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光のもとでⅠ 最終章 恋のあとさき  作者: 葉野りるは
本編
21/117

21話

 結局、土日二日間は生理痛と闘う羽目になり、お母さんのお見送りも満足にはできなかった。

 何が救いかというならば、嘔吐に及ぶことがなかったことくらい。つまり、まだ検査の決定打には至っていない。

 お腹と胃がメインで、そのほか身体のあちこちが痛かったけれど、吐いていない分、いつもより少しだけ楽だった。


 今日、月曜日は保健室で湊先生の診察があり、学校が終わったら病院へ行く。

「予定が全部病院……」

 手帳を見ながら零した声を拾ったのは飛鳥ちゃんだった。

「体調、悪い?」

「あ、ごめんっ。違うの。ただ……私の予定は病院ばかりだな、と思って」

 私は、改めて視線を手帳に落とす。

「見てもいい?」

「うん」

 仕事の予定や湊先生の結婚式のことは、ノートパソコンのスケジュール帳にしか書いていない。だから、いつも持ち歩く手帳を見せることに問題はなかった。

「うわー……本当だ。これは落ち込むね」

「うん、ここまで病院以外の予定が何もないとね」

 十月までは、通院予定のほかに紅葉祭の打ち合わせ予定なども書かれていた。けれど、十一月に入ってからというものの、見事なまでに通院予定のみ。唯一、ツカサと藤山に行くはずだった日に『藤山』と書かれており、さらには二重線で消されている。そのほかに書いてあるものといえば、テスト日程くらいなもの。

 佐野くんが会話に混ざり、

「じゃ、ここ」

 手帳の右下を人差し指でトントンされる。

「大晦日に年越し初詣って入れといて?」

 言われて思い出す。インフルエンザ明けに誘われていた年越し初詣のことを。

「来れない人もいるけど、クラスメイトの半数は集まる予定。御園生は来れそう?」

「あ、うん。お母さんに訊いたら行っていいって言われた」

「じゃ、病院以外の予定一番のりってことで。ほら、書いた書いた」

「うん」

 手帳に予定を書き込み顔を上げると、佐野くんがにっ、と笑った。

 佐野くんもお父さんと同じで、肌に夏の名残がある。そんな共通点に思わず頬が緩んだ。


 携帯事件のことやそのほかのこと。「臆病」が原因でタイミングを逃してしまうと、次に機会があってもなかなか話せない。その都度、「どう切り出そう……」と考えてしまう。タイミングをうかがって、気づいたときには固まっている。

 なんだか長縄跳びにみたい……。

 グルングルン、とテンポよく回る縄を跳ぶ長縄跳び。縄を回している人の脇からするりと入り、縄を跳んで出て行く八の字跳び。

 人が流れるように跳んでいく中、自分の順番が来ても迫り来る縄を前に足が竦み立ち止まる。

 一歩踏み出すのに勇気がいる。

 踏み出して跳んで出ていく――ただそれだけのことなのに、タイミングを間違えると途端に流れが止まってしまう。

 これが会話だと、会話そのものが止まってしまう。

 会話が止まっても、私が話そうとしているのがわかれば待ってくれる。今、私の周りにいる友達はそういう人たち。

 わかっていても踏み出せないのは、単に私が臆病なだけ。

 私は踏み出す直前ではなく、もっと後ろの方にいる。順番待ちの後方。

 タンタンタンタン――縄が地面に当たる音や、タタタと人が駆ける音。それらが規則正しく聞こえる中、まだ跳ぶ準備はできていなくて、所在なさげに列の最後尾にいる。

 緊張して、もじもじしているだけ。「跳ぼう」と思うまで、列に加わることはない。そんなところに私はいる。

 みんな、私が何か抱えていることには気づいているけど、無理に聞き出そうとはしない。無理に列に加えようとはしない。

 跳ばない私がその場にいられるのは、みんなが優しいからほかならない。

 そういうの、全部わかっているのに私は何も話せないでいた。


 あの日の女子生徒と校内で鉢合わせることはない。でも、処分という処分が下らなかったということは、今もこの学校のどこかにいるわけで――。

 私はあの人の名前も学年も知らない。訊けば教えてもらえたかもしれない。そうしなかったのは、自分の持つ負の感情を抑えられそうにはなかったから。

 携帯を池に落とされた代わりに、私は彼女の頬を叩いた。それで喧嘩両成敗ならぬ、両者ともに処分下らずとなったわけだけど、私は未だ怒りの感情を持て余している。

 ほかの人はこういう感情をどうやってやり過ごすのかな。どうやって落ち着けるのかな。

 いくら考えても答えは出ない。訊いてみればいいのに訊くこともできない。

 先日、果歩さんの病室で雑誌を破る作業に加わらせてもらったのは、この鬱憤を晴らしたいという理由もあった。でも、紙を破る程度では、気持ちは晴れなかったみたい。

 果歩さんの、ものを投げたい衝動や怒鳴りたい衝動。そういうの、少し理解ができて、それと同時に、感情を思い切り外に出せる果歩さんを羨ましいと思った。

「言っていいよ」「出していいよ」 と言われたところで、そうできるかできないかは人による。私はできなかった。

 どろどろとした感情を口にすることや人に見せることに、抵抗があるのかもしれない。そのくせ、完全に隠すこともできない私はいったいどうしたいのだろう。


 金曜日には終業式がある。今日を含め、あと五日で二学期が終わってしまう。

 三学期制の中で一番長い学期はあっという間に過ぎ去った。

 色んなことがありすぎた。色んなものを詰め込みすぎて消化不良。

 それはものの見事に私の胃と同調している。

 消化できない。片付かない。あるべきところにものがおさまらない。

「あるべきところ」がどこなのかすらわからない。

 この迷宮に迷い込んでから、いったいどのくらいの時間が経っただろう――。


 月曜日も病院には行ったけど、果歩さんの病室には寄らなかった。

 いつものように果歩さんからメールは届いていたけれど、土曜日に休んだ分の勉強と、今日明日の授業の予習復習をしなくてはいけないから。

 ……というのは建前。

 勉強をしなくてはいけないのは本当。でも、三十分くらいなら寄ることはできたと思う。

 そうしなかったのは、また浅はかなことを口にしてしまいそうだから。

 ……というのは言い訳。

 話の途中、また言葉に詰まってしまうのが怖かった。ふとした瞬間に、目を背けている自分の真正面に立ってしまうのが怖かった。

 人に話せたら楽になるのかもしれない。でも、人に話すのにはそれ相応の勇気を要する。

 楓先生が言うように、出逢って間もない、互いのことをよく知らない人だからこそ言えることもあるだろう。でもそれは、相手が健康な人であることに限られる気がする。

 ……というのも言い訳、かな。

 何にせよ、今の私は心にあるものを言葉に変換する能力が足りていない。

 初めての人に何から話したらいいのかわからないし、どこまで話したらいいのかもわからない。

 自分が躓いている決定的な原因を自分自身が把握できていない。

 考えなくては、と思うのに、過去のどこまで遡ればいいのか――。

 ……これも言い訳?

 過去を遡って考えれば糸口は見えてくるはず。でも、それに直面するのがどうしようもなく怖かった。

 だって、私は答えを出したはずなの。出したはずなのに、それは「答え」と認めてはもらえなかった。

「自分のことはいつ許すのか」と訊かれて言葉に詰まってしまった。

「許すつもりはない」――それは「答え」と認めてはもらえなかった。

 違う答えなどそうそう見つかるわけもない。一生懸命考えて出した答えをそんなすぐに変えられるわけがない。

 きっと、ツカサもそれはわかっていると思う。だから、「待つ」と言ってくれたのだと思う。

 でも、待たれたところで私はこれ以上の答えを出せるとは思っていない。思っていないのに――「待つ」という言葉を聞いたとき、不覚にも嬉しいと思ってしまった。嬉しいのに、同じくらい苦しくて……。

 私は誰も失わないための選択をしたつもりでいたけれど、この選択で自分の「想い」以外をなくすとは思っていなかった。違うものを、こんなカタチで失うことになるとは思いもしなかった。

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