唄あしびの夜
12
四人が片付けを済ませて食卓につくと、フデの部屋から戻ってきた桃子が台所に立って食事の支度を整えた。七海はその後ろ姿に「何か手伝いましょうか?」と声を掛ける。
「本当? それじゃあ、お皿とかグラスとか出してもらってもいいかしら?」
「わかりました」といって食卓を離れ、七海は慣れた様子で戸棚から食器を取り出してテーブルに並べる。その様子を見た桃子は鋭い声で李心を呼んだ。
「リコ、あんたもボーっとしてないで、こっちきて盛り付け手伝いなさい!」
「はいはい」
李心は煩わしそうな声をあらわにして、のっそりと立ち上がると桃子の横にならんで料理の仕上げの手伝いを始める。食卓に残った碧と清風が手持ち無沙汰にして顔を見合わせていると、二人の前に皿と箸を並べた七海が「いいから、座ってて」といった。
「ナナちゃん、慣れてるね」
「小学生の時からよく来ていたからね。わたしの実家、今は赤木名なんだけど、そこに引っ越す前はこのすぐ近くに住んでいたんだ。リコとは小学校の四年生の時に学校が離れたんだけど、中学校でまた一緒になったんだよ」
「へぇー、そんな小さいときから一緒やったんや」
碧の呼びかけにも七海は動きを止めることなく答えた。戸棚からグラスを人数分取り出すと、胸の前で抱えるようにして運ぶ。てきぱきとした動きで手際よくテーブルの上の準備を整えていく。
「ここの宇宿小学校では同級生は四人だったんだ。男二人とリコとわたし。それでわたしが引っ越したから、その後、男二人とリコだけになっちゃって」
「そう、それでこんなガサツな子に育ったのよ。ナナちゃんみたいに、もうちょっと女の子らしかったらよかったのに、男の子の中で育ったでしょ? 本当に手ばかりかかってしまって……」
食卓に料理を運んできた桃子が困ったようにいうと、台所で盛り付け作業を手伝っていた李心が苛立ち半分に声を荒げた。
「ガサツは余計だよ! ナヨナヨするのが嫌いなだけだから!」
まだ何かいいたそうな桃子だったが、背後から突き刺さる視線を感じると大げさにおどけた表情を見せて、料理の配膳を手際よくすませた。
「はい、お待たせしました」
食卓にはたくさんの大皿料理が並び、そして李心がお盆に乗せて運んできた大きめの茶碗には、ご飯の上に鶏肉と卵、シイタケなどが彩りよく並べられて、食卓の真ん中に黄金色の出汁の入った手鍋が置かれていた。
「わぁ! これってもしかして、鶏飯?」
「ミドリちゃん、鶏飯は知っていたかしら? みなとやさんとか、有名なお店程はおいしくないかもしれないけど、どうぞ召し上がってね」
「はい、いただきます!」
碧たちは口々にいただきますといって料理に箸をつけた。碧は早速、鶏飯に出汁をかけて一口食べる。
「おいしい! お出汁も鶏のスープなんや!」
「あら、本当? 嬉しい! おかわりもあるから、どんどん食べてね」
桃子は久しぶりの賑やかな食卓に嬉しそうに声を弾ませる。そのあとも碧は豪快な食べっぷりを披露しながら、ひたすら「おいしい」を連発したので、そのたびに桃子の機嫌がよくなってますます饒舌になる。桃子の口から李心の小学校時代の武勇伝がいくつも飛び出し、そのたびに李心の態度がふてくされていくのを清風が微笑ましげに眺めていた。
「サヤカ、楽しそうだね」
七海がいうと、清風は一瞬はっとしてまっすぐに七海を見つめたかと思ったら、ふにゃっと柔らかな笑みを浮かべる。
「ええ。みんなと一緒に食事をするのって賑やかで」
「うん。その、なんていうかさ……」
七海が口ごもると、清風は不思議そうに首を傾げた。
隣では相変わらず碧と桃子が、李心の幼少の頃の話を肴にして賑やかな笑い声をあげながら盛り上がり、横で李心が始末に負えないといった感じに、片肘をついて迷惑そうに閉口している。
わざわざ、今この時間に水を差すようなことをいう必要もないかと、思いとどまり七海は言葉をのみこんだ。多分、今でなくても清風と二人で話する機会はあるだろうし、作ろうと思えば作れるだろう。
七海は得意でもない作り笑いを浮かべて「なんでもないよ」といって、大皿から油ぞうめんを自分の皿に取り分けた。
李心たちの食事が落ち着くと、桃子は「今日はあんたたち泊まるのよね?」と聞いてきた。
「うん、お布団だしといて」
「はいはい。ついでにおばあちゃんにご飯もっていくわね」
そういって桃子はフデに用意しておいたお膳をもって台所を出ていった。
ちょうどその時、玄関の方で物音がして、誰かが家の中に入ってきたと思うと、無精ひげを生やした男性が台所のドアを開けて上半身をのぞかせ、中の様子をうかがった。
「ただいま、リコ帰っとったち?」
「おかえり父さん、そしてただいま」
「はいはい、おかえりよ」
「お邪魔してますヒロキおじさん」
七海が小首をかしげる仕草で博貴に挨拶をすると、博貴は驚きに口をあんぐりとさせていった。
「あげぇ、ナナちゃんかい! 久しぶりじゃや! また随分きょらむんになりょったやー! うちの馬鹿息子んとこの嫁に来んかい?」
「馬鹿な息子にくる嫁はいないよ。そもそも兄貴は沖縄いってるし」
李心が冷めきった針のような視線を向けていい放つ。気圧されるように博貴は首を引っ込めて、清風と碧に視線をむけた。
「それもそうじゃ。それと皆さんは?」
「高校の民謡部の友達。立山ミドリさんと泊サヤカさん」
「こんばんは」二人が座ったまま軽く頭を下げてと博貴に挨拶をする。博貴は低いざらついた声で「いらっしゃい。ゆっくりしていってね」と返事する。
「それとリコ、母さんに居間使うっちいっといて」
「はいはい、また寄り合い?」心得た様子で李心がたずねると博貴はニッと笑う。
「そう。うるさかったらすみょらんよ」
そういい残して博貴が台所を出て行って間もなく、どやどやと男たちが入ってきたかと思うと居間で酒盛りを始めた。時折、大きな笑い声をあげて笑う男たちの賑やかな声が、廊下をはさんだこの台所の方まで聞こえてきた。
13
食事を終えてすっかりくつろいだ空気の中、李心は突然立ち上がると「みんな、この後居間に集合な」と切り出した。清風と碧が不思議そうに李心を見あげた。
「でも、居間にはすでにお父さまが皆さんといらっしゃるのではないですか?」
「みんな、せっかくばあちゃんにシマ唄ならったんだし、これから唄あしびしようか!」
李心は七海に目配せをして、二人を居間に連れてくるようにいって、先に台所を出ていき、廊下をはさんだ向かい側の居間の襖を開けた。李心に続くようにして碧と清風が居間に入ると、最後に七海が後ろ手に襖を閉める。
中では博貴と二人の男性が胡坐をかいて座りながら、座卓の上の一升瓶を囲んで大いに盛り上がっていた。居間に入ってきた李心たちに気付いた博貴が声をかけた。
「おう、リコ。どうした?」
「うん、三味線置きっぱなしだったから」
そういってケースを取り上げると、男性の一人が李心に話しかけた。
「あげ、リコちゃん。今日も三線しちょくれるかい?」
「タカ兄、そのつもりで来たんだよ。みんな高校でシマ唄やってる友達だから」
ぎこちなく碧と清風がお辞儀をする。
そういえば、中学校のときもこうやって李心に付き合わされたなあと、七海の脳裏に懐かしい記憶が蘇ってくる。今思えば、周りの中学の友達はみんな「シマ唄なんて、年寄りのするものだ」といって、どこか斜に構えたり、馬鹿にしたような目をむけたりしていた。けれど、李心は周囲の声に流されることはなく、「シマ唄ってかっこいいだろ?」と自分の気持ちを曲げなかった。七海にとっては李心と一緒にいることが、すなわちシマ唄との時間を過ごすことで、それは特別なことでもなく、普通のことだった。
「さっきも会ったけど、手前が父さんで、奥が近所のタカヒロ兄と、アキヒロ兄。昔からいっつもウチに入り浸ってる父さんの飲み仲間」
「どうも、よろしくね」
「今日は来てよかったやー」
ほとんど同時に貴裕と昭弘がいったので声が重なった。二人とも、この上ないぐらいだらしない表情を浮かべている。
「あんまり鼻の下伸ばしてたら追い出すからね」
「はげ、うとぅるしゃや」
貴裕が大げさにおどけてみせたが、李心はそれを無視して「ナナ、三線よろしく」と七海に三線の伴奏をお願いした。
七海は「わかった」とうなずくと、ケースから三線を取り出して構えた。入口に近いほうから、七海、碧、清風が並び、奥に李心が座った。
「じゃあ朝花からね!」
李心の声を合図に七海が演奏を始める。いつも通りのなめらかな前弾きをの後、碧が習いたての朝花節を唄い、そのお囃子を清風がつけた。一節唄い終わると、次は清風が唄い継いだ。
「ほう、うまいもんだな」
貴裕が感心していうと、李心が彼に耳打ちする。
「最初に唄った子いるでしょ?」
「あー、ワンのお気に入りの子じゃ」
「ぶん殴るよ。そうじゃなくてさ、あの子、シマ唄始めてまだ一ケ月経ってないんだよ。しかもヤマトッチュ。朝花は今日覚えたところ」
もともと大きなぎょろ目をさらに大きく見開いて貴裕が「はげ、本当に?!」と驚くと、李心はニタリと口端を吊り上げてうなずく。
「これはうかうかしとったら、シマッチュよりも上手になるぞ! よし、負けとれん。ワンも唄うぞ!」
「じゃあ、あたしの後にタカ兄とアキヒロ兄が唄ってよ。父さんはどうでもいいや」
「なんじゃあ、冷たい」話を聞いていた博貴が不満そうにいって焼酎のグラスをあおった。
「朝花節」を唄った後も唄あしびは休むことなく、「くるだんど節」「ヨイスラ節」と続き、今は七海に代わって、昭弘が「行きゅんにゃ加那」の伴奏を弾いていた。
碧が面食らったように「それにしてもずっと唄ってんねんなぁ」と舌を巻いた。その反応に、演奏から解放された七海が気楽な姿勢でいった。
「これがリコがやりたい、っていっていた唄あしびってやつかな。どう、サヤカ? 実際にやってみて」
「私、こんなにたくさんの人と唄あしびしたの始めてで、すごく楽しいです!」
「おじさんも楽しいよー!」
すっかり酔っぱらった貴裕が叫んだが、李心に脇腹に一発お見舞いされて黙りこんだ。七海が口元をひきつらせながら碧たちにいった。
「リコが唄あしびにこだわっているのは、この雰囲気、この時間こそが奄美の『シマ唄』だと感じているからなんだ。リコにとってはシマ唄といえば、これなんだよな」
「まあね。でも、まだまだこれからが本当の唄あしびだよ」
「これから?」と清風が首を捻ると同時に居間の襖が開いて、ゆっくりとした足取りで、フデが入ってきた。昼間と同じで、指定席のように下座の籐の椅子に腰を掛けると、博貴に「ヒロ坊、またやっとるんかい」としわがれた声でいった。
「もしかして、うるさかったんじゃないですか?」
清風が申し訳なさそうにフデにたずねると、かわりに博貴が答えた。
「あはは、違う違う。かあさん、みんなが唄あしびして盛り上がってきたら我慢できなくなって、つい参加してしまうんだ」
「何いっとるかい? ヒロ坊に稽古ばつけんとすぐにヨソジマの唄ば唄いよる」
フデが厳しい口調でいうと、博貴は子供のように口をとがらせた。
「俺は唄者じゃないから別にいいんだよ」
「何がいいもんかい、はい、俊金ば唄いよ」
碧が「しゅんかね?」と首をかしげ、李心に視線を送る。碧はまだその唄を聞いたことがなかった。
「まだ俊金節は練習してなかったもんな。ばあちゃんの十八番だよ」
「私、是非聞いてみたいです!」
清風が手を合わせて目を輝かせた。
「あちゃー、結局かあさんのシマ唄教室になっちゃったかー」
「ほれ、早よう。リコちゃん、三味線つけてあげて」
「はいはい」
李心は昭弘から三線を受け取ると、伴奏をはじめた。
博貴に続いてフデもひと節つけると、まるで奄美の海のように深く澄んだ声が、肌寒くなる夜の空気を震わせた。