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ハレかな! 〜いもーれ★奄美民謡研究部〜  作者: 麓清
第二話 花染めに惚れて
14/20

スーパースター

  10


 調弦をすませて、すっかり準備が整うと七海は碧にいった。


「まずはしっかりと聞いて音を覚えよう。何度も同じ唄を回すから、少しずつ覚えていけるはずだから」

「うん。とにかく、やってみる」


 そうはいったものの、前弾まえびきの演奏はさすがに碧には難しかったようで、七海についていこうにも、まったく演奏できなかった。それもそのはずで、前弾は唄の前奏部分であるが、三味線伴奏をする者にとっては演奏が目立つシーンであるため、一番の腕の見せどころなのだ。そのため、案外高度な演奏技術が必要となる部分でもある。七海にとっては、中学生のころから数えきれないほど演奏してきた朝花節の前弾も、碧にとってはほとんど初めて演奏するフレーズだったので、弾けないのは無理もないのだが、前弾が終わって唄が始まれば、碧の指は自然と唄のラインをなぞるように動き、その順応ぶりには内心七海も驚かされていた。

 七海、李心と順番に唄をつけると、唄いおわった李心がフデに声をかける。


「ばあちゃん、ミドリは朝花節を初めて唄うから、一緒に唄ってもらってもいい?」


 フデはうなずくと、碧の目と口元をじっと見つめるようにして、碧の声にゆっくりと唄を重ねる。


「ハァレーカーナーィ……」


 囃子(はやし)言葉(ことば)とよばれる掛け声のようなもので最初に調子を整えて、それに続く歌詞(ふし)をゆっくりと、一音ずつ丁寧に発音するようにして唄い継いだ。


 〽()きゃとぅや稀稀(まれまれ)どぅ ()げに稀稀(まれまれ)じゃが

  今夜中(ゆさりゆ)や (あす)でぃ(たぼ)


          注解:あなたたちとは久しぶりにお会いしました お互い久しぶりですから

             今夜は一晩中唄い遊びましょう


 フデの声は年相応に()れているようにもきこえるし、その一方で、高音域では二十代女性のような瑞々しさを内包しているようにも聴こえた。碧がひと節を唄いおわると、フデは小さく拍手を送り、一言「上手」とだけいって満足そうにうなずいた。その言葉に碧もどこか誇らしげな表情を七海にちらりと送ってみせた。その視線にわずかに顎を引いて、七海もこたえた。


 その後、朝花節だけで約二十分以上、唄は止まることなく順番に唄いつなぐ形で続いた。

 一人が四つずつ歌詞(ふし)をつけたところでフデが「はい、休憩」と演奏を打ち切り、練習の合間に桃子が淹れたグァバ茶(ばんしろうちゃ)の入った湯飲みに手を伸ばした。李心たち四人も緊張を解くようにふっと短く息をついた。

 静かにお茶をすすって、ひと息いれたフデがおもむろに口を開く。


「ミドリさんの三線はいい音じゃや、お店で買ったのかい?」

「これは、人から譲ってもらったんです。やっぱりいい音ですよね!」

「いい職人さんが作った音、奄美のシマ唄らしい音じゃや。沖縄の三線じゃこんなに澄んだ音は出せんち」


 沖縄でも琉球民謡には三線が欠かせない。三線そのものは奄美のシマ唄と同じ楽器ではあるが、いくつか細かな違いがある。

 もっとも大きな違いはその調弦の高さだ。沖縄の民謡よりも奄美のシマ唄のほうが高く調弦をする。そのため、沖縄の三線と比べて奄美のものは弦が細い。また、弦を弾くための撥を沖縄は水牛の角を削った爪を指にはめて、ダウンストロークを中心に演奏するが、奄美では薄く削った竹撥をしならせて、ギターのようにアップストロークを多用して演奏をするという奏法の違いもある。

 音が高く、短い音符を多用する奏法のため、奄美では打音のアクセントが付きやすいように三線の皮を強めに張るのだが、ニシキヘビの本皮を使うと音はよいが、張力の強さで破れてしまうこともあるため、三線の皮にあえて合成皮を使用して、強めに張っても破れないようにするのだという。

 碧が使っている三線は、まさに奄美民謡、シマ唄を演奏するために調整されたものであった。

 碧がそのことを聞いて、誇らしげに三線を眺めていると、不意に清風が口を開いた。その目にもどこか嬉しさが滲んでいる。


「そのミドリちゃんの三味線、おそらく私のお祖父様が作ったものだと思いますよ」

「え? サヤカちゃんのおじいちゃんが?」

「はい、三味線の猿尾、糸掛けの掛かっているところを見てもらえば、祖父が彫った署名が残っています」


 清風の言葉に碧は三線を逆さに持ち直して、その先端をじっと見つめた。彫られた部分の色が周りと馴染んでいて気付かなかったが、確かに小さく「泊政」と銘打ってあった。


「ホンマや! 泊政とまりまさって彫ってあった! これってサヤカちゃんのおじいちゃんが作った証拠やってこと?」

「そうですよ。私の三味線にも同じものが彫ってあります。ご覧になりますか?」


 清風は自分の脇に置いた楽器ケースから三味線を取り出すと、それを裏向けて碧のほうへと差し出して見せる。碧の三線と同じ部分に、まったく同じ銘が彫ってあった。


「わわっ、すごい! サヤカちゃんのおじいちゃんの三線がまわりまわってあたしの手元に来たってことや?」

「そうなんです。私も見たときにびっくりしました。その緑色のカナクリのついた三味線を祖父が作っているところを、まだ小さかった頃に見た覚えがあったので、もしかしてと思って初めてミドリちゃんたちに会った時に見せてもらったんです。そうしたら、やはり祖父のものでした」

「そうしたら、これもまた『神の引き逢わせ』なんやね」


 感心したように碧がいうと、清風も「そうかもしれませんね」と笑ってみせた。

 すると、今度はフデが清風に、穏やかな声で質問をした。


「サヤカさんは何処()ぬシマぬ()れかい?」

「龍郷の秋名です」

「そう。秋名の泊さんちば、政次郎おじぬところかい?」


 フデの言葉に、清風の顔にはまるで占い師にずばりといい当てられたような驚きの色が浮かぶ。座卓の上に身を乗り出すと、その勢いに彼女の黒髪もさらりと揺れた。


「政次郎お祖父様のことをご存じなのですか?」

「政次郎おじはシマ唄の名手で、『スーパースター』っちいわれとったんど。サヤカさんの朝花ば聴いて、(なち)かしゃあ気持ちになりょうたが。そうかい。政次郎おじが唄ば教え(ゆし)たかい」

「フデさんは、お祖父様の唄を聴いたことがあるんですね」


 興味深そうに清風が尋ねると、フデは懐かしそうに目を細めつつも、どこか寂しそうに遠くを見ながらつぶやいた。


「もう、ずっと昔のことだりょん」


 昔のこと、とはいったものの、自分の祖父の唄を知っている者がいたことに、清風は嬉しそうに目を輝かせ、「あの」と短く口にした。しかし、清風がその思いを口にする前に、李心がフデに声をかけてその言葉はかき消されてしまった。


「ばあちゃん、朝花で他にどんな歌詞があるのか知りたいんだけど」


 李心が本来の目的を告げたので、清風もそれ以上は口にしなかった。限られた時間の中で、少しでも奄民としてシマ唄の技術力をあげる、そのための合宿であることを思い出したかのように、清風はすっと居ずまいを正した。

 フデは李心や七海が今までに聞いたことがない歌詞をいくつか口にする。それを慌てて七海がノートに書きとっていった。こういったところは、七海は李心よりもずっと几帳面だった。

 李心は聞いたことをある程度「適当」に記憶して、後で引き出すことができるが、七海はしっかりとノートやメモをとって、それを見直すことで身につけることができるタイプだ。勉強も昔からそうだった。七海は中学校の時も丁寧にノートをとって勉強していたが、李心はほとんどノートをとらず、教科書をさらっと読んで終わらせる。それでもある程度は頭に入っているようだった。とはいえ、さすがに受験の時にはもう少し詰め込みの勉強をしていたのだが、それでも奄美の進学校を受験するといった李心が、その程度の勉強でも合格したのだから、やはり彼女の記憶力はそれなりに確かなのだと思われた。


「つけららんてぃもつけて(たぼ)れ ()んの(くい)(いじゃ)しが つけららんてぃもつけて(たぼ)れ」


 はじめて聞く言葉に「それはどういう意味なんですか?」と碧が質問をした。


「私の声が悪くて、つけにくくてもどうか伴奏をつけてください、ちゅう意味」

「えー! すごくいい声なのに?」


 心底驚いたように碧が声をあげた。フデは愉快そうに笑いながらそれにこたえる。


「シマ唄を唄うもんは謙虚にせんば。わたしの唄はまだまだ子供だから、シマの先祖(うやふじ)や先輩に教えてくださいっちゅう気持ちが大事。唄は先祖(うやふじ)ぬ魂。大切に守っていかんばならん。だから、大和人やまとっちゅのミドリさんが唄を習ってくれるのは、本当にありがたいことだりょん。島の宝がこうやって伝わっていくことは、本当にありがたいこと」


 そういったフデの言葉をどこか気が引き締まったような表情で、碧は聞いていた。フデの唄も言葉も、そのしわの数だけの重みがあった。


  11


 朝花節以外にもフデは「シマ唄の基本じゃて」と、『俊良主(しゅんじょしゅ)節』と『くるだんど節』を教えてくれた。碧以外の三人は当然その唄を知っていたが、碧にとってはどれも始めて聞く唄で、フデから唄を聴くたびに感心したように息をついた。

 くるだんど節はシマ唄の中でも人気のある唄のひとつで、その歌詞は百や二百ではきかないのだと聞かされた。また、唄あしびでも必ず唄われ、唄掛けといって即興の歌詞で交互に唄いあう唄あしびでも、よくこの唄が演奏されるという。

 ここでもフデはみんなが聞いたことがない歌詞をいくつも教えてくれた。それはまるで、唄に乗せた古い物語のように、耳にしたことがない島の言葉がいくつも並び、唄を唄うたびにフデは歌詞の意味を丁寧に四人に話してくれた。


 唄を教わっては少し休憩をして、その合間にフデの昔話をきているうちに午後の太陽が西へと傾き始め、窓から差し込む光にも赤みが帯びてきた。窓の外、庭木の隙間から見える海にも、どこか切なげなセピア色が映り込んでいる。

 一息ついていた李心が時計をちらりとみていった。


「そろそろいい時間だし。あんまりばあちゃんを長いこと借りるのも悪いから、もう一曲やったらおしまいにしようか? 七海は何かやりたい唄はある?」

「そうだな……」李心にたずねられて、七海は自分の歌詞ノートをめくる。中学生の時にフデに教わったときから、フデの唄を書き記したノートで、随分と使い込んでボロボロになってきていたが、七海にとっては大切な唄の教科書だった。


「フデおば、昔、一度だけ聴いた、塩道しゅみち長浜ながはまは、あれからは一度もやってなかったと思うんだけど」

塩道しゅみち長浜ながはま喜界ききゃ唄じゃて、カサンでは唄い切らん。ばあちゃんも人に教え(ゆし)てやれんち。花染(はなぞめ)節をやろうかい?」


 フデがそういうと、清風は「私、この唄好きなんです」と両手を合わせて目を輝かせた。すかさず碧が「どんな唄なの?」と、清風の顔を覗き込むようにしてきいた。


「ある女性にとても素敵な男性がいたの。でも、その男性はその女の人ではない、若い花のように美しい女性と結婚してしまった。恋の実らなかった女性は男性に向けて、若くて美しい花もいつかは萎れてしまう。そうしたら、また私のことを思い出してください。という気持ち込めてを唄にしたものなんです」

「へぇー、三角関係の愛憎劇って感じやね」

「違うだろ?」冷めた声で李心がチクリというが、構わずに清風が続けた。


「昔は男性と女性が堂々と会う事もままならなかったから、こうやって思いを唄にしては、遠くのシマに住む人へ届けたりしたんだと、お祖父様に教えていただいたんです」

「へぇー、そうなんや」

「けれど、お祖父様はあまり人前ではこの唄を唄われなかったそうなんですよ」


 七海は「そうなの?」と目をまるくした。この花染節はカサン節を代表する一曲でもあり、七海が唄を習ったフデにもそう聞かされていた。カサン節らしいシンプルながら味わいのある節回しで、シマ唄のイベントなどでもカサン節の唄者ならば、たいてい唄っているようなイメージを持っていた。


「お囃子がないから、とお祖父様はいってましたけれど、本当のところはよくわからないままなんです」

「それじゃあ、お囃子がないから、今度はみんなで唄おうかい」といってフデは一人、その唄を口ずさみ始めた。

 清風の耳元で碧は「おばあちゃん、マイペースやね」と囁くと、清風はすこし困り顔を浮かべて小さく肩をすぼめて笑っていた。

 七海はフデの唄に合わせるようにして、途中から三線の伴奏を始め、李心と清風がフデに合わせて一緒に唄をつけた。


 〽花染(はなぞめ)()りてぃ (わらべ)刀自(とぅじ)かむぃてぃ 花の(さお)れぃりば ()んくとぅ思いしょれ

 〽花なりば匂い 枝振(えだぶ)りもいらぬ 形振(なりふ)りもいらぬ (ひとぅ)(くくる)

 〽(くくる)持つなりば 芭蕉(ばしゃ)ぬ葉の広さ 松の葉の(いば)さ 持つな(くくる)


 唄い終わると「これはどういう意味なんですか?」と、碧が興味深そうな視線をフデに向けた。


「花ならば姿形すがたかたちよりも匂いが大切。人も同じ。心が大切。心を持つならば、松葉のように狭い心ではなく、芭蕉ばしょうのように広い心を持ちなさい」

「一節目の花に二節目が、二節目の心に三節目が掛かっていくのか」


 感心したように李心がいうと碧も「おおー」と感嘆の声をあげる。


「唄あしびには『流れ』だかのあてぃ、一つお題を決めて、それについて順番に唄うんだりょっと。あと、『唄掛け』っちばいって、相手の歌詞を一つとって唄い返す。これも唄あしび」


 得意そうな笑い顔を見せると、フデは最後に「朝花を唄って終わり」といって、一節ずつ歌詞ふしを回すと、最後にフデ自ら、唄あしびの終いの歌詞をつけてお稽古をお開きにした。

 四人が姿勢を正して深々と頭を下げてお礼をすると、フデは碧にむかってたずねた。


「勉強になったかい?」


 碧は破顔一笑させて大きくうなずくと、気勢よく「はいッ!」と返事をした。

 ちょうどそのタイミングで居間の襖が開いて、桃子が李心を呼んだ。


「李心、そろそろご飯にするから、その辺にしておきなさいよ。みんなも、むこうの食卓へどうぞ。すぐに支度するから」


 待っていたかのように碧がお腹を鳴らせてみんなの笑いを誘う。桃子がフデを連れて行くと、四人は三線をケースにしまい、それを居間に置いたままにして、ぞろぞろと食卓のある台所へと移動した。

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