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光のもとでⅠ 最終章 恋のあとさき  作者: 葉野りるは
サイドストーリー
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65 Side Tsukasa 02話

 家に帰ると父さんの書斎を訪ねた。

 デスクに向かっていた父さんが振り返り、

「珍しいな、おまえからここに来るとは」

「……父さん、頼みがある」

 父さんは窓の外に視線を移し、

「……明日は雨か?」

 父さんの呟きは無視して話を続ける。

「明日の夜から明後日まで、翠の容態が急変しときに備えて医療スタッフを待機させていてほしい」

 実際どうなるかは全くわからない。けれど、翠を追い詰めることだけは確定している。ならば、フォロー体制はできる限り万全にしておきたい。

 幸いなことに明日は金曜で明後日は土曜日だ。金曜日はともかく、紫さんは土曜日に大きな手術予定は入れていないはず。

「理由は?」

「……ギリギリのところまで追い詰める」

「……わかっているとは思うが、彼女は私の患者でもあるんだが」

「わかってる。……でも、秋兄が仕掛けたものに自分も乗じる。結果、翠は大きなストレス……もしくは不安を抱えることになる」

「……少し詳しく話せ。許可するかどうかはそのあとに決める」

 状況をかいつまんで話した。

「……おまえたちはもう少し穏やかな方法を取れないのか?」

「やりたくてやってるわけじゃない。でも、このまま何もしなかったら長期戦になるだけだ。現状打破するためには必要なことだと思ってる」

「……結果を出せると踏んでいるなら了承しよう」

「……翠が動くなら結果は出る」

「……わかった、紫さんのチームを召集しておく。人を動かすからには結果を出せ」

 俺は無言で頷き、

「これから静さんに連絡してヘリの待機もお願いする予定」

「あぁ、晴れて義兄になったことだし甘えるといい」

 書斎を出てすぐ静さんに連絡を入れた。

 理由を訊かれるかと思ったけど、静さんは何を訊くでもなく、ヘリを待機させておくと約束してくれた。




 今日がタイムリミット。一通り補習を終え、帰り際に話を切り出すつもりでいた。すると、

「秋斗さん……元気、かな」

 ここにきて翠に話を振られた。

「……さぁ。気になるなら自分で訊けば? ここ、携帯使えるわけだし」

 サイドテーブルに置いてある携帯を取り手渡す。つながらないことを知りながら。

「携帯が通じない」と一言言ってもらえたら、少し違う対応ができたかもしれない。けど、翠はそうは言わなかった。ただ、「そうだね……」と視線を落とすのみだった。

 秋兄だけじゃない。俺だって現況をどうにかしたいと思ってる。

 もし、自分が秋兄と同じ行動に出ていたら、俺は翠が動くことを望む。強く願う。

 でも、けしかけない限り翠は動かない。だから、こんな方法しか取れない――。

「翠は自分から動かないな……」

「え……?」

「何があっても自分からは動かないだろ? ……つながらないだろ?」

 翠が握りしめる携帯に視線を注いで言うと、一瞬にして緊張したのがわかった。

「それとも、つながらないことを不思議にも思っていなかったとか? 翠ならありえるな」

 翠は何も言えずに俺を見ていた。

「仕事が忙しくて出られないとでも思っているならずいぶんとおめでたいやつだと言ってやる」

 瞬きも忘れて俺を見る翠に見舞う。仕留めるような言葉を。

 秋兄……俺はやっぱり秋兄と同じ土俵にいたい。結果、翠を追い詰めることになるとしても。

「仕事が忙しくて出られないわけじゃない。メールアドレスを変えて、変更の連絡を忘れているわけでもない。翠のためだけに用意されていたあの携帯――解約されたから」

 翠の瞳孔が開く瞬間を見た。

「解約。つまり、もうあの携帯にはつながらない。メールが届かないのは――」

「やめて……」

 掠れた声で制止されたけど、

「翠が招いたことだ……。連絡がつかないとわかった時点でなぜ人に訊かなかった? 訊いたら教えてくれる人間はいたはずだ」

 一週間、七日間の猶予期間があったんだ。俺はその期間に秋兄が何をしようとしているのか考えて過ごした。

 翠は――翠は何も考えなかったのか? 何ひとつ、危機感を覚えなかったのか?

「訊こうとしなかったのは翠だろ? ……決して自分からは動かない。手を離そうともしない。それで誰が救われる? 誰が得をする? ……利益が生まれる場所があるなら教えてほしいんだけど」

 翠は何も言わず、唇をきつく噛みしめた。

「翠はずるい。俺と秋兄をどちらも選ばないくせにどちらも手放さない。すぐ手に入りそうな場所にいるくせに、絶対に踏み込ませないし踏み出さない」

 秋兄、翠を追い詰めるっていうのはさ、ここまでしないとだめなんだ。

 間接的にとか、じわりじわり攻めるやり方じゃだめなんだ。ストレートに、容赦なく逃げ場をなくす追い詰め方をしないと――。

 こんなやり方が好きなわけじゃない。ただ、ここまでしないと翠は動かないから……。

 翠の目から涙が零れ落ち、頬を伝った。

「ごめん……私だけ、私だけで……」

「それにも納得はいかないけど……。翠が得をしているなら、なんで翠は今泣いている?」

「っ……」

「泣いてることにくらい気づけよ」

 涙を袖で拭おうとした翠に自分のハンカチを押し付けた。

「……俺も秋兄も諦めは悪いほうだけど、精神衛生上よからぬことは基本排除する性格で――」

 これ以上はもう言いたくない。だけど、まだ言うべき言葉は残っている。

 残っているけど……それを口にしたら自分の中で何かが音を立てて崩れていく気がした。

 心が軋むとは、きっとこういうことを言うのだろう。

 サイドテーブルに置かれていたメモ用紙を手に取り、秋兄の仕事用回線の番号を記す。

「秋兄の仕事用回線。つながらないことはないはず――ただし、本人に出る意思があればの話だけど」

 出るか出ないか、五分五分。もしくは出ない線のほうが濃厚。

「ラストチャンスかもよ?」

「え……?」

「秋兄、明日には日本を発つから」

「ニホン、ヲ、タツ……?」

 確認するように翠は一字ずつ発音した。

「そう。日本を発つ。……JAL七〇〇八便六時五十分発。仕事で海外へ行く」

 翠は仕事という言葉を聞いてほっとしたように見えた。

「ほっとしたように見えるのは気のせい? 安心したように見えるけど、それはどうかと思う。秋兄は当分帰ってこない。秋兄との連絡が途絶えても翠が動かなかった代償だ」

 当分帰ってこないというのは俺の推測。推測でしかないけど、当たっている確信がないわけでもない。

 バカだなと思う。秋兄が帰ってこようが帰ってこまいが、翠は変わらず動かないとどうしてわからない?

 翠を動かすのなら、ここまでしないとだめだとなんでわからないんだ。

「秋兄の気持ちはわからなくもない。側にいて手に入らないのなら、手の届かないところにって考えもありだと思うから」

 コートに袖を通しかばんを持つ。もう一押ししたらすぐに病室を出るつもりで。

「俺も翠の進級を見届けたら留学することにしたから」

 翠の眉根が寄せられた。

 そんな顔するくらいなら言葉にしろよ……。

 側にいてほしいと言われたら、自分を求めてもらえたら、それに応える心づもりはあるのに――。

「九月編入に備えて四月には日本を出る。生殺しには耐えられない。それが、俺たちの出した答え」

 翠は引き結んだ唇を震わせながら、涙を零していた。

 ……涙は言葉の代用にはならない。ならないんだ……。

「静さんみたいに何年も想い続けられるかと思ったけど、無理。あんなのできる人間のほうが稀。それをしてもらえると思っていたならご愁傷様。――手に入らないものがいつまでも視界に入るのは目障りだ」

 言って、俺は病室を出た。

「くっそ……」

 追い詰めると決めたからこそ口にした言葉だし、本心も混じってはいる。でも、やりきれない何かが心に居座る。

 精神的に追い詰めていい体調とは言いがたい。でも、秋兄がこのタイミングで動いたのだから仕方ない。

 身動きが取れない状況はもうたくさんだ。

 人を傷つけるとき、自分にも同等の、もしくはそれ以上の痛みが生じるのだと初めて知った――。

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