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光のもとでⅠ 最終章 恋のあとさき  作者: 葉野りるは
本編
59/117

59話

 手術翌日――。

 寝不足を感じつつベッドの機能に感心する。

 床ずれ防止機能なるものがついたベッドは、定期的に右側が上がったり左側が上がったりして体位を変えてくれるのだ。

 実のところ、これが気になってまったく眠れなかった。

 寝ている面が変化するのだから当然だと思う。けれど、意識がない患者さんにとってはありがたい機能なのだろう。

 そうは思いつつも、やっぱりこの環境では眠れる気がしない。

 一晩で根を上げた私は、夜が明ける前に栞さんにお願いしてこの機能を止めてもらった。

 栞さんは声を発することができないことを想定して、筆談用のホワイトボードを持ってきてくれていたのだ。

 今はベッドの機能を使ってではなく、私が起きている時間に手動でベッドの角度を変えてくれている。

 朝になって水を飲んでいいと言われたけれど、面白いくらいに飲み込めなかった。

 今日から流動食が始まるとのことで、午前中に首に入っている管が抜かれた。

 夏はこれが気になって仕方がなかったのに、今回はそれほど気にならない。たぶん、それ以上に意識する部位があるからだと思う。


 何もすることがないと過去の記憶を思い出す。

 楽しいことを思い出せたらいいのだけど、こういうときはたいてい同じような状態にあったことを思い出す。

 ここはICUではないけれど、現況はICUで管理されているのと変わらない。

 去年、ICUで意識が戻ったときにはひどく混乱して泣き叫んだ記憶がある。それに比べると、なんと穏やかなことか……。

 身体につながれている機材や管の本数は今のほうがはるかに多いはずなのに。

 間違いなく自分の身体に起きていることなのに、痛みだって感じているのに、手術が終わった今もまだ、他人事のように思っている節があった。


 お昼過ぎ、栞さんと昇さんの交代に来たのは湊先生だった。

 昇さんと湊先生はベッドの足元でノートパソコンを見ながら引き継ぎをしていた。

「許可は出てんだけどな。あのとおりだ」

 昇さんが栞さんの持つトレイに視線を移す。

「食べられてない、か……。ま、大丈夫よ。徐々に食べられるようになるから。今は無理しなくてもいいわ」

 その言葉のおかげか、食べられないことへの焦りを感じることはなかった。

 栞さんたちが出ていくと、ベッド脇に来た湊先生にCDを見せられる。

「碧さんから預かったの。オルゴールのCDだって。こっちは蒼樹から。夏にクラスメイトからもらったCDみたいよ? どっちにする?」

 少し考えて、歌詞のないオルゴールをBGMに選んだ。

「想い」が詰まった歌詞や、「思い出」が詰まった曲を聴くのが怖かった。

 生きていることの次に向き合うものが自分の「感情」かと思うと、躊躇して選ぶことができなかったのだ。

 生きていることを実感する傍ら、自分の感情と向き合うのが怖いなんて、なんて意気地なしなんだろう……。

 さすがに、心臓の手術をしたくらいではネガティブな思考回路までは治らないようだ。

 大好きなオルゴールの曲が流れる中、意識は浮き沈みを繰り返す。

 手術前からの寝不足が原因かもしれない。

 うつらうつらそんなことを考えていると、手首の針を抜くと起こされた。

 固定されていた左手が自由になる。動かしてみたら、針が刺さっていたところが少し痛んだ。けれど、右脇のドレーンが入っている部分に比べたら微々たる痛み。

 身体に痛みを感じるたびに憂鬱になるのではなく、生きていることをただただ実感した。


 夕方になってようやく流動食を口にすることができた。

 出されたものは、具が入っていないとろみのあるスープ。ティースプーン一匙分を口に入れると、出汁の香りと僅かな塩気を感じた。

 スープの正体は重湯。

 器に入っている分量は一カップないくらいだけれど、私が飲むことができたのは半分にも満たなかった。

 夜九時になれば消灯。

 病院ではこれが普通で、今日も変わることはない。ただ、ベッドが置かれている部屋の向こう側、ソファセットがあるスペースの照明だけは点いていて、そこに湊先生がいてくれる。

 数時間眠り意識が浮上する。と、

「おはよう」

 空耳だと思った。だって、お父さんの声がするのはおかしい。面会できるのは明日からなのだ。

「あれ? 起きない? なんか起きそうなバイタルだったんだけど……」

 加えて唯兄の声。自分は夢でも見ているのだろうか。

「あれー?」

 再度聞こえてきた唯兄の声に目を開けた。

「ほぉら、起きたっ!」

 満足そうな唯兄の反応。

 場所は変わらず十階の特別室で、ベッド脇にはマスクをした家族がいた。

「ど、して?」

 声は少しずつ意思の疎通に使えるアイテムに復活してきている。

「今日は何日でしょう?」

 唯兄はクイズ形式が好きだな、と思いながら考える。

 三十日に手術を受けたのだから、翌日の今日は三十一日。もし、まだ日付けが変わっていないのなら――大晦日?

「今、十一時五十六分。あと数分で新年」

 蒼兄が自分のしている腕時計を見せてくれた。

「カウントダウンと新年の挨拶くらいしかできないけどな。先生が十分なら面会していいって連絡くれたんだ」

 お父さんが振り返り、湊先生に頭を下げる。それに浅く会釈を返したあと、先生は私に向かって口角を上げる笑みを見せた。

 そのままゆっくりと唇を動かす。

 言葉は五文字。唇が模った母音は――「ア、ウ、ア、イ、ウ」?

 アウアイウアウアイウ……――サプラ、イズ……?


 ほんの一時ではあるけれど、病室がとても賑やかになった。

 一緒に新年のカウントダウンをして、新年の挨拶をして私は呆然とする。

「……私、佐野くんたちに連絡しなかった」

 年越し初詣に誘われていたのに――。

「翠葉、佐野くんたちには俺から連絡してある。……というよりは、桃華経由で連絡してもらったから大丈夫」

「え……?」

「三十日、手術が終わってから連絡入れたんだ。それに、海斗くんだって事情を知ってるんだから問題ないよ」

 そっか……。そう言われてみたらそうだ。

「海斗っちたちのことだから、今コレの電源入れたらすごいことになるんじゃない?」

「え……?」

 唯兄がニッ、と笑って携帯の電源を入れると、メールを一件受信した。

「海斗っちたちからじゃないの?」

 唯兄に携帯を渡されメールを表示させると、



件名 :翠葉へ

本文 :新年の挨拶は学校で。

    早く元気になって戻ってこい!


    クラスメイト一同より



 メールには画像が添付されていた。

 そこには、年越し初詣に参加した面々が写っている。

「みんな楽しそうね?」

 お母さんの言葉につい本音が漏れる。

「ここに……一緒に写りたかったな……」

 優しい鶯色の着物を着た桃華さんにショッキングピンクのダウンコートを着た飛鳥ちゃん。青いダッフルコートに白いマフラーをぐるぐる巻いている海斗くんと黒のダウンジャケットを着た佐野くん。理美ちゃんは寒くないのかな、と思うほどに短いデニムスカートにロングブーツを合わせていた。河野くんの鼻が赤いのはやっぱり寒いからかな?

 写真に写る友達を一人ひとり確認していく。

「年末は毎年やってくるから大丈夫だ!」

 お父さんに言われた直後、携帯が再度メールを受信し始めた。

 同時刻に四件。佐野くん、海斗くん、飛鳥ちゃん、桃華さんの順だった。

 四つのメールに書かれていることはどれも同じ内容。「今年こそ一緒に年越し初詣をしよう!」というもの。

「そうそう。年越し入院とか今回限りでお願いしますよっ?」

 唯兄にキッパリ言われ、泣き笑いで返す。

「私もこれきりにしたい」

 家族と友達は偉大だ。なんてすごい人たちなんだろう。

 目が覚めてから過去しか見つめることのできなかった私を、一瞬で現実に引き戻してくれた。

 一瞬で、未来に目を向けさせてくれた――。


 新年の挨拶を交わしたあと、家族は「明るくなったらまた来る」と言い残して帰っていった。

 湊先生と家族が話さなかったことを不思議に思っていると、私の視線に気づいた湊先生がベッド脇に来てくれた。

「何? 新年の挨拶?」

「あ、はい……」

「明けましておめでとう。今年もよろしく」

「明けましておめでとうございます。今年もどうぞよろしくお願いいたします」

「……とはいえ、あまりめでたい状況でもないわね。できれば、今年は病院や保健室以外でよろしくしたいものだわ」

「できることなら私もそうしたいです……。ところで、先生?」

「ん?」

「どうして両親と話さなかったんですか?」

 問いかけているのは私なのに、どうしたことか湊先生も不思議そうな顔をする。

「とくに何を話す必要もなかったからだけど……」

「どういう意味ですか?」

「術後の経過は零樹さんの携帯に定時連絡を入れてるって、誰からも聞いてないの?」

 そんな話は聞いていない。

 フルフルと首を振ると、「あらそう」と納得したようだった。

「……ま、定時連絡をしていても心配なんでしょうね。碧さんと零樹さんは連日病院にいらして容態を聞いていたわ」

 それなら確かに病状や術後経過を話す必要はなかっただろう。

「まぁ、新年の挨拶くらいするべきだったかもしれないけど、そんなの後日でもいいし、タイムリミットつきの面会時間をフルに使えたほうがいいでしょ」

「……ありがとうございます」

「当然の配慮。お礼を言われるようなことじゃない」

「でも、本当なら面会できるのは明日――今日って言われていたし……」

「たかだか数分早かっただけのこと。だから問題ない」

「……ありがとうございます」

 どんなふうに説明されても、「ありがとうございます」以外の言葉は思いつかなかった。

「ほら、病人はとっとと寝るっ」

 言ってすぐ、私がいる場所の照明を消されてしまう。

「ゆっくり休んで回復に努めなさい。熱が引くまでリハビリは始められない」

「はい」

 答えはしたけれど、周りが暗くなっても気分は高揚したままで、すぐに寝付くことはできなかった。

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