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光のもとでⅠ 最終章 恋のあとさき  作者: 葉野りるは
本編
36/117

36話

 駐車場に着きトランクを開けると、お母さんは電話中だった。

 会話の内容的に、相手は美波さんかな、と予想する。

 トランクを閉めて助手席に乗り込むと、

「楓先生の患者さんに会いに行ったの?」

「うん。でも、もう退院したみたい」

「あらそう、残念だったわね」

「うん……」

「帰り、マンションに寄るけど体調は大丈夫? カフェでランチしたら、美波ちゃんにネイルしてもらうことになっているのだけど」

「体調は大丈夫。でも――」

 今の私に食べられるものがカフェにあるだろうか……。

「翠葉、大丈夫よ。七倉さんに頼んで胃に優しいものを用意してもらってる。それと、拓斗くんはお昼を食べたらすぐサッカーに行かなくちゃいけないの。長居して疲れそうなら先に翠葉のネイルしてもらって、私は後日でも問題ないし」

 そこまで言われてようやく不安が和らいだ。


 マンションに着くと、崎本さんと美波さん、拓斗くんに出迎えられた。

「翠葉お姉ちゃんっ!」

 走ってきた勢いのままに抱きつかれ、呆気に取られていると、

「待ってたんだよー」

 拓斗くんはにこにこと笑いながら、私の手を引いてカフェに入っていく。

「ぼくはねー、今日はハンバーグとシーフードのサラダなの。いつもは炭酸ジュース飲ませてもらえないんだけど、今日は特別なんだって。だからコーラ飲むんだー!」

「たーくっ、コーラはご飯を食べたあとよっ?」

「ケチー」

「ケチじゃないっ!」

「ハイハイ」

「ハイは一回っ」

「はーい」

「伸ばさないっ」

「怒りんぼっ」

 美波さんと拓斗くんの会話を聞いていたら思わず吹き出してしまった。

 お母さんとお水を運んできた七倉さんもおかしそうにクスクスと笑う。

「もうっ、小学校に上がった途端に口達者になって困るわ」

「困る」と言いながらも、美波さんの顔には「愛おしい」という感情が滲み出ている。

「七倉くん、私は冬限定のランチセットでよろしく。碧さんと翠葉ちゃんは?」

「あ、じゃぁ私も美波ちゃんと同じのお願いしようかな」

「翠葉お嬢様は何になさいますか? 和風洋風中華イタリアン、いずれもリゾットか麺類をご用意できます」

「え……?」

 メニューを見せられ、

「こちらの中華スープやお味噌汁、それから辛味を抑えたこちらのエスニックスープなど、リゾットにも麺類にも対応できますからお好きなものをお選びください。麺の太いものが苦手だとうかがいましたので、直径二ミリの麺と素麺もご用意してあります」

「あのっ、すみませんっ。お手数おかけして――」

「お気になさらないでください。これが私の仕事ですから」

 にこりと笑う七倉さんは香乃子ちゃんを思い出させた。

 決して顔のパーツが似ているわけではないのに、笑顔の種類が同じ気がして……。

「何になさいますか?」

 再度訊かれ、何が一番胃に優しいかを考える。

 メニューを見ていると、拓斗くんが身を乗り出してメニューの説明をしてくれた。

「お味噌汁も美味しいけど、みんな洋食だからお姉ちゃんも洋食にしようよー。ボクのイチオシはこのシーフードのスープ! こっちの赤いスープは美味しいけどちょっと辛いんだよ。……あっ! ビーフシチューもお肉が柔らかくて美味しいんだよっ! ほっぺた落ちちゃうくらいっ」

 言いながら頬を押さえる様がなんともかわいい。

「たーくっ、それじゃ翠葉ちゃんが選べないでしょ!?」

 気づけばメニューは拓斗くんの前に広げられていた。

 そして、「ボクが選んだのはこれなんだけどね」と言いながら、ほかのものに目移りし始めていた。

 これは早く決めたほうがいいかもしれない……。

「あ、あの……これのリゾットをお願いできますか?」

 指差したのは、拓斗くんがイチオシと言っていたシーフードのスープ。

「かしこまりました」

 七倉さんはにこりと笑い、メニューに夢中になっている拓斗くんに声をかける。

「拓斗くん、今日のハンバーグはいつもよりも少し大きめに作ろうと思ってるんだよ」

 顔を上げた拓斗くんから慣れた手つきでメニューを取り戻した。

「じゃ、もうちょっと待っててね」

 七倉さんは拓斗くんの頭を撫で、私たちに一礼してからカウンターの奥へ消えた。

「ふふ、七倉くんも上手にあしらうようになったわね~」

 満足そうに美波さんが笑う。

 このまま、何事もなくランチが運ばれてくるのを待つはずだった。

 けれど、うまくいかないときはとことんうまくいかないものらしい。

「あっ!」

 拓斗くんが何かを見つけ席を立つ。

「秋斗お兄ちゃんっ!」

 心臓がぴょんと跳ねた。

「秋斗お兄ちゃん」という言葉に反応したのか、拓斗くんの大きな声に脊髄反射したのかは不明。とにかく、心臓が跳ねた。

「ねぇ、ママっ。秋斗お兄ちゃんもランチに誘っていい?」

「いいわよ?」

「お姉ちゃんも行こうっ!」

 またしても手を引かれ、今度は引き摺られるようにエントランスへ向かう。

「秋斗お兄ちゃんっ!」

 コンシェルジュから郵便物を受け取っていた秋斗さんがこちらを向く。

 スーツ姿ということは、本社へ行っていたのかもしれない。

「秋斗お兄ちゃん、お昼ご飯食べた?」

「いや、まだだけど……」

 秋斗さんは私を見て、さらにカフェの方へと視線を向けた。

「今日はね、みんなでランチなんだよ。一緒に食べようよぉ」

 拓斗くんは、私に見せたのとは違う甘えた顔を秋斗さんに見せる。そして、全力で引き止めるように秋斗さんにしがみついた。

 ここまで、私と秋斗さんの間には会話はない。挨拶も交わさず視線だけが交わる。

「お姉ちゃんがいるのに、なんでフタツヘンジでオッケーしないの? ……あ、ボクが相手じゃ心配ないと思ってるんでしょっ」

 途端に拓斗くんがむくれる。

 小学一年生なのに色んな言葉を知っているなぁ、と思って見ていた。

 ただ、なんの話をしているのかは疑問で、疑問のままに会話の行く末を見守っていると、

「ボクがホンキ出したらすごいんだからねっ!? お姉ちゃんの王子様にボクが立候補してるの忘れてないよねっ!?」

「えっ!?」

 思わぬ方向に話がいっていたことに気づき、秋斗さんにしがみつく拓斗くんを凝視する。と、冷たい空気が舞い込んだ。

 正しくは、エントランスの自動ドアが開いて外気が入ってきたのだ。

「あっ! 拓斗だー。何してるの? 琴が帰ってくるの待っててくれたの?」

 お団子ヘアの、目のくりっとした女の子が駆け寄ってくる。その後ろには、大きなトートバッグを抱えた里実さんがいた。

「琴……どう見ても琴を待ってたんじゃなくて、秋斗お兄ちゃんにしがみついてるようにしか見えないでしょう……」

 里実さんは額を押さえて呆れたふう。

「コト」と呼ばれた女の子は佇まいを直し、スカートの端を摘んでお姫様のように膝をちょこんと沈めた。

「秋斗お兄ちゃま、ごきげんよう」

 天使のような笑顔に見惚れていると、クルッとこちらを向く。

「あなた誰っ?」

「あ、御園生翠葉です」

「スイハって……あなたが拓斗の言ってたお姫様なのねっ!? 私は高崎琴実たかさきことみよっ。幼稚舎じゃ拓斗とは王子様とお姫様の仲だったんだからっ」

 キッ、と睨みつけられ、そこに里実さんが割って入った。

「はいはいはい、誰もそんなこと訊いてないから」

「ママっ、訊かれたから言ったんじゃなくて宣言したのっ」

「はいはい。あぁ……翠葉ちゃんびっくりしてるじゃない。ごめんなさいね~?」

「あ、いえ……」

 呆気にとられたままコトミちゃんを見ていると、

「ちょっとっ、マーマーっ、はなしてっ! まだ言い足りないんだからっ」

「うーるーさーいっ! 琴の声はキンキン響くんだから勘弁してよ」

 コトミちゃんは里実さんに抱え上げられてもバタバタと暴れ、視線は私に貼り付けていた。

「おばさんになんて負けないんだからっ」

 あまりの勢いに言葉などとうに失っていた。けれど、さらに絶句することになる。

 この場で笑えたのは秋斗さんひとり。

「琴実ちゃん、おばさんはちょっとひどいんじゃない? 翠葉ちゃんは高校生だよ?」

 秋斗さんは拓斗くんの頭をくしゃくしゃと撫でながら言う。

「そうよ? 空太のクラスメイトよ?」

 里実さんが引き合いに出したのは空太くんだった。すると、

「だからおばちゃんなのよっ。空太は琴のおじさんだものっ」

 思わず納得してしまう。

 里実さんは空太くんと高崎さんのお姉さんなのだ。そして、その娘さんがコトミちゃん……ということは、コトミちゃんの言い分はとても正しい。

 空太くんが叔父さんなら、叔父さんの同級生はおじさんおばさんになるのだろう。

「琴、最悪。翠葉お姉ちゃんに向かっておばさんとか……そういうの、言葉の暴力って学校で習ったじゃんっ」

 秋斗さんにしがみついたままの拓斗くんの目が据わっていた。

「っ……私、悪くないもんっ。琴は拓斗が好きなだけだもんっ」

 コトミちゃんは泣きだしてしまった。

 そこへ美波さんが走り寄ってくる。

「どうした? 拓斗、なーに琴ちゃん泣かしてんのっ。女の子泣かしたら王子様失格よー?」

「ボク、悪くないもんっ」

「ちょい待った。お母さん、悪いとは言ってないでしょう?」

「……ひどいこと言ったのは琴だもんっ」

「むくれてないで、まずは秋斗くんから離れなさい。で? 何があったの?」

 美波さんが拓斗くんに訊くと、

「琴がお姉ちゃんのことおばさんとか言うから……」

 小さな声で不満たっぷりに答えた。

「あら……そういうことだったのね」

 美波さんは全部聞かずに事情を察したよう。

 それでも泣かしたことに変わりはないから、と美波さんは琴実ちゃんと里実さんに謝った。

 琴実ちゃんは里実さんにぎゅっと抱きついたまましゃくりあげている。里実さんは申し訳なさそうな顔で、

「本当に琴が悪かったんです。だから、拓斗くんのこと怒らないでくださいね? いつものヤキモチですから」

 里実さんは軽く頭を下げてエントランスをあとにした。

 それらのやり取りを見ていると、もしかしたらよくあることなのかもしれない。

 泣いたままの琴美ちゃんと里実さんを見送ったあと、

「秋斗くん、お昼まだならランチ一緒にどう?」

 美波さんが秋斗さんを誘うと、秋斗さんの視線は私に向く。

 私はその視線を受け止めることができず、不自然に視線を彷徨わせた。

 今さら「こんにちは」を言うのはおかしいし、「一緒にランチどうですか?」と誘う勇気もない。

 先日、あんな別れ方をしたばかりでどう接したらいいものか悩んでしまう。

「……お兄ちゃんとお姉ちゃん、なんか変」

 拓斗くんに指摘される程度にはおかしかったのだろう。

 美波さんは知らんぷりを決め込んでいて、秋斗さんは拓斗くんを抱っこして、

「そう? どんなふうに変?」

「だって、さっきから一言もしゃべってないじゃん。ケンカしてるの?」

 拓斗くんの質問に秋斗さんは私を見た。にこりと笑って、

「俺たちはケンカしているのかな?」

「い、いえっ……ケンカは……して、いないと思います」

「じゃ、ランチにお邪魔してもいいかな?」

 真正面には観察するようにじっと見る拓斗くんの視線と、秋斗さんの爽やかな笑み。

 気づけば、私は「はい」と答えていた。

 藤宮一族の笑顔には魔力があると思う。

「否」と言えないような何かが――。


 カフェに戻ると七倉さんがランチを運んできた。

「俺にも時間のかからないものお願いできる?」

「かしこまりました」

 七倉さんはすぐに秋斗さんの分を持ってきた。

「シーフードリゾットです」

 それは私と同じものだった。

「お嬢様にご用意したものは飾り用のシーフード以外は全て刻ませていただきましたが、秋斗様のはそのままとなっております」

 説明が済むと、七倉さんはカウンターの奥へと戻っていった。

 五人でのランチはとても賑やかだった。

 話に自分が加われているか、と訊ねられたら怪しい限りだけれど……。

 秋斗さんは拓斗くんが喜ぶような話題を振り、美波さんとお母さんの会話にも難なく混じる。

 ランチが終るとサッカーへ行く拓斗くんを見送り、四人でエレベーターに乗った。

 ランチの続きのような歓談をしたまま九階に着き、エレベーターを降りるときには肩を優しく叩かれた。

 振り返ると、

「宿題でわからないところがあったら教えるよ?」

 秋斗さんらしい甘い笑顔のまま扉を閉じた。

 それは、出逢った頃によく見た笑顔だった。


 ネイルにはいろんな種類があるらしいけど、私とお母さんが選んだものは揮発性が高く、塗ったらすぐに乾くタイプのもの。

 お母さんは日頃から美波さんの練習台になっていたこともあり、ハンドケアをする必要はないとのこと。

 よって、私は初めてのハンドケアを受けネイルに挑むことになった。

 私には桜貝色のマニキュア、お母さんにはパールの入った優しい藤色のマニキュア。

 どちらも派手ではない。けれど、手先がとても上品に見える色だった。

「来年、仕事を再開するときに使うワンタッチネイルのオーダーできる?」

「まっかせてください! どんなものにします?」

「あまり派手ではなくて、私の服装にあうものを五種類くらい。あ、ひとつはパーティーにも使えそうなものにしてね」

「はーい!」

 なんともざっくりとしたオーダーだったけれど、美波さんはとても嬉しそうに返事をした。


 家に帰ってくると、私は宿題をすることにした。

 秋斗さんに言われたからというわけではないけれど、早くに終わらせておくに越したことはないし、出されているのは苦手科目だから。

 夏休みの二の舞は困る。

 そう思って着手したら、ピアノや読書などの趣味をするよりも集中することができた。

 解けない問題があるページには付箋をつけ、息抜きに得意科目の復習をする。

 そんなふうに三日間を過ごした。

 途中、あまりにも静かな私を見に家族がとっかえひっかえ部屋にやってきたけど、勉強している姿を見ると邪魔をしてはいけないと思ったみたい。

 二時間おきに声をかけられ、そのとき家にいる人がリビングに集まってお茶を飲む。

 夜に電気を点けたまま寝ること以外には、とくに大きな変化のない穏やかな日々を過ごしているように見えただろう。

 けれど本当は――。

 パレスへ移動する日まで、何時間何十分何十秒、と頭の中は絶えずカウントを取っていた。

 懐中時計のように、カチカチカチカチ、と〇・五秒刻みで音が鳴っていた。

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