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ハレかな! 〜いもーれ★奄美民謡研究部〜  作者: 麓清
第二話 花染めに惚れて
12/20

合宿をしよう

  4


「こんにちは」


 放課後、四人のうちで一番最後に部室に入ってきた清風を、碧は留守番していた子犬みたいに跳ねるような足取りで出迎えた。


「ちゃんと来てくれたんやね!」

「もちろんですよ、入部届もちゃんともってきました」


 清風は鞄から入部届の紙をとりだすと近くの椅子に腰をかけて、その紙を李心の前に差し出した。李心がそれを受け取ってクリアファイルに収めると、いつになく真剣な表情になって集まっていた三人に話しかけた。


「これでようやく正式に奄民としての活動が始まるわけだけど、今日は唄あしびの前に少し話し合いをしたいんだ」


 そういって李心は「部活動継続申請書」と書かれた用紙を取り出し、テーブルの上にみんなに見えるように置いた。名簿の一番上に「部長 南李心」と書いてある。


「リコちゃんが部長でいいかの話し合い?」

「それはいいんだよ!」


 難しい顔で首をかしげる碧に李心が声を張り上げた。それを見た七海が笑いながら清風にいった。


「サヤカにはまだ話せていないんだけど、今日話し合いたいことというのは、わたしたち奄民の活動目的についてなんだ。いくら奄民を復活させたからといって、伝芸部のような大所帯の部活じゃないうえに、これといって実績を残せるようなことはしていないから、部としてはまだまだ学校での立場が低いというか、簡単にいえば予算が少ないらしいんだ。だからといって、伝芸部のように民謡のコンクールで入賞することを目的に活動するのは、ちょっと違うし、それなら伝芸部でいいじゃないか、ってなるのは嫌なんだ。だから、奄民として少ない予算の中で、唄あしびを通じてどうやって実績を作るのかを話し合いたいと思ってね」


 じっと話に耳を傾けていた清風は、七海の言葉を最後まで聞いてそれをよく咀嚼するかのように、何度か静かにうなずくと、穏やかな声でいった。


「私はそもそも、誰も聞かない発表会や誰が上手いのか審査員が決めるようなものは、シマ唄の本質ではないと思います。唄あしびでは唄の上手さを競うことは目的のうちの一つかもしれませんが、そのことが最終到達点ではないと思います。伝芸部が舞台向けの唄を、つまりシマ唄の芸術性を極めようとしているのならば、それとは違うシマ唄の在り方を見つけるほうがいいと思います。それに、リコちゃんが目指したいと思っているのは、本来そういうことではないのですか?」


 清風は涼やかな目線を窓を背にして座る李心に送る。李心は満足そうに口元を持ち上げて、我が意を得たり、といわんばかりに大きくうなずいていた。


「サヤカのいう通りで、あたしたちが目指すのは舞台の高い場所じゃない。シマ唄本来の形式を伝承をしていくことだって、奄美のシマ唄を唄う者として大切な使命だと思うんだ。例えば、古くから唄われていたシマの歌詞を探したり、今は誰も唄わなくなった唄を発掘して、唄い継ぐことだって、立派にシマ唄の継承になるし、それをみんなで唄あしびを通じて学ぶことだって立派なクラブ活動になると思う」


 今度は、二人のやりとりをじっと聞いていた碧が、おずおずと手を挙げながらいった。


「あたしは活動目的とかはリコちゃんやサヤカちゃんがいってることでいいと思うねん。伝芸部とは違う目的を持つことっていうのは、納得できることやと思うし。けど、リコちゃんたちは具体的に何をするつもりなん?」


 碧の質問に「そうだな」と李心は腕組みして思索にふけるように押し黙る。それに助け船を出すように、横から七海が口をはさんだ。


「わたしたちが、クラブ全体としてまともに唄える唄は『行きゅんにゃ加那』と『よいすら節』だけというのは少し寂しいと思うんだ。最低限でも『朝花節あさばなぶし』『俊良主節しゅんじょしゅぶし』『くるだんど節』は覚えないといけない。もちろん、他にも覚えないといけない唄はたくさんあるけれど、唄あしびに欠かせないのはその三曲。まずはそれを全員が唄えるようにする。まあ、目標というよりは、現状の課題みたいだけれど」

「それは、あたしが唄える唄を増やさなアカンね……」


 七海の言葉の原因が自分にあることを察知した碧は、周りに引け目を感じるように畏縮してテーブルの上に視線を落とした。その横から、清風が碧を力づけるようにいった。


「確かに、唄あしびするならば、朝花は唄えるようになる必要がありますけど、ミドリちゃんなら全く心配ありませんよ。ヨイスラだってすぐに唄えるようになったんですもの。朝花なんてすぐ覚えてしまいますよ」


 清風が朝花というのを聞いて七海が「そこで、だけれど」と手をたたき、テーブルのうえに身をのりだしてみんなの顔を見渡した。普段あまり見せたことがないような悪だくみをしているような薄い笑みを浮かべていた。


「少し思いついたことがあるんだけど、ちょっと聞いてもらっていい?」


 李心たち三人は目をぱちくりとさせながら、楽し気に自分の計画を話し始める七海を見やった。その内容に李心は感心したようにうなずき、碧は胸をときめかせるように目に興奮の色を浮かべながら、テーブルの上に身を乗り出した。


  5


 その日の午後は、季節が巻き戻ったように肌寒かった朝と比べれば、春らしいぽかぽかとした暖かな日差しが戻って来て、窓際の床に落ちた光が部室にもほのかな温もりを与えていた。

 ミーティングの後にひと通りの練習をこなした後、小休止を挟むと李心は三線を置いて立ち上がった。その手には三線の代わりにスマートフォンが握られている。


「ちょっと休憩ね。さっきの件であたし電話してくるから」

「行ってらっしゃーい」


 碧はひらひらを手を振ると、ペットボトルに手を伸ばしキャップをひねって開けた。碧がこの奄美に来てからすっかり気に入って、ずっと飲んでいる「あまいろ」という奄美大島で販売されているミネラルウォーターだった。全国的に市販されている他のミネラルウォーターに比べて、より丸みのあるいい意味で鉱物的な味がして、それが美味しいのだと前に碧はいっていた。ペットボトルに直接口をつけて飲む碧に、興味深そうな目線をおくりながら清風が問いかける。


「ミドリちゃん、三味線もどんどん上手になりますね。これまでに何か楽器とかやっていたんですか?」

「ミドリ、ゴリゴリのハードロックバンドのギターやってたんだよな」


 碧のかわりに七海がにやにやと薄笑いでこたえると、碧はむせて飲んでいた水を噴きだした。焦った様子で濡れたテーブルの上をハンカチで拭いていると、意外にも清風は目を輝かせて驚嘆の色を含んだ声でいう。


「あげー、本当に!?ミドリちゃん、ギター弾けるの? もしよかった、今度聞かせてもらってもいい?」

「でも、結構重めの曲をやってたから……ホ、ホルモンとかね……知らないよね?」


 碧がひきつれた笑いをうかべていると、清風が顔をぱっと輝かせ握りこぶしを振った。昨日までのおっとりとしたイメージを覆すような、興奮の熱を帯びた声をあげた。


「ううん、私、ホルモンとかレッチリとか大好きなの! ミドリちゃんすごい! あんなかっこいいギター弾けるの?!」


 その意外な清風の反応に、七海は音を立てて椅子から転げ落ちそうになった。ちょっとした悪ふざけのつもりでいったことが、予想外なことに、清風も碧に負けず劣らずのハードロックファンだったことを露呈させた。普段、イケメン男性グループ系の甘ったるいJポップばかりを聴いていた七海にとっては、ふたりの会話は英語の教科書よりも理解できない未知の世界だった。

 一方の碧はまるで水を得た魚のように、喜色満面で清風と音楽談義で盛り上がっていた。どのアルバムの何という曲の歌詞は、日本語だけど実は英語に聞こえるとか、歌詞に裏の意味が隠されているだとか、二人の間でそんなマニアックな話が飛び交っている。すっかり置いてけぼりをくらった七海がただただ、ぽかんとして二人の会話を眺めていると、電話で席を外していた李心が部室に戻ってきて、わいわいとはしゃぐ碧と清風に怪訝な視線を送った。


「何盛り上がってるの、この二人?」


 李心の声に気付いた碧が振り返る。その口元には不敵な笑みが浮かんでいた。


「ふっふっ……いつかリコちゃんたちがあたしを大笑いしたことを、絶対に後悔させたげるからね!」

「何だよ、それ。怖いな。それよりも例の予定、決まったからね」


 李心はにやりと口元をつりあげた。おおー、と碧は期待に胸を膨らませるような目を李心にむけた。小さく咳払いをして、李心は全員の視線を浴びながら、口端を引き締めるように吊り上げていった。


「週末にあたしの実家でシマ唄の特訓するから、予定空けておいてね」


  6


 週末は抜けるような青空から始まった。淡く潮の香りがする爽やかな朝の空気の中、人通りの少ない屋仁川やんご通りを歩いていると、数匹の猫たちが陽だまりの中でゴロリと横になっていた。飼い猫なのか野良猫なのかはわからないが、よく人に懐いている。

 しゃがみこんで猫と戯れていた七海が手元の時計を確認すると、約束の時間がギリギリにせまっていた。名残惜しそうに猫のあごをわしゃわしゃと撫でて別れを告げると、大きなバッグを肩がけにして待ち合わせ場所のバス停にむけて歩き出した。

 バス停に到着した時には、すでに李心がベンチに座って待っていた。七海は李心の姿を見つけると、ひらひらと手を振って呼びかけた。


「おはよう、リコ。ちゃんと起きられたんだ」

「さすがに、あたしが遅れたらシャレにならないから」


 どさりと音を立てて、着替えが入った大きなバッグをベンチにおろすと、七海は重量から開放された肩をぐるりと回した。二人の目のまえを手押し車のお婆さんがゆっくりと通り過ぎてく。くすんだ青いプラスチック製のベンチに七海が腰をかけると、李心ははまえをむいたままでいった。


「それにしても、七海が合宿しようなんていい出すとは思わなかったよ。どうしてあのとき、あたしの実家でシマ唄の特訓しようっていいだしたの?」

「どうしてって、そうだな。ミドリはシマ唄をはじめたばかりだけれど、センスがあると思うんだ。ちゃんとした先生に習えばもっと上手になるはずだし、それにリコだって部活で唄あしびをやりたいっていってるだろ。本当の唄あしびを体験するのに、リコの家はうってつけだと思わないか?」

「なるほどね。それで、あたしのばあちゃんか」

「フデおばは、リコとわたしの先生だからね。わたしたちから習うよりもミドリにとって、ずっと効率がいいと思うし、何より唄者本人から古い唄を教わることは奄民にとって、伝芸部との差別化になるし」


 七海はいつものようにポニーテール姿ではなく、つばの広いオフホワイトの帽子をかぶり、髪はおろした状態だった。肩にかかった黒髪が泥染の絹糸のように朝日に反射していた。


「それに、リコとわたしはずっと昔からよく知っている仲だけど、ミドリもサヤカも高校に入ってから知り合ったから、合宿でもやったほうが、手っ取り早くお互いのことをよく理解できるかなって」


 ふうん、と気のない返事をする李心の横顔を七海は一瞥する。特に上機嫌という顔ではなかったが、だからといって面倒ごとに巻き込まれたというふうでもない。たぶん、朝早いからまだ眠たいのだろうと、七海は勝手に納得していた。いつもならまだ登校すらしていない時間帯だった。


 先週、七海は部員たちに、笠利(かさり)町にある李心の実家で、李心の祖母であるフデに唄のお稽古をつけてもらおうと提案した。フデはもともと李心に唄の稽古をつけた、いわば李心のシマ唄の師匠で、七海も中学校のときに李心と一緒にフデに唄を習っていた。

 七海は昔からよく李心の家に泊まりに行くことがあったので、李心の両親にも面識があるし、家もわりと広いことを知っていた。李心も両親が良ければ別に構わないといって、七海の提案に同意していた。その計画に碧は興奮気味に清風を誘い、清風も結局碧に押し切られて参加することになったのだった。

 スケジュールの調整の結果、少しでも早いほうがいいだろうということで、ゴールデンウィーク前半の週末に一泊で合宿をすることにしたのだ。

 

「これは、あたしの想像だけど、実はナナが考えてることって、ミドリのほうじゃなくてサヤカのことなんじゃないか? サヤカがクラブに入る前にシマ唄を唄わないといっていたことを気にしていただろ? だからガンちゃんにもサヤカのことを聞きにいった」

「なんだ、リコにはバレてたんだな。ほら、サヤカはわたしたちとクラスも違うし、唄に対してもどこか一歩引いたところがあったから、合宿してサヤカともっと近くなりたいというか」一瞬言葉を選んで、振り向きざまに李心に微笑みかける「仲良くなりたいなって」

「そうだな。ナナって人見知りだからな。合宿でもして無理にでも一緒にいたほうがいいかもな」


 茶化すような笑顔を返して李心がいうと、七海も肩をすくめる。

 仲良くなる、それは間違いない。ただ、七海の思いは他にあった。それは、李心にも碧にもまだ伝えていない。民謡のことも愛美のことも、清風はまだ部員たちに口にはしていないし、それをあえて聞いていない空気がある。しかし、七海は愛美と碧の出会いも含めて、気になることがある。それを聞き出すには、この合宿はある意味で好都合だった。学校という日常の環境を離れたら、気持ち的にももっと近くで話ができそうだと思っていた。

 そう思えば、李心のいうように、人見知りな性格であることは否定できないなと、内心で小さく笑った。

 

「お、見覚えのあるピンクの車」


 李心は彼女たちが座っているほうと反対側の車線からやってくるピンク色のマーチを指さした。待合所の向かい側の路肩にハザードランプをつけて停車すると、後部ドアが開いて碧と清風が降りてきた。道の向こう側で碧が大きく手を振っている。それに七海が小さく手を振ってこたえる。車が来ないことを確認すると、碧と清風は荷物を抱えて二人の方へと走り寄ってきた。


「ごめーん、遅れて! なんか、楽しみにしすぎて夕べなかなか寝付けなくて……」

「もしかして寝坊? ミドリは遠足前の小学生か?」


 笑いながら七海がいった。照れくさそうにする碧のまわりで小さな笑いの輪が広がった。碧たちを送り届けた巌が車を降り、小走りで道路をわたってきて清風に声をかけた。


「本当に空港まで送らなくて大丈夫?」

「ありがとう、でも大丈夫よ。それにみんなの荷物もあるし」

「そうそう、ガンちゃんの車、五人はきついやん」

「そういうことは、わかっててもいわない」


 七海が肘で碧の脇腹を小突いた。そのやりとりを微笑ましそうに見つめて、まぶしそうな視線のまま清風が巌にいった。


「みんなでバス旅ってきっと楽しいと思うの」

「それじゃあ、南さん。一応顧問として注意しておきますが、十分に気を付けてくださいね。それと、親御さんにはくれぐれもよろしくお伝えください」

「うん、大丈夫。二人を送ってくれてありがとうね」


 おおよそ高校の教諭とは思えないような、ましてや部活の顧問とは思えないような生温い言葉をかけて、巌は自分の車へと戻り、運転席に乗り込んだ。

 巌の車が走り去ってほどなくして、空港方面行のバスが停留所にとまり、短い電子音のブザーを鳴らして乗車口の扉を開いた。


「さあ、みんな忘れ物ないよね!」


 李心の掛け声とともに荷物を抱えて、四人は意気揚々とバスに乗り込んだ。


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