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光のもとでⅠ 最終章 恋のあとさき  作者: 葉野りるは
本編
41/117

41話

「さすがに山の上は冷えますね。寒くはないですか?」

「外は寒かったです。でも、館内はあたたかいので大丈夫です」

「そうですか? 手はこんなにも冷えていますが」

 まるでエスコートするように手を取られてドキリとした。

 顔が似ているだけ。声が似ているだけ。私の隣にいるのは涼先生。

 ツカサじゃないツカサじゃないツカサじゃない――。

 忙しなく頭の中で唱える。すると、

「学校での司がどのような様子かとおうかがいしても?」

「司」という音にすら動揺してしまう。

 隣を歩いているのは涼先生だとしっかり認識するために、ゆっくりと顔を上げた。

 視線が交わり、涼先生がゆるりと表情を崩す。

「私がこんな話をしてはおかしいですか?」

 すぐには答えることができなかった。今まで見たことのないツカサの表情を見た気がしてしまって。

「御園生さんも知ってのとおり、ああいう息子ですからね。自宅での顔しか知りません」

 涼先生は窓の外、空を少し見上げ、

「……とはいえ、学校でもさほど変わらないであろうことは予想しているのですが」

 ツカサと似た顔がツカサのことを話しているのはとても不思議な感じがしたし、どれほど見つめても文句は言われない。けれど、

「それは御園生さんの癖ですか?」

「え……?」

「さっきから視線が張り付いている気がしてならないのですが」

「わっ、すみません……」

 文句は言われなかったけれど、指摘はされた。

 恥ずかしくて俯くと、クスクスと笑う声が降ってくる。

 決して責められているわけでもからかわれているわけでもないのに、なんだか居心地が悪い。

「家では経済や医療の話題ばかりですが、御園生さん相手にそのような話はしないでしょう。だとしたら、どんな話をしているのでしょうか」

 普段どんな話をしているか……? どんな、話……?

「おや、首を傾げるほど難しい質問でしたか?」

「あ、いえ……」

 否定した割には言葉が続かない。

「そんなに考え込まれるとは思っていませんでした」

「……すみません」

「そこで御園生さんが謝る必要もないと思いますよ?」

 私がどれだけ戸惑おうが涼先生の態度は変わらない。声の調子も歩くペース何もかも。

 何も変わらないことに少しほっとした。

「普段、何を話そうと思って話していないからなのか、こんな話をしています、とお話できるものが咄嗟に思い浮かばなくて……」

 紅葉祭のときは生徒会の仕事に関する話ばかりだったし、それ以外だと私の体調のことだったり藤宮のことだったり……。

 世間話とはどんな話題のことをいうのか……。

 海斗くんたちとは普段どんな話をしていたかな……。

 授業始めにある小テストの話とか、みんなが好きな音楽の話? それから部活の大会の話や天気の話……。あ――。

「先日、天気予報のメールをもらいましたっ。雨が降るから傘を忘れずに、って」

 涼先生は一瞬びっくりした顔をして、それからくつくつと背を丸めて笑い出す。

「私はよほど御園生さんを困らせてしまったのでしょうか? それとも、司はそこまで話題に乏しい人間なのでしょうか」

「えっ!? いえっ、あのっ……話題に乏しいなんてそんなことはないと思いますっ。すごく物知りだし私の話題の乏しさが際立つ感じで、あの――」

 涼先生はクスリと笑った。

「すみません、ちょっと意地悪が過ぎましたね。このことは、真白さんと司には内緒にしていただけますか?」

「え……?」

「御園生さんをいじめたと知れたら怒られてしまいますので。それに、司の口数の少なさ、その他もろもろのマイナス要因は私譲りと心得ています」

「涼先生……?」

 今度はにこりときれいに笑い、

「医務室に着くまで、私の話を聞いていただけますか?」

 新たな話題を提供され、心に引っかかった疑問を訊くタイミングを逃してしまった。

 話題に上がったのは湊先生のこと。

 正しくは、明日、ひとり娘をお嫁に出す父親の心境だったかもしれない。

 私は相槌を打ちながら話を聞いていた。

 回廊を半周ほど歩くと、涼先生が歩みを止める。

「息が上がってきましたね。つらくはないですか?」

 言われて、自分の呼吸が上がっていることに気づく。

 それほど速いペースで歩いていたわけでもなければ、私が話していたわけでもないのに。

「少し、息が切れる程度です」

 それでとくにどうということはなかったから、足を止めた涼先生を不思議に思ったくらい。

「もう少し大丈夫かと思っていたのですが……」

「何が、ですか?」

「いえ、それでは地下へ下りましょう」

 言っている意味がわからなかった。

「あの、医務室に向かって歩いていたんじゃ……」

「えぇ、そうですよ。ですが、最短ルートを歩いていたわけではありません」

「え……?」

 涼先生はにこりと笑って回廊の内側にあるレストランへ向かって歩き始めた。


 どうやら、地下フロアへはレストランから下りることができるらしい。

「涼先生……? レストランから下りられるなら、ゲストルームから少し歩いたところにもルートがありましたよね?」

「はい。それが最短ルートでしたね」

「どうして遠回りしたんですか?」

「その質問にはのちほどお答えいたします」

 レストランマネージャーなる人に地下へ案内され、地上とは異なる様相のフロアを歩く。

 地上の回廊の真下に同じ形状の廊下があるものの、通された医務室は円形ではなく長方形の部屋だった。

 当たり前のように直線的な家具やベッドが並び、天井には飾り気のない直管の蛍光灯。

 涼先生はデスクの前へ座り、私はその近くにあるスツールにかけるよう促された。

 一瞬にして日常へ引き戻される。

 もう、何をどうやっても診察室にしか見えない。どこからどう見ても立派な診察室。

 涼先生がデスクの上にあるキーボードを叩きパスワードを入力すると、ふたつ並ぶディスプレイに私のカルテや検査結果が表示された。

 いくつかの欄が赤い文字で表示されていた。それは即ち、検査に引っかかった項目があるということ。

 何を言われる前にゴクリと唾を飲みこむ。

 静かすぎる部屋では、その音が涼先生に聞こえてしまったかもしれない。

「血液検査の結果ですが、正直に申し上げてあまり良い結果ではありませんでした。鉄欠乏性貧血の状態です」

「え……?」

「体内に鉄が足りていません。治療を要す数値です」

 耳を疑った。

 今まで、鉄分が少ないと言われることはあっても、治療が必要なほど鉄分が足りないと言われたことはなかったから。

「少し歩いただけで息切れするのは症状のひとつです。貧血を起こしたりはしていませんか?」

 訊かれてもピンとこない。

 今日も何度か立ちくらみはしたけれど、私が眩暈を起こすのは起立性低血圧障害のせいで、それは血液に問題がある「貧血」ではなく、いわゆる「脳貧血」だったはずで――。

 パニックに陥っている私の肩を涼先生が優しく撫でる。

「落ち着きましょうか」

「――はい」

「医務室まで最短ルートで来なかったのは、症状がどれほど深刻なのかを見極めるためでした」

 先生は、「鉄欠乏性貧血」という病気のことを詳しく教えてくれた。

 鉄分が不足したときに起こる症状の一つひとつ。そして、それらの最終形態が眩暈や貧血といった症状であること。

 通常は鉄剤を服用するか注射で補うそうだけれど、重篤な患者さんは輸血が必要になるということも。

「そこで、まずは鉄分が足りなくなった原因を見つけなくてはいけません」

「原、因……ですか?」

「はい。前回の血液検査はインフルエンザで入院したときのものです。そのときの数値からずいぶんと悪化しています。それには理由があるはずなのですが……御園生さん、もう一度訊きます。下血、吐血、もしくは血便はありませんか?」

 涼先生と会ってからまだ十分ちょっとしか経っていない。けれど、その間に何度言葉に詰まっただろう。

 でも、これは話さなくてはいけない――。

「……嘘はついていなかったんです」

 先生は頷き、続きを話すようにと視線で促した。

 ずっと便秘と下痢を繰り返していた。けれど、食べている分量が少ないこともあって、あまり気にしてはいなかったのだ。

 ここ四日ほど便通はなく、いつもの便秘だと思っていた。けれど、さっきトイレに行ったとき、間違いなく血便と思われるものを目にした。

「今日が初めてですか?」

「……血便と自分が認識したのは今日でした」

 涼先生はここ最近の便の状態を事細かに尋ね、私はそれに覚えている限りの記憶を話す。と、

 診察のあと、胃か十二指腸に潰瘍ができており、そこから出血している可能性があると言われた。

 あぁ、そうか……この痛みは身に覚えがあった。

 中学生のときと去年入院していたときに胃潰瘍は経験している。すっかり忘れていたわけではない。

 ただ、胃の痛みは慢性化していたし、最近は内蔵が痛いのか筋肉が痛いのかわからなくなってきていただけ。

「検査は年明けの予定でしたが、藤倉へ帰ったらすぐにしましょう。異論はありませんね?」

「はい……」

 先生は新たなウィンドウを立ち上げ、そこから検査の予約を入れた。

「至急」という赤い文字が目に痛かった。

「では、ご両親に話しに行きましょう」

 先生が言い終わると同時、ピルルル、と単調な電子音が響いた。

 先生がスーツの内ポケットから携帯を取り出し、ディスプレイを見て笑みを深める。

「すみません。少しお待ちいただけますか?」

「はい。……あの、外に出てましょうか?」

 医務室のドアに手をかけると、「かまいません」と制止された。

 私には再度座るように椅子を勧め、先生は壁に寄りかかって通話に応じる。

 電話に出て、一言目に「用件は?」と言う人を初めて見たかもしれない。

「……ならば、本人に直接伝えたらいいだろう?」

 長い脚を交差させ、涼先生はくつくつと笑いながら話す。

 相変わらずツカサと似ていると思うものの、ツカサなら無表情で淡々と話すだろうな、と思ったり。

「それはそれは、貴重な電話をもらえて嬉しい限りだ」

 どこか皮肉めいた話しぶり。

 一呼吸置くか置かないかの間をあけ、「断る」と言い放つ。

「だいたいにして、今が何時かわかって言っているのか? ――ふたりとも外に?」

 聞くつもりがなくても聞こえてしまうし、私と話すときとは違う口調に、つい神経がそちらを向いてしまう。

「それはご苦労なことだが――」

 床の一点を見て話していた涼先生が顔を上げると視線が合った。

 会話を聞いていたふうの自分が恥ずかしい。

 慌てて目を逸らしたけれど、すぐに戻すことになる。

「よそさまのお嬢さんをこんな時間に、しかも男ふたりのもとへなど送っていけるか」

 思わず戻してしまった視線はバッチリと合う。そして、涼先生は視線を合わせたままに言葉を続けた。

「ひとりじゃないからいいとかそういう問題じゃない。今日は諦めろ」

 一方的に通話を切り携帯をしまうと、

「末の愚息からでした」

 きれいに口角を上げて言われた。

 会話の言葉運びからそんな気はしていたけれど、本当に――。

「ツ、カサ……?」

「えぇ。御園生さんを中庭に連れて来てほしいという用件でしたが、私の一存で却下させていただきました。全身状態が良くない患者を寒空のもとに連れ出すなど言語道断です。それに加え、もう九時半を回っている。お風呂に入って早く休んだほうがいいでしょう」

 にこりと笑った涼先生がドアを開けると、唯兄が私のコートを持って座りこんでいた。

 ティーラウンジで涼先生の話を聞いてから、その足でツリーを見に行くのに待っていたのだと思うけれど、それにしては罰の悪い顔をしている。

 イヒヒ、と引きつり笑いをして、屈伸で助走をつけて立ち上がると、

「ざーんねん……お医者さんに却下されたんじゃ仕方ない」

「えぇ、ドクターストップです。もし、秋斗に何か言われていたのなら諦めてくださいね」

「ハハハ……何もかもお見通しデスカ?」

「さぁ、どうでしょう」

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