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光のもとでⅠ 最終章 恋のあとさき  作者: 葉野りるは
本編
27/117

27話

 終業式当日もいい天気だった。放射冷却で寒さが際立つ。

 ピュッ、と坂の下から吹き上げた風に目を瞑り、そのまま感覚を研ぎ澄ます。

 この、張り詰めたような空気が好き。冷たくて、一寸の隙もなくて、肺いっぱいに吸い込むと身体の内からリセットされるような「清浄」を感じる。

 そんな空気が、小さい頃から好きだった。

 好きだけど、この空気は私の身体に優しくない。

 手先足先から徐々に体温が奪われる。

 家を出る寸前まで温めていた苦労もほんの数分の命。あっという間に体温を奪われ、指先から手首足首へと鈍い痛みが少しずつ広がり、やがて痛みは鋭いものへと変わっていく。

 芯まで冷たくなると、傷む箇所をぎゅっと押さえずにはいられない。

 あちこち痛くなるけれど、それでもこの寒さを嫌いになることはない。

 私の身体に冷えは厳禁。わかっていても、時々その冷たさに身を晒したくなる。それはほぼ発作的に。

 高校門をくぐると、大半の葉を落とした桜並木に迎えられる。

 陽を遮る葉はないものの、空から届く陽光は弱い。

 時折吹く強い風は、落ち葉をひとつ残らずきれいに舞い上げた。

 クルクルクルクル――小さな竜巻がいくつか起こり、風が落ち葉たちを連れていく。

 そこら中にあった暖色の葉は、並木道から少し外れた場所へと移動した。

 目の前から葉がごっそりなくなると、色彩的に寂しい気がした。


 八時前の校内は静かだ。

 今も、私が立てる音しか物音はしないし、廊下に人影を見ることもない。そして、七時五十分から空調が稼動するため、まだ寒さの名残がある。

 あと二十分もすれば校舎は生徒でいっぱいになるだろう。その頃には、空調管理の徹底された空間になっている。

 教室のドアに手をかけ、ゆっくりとスライドさせる。

「どこも同じ……」

 朝の教室――とくに冬の朝はほの暗い。太陽の光が教室の窓辺にしか届かないから。

 小学校も中学校も高校も、それはどこであっても変わらない。

 教室中の机が黒っぽく見える中、私は光を求めるように窓際の席へ向かった。

 中身があまり入っていない軽いかばんを机に置き、そのまま外に視線を向ける。と、登校してきた生徒が桜並木を歩いているのが見えた。

 今日は朝練のある部が少ないのか、いつもよりも人の数が多く感じる。

 寒さからか、背を丸めてひとり黙々と歩く人もいれば、大きな口を開けて笑い、友達と話しながら歩いてる人もいる。単語帳を見ながら歩いているのは三年生だろうか。

「終わる、のね……」

「何が?」

 突如かけられた声にびっくりした。声の主は佐野くんだった。

「悪い、驚かせた?」

 コクコクと頷くと再度謝られる。そして改めて訊かれた。

「で、何が終わるって?」

「あ……二学期」

 佐野くんはきょとんとして、頭をポリポリと二回掻いてから、

「確かに……今日で終り、だなぁ。でも、それがどうかした? 成績の心配はする必要ないだろ?」

「あ、うん……成績は――自分がやれることはやったと思うから」

「じゃぁ、なんでそんな憂い顔?」

「なんで、かな……。たぶん、少しびっくりしているの」

「何に?」

「……二学期が終わるまでここにいられたことに」

 自分の机にそっと手を乗せる。春からずっと、変わることなく使ってきた机に。

 ペシッ――。

 音が鳴るくらいの強さで額を叩かれた。佐野くんが距離を詰めて私の真正面に立っていた。

「残り一学期。三学期だって一緒に終業式迎えるつもりなんだから頼むよ」

 悔しそうに顔を歪めて言われる。

「……ごめん。……そうだね、がんばらないと」

「御園生……」

「ん?」

「二学期が終わるのに――どうして御園生は入学当初に戻ってんの?」

「え?」

「……無自覚?」

「ごめん、何が……?」

「……ごめんと作り笑いの回数が増えた」

「っ……」

「二学期後半ずっとマスクしてたけど、でも……目が笑ってなかった。そういうの、気づくやつは気づくよ」

 心臓に冷水をかけられたらきっとこんな感じだろう。言葉も出ないくらいにヒヤッとした。

「俺さ、助けてって言われたとき、本当に嬉しかったんだ。でも――」

 ものすごく傷ついた、そんな顔で言われる。

「……御園生、俺たちが四月から築いてきたものってなんだろうな?」

 佐野くんは私の返事を待たずに自分の席へ戻り、直後、あっという間にクラスは人で溢れた。


 終業式が終わるとクラスで成績表が渡される。

 いつもなら割と静かなホームルームも、このときばかりは騒々しい。

 みんな、自分と人の成績を比べてあれこれ話している。中には、「やっべ……俺、冬季補習組だっ」と声を挙げ呆然とする人も……。

 一学期の終業式には出席できなかったから、高校でこの光景を見るのは初めてだった。

 終業式自体は桜林館に入場してから二十分とかからずに終わった。けれど、その二十分すら立っていられない私は、最初から列に加わらなかった。

 朝のホームルームが終わってすぐ、川岸先生に申し出て許可をもらい、ひとり桜林館の隅に座らせてもらっていた。

 それに気づいた湊先生がやってきて、「ずいぶんと成長したじゃない?」と言われたけれど、どこが成長したのだろうか。

 自分の限界を知ったこと? 先を見越して予防的な行動をとれるようになったこと?

 朝、佐野くんに言われた言葉が頭をぐるぐる回っていた。


 ――「入学当初に戻ってる」。


 この言葉が衝撃的で――正直、自分の何が成長できたかのかなんてわからなかった。

 佐野くんがそう思っているということは、桃華さんも飛鳥ちゃんも海斗くんも、同じように思っているのかもしれない。クラスメイトみんなに、そう思われているのかもしれない。

「ごめん」が増えたのは……。作り笑いが増えたのは……。

 それがいつからだったのか、何が原因だったのか、私は全部わかっている。わかっていたのにどうすることもしなかった。

 みんなが何も言わないでくれるのをいいことに、何も訊かないでくれるのをいいことに――。

 それがみんなの優しさだとわかっていたのに、その優しさに甘えるだけで打ち明けようとはしなかった。

 でもね……どうしても話せなかったの。携帯事件のことも何もかも。

 全部を話すことは難しくて、かいつまんで話せるほど器用でもなくて。それに――話したら、相談しているみたいでしょう……?

 違うの。相談するほど、悩むほどの何かがあったわけじゃない。だって……私の答えはもう出ている。決まっている。だから、何を悩む必要も、何を相談することもないの。

 あっちゃだめなの。あっちゃ、だめ、なの――。


「翠葉、先生呼んでる」

 海斗くんに頭を軽くつつかれて我に返った。

「えっ? あ、ごめん……あっ、じゃなくて、ありがとうっ」

 ガタガタと音を立てて席を立ち、教壇まで成績表を取りに行く。

「なんかぼーっとしてんなぁ? 大丈夫か?」

 先生に言われ、

「すみません……大丈夫です」

 頭を下げると髪の毛のカーテンが顔を隠してくれる。なんて便利……。

「ならいいが……。ほれ、成績表だ」

 開いたまま差し出され、表の左下に記載された数字が目に入る。

 学年で五位……。

「がんばったな。一学期よりも順位が上がってる。テストの成績だけなら学年で二位なんだが、体育がレポートだとどうしても実技テストが受けられない分マイナスになる。だが、体育がレポートでここまでの順位っていうのは相当いいほうだぞ? 三学期もこの調子でなっ!」

「はい……」

 私と入れ替わりで桃華さんが席を立った。

「具合悪い?」

 すれ違い様に訊かれる。

「ううん、そんなことないよ」

 マスクをしている私は、佐野くんに指摘されたばかりの目が笑っていない作り笑いで言葉を返した。

 席に着いて、なんとなしにマスクに触れる。

 そっか……。顔半分が見えないのなら、目しか見ないよね……。

 当然、人は見えている目から情報を得ようとする。

 マスクの下で必死に作り笑いをしていても、口元なんて見えないのだ。口角が上がっていようと、声の調子が明るかろうと、対面してる人は私の目しか見ていない。

 その目が笑っていないのだから、さぞかし滑稽に見えたことだろう。

 どうして気づかなかったのかな……。


 成績表が配り終わると冬休みの課題が配られる。

 それは夏休みと同じで、期末考査で満点を取れた教科は免除。それ以外の教科は、教科ごとに問題集が配られる。

 たいていの人が全教科の問題集を手にする中、一科目でも免除されているクラスメイトがいると、「羨ましい」「俺の問題集を解かせてやる」などと声が挙がる。

 このクラスで免除される教科のほうが多いのは海斗くんと桃華さん、佐野くんと私だけ。私以外の三人は数学と化学。佐野くんがほかに数教科。私は古文と世界史。

 教室中から声が挙がったけれど、その対象に自分が加わることはない。

 些細な変化に現実を悟る。

 今まで向けられていたものは「気遣い」で、それを通り越した今は「遠慮」――。

 突如孤独感に襲われ、身体が崩れ落ちそうになる。

 椅子に座っているのだから、物理的に落ちることなどないのだけど。

 感覚的なもの。足元に暗く深い闇が生まれ、今にも引きずり込まれる気がした。

 自分が悪い……。

 胃が、金属をすり合わせたような音を立てる。キキキ、と音が鳴るたびに胃が痛んだ。

 そうこうしている間に二学期最後のホームルームが終り、クラスメイトは長期休暇前の挨拶を交わしながら教室を出ていく。少しずつ少しずつ、教室に響く声が小さくなっていった。

「翠葉ーっ。大晦日まで会えないのが寂しいよーーーっ」

 飛鳥ちゃんにぎゅっと抱き締められてびっくりした。もぎゅもぎゅされながら、

「絶対絶対大晦日に会おうねっ? クリスマスは新しいパレスのお披露目会に行くんでしょ?」

「あ……うん、そう、なの」

「それがなければ誘ってたんだけどなー」

「え……?」

「私と飛翔と飛竜の仲いい友達呼んで、毎年うちでクリスマスパーティーしてるんだ。海斗も桃華も常連で、今年は翠葉と佐野も誘う予定だったんだけど、海斗に話したら海斗も翠葉もパレスに行くって言うからさー。ざんねーん。来年は絶対来てよねっ?」

 抱き締められたまま、至近距離にあるきれいな目がじっと私を見ていた。

「う、うん」

 上ずりながら答えると、さらにぎゅっと抱き締められた。身体、というよりも心臓を温められている気分。

「飛鳥ちゃん……」

「ん? あっ、やば……痛かったっ!? ごめんっ」

 飛鳥ちゃんはすごい勢いで離れる。

「違う……すごく、すごくあたたかくて――」

 それだけなのに、目に涙が滲んだ。

「やっ、涙目になるくらい痛かったって正直に言っていいんだよっ!? ごめん、ホントごめんっ」

 いつもと何も変わらない飛鳥ちゃんにほっとしてしまう。

 それだって、飛鳥ちゃんの優しさなのに……。

「飛鳥は部活でしょ? 時間大丈夫なの?」

 後ろから桃華さんの声がすると、

「わ、やばっ。じゃ、またねっ!」

 ずっしりと重そうなかばんを持ち、スカートを翻して飛鳥ちゃんは教室を出ていった。

「さ、私たちも行きましょう」

 桃華さんに促され、珍しく一緒に教室を出る。

「冬休みは幸倉に戻るのよね?」

「あ、うん……」

「うちもこのあとは暮れの挨拶回りで忙しいのよねぇ……。年始は年始の挨拶。でも、それが終わったら遊びに行ってもいいかしら?」

「え……?」

「宿題、わからないところが絶対に出てくるから教えてほしいの。逆に、古文と世界史なら教えられるわ。どう?」

 まるで交換条件のように提示される。

 これだって桃華さんの優しさなのだ。

「うん、ぜひ……遊びにきてね。蒼兄も喜ぶと思う」

「……そうじゃないから。蒼樹さんは関係なくて……私は翠葉に会いに行くの。勘違いしないで」

「あ、ごめんなさ――」

「謝らないで……」

 階段を下りきったところで桃華さんが足を止めた。

 桃華さんが視線を落とすところを初めて見たかもしれない。いつも胸を張って真っ直ぐ前を見据えている人が、足元に視線を落としていた。

「翠葉に謝られると、これ以上入ってこないでって言われている気がするの」

 顔を上げた桃華さんは、いつものような余裕ある表情ではなく、眉根をきゅっと中央に寄せていた。

「これ以上踏み込んでこないでって、そう言われてる気がするのよ。だから、謝らないで……」

 怒っているようにも苛立っているようにも見える。それから悔しそうにも……。

 それは、今朝の佐野くんの表情と酷似していた。

「大晦日、絶対に来なさいよ? 風邪ひいて来られないとか、許さないんだから……。絶対に来なさいよっ」

 最後は、その場にいた人たちの視線を集めるほどの声で言われた。そして、すぐに走りだし人ごみの中へ消えてしまった。

「ありが、とう……」

 口にしたところで、誰にも届くでもない。

 誰にも、届かない――。

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