三章 懐かしい面影①
今日はめずらしく曇りだった。
薄く延ばした白い雲が、太陽の輝きをさえぎっている。
私はいつものように神社の裏の公園で青いが来るのを待っていた。
空を見上げてぼーっと待つ。
だが葵はこなかった。
やはり昨日、余計なことを言ったせいだろうか?
花火のあとは気まずい雰囲気になり、そのまま別れてしまった。
確かに葵にとってはお節介なことだったろう。
出会って数日の私が何かを言う資格など無い。
私は少し後悔した。
一方で、境内のほうからは珍しく人の声がしている。
祭りはいよいよ明日となっていた。
その準備のため、普段は訪れる人気も無い神社の境内は、今日は一転して朝から大勢の人の声が絶え間なく聞こえていた。
私はその声の中に、葵の声がないものかと耳を澄ませていた。
だが、いくら待っても葵は来なかった。
帰ろうか、と頭の中をそんな言葉がよぎった。
今日は葵は来ないかもしれない。
こんなうだるように暑い中、外で待っているのも馬鹿馬鹿しい。
だが、そんな気持ちとは反対に、もうすぐ来るかも知れないという淡い期待が心の片隅に存在していた。
「ま、何もすることもないし。」
敢えて自分に言い聞かせるように、私は呟いた。
時間は大分過ぎ、昼に差し掛かったのだろう。
人の声がパタリと止んで、辺りが静寂に包まれた頃だった。
突然、がさがさと茂みを越えて人がやってきた。
「いた……。」
「葵……。」
息を切らしてやってきた、年下の友人を認め、私は木陰から出て葵に歩み寄った。
「ごめん……。ちょっと昨日遅くまでじーちゃんの遺品整理してたら、寝坊した……。」
肩で息をしながら、弁解する葵の前で、私は脱力し、その場に座り込んでしまった。
「ナツコさん!?」
「良かった……。もう、来ないかと思った。」
「え?」
「葵、昨日はすまなかった。余計なことを言ってしまって。このまま葵が来なかったらと、どうしようかと不安だったよ。後悔で死にそうだった。」
今まで考えていた不安を、たまらずに葵にぶつけた。
そんな私の様子を見て、葵は心底驚いた表情を浮かべた。
「ナツコさんでも、後悔するの!?」
「何を。大人の私でも、そりゃ後悔するさ。いつも何故あんなことを言ってしまったのかとか、反対に、どうして素直にあの言葉を伝えられなかったのだろうと、そんなことばかりだよ。」
「そっか……。そっか……。良かった」
葵は安堵したように、かみ締めるように繰り返していた。
「僕も…後悔したんだ。ナツコさんに酷い事言って。怒っているんじゃないかって、心配だった。」
「そうか。お前もか。」
「うん。」
はにかんだような葵の笑顔が少し眩しかった。
「私はいつも素直になれなくて、後悔することが多かったから、葵にはそんな思いをして欲しくなかったんだ。だけど、昨日は言い過ぎた。すまない。」
「いいんだ!!昨日は色々あったから。でも、ちょっとずつ、ナツコさんが言っていたことを考えようと思うんだ。僕自身がどうしたいかってね。」
「そうか。んじゃ、夏休みの宿題だな。」
「えーまた宿題!?やってもやっても終わらないね。」
「そんなことない。少しずつやっていけばいいんだ。まだ夏は長いだろ。」
風がどっと吹いた。
少し湿り気の帯びた風は、境内の音を私たちに伝えた。
「あれ?今日は人がいるんだね。」
「あぁ、明日は祭りだからな。」
「そうなんだ。早いね。」
境内に行くと、案の上、祭りの準備をしている人たちが大勢いる。
境内は準備の熱気に覆われ、いつもよりも活気に溢れていた。
その横を私たちは興味深く見ながら、通り過ぎ、葵の祖父の家に向かった。
境内の喧騒を抜けたとき、葵は意を決したように言った。
「……ねぇ、ナツコさん。」
「ん?なんだ?」
「明日……祭り一緒に行こうよ。」
「あ?いいぞ。」
「でさ、蛍も見ようよ。」
「ん?どうしたんだ、急に。別に予定もないし、いいぞ。丁度この小川の先に、蛍がいっぱいいる場所があるんだ。明日はそこに行こう。」
「絶対だよ。約束だよ。」
葵は必死な目で約束を迫った。
何か、引き離されまいとするような、縋るような、そんな目だった。
私は葵の透き通った目から、視線をそらすことが出来なくて、こくりと頷いた。
それを見て、葵はようやく安心したように微笑んだ。
「約束……だからね。」