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光のもとでⅠ 最終章 恋のあとさき  作者: 葉野りるは
本編
10/117

10話

「外、もう真っ暗ね」

 先生の言葉に窓へ視線を向けると、陽はとっくに沈んでいた。

 時計は五時半を指している。

「帰り、気をつけてね?」

「はい」

 先生と生徒――来たときとよりはそれらしい会話をして、特教棟の三階、最奥の教室をあとにした。

 校内は寒いと感じなかったけれど、特教棟を出ると冷たい風が吹いていた。

 陽が落ちた今、ところどころにある外灯はすでに灯っている。

 オレンジ色の明かりを見て思い出すのは紅葉祭二日目の夜。

 ツカサと手をつなぎ、ジャックオウランタンを見ながら歩いた。立ち止まったり躓いたりしながら。

 テラスからその通路を見ていると、佐野くんが部室棟に向って歩いてくる。

 陸上部の人が何人か一緒だった。みんな白いジャージだからか、そこだけが浮き上がるように見える。

 声をかけることはできなくて、じっと見ていると佐野くんが私に気づいてくれた。

「御園生!? ……終わったの、今?」

 佐野くんは「何が」とは言わなかった。でも、何を指しているのか私には伝わった。

 佐野くんがひとりなら、「終わった」と口にしたかもしれない。けど、ほかに人がいたから私は頷くことで返事をする。

「今から帰る?」

 訊かれて、またひとつ頷いた。

「もう遅いから送ってく。七分で着替えてくるからちょっと待ってて?」

「えっ? いいよ、悪いよ」

 咄嗟に声を発すると、

「あ、喋った」

 佐野くんの周りにいた部員が口にしたのが聞こえた。

 一方佐野くんは、

「これも一回頷くだけで良かったのに」

 と笑う。

「ホント、ちょっぱやで着替えてくるからのんびり昇降口まで歩いててよ」

「え、佐野君っ!?」

 佐野くんは私の返事を聞かずに走りだした。

 白いジャージが小さくなるのを見送ると、その場に残された人たちの視線がまだ自分に向いてることに気づく。

 どうしたらいいのかわからなくて、私は浅く会釈してそっとテラスから離れた。


 佐野くんに言われたように、昇降口までゆっくり歩く。

 右側にある学食は、非常灯が点いているのみ。

 今は期末考査前だから遅い時間までは開いていないのだ。

 試験前一週間を切っていることもあり、部活で学校に残っている人もいない。

 特待生の佐野くんは試験四日前から休みに入るとのことだから、明日から休みになるはず。

 そう考えてみると、さっき一緒にいた人達はどうして部活に出ていたのだろう。

 近日中に記録会、もしくは大会があるのだろうか。

 昇降口に着き靴に履き替えると、息を切らした佐野くんが現れた。今度は見慣れている制服姿で。

「部活、お疲れ様」

「ありがと。でも、御園生もね? お疲れ様」

「……ありがとう」

「午後からぶっ通しでこの時間だろ?」

「うん……」

「大丈夫だった?」

 佐野くんは訊いたあとになって、

「いや、うんと……その、色々と」

 決まり悪そうに言葉を濁す。

 もしかしたら、佐野くんが心配してくれたのは「帰り道」ではなく、こっちだったのかもしれない。

 そう思うと、心があたたかなものに包まれた気がした。

「大丈夫だったよ。……佐野くんたちが受けた筆記試験は全部口頭で答えて、最後の実技試験もパスしてきた」

 佐野くんは意外そうな顔をしたけれど、すぐに表情を改める。

「御園生、冷静。すごく落ち着いてる」

「うん……。途中、色んなことを思い出して泣いちゃったりもしたけれど、それが良かったのかな? 少しすっきりした。それと、知ることができて良かったと思う」

「そっか」

「うん」

 そんな会話をしてから昇降口を出た。


 昇降口を出ても私道入り口までは十分くらいの時間がかかる。そして、公道に出てからの上り坂も私はゆっくり歩くことしかできない。

「心配してくれてありがとう。でも、大丈夫だから……だから、公道に出たらバイバイしよう?」

「それは聞けないかな」

「え……?」

「この辺、駅前と比べれば治安はいいと思う。でも、それってさ、人気がないってことでもある。何かあって声をあげても人がいないことのほうが多い。そういうのもちゃんとわかってたほうがいいよ」

「……ありがとう」

「そう、それでよし……なんてね。実のところ、数学教えてほしいところあるんだわ」

「そうだったの?」

「うん」

「でも、それなら学校で教えたのに」

「まぁ、いいじゃん。部活終わってちょっと一息つきたいってのもあるし、マンションのカフェで何か飲もうかな。明日は学校も部活も休みだし」

「あ、そうだね」

 私は少し考える。

 今日が期末考査五日前ということは、あの会食が始まるのではないか、と。

 藤宮の人たちが集まって夕飯を食べる、という恒例行事が始まる。

「先日の今日で……?」とは思う。でもきっと、海斗くんもツカサもマンションの方へ帰ってきているに違いない。

 秋斗さんも来るのだろうか……。

 ドクドク、と心臓の鼓動を強く感じる。

「御園生?」

「えっ? あ……なんだっけ?」

「いや、とくに何を話してたわけじゃないけど……どうした?」

 どうもしなくて、どうもする。

 いつもなら誰かしら欠けていることが通例の食事会も、今日はみんなが揃う気がした。

 何かあったから人が揃わないのではなく、何かあったからこそ、人がみんな揃ってしまうような気がして――。

 佐野くんも海斗くんも携帯の件は知らない。

 人に言うようなことでもない。

 でも――全然関係のない人にいてほしい。

 私は今、間違いなく「佐野くん」という人に逃げようと思っている。

 何がそんなに怖いの?

 藤宮が怖いわけじゃない。秋斗さんが怖いわけでもツカサが怖いわけでも、誰が怖いわけでもない。

 藤宮と関わっていくことを後悔しているわけでもない。

 じゃぁ何が――秋斗さんとツカサが揃うこと……?

「佐野くん、今日、うちでお夕飯を食べて行きませんか?」

 私の突飛な申し出に、佐野くんはきょとんとした顔をした。

「もれなく蒼兄もついてきます」

 そして、もれなく藤宮御一行もついてきますが……。

「いいのっ? いや、でも、急にって迷惑じゃない?」

「そんなことないよ」

 少なくても私にとっては……。

 それに、この会食のとき、料理は多めに作られている。直前になって参加できる、という連絡がくることもあり、栞さんは常にニ、三人分は多めに材料を買い揃えているのだ。

 だから、大丈夫――。

 佐野くんは嬉しそうな顔をして快諾してくれた。

 逆に、私の心には影が差す。

 人をもので釣るのはよくない。

 美味しそうなものを目の前にぶらさげて「おいでよ」って、何しているんだろう。何様なんだろう。

 でも、お願い――助けて。今日一日だけでいいから。


 私はずるいと思う。

 とてもとてもずるいと思う。

 今日の会食が一番緊張するものとなるはず。

 それを知っていて佐野くんを連れて行くのだから、私は、とてもずるい――。


 佐野くんの数学はカフェラウンジで教えた。

 ゲストルームじゃなくて、カフェラウンジ。

 今ごろ、ゲストルームでは栞さんとお母さんが料理をしているだろう。そして、六時過ぎには会食が始まる。

 今ちょうど六時になった。あと少ししたら携帯が鳴るかもしれない。

 携帯が鳴ってもびっくりしないように――そう思って携帯を意識していると、オルゴール音が鳴り出した。

 通話相手は唯兄。

『今どこ?』

「一階のカフェラウンジ」

『なんでそんなとこにいんの?』

「佐野くんに数学を教えていたの」

 嘘はついてない。でも、後ろめたい。

『ゲストルームにつれてくればいいのに』

「うん、終わったから今から上がる」

『そう? もう海斗っちたちも揃ってるよ』

「すぐに上がるね」

 海斗くんのほかに誰がいるのだろう。訊きたくても訊けなかった。

「じゃ、行こうか」

 言いながら席を立つと、

「御園生……顔色悪い」

「え……そう?」

「何かある?」

「……あっちゃだめなの」

「何それ」

「あっちゃだめだけど、普通に振舞えない気がするから、だから――ごめん。佐野くん、助けて」

 何ひとつ満足に説明もできない。

 蒼兄で釣って佐野くんを誘った。

 ものすごく後ろめたい。それでも助けてほしいと思ってしまう。

「――助けて、って初めて言われた」

「……え?」

「助けて、って初めて御園生に言われた。……だから、理由を教えてくれなくても助けるよ」

 佐野くんはノートをかばんにしまって立ち上がる。

「どうすれば助けられるの? どうすれば助けることになるの?」

「ただ、いてくれるだけでいいの」

「それだけでいいの?」

 私はコクリと頷き、エレベーターの中で謝った。

「ごめんね。蒼兄をエサにして、釣るような真似して――ごめんね……」

「事実、蒼樹さんには釣られる。でも、御園生に助けてって言われたことのほうが貴重。やっとだよ……もう冬、あと数日で十二月。その言葉を聞くまで八ヶ月以上もかかった」

 佐野くんは目を細めて笑った。

 ありがとう、佐野くん。

 本当に、ありがとう……。

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