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ハレかな! 〜いもーれ★奄美民謡研究部〜  作者: 麓清
第二話 花染めに惚れて
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花染めに惚れて

  24


 ゴールデンウィーク後半の始まった翌日。巌の運転する車で、清風は笠利かさり町の李心の実家まで迎えに来ると、李心とフデを車に乗せて、龍郷たつごう秋名あきなの清風の実家にむけて出発した。

 奄美では珍しい水田には若い苗が規則正しく並ぶ。その鏡のような水面に三方を囲む深い山の稜線が逆さに映る景色の中を、巌のマーチがのんびりと走り抜けていく。

 七海と碧はすでに自宅からバスで秋名に到着しており「浜を散策している」と清風のスマートフォンにメッセージが入っていた。

 清風たちが到着したのは、日が高くなり始めた十一時ごろで、到着すると同時に七海と碧もやってきた。

 清風の家は海沿いにある集落から離れた山側に建つ二階建てのお屋敷で、古い建物の割に奄美では珍しい瓦屋根の日本家屋だった。車を降りると、ちょうど碧と七海も到着したところで、清風は李心たちを屋敷の敷地内の離れにある、奄美の伝統的な家屋へと案内した。


「お祖母様。フデさんをお連れいたしました」


 清風が中にむかっていうと、家の奥から「お上がりになってもらいなさい」と凛とした声が聞こえた。「こちらです」と清風に案内された部屋の正面、壁いっぱいに巨大な神棚が鎮座していた。そこには様々な神具が飾られ、神棚の周りには、一人では飲みきれない量のお酒が何十本も供えられていた。

 その光景に李心は面食らったようだったが、フデはいたって落ち着いた様子で部屋に入ると、神棚の前に正座する老女の前に用意された椅子にゆっくりと腰を掛けた。二人は対面すると、お互いに深々と頭を下げてお辞儀をする。


「泊の家内の、トミ子です」

「笠利町崎原さきばるの南フデだりょん。これまで一度もご挨拶しらんままで、本当に申し訳ないことをしょおたっと(しました)

「とにかく、どうぞ気楽になさってください、あなた達も」


 トミ子はそういって清風たち四人にも座るように目配せをする。清風は縁側のまえに用意した座布団を李心たちにすすめた。トミ子は場が落ち着くと、穏やかな声で話しはじめる。


「ゆうべ、珍しくサヤカがここをたずねてきましてね。彼女の家族とは同じ敷地に住んではいますが、サヤカがわざわざ私をたずねてくるのは本当に稀でね、何をいうかと思えば、私に口寄せをして欲しいというのですよ」

「トミ子さんは、やっぱりユタ神様だりょんかいでしたか。立派な神棚ばお持ちじゃあち思いました」

「それで、サヤカが祈祷料の三千円とお神酒に塩を持ってきてね、すごく真剣な顔をしていうんですよ。お祖父様、つまり私の主人の声を聞かせてくれないかと」


 トミ子は清風を一瞥して、すぐに視線をフデに戻す。清風は表情一つ変えずに、緊張した面持ちを保ったまま、背筋をのばして正座していた。


「何故そんなことをいい出したのか、私にはわからなかったのですが、正式に依頼を受けるのであれば、余計な詮索をしてはいけないのです。変に詮索をすれば、自分の気持ちを優先して本当の声を歪めてしまう。ですから、私はサヤカには何もたずねずにお祈りをしました。そして、確かに声が聞こえたのです。『サヤカの連れてくる人に会いなさい』と」


 フデはほんの一瞬、瞬きをするほどの時間、ふっと表情を固くする。しかし、そのあとも何もいわずトミ子の話に耳を傾けていた。


「私はてっきり、サヤカも年頃ですし、良い仲の男性でもできたのかと思いました。けれど、サヤカは『上村百合子』に会って欲しいと、主人が生前、聴きたがっていた唄を、主人の代わりに聴いて欲しいというのですよ。私は唄者ではないし、唄のことはよくわかりません。それに、少し怖くもありました。

 もし、あの時。私の親ユタ様でもあった母の占いが、違う結果を示していたら、主人は私とではなく、上村百合子と共に暮らしていたのかもしれません。

 フデさん。あなたは唄者、上村百合子として生前、泊と親交があったにもかかわらず、奄美の本土復帰後、シマを離れて一人大阪に渡り、唄者であることを辞めたと聞きました。もし、それが泊への想いを断ち切るためだったとするならば、一人の唄者の人生を変えてしまった、そんな私はお会いするに値するのかと、一晩悩んでおりました。」


 トミ子は厳格さの中に、わずかに迷いを含んだ声でいった。ほんのひと時の空白が流れると、突然、フデが「リコちゃん、かんもうれ(こっちへおいで)」と李心に手招きをして、自分のそばへ呼んだ。フデの真横に並んで座った李心の頭に、その骨ばった左手をぽんと乗せると、フデは李心のほうへ視線をむけたままいった。


「こん子や、孫のリコだりょん。こん子やなま、政二郎(あに)の孫くゎのサヤカさんとまあじんま(一緒に)、シマ唄ばうとてぃしょうろ。こんな、ほこらしゃあことがありょんだろっかい? トミ子さんぬあんまぬ占いは少しも間違ってぃやおらんたん。ワンはなまあなたにお会い出来たことを、心から神様と、そしてサヤカさんに感謝しょったと。長い間、うがまんで本当に申し訳なかったと、どうか、政二郎(あに)にもそう伝えてくりんしょり」


 目元に涙を浮かべながらフデはトミ子に頭を下げた。李心もそれに倣うように深々と頭を下げる。トミ子は何度も小さくうなずいていたが、やがてはっきりとした声でいった。


「さあ、お話はこのぐらいにして、主人も楽しみにしている唄をひとつお願いできますか? 主人は花染め節がよいといっておりました。まったく、なんと意地悪な男でしょう」


 冗談めかしてトミ子はそういうと、しゃんとした動作で立ち上がり、隣の部屋の仏壇の前にフデたちを案内した。

 フデは案内された仏壇の前で、政二郎の遺影に手を合わせた。それは積年の想いを語るような長い長い沈黙の時間だった。

 フデは清風に伴奏をお願いすると、一節だけ花染め節を唄った。

 花染め節は意中の男性が自分とは違う、若い女性と結婚してしまったことを唄った唄で、姿形を気にするのではなく、人として心を広く持ちなさいという教訓唄としても知られている。

 しかし、フデが唄った唄は今までに清風が聞いたことのない歌詞ふしだった。

 その唄を聴いたトミ子は、ひとこと「いい唄ですね」とだけ短い感想を述べた。


  25


 帰りも巌が車で送ってくれることになり、李心とフデは巌の車に乗り込んだ。窓からのぞき込むようにして清風がフデにいった。


「それでは、リコちゃん、先生をお願いします。上村かんむら先生も、遠いところをありがとうございました」

「フデばあちゃんよ、サヤカさん」


 乾いた声でそういってフデは笑うと、サヤカも「では、また唄を教えてくださいね、フデさん」と、微笑んだ。

 手を振って巌の車を見送ると、今度は七海と碧をバス停まで送るために、清風は二人とともに歩きはじめた。

 ひと気の少ない田舎道を歩きながら、清風は嬉しそうに目を輝かせて振りむきざまに七海に問いかけた。


「ナナちゃん、今回は本当にありがとうございました。けれど、どうしてフデさんが上村百合子なのだとわかったのですか?」

「そう! あたしもそれを聞きたかってんけど聞くタイミングを逃してんよ。なんでわかったん?」


 清風と碧の二人から期待を込めた視線を浴びた七海は、少し照れたように頬を掻く。


「もしかして、と思ったのはリコが『あたしに似てると思わない?』といったことだったんだ。リコにそういわれたときに、わたしはむしろ、ヒロキおじさんに似てると思ったんだ。特に若かった頃のおじさんに似てるって。

 ただ、フデおばが何かを知っているだろうと思ったのは、リコの家から帰る時、フデおばはわたしが『上村百合子』とだけたずねたのに、『聴いたことのない唄者・・』といったんだ。だから、フデおばは上村百合子を知っていて、だけどそれを黙っていると思った」

「へぇ、なるほど。ほんで、何が決め手になったん?」

「うん、まずは朝花節を映像で聴いた時に、あの『ハレカナ』の曲げ方、びっくりするぐらい慣れ親しんだ曲げだった。慣れ過ぎて、すっと自分の中に入り込んできて、そのまま聴き流してしまうところだった。同じ集落の人や唄者仲間ならば、似たような曲げをする場合もあるし、この時点ではまあ、半々くらいに思っていたんだ。もうひとつ、気になったのは『塩道しゅみち長浜ながはま』だよ」

「カサンの塩道長浜は珍しいですからね」


 そううなずく清風に、「珍しいからというのとは、ちょっと違うんだ」といって、七海は続けた。


光蔵こうぞうさんは、あの唄を『らんかん橋崩し』と呼ばれるのを嫌って、唄わなくなったといっていたでしょ? フデおばも、この前『喜界ききゃ唄だから教えてあげられない』といってたんだけど、実はそうではなくて、わたしたちがこの唄を唄って『らんかん橋崩し』と人にいわれることを避けたかったんじゃないかと思うんだ。つまり、塩道しゅみち長浜ながはまにネガティブなイメージを政二郎同様にフデおばも持っていた。それで、確率は七十パーセントくらいにはなったかな。けれど、やっぱり決定打となったのは『ヨイスラ節』なんだよ」

「ヨイスラ? けど、あのとき映像ではヨイスラは唄ってへんかったやん?」

「これは、ずっと不思議に思っていたんだ」


 七海がいうと、清風も心当たりがあるようにうなずいた。


「私も、実は気になっていました。これまで私、一度もヨイスラ節の節回しと歌詞が他の方と同じにならなかったのですが、リコちゃんとナナちゃんとだけはまったく同じになったんです」

「どういうこと?」


 碧が眉を寄せる。清風はハミングするように、ヨイスラの歌詞を口ずさんだ。その唄い方の最後に碧はどこか違和感のようなものを感じ取り「今の唄、ヨイスラ?」と清風にたずねる。すると、清風は「ええ」と返事をして続けた。


「今の唄い方のように、最後の節回しをさげて、歌詞も『白鷺しりゅさぎぬ居しゅり』ではなく、『白鳥しりゅどぅりぬ居しゅり』と唄う方がほとんどなんです。けれど、私が祖父に教えられた唄は、節回しをあげて、歌詞も白鷺しりゅさぎで唄っていました。だから、どうしてもこの唄は他の方と合わなかったのに、リコちゃんとナナちゃんだけは同じ唄い方をしたので、とても驚きました。

 だからこそ、私は奄民なら一緒に唄を唄えるのかもしれないと、あの初めて唄あしびしたときにそう思ったんです」

「それでわたしも、清風のおじいさんとフデおばは、おそらく同じ唄を永年唄っていたかも、と気づいたんだ。ヨイスラ節の節回しだけなら多分気づかなかったけれど、そういったいろんな要素が一つに繋がったときに、フデおばは上村百合子なんだって確信したんだ。だから、光蔵さんにヨイスラを聴いてもらって、それであの質問に答えてもらったんだ」


 あの日、ヨイスラ節を唄い終わったあと、七海が光蔵に投げかけた「リコに唄を教えたのは、上村百合子だと思いますか?」の質問に、光蔵が答えた島口しまぐちを、春子が全員にわかるように訳してくれた。


「上村百合子の唄は、誰の唄にも似ない、上村百合子だけのものだ。あの独特の節回しと曲げ、そしてその声に魅了されたものは、一度聞けばきっと二度と忘れない。リコさんの声はまだ若いが、その節回しと曲げは、まさしく上村百合子の唄だ」


 その言葉に李心は声を失ったように、口を開けたまま少しも動かなかった。清風もその大きな瞳をただ瞬かせていただけだった。驚きに固まっていたのは雅之も、そしてこの面談のきっかけとなった写真誌の編集者である義之も同様だった。


「上村百合子の唄は戦後の何もない奄美の人々に、小さな希望と本土復帰への活力を与えてくれた。上村百合子はわたしたち島人しまっちゅの命の恩人です。だからその唄を、どうか、大切に唄い継いで、たくさんの島人しまっちゅに聴かせてあげてほしい」


 その言葉をきいた李心の目から、一筋の涙が、つっと頬を伝った。祖母のことを恩人だと、そして祖母の唄を大切にしてほしいといわれて嬉しくないはずがない。

 李心は手の甲で目元をぐいっと拭い、いつものような呑気な笑顔を浮かべると「あたしは、ばあちゃんの唄一筋だから」といい、テーブルに広げられた写真の中で唄う上村百合子の姿を愛おしそうに目を細めてみつめていた。


 七海の話を聞き終わった碧は「なんか、素敵な話やね」と、ぼんやりと遠くを見つめて呟いた。


「だって何十年も昔に一緒に島を巡って唄を唄った二人の孫が、今度は一緒に奄民で唄を唄ってるんやもん。そんな奇跡的なことあれへんよ?」

「確かにな。リコとサヤカこうやって一緒に唄っているというのも、何か運命的なものを感じるな」

「ホンマに。そう思ったら、なんかあたし一人だけ浮いてへん? 全然関係ない関西人やし」


 心の底の小さなわだかまりが碧の顔色に浮かぶようだった。そんな碧にむかって清風はいたって真面目な顔をして、きっぱりといい放った。


「何いってるんですか? ミドリちゃんだって、ちゃんとお祖父様に呼ばれているじゃありませんか? その三味線は、お祖父様がミドリちゃんを呼んだ証拠ですよ。私たち四人はやっぱり神様の引き逢わせによって、巡り会えたんです。もしかしたら、今回こうして上村百合子にたどり着いたのも、お祖父様の思し召しがあったからこそかもしれません。幻の唄者を探し出したのは、間違いなく私たち奄民なんです」


 清風は顔いっぱいに達成感にあふれた満足げな笑みを湛える。それは奄民に入部したことが、少しも間違ってはいなかったという、ただの清風自身の自己満足にすぎなかったかもしれない。それでも、清風の中に確かに存在していた、唄うことへのコンプレックスも、人との繋がりに対するいいようのない不安感すらも、七海たちが取り払ってくれたことは事実だった。


「ナナちゃん。今回は本当にありがとう。私、言葉でいい表せられないくらい、ナナちゃんに感謝しているの。だから、せめて私がナナちゃんに何かお返しができることがあったら、なんでもいってください」

「なんでも……いいの?」


 七海の目つきがあまりにも真剣だったので、七海はわずかに気圧されたのか、眉をハの字にさげて少しだけ困ったような表情になる。


「もちろん。私にできることなら、ですけれど」

「それじゃあ、わたしもある唄者について知りたいんだ。ずっとそれを清風にいおうかどうか迷っていたけれど……」

「……私の知っている方、なんですね?」


 七海は静かにうなずくと、碧と清風に交互に視線を送ってから、意を決したようにその名前を口にした。


「わたしが知りたいと思う唄者は、泊メグミ。去年の民謡大賞を獲った、サヤカのお姉さん」

 

 三人のそばを湿り気を帯びた風が吹き抜け、水田の稲が一斉にざっと音をたてた。その風は清風に雨の気配と、どこか胸の奥がざらりと毛羽立つような息苦しさを感じさせるた。風が運んできた雲が太陽を隠し、長閑な田舎の道に静かな翳を落とした。


「どうして、姉さんのことを……」


 清風がそういいかけたところで、三人が立っていた交差点に一台の車が止まった。奄美の海のように鮮やかな明るいブルーのスズキのラパンの助手席の窓が下がり、中から「サヤ!」と呼びかける声が聞こえて、清風ははっとして振り返った。


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