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光のもとでⅠ 最終章 恋のあとさき  作者: 葉野りるは
本編
20/117

20話

「果歩さんと知り合いだなんてびっくり」

「俺もびっくりした。まさか会うと思ってなかったから」

 エレベーターホールに着くと、唯兄が唇の前に人差し指を立てた。

「警備員には唇読める人もいるから、この先この話はNGね」

 唯兄に言われて口を噤む。

 いつもならあの部屋を出て果歩さんの話をすることはない。けれど、話す相手がいると口にしてしまうものだと気づき、改めて「秘密」の重さを肝に銘じた。


 エレベーターに乗りかばんから携帯を取り出す。

 まだ電源を入れられるわけではない。ただ、携帯についてる三つのアイテムを見たかっただけ。ただ、見て安心したかっただけ。

 テイストがちぐはぐな三つのアイテムをぼんやり見ていると、エレベーターが軽やかな音を立て一階に着いたことを知らせる。

 唯兄にかばんを取られ、

「自分で取りに行ったのってソレが気になったから?」

「あ、うん。なんか……ないと落ち着かないの」

「……そっか。ま、携帯を持っててくれるに越したことはないけどね」

 言いながら、救急搬入口へと向う。五時半を過ぎると正面玄関からの出入りができなくなるから。

 ほとんどの照明が落とされ薄ぼんやりとした中、救急外来の待合室だけが煌々と明かりを灯していた。

 ポツリポツリと人が座っているところを私たちは速度を変えずに通り過ぎる。

 廊下を進み警備員室が近づくにつれ、気温が徐々に冷たくなっていく。

 自動ドアは閉まっているけれど機密性が高いわけではない。わずかな隙間から、外気が入り込んでいた。

 警備員室前で唯兄が軽く頭を下げ、

「お疲れ様です」

 私も唯兄に習って同じようにペコリと頭を下げた。

 外に出ると、救急車停車位置から十メートルほど離れたところに車が停まっていた。

 相変わらず湊先生の水色ラパンである。

 家の車はお父さんが乗っていってしまっているため、唯兄やお母さんが車を使うときは湊先生の車を借りているようだった。

 ドアを開け、唯兄は私を中に押し込めながら、

「お待たせー」

「そんなに待ってないわ。ちょうど車があたたまったとこ」

 お母さんがにこりと笑い、ドアが閉まったのを確認すると車を発進させた。

 持っていた携帯の電源を入れると、ディスプレイがパッと光った。

 いつもなら、光を見れば「あたたかい」と思うのに、今日はどうしてか冷たい明かりに思えた。


 ゲストルームに戻ると蒼兄が迎え出てくれる。

「あら、蒼樹。帰ってたの?」

「少し前に……それより、翠葉の具合は?」

「涼先生から連絡をいただいて、何度も戻したって聞いたわ。胃の調子が悪いみたい」

 お母さんの答えを聞いた蒼兄と視線が合う。

「風邪ひいたか? 熱は?」

「風邪ではないみたい。熱もないし……たぶん、少し冷えただけ」

「そうか……顔色、よくないな」

「……そうかも。でも、点滴打ってもらって大分楽になったよ」

 今も学校や病院へ行く際にはマスクをしているし、手洗いうがいは徹底している。だから、そう簡単には風邪をもらってくることはない。

 靴を脱ぐと、お母さんに「夕飯にしよう」と言われて躊躇した。

 何も食べないのは許してもらえないと思う。わかってはいるけれど、まだ胃の中にものを入れる気にはなれない。

「お母さん、先にシャワー浴びてきてもいい?」

「そうね、サッパリしてらっしゃい」

「湯船には浸からないで髪の毛と身体洗ったら出てくる。でも、ご飯は先に食べてて?」

「……わかったわ。何かあれば声かけるのよ?」

「うん」

 お風呂に入る準備をするため自室に戻ると、唯兄が続いて入ってきた。

 静かにドアを閉め、「あのさ」と視線をラグに落としたまま話しだす。

 下を向いた唯兄の顔には前髪がかかり、柔らかな髪が作る影で表情が見えなくなった。

「……アズマと、俺の話はしないでくれる?」

「え……?」

 視線も合わせずに先を続ける。

「あの人、セリのこと知ってるから。……知ってるっていうのは、生きてた頃を知ってるっつーか、俺の家族がいた頃を知ってるっつーか……」

 歯切れ悪く話す様は、唯兄と出逢った頃を彷彿とさせた。

「……唯兄、話さないから安心して?」

「でも、あっちは訊いてくると思うから――」

「大丈夫。話したくないって言えば果歩さんはわかってくれると思う」

「……ごめん」

 やっと顔を上げたかと思ったら、なんともいえない苦々しい表情をしていた。

 私は唯兄の近くまで行きパーカーの袖を掴む。

 本当は手に触れようとしたの。でも、どうしてかな……。直接、手に触れるのを躊躇ってしまった。

「大丈夫?」

「少し動揺してる」

 唯兄は私が掴んでいないほうの手で前髪をくしゃくしゃと掻き毟る。

 見れば動揺しているとわかるのに、言葉にされると意外だと思ってしまう。

 普段の唯兄がとても普通すぎて、動揺している姿を目の当たりにしても、やっぱり意外だと思ってしまう。

 考えてみれば、唯兄が家族になってからこちら、若槻の家族が話題に挙がることはほとんどなかった。覚えている限りだと、お墓を作るときだけではなかっただろうか……。

 みんながみんな、その話題に触れないようにしていたのかは不明。

 わかることといえば、唯兄がごく自然にうちの家族に馴染んだことくらい。

 しばしの沈黙を破ったのは唯兄だった。

「俺、学校って場所に行かなくなってから地元の人間に会ったことないの」

 照れ隠しとは違うけれど、感情を隠そうとしているような話し方。何かを隠すための仕草や表情に思える。

「地元から遠く離れたわけじゃないのにさ、なんか……運よく会わないでこれちゃったんだよね。それが今日いきなりだったから、ちょっと驚いた――それだけ。別に、特別アズマと仲が悪いとかそういうんじゃないから。あぁ、逆に仲がいいってわけでもないけど」

「うん……」

「じゃ、リィはお風呂の用意してちゃちゃっと入ってきちゃいな」

「ん……」

 部屋を出て行く唯兄の背中が寂しそうに見えた。

 お姉さんやご両親のことを思い出しているのかな……。亡くなった人を思い出すのって、どんな感じなのかな――。


 着替えを持って洗面所へ行くと、唯兄が手洗いうがいを終えたところだった。

「唯兄」

「ん?」

 いつもと変わらない笑顔を向けられる。すでに「いつもどおり」という仮面の装着が済んでいる感じ。

「お風呂から上がったら髪の毛乾かしてくれる?」

「珍しいね? いつも俺から言うのに」

「うん。なんとなく……甘えたい日、かも?」

 うかがうように唯兄の顔を見上げると、

「ドライヤー構えて待ってましょう?」

 やっぱりいつもどおりの笑顔が返された。


 ひとり洗面所に立ち、鏡の中の自分に問う。

 寂しそうな気配がすると寄り添いたくなるのはどうしてだろう。

 何ができるわけでもない。それでも、側にいて緩和剤や緩衝材になれないかな、と思ってしまう。

 でも、本当に寂しいのは誰……?

 ――わた、し……?

 人に側にいてほしいのは、人の側にいたいのは、私自身なのかもしれない。

 ……どっちでもいい。

 今はぬくもりが恋しい。あたたかいものにくっついていたい。

 寒いと、不安が助長する気がするから。

 あたたかいものに寄り添ったら、ぬくもりを感じることができたら、それだけで「安心」を得られる気がしたの――。


 日をまたぎ、夜中に生理がきて痛みで目が覚めた。

 瞼の向こうに明かりの類は感じない。

 薄く目を開くと、「おはよ」と言われてびっくりした。

 視線をずらすと唯兄が目に入る。

「薬でしょ?」

 言いながら、額の冷や汗を拭われる。そして、すでに用意されていた薬を渡された。

 薬を飲んだ拍子に思いついたことがあった。

「涼先生はツカサのお父さんだ……」

「……何当たり前のこと言ってんの?」

「え? あ……あのね、涼先生、今日、生理が来るのを知っていた気がするの。生理がきたら、私……戻すかもしれないでしょう?」

「……あぁ、なるほど。次に戻したら検査しますって言ってたもんね? ……確かに策士だ。間違いなく司っちのおとーさん」

 唯兄も「むむっ」と唸る。

 してやられた感満載だった。

 見逃してもらえたわけではなく、間違いなくトラップにかかるとわかっていて猶予期間を与えられただけのこと。

 そんなところに、ものすごくツカサのお父さんらしさを感じてしまった。


 土曜日は予定通り欠席。

 いつものように腹痛に苛まれ、薬を飲むたび、胃に何かを入れるたびに違う痛みも生じる。それでも戻すことはなく、ベッドの上で冷や汗をかいて過ごしていると、

「ただいまーーー! 仕事一段落。父さんの仕事終了っ。すーいはーーー!」

 お父さんが帰ってきた。とても晴れやかな顔で、ハイテンションで、若干壊れ気味のお父さんが。

 私は、「おかえり」の言葉すら言えず、湯たんぽを抱え身体を丸めていた。

 ありとあらゆる場所が痛い。生理痛に誘発された筋痛症の痛みがあちこちで起きていて。

 でも、まだ我慢できる――。

「あらら……生理痛ですかい」

「ん……」

「そかそか。つらいな」

 お父さんはベッドに腰掛け額の髪を払う。

 外から帰ってきたばかりだというのに、お父さんの手はとてもあたたかかった。

 長い指は第二関節がゴツッとしていて手の平が広い。小さい頃から、自分の手よりもはるかに大きなこの手が大好きだった。

 夏に日焼けした肌はまだ黒いまま。

 たくましさを感じるその手に思わず頭を押し付ける。まるで猫が撫でることを催促するように。

「あれれ、珍しく甘えっ子さんですね?」

 言いながらも、お父さんはわしわしと頭を撫でてくれた。

 お父さんが帰って来たら一日違いでお母さんが現場へ戻る。インテリアの最終チェックを済ませるために。

 家族が揃うのは明日の朝まで。お母さんは二、三日で帰ってくるようなことを言っていたけれど、トラブルや急な変更があった場合はその限りではないという。

 今日の夕飯はお鍋だろうな、と予想しながらお父さんの体温を感じていると、薬が効いてきて少し休むことができた。

 生理がくるといつも同じ。薬が効いているほんの数時間だけ眠ることができる。

 寝ては痛みに起され薬を飲み、寝ては痛みに起され薬を飲み――延々とその繰り返し。


 夕方に目を覚ますと、部屋には蒼兄がいた。

「蒼兄……?」

「あ、起きたか。薬、飲むだろ?」

「……うん」

「じゃ、白湯を持ってくるからちょっと待ってな。あぁ、湯たんぽのお湯も替えてくる」

「ありがとう」

 蒼兄は読んでいた本を閉じ、湯たんぽを持って部屋から出ていく。

 私の具合が悪いときに誰かが部屋にいるのは珍しいことではない。けど、昨日からずっと人がついてくれている。

 それだけ心配されてるんだな、と思いながら身体を起こした。

 少しでも大丈夫なところを見せなくちゃ――お母さんが出かけるまでに。

「大丈夫なのか?」

 戻ってきた蒼兄に声をかけられた。

「ん、大丈夫」

 言いながら白湯の入ったタンブラーと薬を受け取り、薬を飲んで時計に目をやる。

「もうお夕飯の時間だよね」

「そうだけど……食べられるのか?」

「今日はお鍋でしょう?」

「当たり」

 ふわり、と蒼兄が笑う。

「お鍋のおつゆでおじやにして食べる」

「無理、してないか?」

「してないよ。無理して食べて、戻して胃カメラ確定は嫌だもの。だから、少しだけ食べる。無理しては食べない」

 私は笑って答えた。


「ひとりよがり」――それに気づいたのは一瞬のこと。

 私はまた周りが見えない人になる。見えているつもりで、見えていない。

 人が空回るとき、もしかしたらみんなこんなふうなのかもしれない。

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