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光のもとでⅠ 最終章 恋のあとさき  作者: 葉野りるは
本編
44/117

44話

 テーブルに並ぶ朝食がひとつの絵画のように思えた。

 サラダにスクランブルエッグ、焼き立てであろうパンにミルクティー。ピッチャーに入っているオレンジ色の液体はオレンジジュースかな?

 これといって珍しいものが並んでいるわけではないのに、テーブルの上がキラキラと輝いて見える。

 サラダが新鮮だからとか、磨かれたからとリーだからとかそういうことではなく、目に映るものすべてがクリアに鮮やかに思えた。

 家にいたときよりも緊張することは増えたはずなのに……。

 そこまで考えてフロアを見回す。と、昨日はなかった静さんと楓先生の姿があった。

 でも、私の知らない人の姿はない。

 結婚式は今日なのに、あと数時間もしたら始まるのに、この場にツカサたちのおじいさんと思しき人はいない。

 いつ、どこで対面することになるのだろう――。


 朝食が終わり、みんなが食後のコーヒーを飲む中、私はいつものようにハーブティーを飲んでいた。

 八時半を回った頃、湊先生が席を立ち人の視線を集める。

「支度がありますのでお先に失礼させていただきます」

 優雅に一礼した湊先生は、珍しくもスカートをはいていた。

 けれど、驚くところはそこではない。

 支度があるって――栞さんがいるここで話してしまってもよかったの?

 さらには静さんが立ち上がる。

「今日の主役をひとりで退席させるわけにはいかないな」

 言いながら湊先生のもとまで行くと、す、と手を差し出した。

「……あら、光栄。ナンバーツーにエスコートしていただけるだなんて」

 にこりと笑う表情も声も刺々しい。けれど、静さんは全く動じず笑顔で答えた。

「そうだろう?」と。

 ふたりの背を見送り、隣の唯兄に小声で尋ねる。

「今日のことって――」

 その先を訊こうとしたらウェイターがやってきた。

「失礼します。栞様と昇様がご一緒したいとのことです。いかがなさいますか?」

 断る理由などなく、両親は快諾した。

 すぐに椅子が用意され、栞さんと昇さんがやってくる。

「お邪魔します」

 椅子に座った栞さんはにこにこと笑っていてとても嬉しそう。

 もう、湊先生と静さんのことを知ったあとなのだろうか。

 唯兄に訊くタイミングを逃してしまった私は誰に訊くこともできずに栞さんを見ていた。

「なぁに? 私の顔に何かついてる?」

「いえ、ただ……とても嬉しそうに見えて」

「そうね、嬉しいっていうか楽しみだわ。だって、湊がフルレングスのドレスを着るのよ?」

 やっぱり知っているの……?

「しかし会長もよくやるよ。三十の誕生日プレゼントにドレスだなんてさ」

「そうね。会長からのプレゼントじゃなかったらきっと着なかったわね」

 昇さんと栞さんの会話に、「あれ?」と思う。

 ……誕生、日?

「あの……今日は誰の誕生日でしょう?」

 文脈から考えればわかることだけど、確認せずにはいられない。

「ん? 湊のよ?」

 栞さんのくりっとした瞳に自分が映る。栞さんと同じくらいきょとんとした自分が映っていた。

「……湊先生の誕生日、です、か?」

「「あら、言ってなかったかしら?」」

 栞さんとお母さんの声が揃う。

「今日が湊の誕生日で明日が会長の誕生日なの。だから今日は内輪でお祝いをしましょうって集まっているのだけど――。やだ、ごめんなさい。私、言ってなかったかしら?」

 どうやらお母さんに伝えたことで私にも話したつもりになっていたらしい。

 私が学校で海斗くんから聞いた「パレスのお披露目会」は改められ、「湊先生の誕生会」に変更になったそう。

 流れは把握したけれど、それならそうともっと早くに知りたかった。

「どうしよう……。私、プレゼント用意してません」

 自分の誕生日はみんなに盛大にお祝いしてもらったのに、なんだか申し訳ない気持ちでいっぱいだ。

 すると、

「翠葉ちゃん、知ってる? 祝い事は延ばせ仏事は取り越せ、よ」

 栞さんがウィンクして言う。

「え?」

「つまりね、お祝い事は慎重に遅れてするくらいがいいけれど、仏事は早めに行いなさいってこと」

「ここでしか会わないわけじゃない。パレスから帰って、ゆっくりプレゼントを選んでも問題はないさ」

 昇さんもそう言ってくれるけれど、本当にそれでいいのかな、と思ってしまう。

「うちからは大きな花籠をプレゼントに用意してあるわ。それとは別で何かプレゼントを用意したいならパレスから帰ってからでいいんじゃないかしら?」

 自分が選んだわけでも用意したわけでもないけれど、何もプレゼントがないわけではないことにほっとする。

 結果的にはパレスから帰ったら唯兄と蒼兄と三人でプレゼントを買いに行くことになり、話は落ち着いた。


 九時を目前にレストランマネージャーがテーブルにやって来た。

「ビューティーサロンのご用意が整いました。碧様と翠葉お嬢様からとのことですので、係の者がサロンへご案内させていただきます」

「わかったわ」

 お母さんが立ち上がるのに合わせて席を立つと、お母さんは私の後ろを見てにこりと笑った。

「翠葉には司くんに送ってもらいなさい」

「え?」

 振り返るとツカサが立っていた。

「司くん、翠葉をお願いできるかしら?」

「はい」

 低い声がすぐ近くから発せられて、心臓がドクドク鳴り出す。

 戸惑うのは私ばかりでお母さんは先に行ってしまうし、昇さんには「早く行ったほうがいいぞ」と笑って言われる。

「秋兄の手は借りたのに俺の手は借りられないとか言うつもり?」

 そんなこと言わない。言わないけど――。

 声だけでもドキドキするのに、そんな笑顔を向けられたら困る。

 嫌みプラス無表情にはだいぶ慣れたけれど、そういう笑顔は知り合った始めの頃にしか見なかったから――ものすごく免疫が足りていない感じ。

 おずおずと右手を預け、私たちは軽く会釈してレストランを出た。


 回廊に出たときにはツカサの手を取ったことを後悔していた。

 ドキドキを通り越した心臓はバクバクと鳴っている。それに比例して体温まで上昇している気がしてならない。

 この現象、どうしたら止まるのかな……。

「……い。翠」

「え? あ、何っ!?」

 脊髄反射。声のする方を向いてしまった自分にまた後悔。

 すぐに視線を戻した。

 どうしてこんなに格好いいのかな……。顔の好みって変わったりするものだろうか。

 秋斗さんの甘い笑みにも困るけど、ツカサのこれとは比にならない。

「……くどいくらい足元を見るように、とでも秋兄に助言された?」

「されてない……」

 されてないけど、顔を上げると半歩前を歩くツカサがどうしても視界に入るから、だからつい下を向いてしまうわけで……。

 下を向いたからといってツカサの存在がなくなるわけではない。指先に自分のものではないぬくもりを感じる。

 視覚情報をカットすると、そこに使われるはずだった力がほかの神経に供給されてしまうのだろうか。

 だから、必要以上にツカサの体温を感じて身体が熱く感じるのか……。

「息、上がってるけど……」

「え? あ、それはたぶん心臓のせいで……」

 口にしてまた後悔。これではまるで不整脈か何かの症状と言っているみたいだ。

「不整脈?」

 ツカサは即座に足を止め、脈を取り始める。

「ち、違うの。心臓は心臓でもそうじゃないっていうか……」

 ちゃんとした説明ができず、歯切れ悪く言葉が途切れた。

 きっと、意味がわからないって顔をしていると思う。呆れてるか苛立ってるかのどちらか。

 何がどう違うのか、と絶対に訊かれる。でも、できれば説明はしたくない。

 ステーションまであと何メートルだろう。

 見て確認したいけれど、顔を上げられない。止まった拍子にツカサが目の前に立ってしまったから。

「……ひとつ訊きたいんだけど」

「な、に……?」

 どうしよう、なんて答えよう……。

「今、何に一番困ってる?」

 え……?

「今、何に困ってるのか知りたいんだけど」

 訊かれると思っていたこととは違うことを訊かれて頭が混乱する。

「え? あの……何にって――」

「翠、深呼吸」

「あ、うん。深呼吸――え? 深呼吸?」

「……少し落ち着いてくれないか? 息上がってるから、まずは呼吸整えて。答えるのはそれからでいいから」

「あ、はい」

 言われたとおり、五回ほど深呼吸を繰り返した。

 それで呼吸がまるきり落ち着くわけではないけれど、酸素が頭に行きわたった気はする。

「で……何に困ってるのか知りたいんだけど」

「……ツカサに」

「……今の、文の途中? それとも終わり?」

「……終わり」

「……困ってる理由が俺?」

 困惑気味の声にコクリと頷く。

「絶対的に言葉が足りてないと思う。俺に困っているなら俺の何に困っているのか知りたいんだけど」

「……顔?」

「……翠。前にも言ったけど、顔は急に変わらないし変えられない」

 そんなことわかっているし、変えてほしいと思っているわけでもない。強いて言うなら、

「笑われると……困るの」

 急に心拍数が上がったり体温上昇したりするから。

「……翠はこの顔が好きなんだと思ってたけど――」

「好きとか嫌いじゃなくてっ」

 勢いあまって否定したものの、これ以上ないくらいに顔が熱くなる。

「あのっ、困るだけだからっ。……それから、手……」

「……手って、これ?」

 私の左手首に触れていた手が、確認するみたいに少し上に持ち上げられた。

「そう。熱い、から……」

「暑い? ……冷たいの間違いじゃなくて?」

「冷たいけど熱いのっ」

 もう言っていることが支離滅裂だ。矛盾なんて域は出てしまっているような気がしなくもない。

 でも、困るから。手、つながれていると本当に困るから……。

「……わかった。つまり俺の手は不要ってことね」

 ツカサの手が離れた瞬間、手首がヒヤリとした。

 館内は暖房がきいていて寒くはないのに。室温以上にあたたかい手が離れて、手首が寒いと訴えた。

 その手首をそっと右手で包むと、右手のほうがもっと冷たかった。

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