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光のもとでⅠ 最終章 恋のあとさき  作者: 葉野りるは
本編
16/117

16話

 今日になって気づいた。

 初めてここに来たときは楓先生の奇妙な前置きがあり、さらにはドア開けたら物が飛んできた。そんなこんなで部屋に入ることをとても躊躇したけれど、二回目以降はそんなこともなかったな、と。

 二回目に緊張したのはひとりだったから。

 でも、三回目の今日はこのドアを前に緊張することはなかった。

 たとえ、今日はいつもに増して機嫌が悪いと事前情報を与えられていても、緊張を強いられることはない。それは、果歩さんの怒りが私に向くことはないから。怒りの矛先はいつだって楓先生に向いている。

 私は、「今日は何があったのかな?」「楓先生は今日は何を言っちゃったんだろう?」。そんなことを思いながらドアの前に立っていた。

 軽くドアをノックし中へ入る。と、

「翠葉ちゃん、聞いてよっっっ」

 今にもベッドを下りそうな勢いで声をかけられた。

 そんな状況に緊張することはないけれど、果歩さんのこの声量には驚く。そして焦る。

 挨拶もせず、両手を前に伸ばした。

 即ち、ストップッ!

「飲み物はっ!?」

「あ……飲み終わっちゃった」

 急に声の張力が緩み、気の抜けたような声でマグカップを振ってみせる。

 私はその隙にベッドまで駆け寄った。

 移動テーブルの上はきれいに片付いていた。

「レポート、終わったんですか?」

「もちろん。……で、さっき、その苦労の結晶、レポート様を楓さんに奪われたとこ」

 途端に表情に凄みが増す。

「え……?」

「自分が提出してくるとか言って持ち去った。翠葉ちゃんっ、どう思うっ!?」

 え? 何? どういうこと?

「本当はさ、私が自分で提出しに行きたかったのに、まだ産科の先生から許可下りてないとか言って……。温情措置とってもらってるんだから教授のところには自分で持っていきたかったのにっっっ」

 この時点で察したこと。

「もしかして……入院、延びました?」

「そうなのっ。本当は今日退院したかったのにっ」

 先日来たときにも「金曜日には退院する」と息巻いていた。それは、「退院したい」という果歩さんの希望であり願望であり、退院できる望みがあったかどうかは別の問題なのだけど……。

 その願望がお預けになったうえに、レポートの提出も人任せ。しかも、たぶんだけど……一番任せたくない人に任せることになってしまった、という状況。

 負けん気が強く、とかく自分が動きたいタイプの果歩さんにとっては嫌なことオンパレードで気持ちのおさまりがつかないのだろう。

 何せ、今も「絶対安静」という言葉にベッドの上へ縛り付けられているわけで――。

「とりあえず、リンゴジュース入れてきます」

「ありがとー」

 言葉のすべてに濁点がついたような声だった。

 果歩さんは感情をすべて表に出す人で、自分を飾るということをしない。

 ふとしたとき、とても「お姉さん」になるのに、いつもはこんなふう。

「こんなふう」とは、年上風を吹かせるでもなく、気さくな友人のように接してくれるという意味。

 年を訊いたら唯兄と同い年だった。だから余計に親近感がわくのかな、と思いつつ話している。


 カップにジュースを注いでいると、

「翠葉ちゃんの分も入れるのよー?」

「あ、はい。いただきます」

 私はグラスに半分リンゴジュースを注ぎ、ミネラルウォーターを同量注ぐ。

 右手にカップ、左手にグラスを持ってベッドサイドへ戻ると、

「椅子でもソファでも、楽な方に座ってね」

「はい」

 私は遠慮はせずソファに座らせてもらった。

 座る、というよりは、ソファの座面に上がりこむ。

 こんなことは親しい人の前でないとしない。

 まだ知り合って数日という果歩さんの前で素の自分でいられるのは、初めて来たときに楓先生がそうできるように誘導してくれたから――。


「翠葉ちゃん、本当は床の方がいいんだよね」

「楓さん。床はひどいでしょ、床は……。ここ病院だし、この階の床は絨毯敷いてあるけどみんな土足で歩いてるとこだよ?」

 怒る、というよりはこめかみを押さえ呆れた様子で果歩さんが口にした。

「まさか、そのまま床になんて座らせないよ。ちゃんとソファに座らせますとも」

 背を押され、ソファの前まで連れてこられた私は悩んだ。悩んで悩んで普通に腰掛けた。

 そんな私を楓先生が笑う。

「いつもと一緒でいいよ」

 戸惑う私を果歩さんは不思議そうな顔で見ているし、楓先生はクスクスと笑って私の靴に手をかける。

 靴は簡単に脱がされ、「ちょっと失礼」と脇の下に手を入れた楓先生にひょい、と持ち上げられ、次の瞬間にはソファの上に下ろされていた。

「なるほど。床の上ならぬ、ソファの上ね?」

 納得したような果歩さんだったけど、

「でもっ! 楓さん、女の子の靴は勝手に脱がさないっ。慣れたふうに持ち上げないっ。エロイっ。翠葉ちゃん面食らってるでしょっ!?」

 確かに私は面食らっていたけれど、私が一番面食らったのは果歩さんの一言だった。

 楓先生をいやらしいと思ったことはない。それは今も。

「翠葉ちゃん、俺、エロイ?」

 真面目に訊かれて、真面目に首を振る。否定の意味をこめて。

 楓先生は私から視線を外し、果歩さんの方を見やる。

「……だって。果歩の見方や思考回路のほうがエロイんじゃないの?」

 なんともストレートな言葉を爽やかな笑顔で返した。

「失礼ねっ」

「先に失礼なこと言ったのは果歩でしょ?」

「ちょっ、翠葉ちゃんっ!? 遠慮しなくていいんだからねっ?」

 遠慮――は、してないかな……? 本当にそんなふうには思わなかったから。

 でも、少し考えてみた。今みたいなことを秋斗さんやツカサにされたら、と。

 一気に、火がついたように顔が熱を持つ。

「あ、れ? どうした?」

 楓先生に顔を覗き込まれて困る。とても困って顔を背けてしまった。

 顔が、顔だけが秋斗さんと同じだから。でも、勘違いはされたくなくて、

「あの……顔っ。顔に困っただけですから」

 楓先生はそれだけで理解してくれたみたい。

 ポンポン、と頭を軽く叩かれ、

「うん、大丈夫。今ここにいるのは楓先生だから」

 そして、「はい」とハープを渡された。まるで、小さい子にぬいぐるみを渡すような要領で。

 納得がいかないふうの果歩さんには別の話をし始める。

「彼女、長い間立ってたり足を下ろした状態で椅子に座ってるのは得意じゃないんだ」

 そして、「この先は話す? どうする?」と私の意思を確認するようにこちらを見た。

 まだ熱の引かない顔を向け、

「話していただいて問題ありません」

 私は少しかしこまった言葉を返した。


 ――そんなわけで、初めて来た日にはベッドからいくらか離れた場所に置かれていたソファだけれど、今はベッドの脇に寄せられている。ちゃんと腰掛ける方がベッドを向いて。

 火曜日の翌日、水曜日に来たときにはすでにこの配置だった。

 楓先生と果歩さん、どちらの配慮かはわからないけれど、間違いなく私に対する気遣い。

 だから、私はその優しさを甘んじて受ける。

 思い切り病人扱いをされているわけではない。でも、何も気遣われてないわけでもない。

 どうしてかはよくわからない。でも、何もかもがバランスよく感じられて、居心地が悪いとは思わなかった。

 それは空間だけではなく、この病室の主にも感じていたこと。

 果歩さんが思ったことをポンポンと口にするのは、聞いているとなんだか気分がスッとした。

 最初こそ、楓先生に向ける言葉のひとつひとつにハラハラしていたけれど――本音だけど本音じゃない。そういうのが段々わかってきたから。

「好き」のカタチは人それぞれなのかもしれない。

 曲の表現に個人差があるように、「好き」の表現にも個人差があるのかもしれない。


 ソファに座り提案する。

「果歩さん、これ……破っちゃいましょうか?」

 私が「これ」と言ったのは、ベッドの脇に並べられた雑誌。

 果歩さんの妊娠が発覚したのは十二月に入ってからとのこと。けれど、並ぶ雑誌はバックナンバーからずらっと揃えられている。ご丁寧にも、一社に留まらず数社分。

 明らかに手がつけられていないそれらを指差した。

 果歩さんが取り揃えたとは思えないし、考えられる人はただひとり――楓先生。

 果歩さんはポカンと口を開けて私を見た。

「物を投げるのは、身体のどこかに必ず力が入るでしょう? でも、紙をちぎるのって手先にしか力を使わないので……」

 説明をしてみると、果歩さんはケタケタと笑いだした。

「翠葉ちゃん、それ実践したことあるの?」

「……アリマスヨ」

 けれど、私は破るに留まらなかった。

 写真雑誌に載っている、四角く縁取られた部分を細いボールペンで真っ黒になるまで塗りつぶし、それを最後にページから引き抜いて細かく細かく破いていた。

 光陵高校を自主退学したすぐあとのこと――四角い枠が嫌で、四角い枠にきれいな風景が写っていることが嫌で、笑顔で写っている人も、何もかもが嫌で、黒く塗りつぶし、ビリビリに破いた。

 最初は誰にも気づかれなかった。

 ゴミはビニール袋に入れてロッカーに隠していたし、雑誌の表面は何も変わらず。ボールペンで塗りつぶしてから破くともなると、一日にそう何枚もできるものではなかったから。

 けれど、日が経つにつれて雑誌の厚みが変化を始め、蒼兄が気づいた。

 蒼兄は何も言わずに抱きしめてくれた。そして、全部塗りつぶして破いていいよ、と言ってくれたのだ。

 見つかってしまった背徳感と、人に見られたことで我に返った私は、半分以下の薄さになってしまった雑誌を見てわんわん泣いた。

 その数日後、蒼兄は「プレゼント」と言って同じ号の雑誌を持ってきてくれた。わざわざバックナンバーを取り寄せて……。 


「入院してるとき?」

 果歩さんに声をかけられてはっとする。

「えぇと……今年の夏はしてません。でも、去年入院したときはしてました」

「え……毎年入院してるのっ!?」

「さすがにそれは……あ、でも、高熱が続いて数日間の入院とかならちょこちょこと……」

「はぁぁぁ……そりゃ、翠葉ちゃんに会わせて私を改心させたいわけだよね」

 果歩さんは自分から楓先生の話に戻す。

「どうしますか? やりますか?」

「やるでしょう、やるしかないでしょう。っていうか、んなもん一社で十分。そもそもバックナンバーまで揃える必要ないしっ! だいたいにしてさ、こういう雑誌って途中から読んでもビギナーがどうにかなるようになってるものなのよ。それを何、わざわざ一年分もバックナンバー揃えるかなっ!?」

 言いながら、ギンッとそれらを睨みつける。

「じゃ、やりましょう」

 私は一番古い雑誌を手に取り果歩さんに渡した。それと適当なビニール袋を見繕ってきて、果歩さんの前に差し出す。

「よっし、やるっ!」

 果歩さんはお布団から足を出して胡坐をかいた。胡坐をかいた足の上にビニール袋を置いたからちょっとストップをかける。

「病室が寒いとは思わないけど――でも、身体を冷やすのはやめましょう?」

 ビニール袋を取り上げ、胡坐をかいたまま前傾姿勢でやる気満々の果歩さんの足に羽毛布団をかけた。その上にくぼみを作ってビニール袋を置く。

「はい、どうぞ」

 雑誌を渡すと、果歩さんは中の薄いページからではなく表紙の厚紙から破りにかかった。

 ビリッ――景気よく音が鳴る。ビリビリビリ――。

 見ていたら、なんとなく自分もやりたくなってしまった。

 別にイライラしているわけではないけれど、悶々としているものはあったかもしれない。

「果歩さん、私もやっていいですか?」

「翠葉ちゃんもご乱心?」

「いえ、そういうわけではないのですが……。久しぶりにその音を聞いたら、ちょっとそそられるものが……」

 そんなふうに答えたら笑われた。

「いーよいーよ! じゃんじゃん破こうっ!」

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