クラブに入ろう
4
入学式から三日が過ぎ、ようやく通常課程の授業が始まると同時に、クラブ見学期間という日程が始まった。これまでも在校生による勧誘活動などはおこなわれていたが、この日から新入生は放課後にクラブ活動の見学に行ったり、正式に入部したりすることが可能になる。そのため、どこの部活動も正門前でのビラ配りや新入生の囲い込みに余念がなかった。李心たちのクラスでも部活動をどうするかが話題の中心となっていた。放課後、李心の席までやってきた七海が隣に座る碧にその話題を投げかけた。
「ミドリはクラブ何にするか決めたの?」
「軽音楽部にしようかなって思ってるねんけど」
「え? ミドリって楽器弾けるの!?」
李心の顔に驚きが浮かぶとともに、その瞳の奥に獲物を狙う大型のネコ科動物のような黒い光が宿った。それを知ってか知らずか、碧は困ったような顔を李心にむけて手を振った。
「中学の文化祭でやった遊び程度やねんけど、そのステージがすごく印象に残ってるねん。まあでも、何部にするかはまだはっきりとは決めてへんけどね。あのテンション高めの新入生歓迎攻撃がちょっと鬱陶しくて、いつも逃げてるねん」
「まあ、気持ちはわかる。相手が踏み込んでくると一歩引いちゃうんだよな」
「それじゃあ、明日クラブ説明会があるからそれ見て決めるといいんじゃない?」
七海の言葉に李心もホームルームで同様の説明があったことを思い出す。明日の六限目に体育館で各クラブ活動の説明会が開催される予定だった。
「それで、リコちゃんとナナちゃんは、部活は何にするか決めてんの?」
「ああ、伝芸か奄民かな」
碧の質問にそうこたえると李心は七海に目配せをする。七海も李心と同じことを考えているようで、相槌を打つようにうなずいたが、碧は聞きなれない言葉に眉間にしわを作った。
「で、デンゲーカーマミン? それも方言?」
「違うよ、伝統芸能部と奄美民謡研究部の略称。わたしたちは奄美民謡をやろうと思ってるんだ」
小さく笑いながら七海が説明を加えてくれるのだが、碧には全く馴染みのない部活動であることには変わりがなかった。河内音頭なら大阪にいるときに地元のお祭りで聞いたことがあったけれど「民謡」なんてこれまで興味の欠片すらなかった。碧が民謡と聞いて思い浮かぶイメージは、着物を着たおじさんが「はぁ~、ヨイヨイ」みたいなコブシをきかせて、尺八や三味線を伴奏に唄うというもので、あまり女子高生のするものというイメージではない。同じ音楽なら吹奏楽や軽音楽のほうがよっぽどメジャーな気がする。ただ「奄美民謡」という独特の響きには、どこか惹かれるものがないでもなかったが、碧をつき動かす動機にはなりえなかった。
「あたしとナナは今日の放課後、見学に行くつもりだけど、ミドリも一緒に来ない?」
「ごめん、せっかくやけど民謡はよくわからへんし、やっぱり明日の説明会見てから考える」
「そうか。まあ、軽音部も候補にあることだしな。それじゃあ、あたしたちはこのまま部活の見学に行くよ」
「うん、また明日」
「また明日ね。バイバイ」
七海が碧に手を振って李心と一緒に教室を出ていく。ポニーテールが七海の歩みにあわせて軽やかに揺れてるのを、碧はじっと見送った。李心が何かをいったのか、七海の平手打ちが李心の後頭部にきまった。
「民謡ねえ」
鞄を手に席を立った碧は誰にむけていうでもなく独りごちた。
5
南海大島高校では一般教室や職員室などの主要な事務室のある本棟のむかい側、中庭を囲むようなL字型の特別教室棟一階に、文化部の多くは小さくはあるが部室が与えられている。ちなみに運動部は運動場のクラブハウスなる別棟に部室を構えていた。部員数の少ない文化系クラブは部室でも活動できるが、吹奏楽部などのように特別教室を借りて活動している大所帯のクラブもいくつかあった。
中庭を横切るように設けられた渡り廊下を歩いて、李心と七海は特別教室棟へとむかった。
「バスケ部入りませんかー?」「そこの君! 音楽好きそうな顔してるね!」「俺たちと一緒に全国を目指そう!」校舎の外からは、新入部員の勧誘中と思しき生徒たちがあげる、雄たけびじみた喚声があちこちでこだまするように繰り返し聞こえてくる。その上、グラウンドで練習中の運動部員のかけ声や時折響く野球部の金属バットの打球音、音楽系クラブの基礎練習の音など、雑多な音がまじりあって、放課後の校内は混沌とした熱気で満ち溢れていた。
校舎内に入るとそうした声も熱気も幾分和らいでいた。とはいえ、特別教室棟の掲示板にも嫌というほど新入生にむけた部活の勧誘ポスターが並んでいて、どの部活動も新入生獲得のために必死に趣向を凝らしたポスターを作っていた。その中には李心と七海が見学に行こうとしていた伝統芸能部のポスターも掲示されていて、二人はその前で足をとめた。そこに記載されている情報によると、この日の伝統芸能部は三階のリハーサル室で練習しているらしかった。
「そういえば、リコ。伝芸は熱心に勧誘活動していたけど、奄民はチラシ配りしていないのかな。見かけなかったと思わない?」
「そういえば見かけなかったな。人数少ないのかな? とりあえず先に伝芸にいってみようか」
李心と七海はリハーサル室のある三階をめざし階段をのぼる。
三階にあがると廊下の奥の方から、二人には耳馴染みのある音色が聞こえてきた。単独の音ではなく複数の楽器を同時に演奏しているようで、おそらく合奏の練習をしているのだと思われた。きっちりと粒のそろった音色が、奄美民謡独特の転がるようなメロディを奏でている。
「お邪魔します……」
プレートにリハーサル室と表示された部屋の扉を恐るおそる開けて首だけ差しいれると、中で椅子を並べて合奏していた生徒たちの視線が一気に李心に降り注いだ。
生徒たちは皆、淡い枯草色の地色に、深い焦げ茶色の大柄な環染み模様の蛇皮を張った胴に五〇センチメートルほどの長さの細い棹がついた楽器を構えている。棹の先にはカラクイと呼ばれる糸巻きが三本、アンテナのようにはえていて、そこから細さの違う三本の黄色い弦が胴の先の糸かけまで一直線に張られている。それは奄美では三味線や三線と呼ばれる、奄美や琉球の民謡に欠かすことができない伝統楽器で二人にも当然馴染みのあるものだった。
「あの、見学なんです……けど」
別にやましいことをしているわけでもないのに、生徒たちの矢のような鋭い視線に李心は気圧されて小声で見学を申し込む。すると、前に立って合奏を指導していた女子生徒が李心を目にとめて声をかけてきた。
「あら、リコ? リコじゃない」
その女子生徒と李心の目があった。やや茶色くカラーをした長い髪が制服を押しあげている胸のあたりまで伸びている。大人びた涼しげな目元がまっすぐに李心を見つめている。
「もしかして、エリ姉……?」
「やっぱりリコだった。久しぶりね。もしかして入部希望なの?」
「えっと、ちょっと見学に」
「そう? まあ、ゆっくりしていってね。ミズエ、この子たちもお願い!」
ミズエと呼ばれたジャージ姿の女子生徒が飛び跳ねるような歩き方でやってきて、二人を窓際のパイプ椅子に案内する。リハーサル室は教室の一面が鏡張りになっており、奥の方では熱心に舞踊の振付の確認をしている。この日、見学に来ている新入生は李心と七海を含めて六名だった。その中には同じクラスの生徒も何人かいた。李心は新入生にも軽く会釈して腰をかけた。
「今日は見学にきてくれてありがとう」
ミズエはくしゃっと笑顔を作ると、まるでローカルアイドルのような甘い声でお礼をいった。現役の部員だから先輩のはずだが、ちょうど中学校時代の李心のようにふたつに結んだ髪を両肩から前にさげているため少し幼くみえた。ミズエは新入生の前で伝統芸能部、通称「伝芸」についての説明を一通りのおこなったあと「わからないことがあれば、いつでも呼んでくださいね」といって、今度は滑るような足取りで踊りの練習をしているほうの輪に加わった。なるほど彼女は舞踊のグループのようだ。その足さばきをみて李心はなんとなく納得した。
「リコ」
ぼうっと舞踊チームの様子を見ていた李心の耳元で七海が囁くように呼ぶ。
「最初にリコに話しかけてきた人、去年の奄美民謡大賞で賞を取った人だよね? たしか里エリナさん」
「うん。エリ姉とはあたしが中学校入る前に、一時期通ってた民謡教室で一緒だったんだ。そこを辞めてからはしばらく会わなかったけど、この高校の伝芸部にはいってたんだな」
奄美大島には「唄者」と呼ばれる者がいる。それは奄美民謡、いわゆるシマ唄の唄い手の中でも特に優れた声や歌唱力と幅広い歌詞の知識をもち、島人からも一目を置かれる者を指す。唄者には特に試験があるわけではなく、明確な基準があるわけでもないが、毎年、地元新聞社主催の『奄美民謡大賞』という民謡の大会が開かれており、予選を通過しその舞台に立つことで、唄者として認められるともいわれている。そして、その奄美民謡大賞で最も優れた唄者に送られる『民謡大賞』を取ることは奄美民謡を唄う者にとっての目標であり、栄誉だった。当時、高校二年生だった里英梨奈も奄美民謡大賞に出場しており、激戦区といわれる青年の部で並み居る唄者たちをおさえて、彼女は見事『奨励賞』を勝ち取っていて、地元の新聞でも報じられていた。要するに、ものすごく民謡が上手だということだった。
「じゃあもう一回アタマからいくけど、唄いだしの声はしっかり合わせて」
「はい!」
「あと、三味線のリズムがバラバラにならないように、他の人の三味線の音もよく聞いて」
「はい!」
英梨奈の指導に部員たちは大きくそろった返事をする。もともと涼やかな目元をしていたが、指導中の英梨奈の視線には刃のような鋭さがあった。おそらくこの合奏も明日のクラブ説明会での演奏曲目なのだろう。仕上げのためにかなり細かなところまで指導が入っていた。
「里先輩、すごい上手だけど、結構スパルタなんだな……リコ?」
振り向く七海の声にも反応せず、李心はじっと伝統芸能部がおこなう練習風景を眺めていたが、その瞳には目の前の練習風景ではない何かが映っているかのようだった。
6
合奏の練習を見届けると李心は「ナナ。もう行こう」といって席を立った。二人が席を立ったことに英梨奈は気づいたようだったが、合奏の後に二年生の個人練習の指導をしながら李心たちを一瞥しただけだった。二人がリハーサル室を出たところで、ミズエが二人を追って小走りでやってきた。
「ごめんね、あまり相手できてなくて。もし気になったらまたいつでも見学に来て」
ミズエはそういって最初に見せたのと同じ笑顔を二人に投げかけた。李心は少し戸惑うような表情でミズエに問いかけた。
「あの、ひとつ聞いていいですか?」
「うん、私にわかることだったら」
「奄民は今日練習してないんですか?」
「奄民?」
一瞬、ミズエは小首をかしげるしぐさをしたがすぐに「ああ」と思い出したように続けた。
「奄民は去年で三年生が引退してからは部員がいなくなったのよ」
「え? 部員がいなくなったんですか?」
驚きの声をあげたのは七海だった。
「そう。もともと、奄美民謡研究部、郷土芸能部、琉球舞踊部がそれぞれ独立してあったんだけど、一昨年にその三つを統合した『伝統芸能部』という新しいクラブを作ることになったらしいの。ただ、去年の奄民の三年生だけが統合に納得しなかったみたいで、その人たちだけで活動していたけれど、文化祭が終わって三年の引退後、奄民は部員がいなくなったのよ。今では実質、奄民は伝芸に統合されているから、もしシマ唄とかに興味あるなら是非、伝芸に来てね!」
ミズエはそういうとにっこりと笑顔を浮かべて手を振り、リハーサル室に戻っていった。李心はなぜ英梨奈が彼女に新入生の案内係を任せたのか分かったような気がした。彼女は思わせぶりな態度がずば抜けてうまかった。李心はもし自分が男子だったら、簡単に入部届を書いてしまうかもしれないなと、自戒するようにうなずいた。
李心と七海は校舎を出て正門にむかって歩いていた。李心がすこし前を歩き、七海が離れてついていく。七海が寂しそうに「奄民、なくなってしまってたんだな」とつぶやく。その声に反応するように李心は前をむいたままで七海に呼びかけた。
「ナナ、さっきの伝芸の演奏聞いてどう思った?」
「伝芸の演奏? すごく上手だと思ったけど。里先輩は別格としても、合奏していたメンバーも相当上手だったと思うよ」
「確かにすごい上手なんだけど、なんていうか、個性がないような感じがしなかったか」
「個性?」
「うん、みんながエリ姉の唄を唄いたいのか、その逆かはわからないけど。あれだけたくさんの部員がいたのに、なぜか全員が同じ唄を唄っているように聞こえるんだ」
「合奏だったらそのほうがいいんじゃないのか?」
「そうかな。少なくともあたしには、今のあの人たちみたいにエリ姉と同じ唄は唄えないよ」
そういって李心は正門へと続くアプローチの中ほどで立ち止まった。七海もそれまでと同じ距離を保ったまま立ちどまる。グラウンドを仕切るように植えられたクロガネモチの木が、春の陽気に誘われるようにざわざわとおしゃべりをしている。スカートの裾をなびかせて李心はくるりと回れ右をすると、七海とむき合う格好になる。
「それに、伝芸で唄っていたのはヒギャ節だっただろ。あたしとナナが唄っているのはカサン節だからな。たぶん唄が合わないよ」
「まあ、リコがそういうならわたしは無理に伝芸に入部しようとは思わないよ。でもクラブはどうするつもり? 奄民はなくなったみたいだし、部活じゃなくて校外のシマ唄教室にするとか?」
七海の声に李心の口元からわずかに白い歯がのぞく。悪だくみをするような笑顔を七海に投げかけると「いや、あたしに考えがある」といって李心はふたたび前をむいて歩き始めた。しかし足取りはさっきまでよりもずっと軽く、風に漂う風船のように気ままな軌跡を描いた。
「ちょ、ちょっと待ってよ、リコ。考えって、ちょっと待ってってば!」
突然の李心の変わりように戸惑っていた七海は、風船を追いかける少女のように李心にむかって手を伸ばして駆け出した。