相棒を探せ
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学校を出て十五分ほど歩くとアーケード商店街が見えてきた。建物の二階分くらいはありそうな高い天井がまっすぐに伸びている立派なアーケードだったが、人通りはそれほど多くはなかった。洋服や日用雑貨、薬局などの生活用品が売っている店舗の他、奄美の特産品の土産物屋などが並ぶその一角。『パシフィックミュージック』と古ぼけた看板がかかっている店のガラス扉を押しあけて、李心が店の奥に声をかけた。
「こんにちは。店長いますか?」
「あら、リコちゃんいらっしゃい。ちょっと待って、すぐに呼んでくるから」
店にいた女性の店員は李心の顔をみるなりそういって二階に続く階段をあがっていく。李心が呼んだ店長を待つ間、碧は店内に飾られた三線を七海と見て回る。
「ナナちゃん、こっちの三線、二十五万円って! 高ッ!」
「高いのは『黒檀』という木が棹に使われていることが多いんだけど、これがいい音でるんだよ」
七海がうっとりしながら二十五万円の値札のついた三線を眺めていると、二階から人の降りてくる気配がした。店内に姿を見せた男性に李心が嬉々とした様子で挨拶をした。すらっと背が高く、細身の体形をしていながら、きりりとした濃い眉と短く無造作に立ち上げたヘアスタイル、それに頬のラインから顎にかけて丁寧に切りそろえられた髭のせいもあって、どことなくワイルドな雰囲気を醸し出していた。
「マサ兄、久しぶり!」
「やあ、リコちゃんにナナちゃん。いらっしゃい。今日は何を探しに来たのかな」
「うん、この子の三味線を探しにきたんだ」
そういって李心が碧の腕を引っ張って店長の前に連れてくる。碧は緊張した面持ちで丁寧にお辞儀をした。
「こ、こんにちは。立山ミドリといいます」
「店長の指宿雅之さんだよ。あたしはマサ兄って呼んでるけどね」
「ちなみにマサさんも南高の奄民出身なんだよ」
「マサ兄、ミドリは大阪から引っ越してきたんだよ! 純粋なヤマトッチュ。それであたしたちと一緒にシマ唄はじめることになったんだ!」
李心が碧と肩を組んで嬉しそうにいうと、雅之は目を丸くして驚いた。
「はげー、本当に!? ご両親も島出身者じゃないの? いやぁ、ようこそ奄美民謡の世界へって感じだね。聞きたいことがあったら何でもいってよ!」
「はい、ありがとうございます」
雅之の案内で李心と碧は店内をいろいろ見て回りながら、実際に三線を手に取って音を出してみたりしたが、碧はギターを弾いたことはあっても、三線の音はちゃんと聞くのも弾くのも今日が初めてで、どれが良くてどれが悪いという判断基準を持っていなかった。
「ちなみに、予算はどのくらいで探しているの?」
雅之の質問に、碧は目を泳がせながら気まずそうに肩をすくませる。そして、上目遣いで雅之に対して探りを入れるように答えた。
「あの、できたら五万円……て、厳しいですか?」
「五万円か」
しばし腕組みをして考え込んだ雅之だったが、思い出したようにぱちんと手を鳴らすと「ちょっと待っててくれる?」といってバタバタと階段をのぼって行った。階段のうえからガサガサという物音に続いて、ドシンと何かが落ちるような音がした。李心が心配そうに階段を見あげる。しばらく静かになったかと思うと、五分くらいたって満足そうな笑みを浮かべた雅之が古びた楽器ケースを抱えて降りてきた。雅之の服は埃で真っ白になっていた。
「ミドリちゃん、これなんかどうかな」
そういってレジカウンターのうえに古びてはいるが、革張りでしっかりとした細長いハードケースを置いた。カチャリと音を立ててロックを外して、ふたを開けると、そこには艶々とした輝きを放つ深い赤茶色の棹の三線が納められていた。
「わぁ、かわいい」
「カナクリが緑色だ!」
棹の先に取り付けられている、カナクリと呼ばれる糸巻きには翡翠があしらわれて緑色に輝いている。碧と李心の視線はこの三線に釘付けになっていた。
「僕が中学生の時に使っていた三線だけど、棹が細くて今はもう使ってなくてね。皮は合成だけど棹は黒檀だから音は間違いないと思うよ。どうぞ、弾いてみて」
雅之はケースから三線を取り出すと碧にむかって差し出した。それを受け取ると碧は近くにあった椅子に座り、さっき教えてもらったように三線を構える。そして覚えたての撥の持ち方で右手に撥を構え、適当に弦をはじいた。ピンと澄んだ甲高い音が店内に響き渡る。弦の振動がわずかな余韻を残して消えていく。その音を聞いて、碧の後ろで七海がとろけるようなため息をもらす。雅之は碧の表情を見ながら満足げな笑みを浮かべる。
「どう? 中古だけど、その三味線は本当にいいものだよ、今はもう亡くなった奄美の名工に作ってもらったものだからね」
「うん。すごくかわいいし、それにあたしの手にすごく馴染む……この子、好きかも!」
「それじゃあ、新しいケースと替えの弦とか諸々つけて五万円で譲るよ」
「本当ですか! あ、でも今日は持ち合わせが無くて……」
きらきらとした顔が一転、碧は恥ずかしそうに顔を伏せた。勢いでお店に来てしまったので、お金を用意してこなかったし、そもそも高校生になったばかりの碧にとって五万円は結構な大金だった。
「じゃあ、こうしよう。今日はケース代だけを支払ってもらって、三線はミドリちゃんに貸してあげよう。そうだな、夏休みが終わるまでに支払いを済ませたら、晴れてその三線はミドリちゃんのものになるっていう約束でどうかな?」
「それなら今なんとか払えます」
「よし、決まり。せっかくだから胴巻きも新しいものに交換してあげよう。好きなものを選んで」
雅之はレジのそばに置いてあった、胴巻き入れのかごを持ってきて碧の前に差し出す。胴巻きは三線の胴体部分に巻き付ける布製の装飾の一種で、手軽に三線に個性を出すことができるアイテムでもある。碧はかごの中から自分の名前にちなみ、緑色の地色に金糸で模様の描かれた胴巻きを選んで雅之に差し出した。
「それじゃあ、今から交換するからちょっと待っててね」
「あの! 実はお願いがあるんですが……」
碧は雅之にむかって呼びかけて、彼の耳元で何やら小声で相談する。碧の相談を受けると雅之はにっこりと微笑んで、了解したというふうに右手の親指と人差し指で輪っかを作ってみせた。
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碧は雅之から真新しいケースに収められた三線を受け取ると、嬉しそうにそれを背中に担ぐ。その様子を雅之も嬉しそうに目を細めて眺めていた。丁寧にお礼をして三人は雅之の店を後にすると、しばらくいったところで、前を歩いていた李心が二人に振りむいた。
「ミドリ、この後時間があるなら、ナナと一緒に『あしびば』寄っていかない?」
「あしびば?」
聞きなれない言葉に碧が首をかしげる。得意気な様子で李心はうなずくと、あしびばなる言葉の説明を加える。
「うん、この近くにあるカフェ。知ってる人がお店をやってるんだ。ミドリの歓迎会やろう」
「そうだね。あしびばだったら落ち着いて話できるし、わたしたちもよく使うお店なんだ。せっかくミドリが奄民に入部してくれたし、あとは、三線を買ったお祝いってことで、今日はわたしたちがおごるよ。飲み物くらいだけど」
「ホンマに? うん、行ってみたい!」
「じゃあ、決まり」
そういうと李心は指を鳴らす。三人は李心を先頭に軽やかな足取りでアーケードの商店街を進んでいった。
李心のいうあしびばは、アーケードを抜けて五分と掛からない通りに面したテナントビルの二階にあった。店内がオフホワイトで統一された、ナチュラルテイストのおしゃれな内装のカフェで、午後のティータイムらしいボサノバの甘いボーカルがスピーカーから流れていた。若い女性店員がエプロンで手を拭きながら出迎えてくれて、親しげに二人に挨拶をする。七海がいっていたように、二人は馴染みの客らしく、慣れた様子で店内の奥を指さしていった。
「こんにちは、マコトさん。あっちの窓側いいですか?」
「ええ、いいわよ。どこでも空いているところ自由に使って。あら? 新しいお友達?」
「うん、大阪から奄美に引っ越してきたんだ。ミドリっていうんだ」
「立山ミドリです」
「宮田真琴よ。よろしくね」
緊張気味のミドリとは対照的に、マコトは午後の日差しのような暖かい笑顔をミドリに送る。大きくて黒目がちの瞳。メイクは薄くナチュラルに仕上げてあるが、ほりが深くてまるで欧米人とのハーフのような顔だちで、長い髪を髪留めのクリップで後ろにまとめている。背はすらっと高いが全体的に起伏は少なく、半袖のTシャツからのぞく腕は白く細く、そして長い。真琴はシルバーのトレイから水滴のついたグラスを三つテーブルのうえに並べると、エプロンのポケットから伝票を取り出した。
「注文、何にする?」
「ナナはアイスレモンティー、あたしはオレンジジュースね」
「いつも通りね。ミドリちゃんは?」
「えっと……」
「あ、ミドリはミキね!」
メニューをめくる碧を無視して李心が勝手に注文した。
「ミキ? ミキってなに?」
初めて聞く飲み物に碧は戸惑いを隠せなかった。碧が手にしたメニューには「ミキ」という名前が載っているだけで、その正体についてはどこにも触れられていなかった。七海に視線を向けると、怪しげな笑みを浮かべていた。まあ、飲めばわかるよといわんばかりだ。七海の表情に碧は不安をつのらせたが。
三人が注文したドリンクはすぐに運ばれてきた。
「お待たせしました。アイスレモンティーがナナちゃん。オレンジがリコちゃんで、ミキがミドリちゃんね」
真琴がそれぞれの前にストローとコースターを置いて、そのうえにそっと飲み物を置く。すべてのグラスが揃うと、李心はおもむろにグラスを持ちあげた。
「それじゃあ、奄民の復活と、ミドリの入部を祝して!」
「カンパーイ」
三人はカチリと音をたててグラスを合わせる。碧は手にしたグラスに注がれた白いミキなる飲み物を注視していた。ストローを差し込むとその白い液体は、ゆっくりとストローを飲み込んでゆく。
「なんか、ドロッとしてるんやけど……これ、飲んで大丈夫?」
「当然だろ! さ、飲んでみて?」
恐るおそる一口飲んだ碧の表情が一変する。人工的な砂糖の甘さではない、自然な味わいが口の中に広がる。液体はゆるゆると喉を通り、するりと胃の中に落ちてゆく。碧はごくごくと喉を鳴らして、一気に半分ほど飲んでしまった。李心と七海が引きつれたような笑顔を碧にむけている。
「おいしい! 甘い! なんかヨーグルトみたいだけど、ちょっと違う?」
「それ、元はサツマイモとお米なのよ」
様子を見ていた真琴が三人のテーブルにやってきて説明を加える。ミキというのは奄美の伝統的な飲み物で、サツマイモと米から作った発酵飲料なのだという。碧は感心したように真琴の話を聞いていた。
「ミキはグリーンストアとか、街の商店なんかでも売ってるから、良かったら買ってみて。ウチのミキは市販のやつにちょっと手を加えてあるけどね」
「え!? そうなの?」
李心と七海が声を揃えて真琴を見あげた。
「二人ともミキ苦手だから、ウチで飲んだことないもんね」
「飲んだことなかったんかい!」
真琴の暴露に碧は二人にむかって思いっきりツッコむ。李心と七海は知らんぷりを決め込んで自分たちの注文したドリンクを静かに啜った。
三人は奄美大島のことやシマ唄のこと、逆に碧の住んでいた大阪の話題などを取り留めもなく話し込み、気づけばここにきて一時間が経過しようとしていた。
「さて、ミドリのバスの時間もあるしそろそろ……」
スマートフォンのディスプレイに浮かぶ時計に視線を落とした七海が席を立とうとしたときだった。窓の外を眺めていた李心がふいに眉を寄せると、慌てた様子で立ちあがって「ミドリ、悪いちょっと先に行ってるから、会計立て替えておいて!」と強引に七海の手を引いて店の外へ出ていった。訳も分からないまま、席に一人残された碧が呆然としていると、李心たちと入れ違うように、店の入り口で真琴の声が聞こえた。
「あら、エリちゃん。いらっしゃい」
その声に反応して振りむくと、入り口には碧たちと同じ制服を着た三人の女子生徒が立っていた。先頭に立っていた女子生徒は、慣れた様子で真琴にアイスレモンティーを三つ注文した。
碧は視線で彼女を追う。無意識に「すごい綺麗な人」と口の中だけでつぶやいた。涼しげな目元が印象的で、長い髪が胸のあたりまで伸びている。あとの二人のうち、一人は小太りで眼鏡をかけた気の強そうな生徒で、リボンの色から二年生だと分かった。もう一人も二年生で、こちらは顔も体も小さくて、まるでアイドルグループにでもいてそうな愛らしい容姿をしていた。三人は碧の座る席をひとつ挟んだむこうに陣取った。
碧は自分のグラスに残ったミキを飲み干すついでに、何となく彼女たちの会話に耳をそばだてた。最初に入ってきたエリが二人のうち、小太りなほうの生徒に声をかけた。
「それで、マユミ。トマリサヤカさんは入部してもらえそうなの?」
「声をかけてはいるのですが、なかなか了承してもらえず……苦戦しています」
「そう、引き続き勧誘をすすめて。次からはミズエも一緒に行ってあげて。あの子はウチの部には絶対に必要な人材なの」
「わかりました」
真剣な表情でもう一人の生徒がうなずいた。そのあと、三人の会話が別の話題に移ったことを確認すると、碧は真新しい三線ケースを背負いレジで三人分の支払いを済ませる。真琴が「またいつでも寄ってね」と扉口まで見送ってくれた。
階段のしたでは李心と七海が待っていて、碧を見るなり、李心は申し訳なさそうに顔の前で手を合わせた。
「ごめんね、ミドリ。これ、お店の支払いね」
そういって李心は数枚の小銭を碧の手のひらの上に落とす。両手をお椀のようにしてそれを受け取ると、碧は小銭を仕舞い、鞄の中に財布を放り込んだ。
「なんでいきなり出ていったん? 新手のたかりかと思ったわ」
「いやぁ、窓の外に伝芸部の部長が見えたから、多分ここに来ると思って。あたし、あそこの入部断ったし、なんとなく顔合わすのが気まずくて」
ばつの悪そうな顔で李心が頭を掻く。碧は「ふうん」と、興味がなさそうな声を漏らすとついさっき耳にした話題を口にした。
「あの人伝芸部なん? なんかトマリサヤカって人を勧誘してるみたいなことをいってた。リコちゃん知ってる?」
「トマリサヤカ……誰だろう、聞いたことがあるような気がするな」
李心は目線を七海に送るが、七海も難しい顔で小首をかしげていた。
「家に帰って調べてみるよ。伝芸が欲しがるってことは、民謡経験者なのかもしれないね」
「おぉー、ナナちゃん探偵みたい」
碧から能天気な返事が返ってくる。七海は小さく息をつくと「とりあえずまた明日ね」といってこの日は解散した。