムが鳴るころには、何となく李心なりに考えがまとまったような気がしていた。


 一限目の休憩時間になり、心配そうな七海に見送られながら、李心は一年一組の教室へとむかった。当然といえばそれまでなのだが、一組にはわずか数歩でたどり着いた。

 高校ではいろんな地域から生徒たちが集まっている。そのため、仲のいい友人でもいない限り、他のクラスに行くということはまずない。案外この「別のクラス」というのは、彼女たちにとっては高い壁でもあるのだ。李心は一組には誰一人として知っている友人はいなかった。そのことは、思いのほか李心の心にプレッシャーを与えていた。

「心の準備をする間もなかったなぁ」と、ぼやいて李心は扉のうえのプレートを見あげる。しかし、ここでじっとしていても何も始まらないと意を決すると、そっと扉を開けて中の様子を伺った。ちょうどそのとき、入口の近くにこのクラスの生徒と思しき女子生徒が通りかかったので、李心はその子にむかって恐るおそる声をかけた。


「あの、ちょっとすみません……」

「はい? なんでしょうか?」


 ふいに声をかけられた女子生徒はきょとんとして、李心の方を振り返った。真っ黒な砂が背中を流れるように、彼女の長い髪が顔の動きに遅れてさらさらと揺れる。柔らかな声色をしたその生徒は、すこし目じりがさがっていて、色白で清楚という言葉がふさわしい、穏やかな顔だちをしていた。


「あの、このクラスにとまりさんっていると思うんだけど、わかるかな? ちょっと用事があって話がしたいんだけど」

「泊なら二人いますけど?」

「あ、サヤカさん! 泊サヤカさんって子」

(とまり)清風(さやか)なら私ですけど、何か?」


 つい昨日、同じやり取りを職員室でやったことを思い出す。奄美では親戚同士が近くに住んでいたりするため、苗字が重なることは珍しくはなかった。李心は最初からフルネームで聞くべきだったと、今更ながら自分の詰めの甘さを後悔した。清風は不思議そうに小首をかしげて李心を見つめる。


「どうかしましたか?」

「いや、ごめん。何でもない。それはそうと、今日は泊さんにお願いがあって……」

「何度もお伝えしていますが、民謡を唄うクラブの勧誘でしたらお断りします。私は民謡を唄いません」

「え?」


 ぴしゃりと拒否されて李心はひるんだ。まだ用件の一言目すら伝えていない。清風は強い意志を込めた視線を李心にじっとむけている。李心はその視線をまっすぐに受け止める。そこにはただ単純に拒否を示す意思とは違う、別の感情が浮かんでいるような気がしていた。


「何度もって、あたしは泊さんとは今日初めて会ったんだけど?」

「とにかく私は、民謡は唄いません」


 しかし、李心はここで引きさがるわけにはいかなかった。奄民の復活は間違いなく彼女にかかっていた。彼女の入部を諦めれば、奄民の復活は遠のき、逆に廃部が現実味を帯びるのだ。


「あの、泊さんって去年に民謡大賞で最優秀賞をとった泊サヤカさんだよね? ぜひ一度聞いてみたいなぁ、なんて……」


 民謡大賞の言葉に、それまで表情を作らなかった清風の顔が急激に険しくなった。李心はその表情の変わりように、内心で、何かいってはいけないことをいったのか、もしかして失敗してしまったのか、と焦っていた。心臓がばくばくと大きく脈打って飛び出してきそうだった。李心は自分の首筋から胸元にかけて汗が流れ落ちたのを感じた。

 険しい顔を崩さずに「あんなものは、何の意味もありませんから。失礼します」と、きつい口調でいい切ると、清風は李心に頭を下げて踵を返そうとした。


「ごめん! 待って! もし、気に障ったら謝るから。実はあたし、何の下調べもなしに、ただ小耳にはさんだ情報だけでここに来ちゃったんだ。実は、あたしたちはいまクラブで『唄あしび』をやろうとしてるんだ」

「うた……あしび?」


 真意をはかりかねるといった顔で清風は李心の言葉を繰り返した。李心は彼女の顔から視線を外すことなく、あごを引いてうなずく。


「そう。まだ全然うまくないし、つい昨日シマ唄始めたばかりの初心者もいるからなかなか形にはならないんだけど、昔にばあちゃんたちがやっていたみたいに、みんなでひとつの唄を順番に回しながらいろんな歌詞で唄うんだ。それで、疲れたらちょっとおしゃべりして、お茶飲んでまた唄う。そんなみんなが楽しいと思えるクラブにしたいんだ」


 李心は必死に言葉の海をもがいていたが、彼女の口からは気の利いた言葉は出てきそうになく、清風にもその熱意は伝わってはいないようだった。眉間に縦筋を浮かべたまま、清風は小首をかしげる。


「あの、意味がよく分かりませんけど?」

「とにかく、一度見学するだけでいいからさ、今日の放課後に部室に遊びに来てよ! 民謡じゃなくて唄あしびをやりに! 放課後、部室で待ってるからね!」


 李心はいいたかったことを投げつけるように吐き出すと、困惑した様子の清風からの返事も聞かずに、くるりとスカートを翻して自分の教室へと駆け戻っていった。


 教室に戻ると、一直線に自分の席にむかい、李心はそのまま突っ伏すようにして自分の腕に顔をうずめた。碧と二人でそわそわしながら李心の帰りを待っていた七海は、空いている椅子に適当に腰を掛けると、心配そうに李心にたずねた。


「その様子だと、ダメだったのか?」


 李心は顔を伏せたままくぐもった声を出す。


「会うには会えたけど、こっちの用件をいう前に『民謡は唄いません』ってきっぱり断られた」

「唄いません、か。何か民謡をやりたくない理由があるのかな?」

「多分ね。ただ何というか、一瞬寂しそうな表情をしたんだよね。民謡っていったときに」

「寂しそう?」


 李心の言葉に、会話を聞いていた碧が首をかしげた。李心はゆっくりと体を持ちあげると、中空を見つめて清風がついさっき見せた表情を思い浮かべていた。


「うん、理由はわからないけど、とにかく寂しそうだった。あれは、民謡をやりたくないんじゃなくて、やりたくても、自分がそれを許していないんじゃないかと思う。どっちかといえば『唄えない』ってほうが近いのかもしれない。それに、賞をとったことを『意味のないこと』だともいっていたんだ。彼女が唄えない理由はわからないけれど、あの様子だと奄民の入部は難しいかもしれない」

「それで、リコはどうしたの?」

「民謡じゃなくて唄あしびをしに、放課後に部室に来ないかっていって帰ってきた。でも返事は聞かなかったよ」


 休み時間の終了を告げるチャイムが鳴って、教室に散らばっていた生徒たちが自分の席に戻っていく。七海も立ちあがると「結果は放課後に持ち越しだね」といって自分の席に戻っていった。

 当然、この日の二時間目の授業内容も李心の頭の中にはまったく入ってこなかった。


  7


 授業の後、長引いた終礼が終わるとともに、李心は教室を飛び出し、階段を一段飛びに駆けおりた。職員室で鍵を掴み取ると、部室のある特別教室棟を目指して渡り廊下を走り抜けた。しかし、到着した部室の前には人影はなかった。

 李心は大きく肩で息をすると、鍵を開けて部室に入り、鞄をテーブルのうえに放り投げた。倒れこむように椅子の背もたれに体重を預けると赤く潤んだ目で天井を仰いだ。


「やっぱりダメだったか」


 少し遅れて部室にやってきた七海と碧は、李心の様子をみてすぐに状況を把握したようだった。


(とまり)さん来てなかったんだ」

「ああ、一組の教室には?」

「終わってすぐ出て行ったって」

「そうか、それじゃあやっぱり望み薄そうだな」


 李心の声は暗かった。七海が短いため息をついて「また誰か探そう、まだ時間はあるよ」と李心を元気づける。三人が気を取り直して練習でもしようか、と三線を取り出したまさにそのとき、コンコンと扉をノックする乾いた音が部室の中に響いた。

 三人は驚いたように顔を見合わせる。「はいはいー」と声をあげて碧が立ちあがると、軽やかな足取りで部室の扉を引き開けた。

 李心の視線の先、碧が開けた部室の入り口には、伝芸部の部長の英梨奈が不機嫌さを表すように腕組みをして立っていた。

 わずかな沈黙の後、英梨奈は腕組みをほどいて手招きをしながら李心を呼んだ。呼ばれた李心は重そうに椅子から体を持ち上げると、そろそろと力ない足取りで扉口へとむかう。


「リコをすこし借りるわよ」


 楽しい感情は一切混じっていない重い声でそういうと、要件も告げずに英梨奈は李心を連れて部室を出ていった。二人がいなくなったことを確認すると、七海は碧に困惑の表情で問いかけた。


「どうしたんだろう?」

(とまり)さんを勧誘したことがばれたんちゃう? さっきの人、昨日あしびばにいた人やん?」


 アッと短く声を漏らすと、七海は心配そうに扉の外をそっと覗いた。しかし、廊下にはすでに二人の姿はなく、ただ放課後特有のかすかなざわめきが、どこからともなく聞こえてくるだけだった。

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