二章 葵のこと②
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今日もいい天気だった。
あえて注釈をつけるのであれば、「先ほどまでは」いい天気だった。
ついさっきまでは晴天といわんばかりで、夏の庭の深い緑が、空の青さに映えてとても綺麗だった。
それが、今は暗くなり、夕方を思えるほどである。
不気味な静寂が辺りを包み、虫たちはやがて来る何かに怯えるように、息を潜めていた。
「うわぁ…一雨来そうだね」
葵の言葉を待っていたとばかりに、ぽつりぽつりと雨粒が屋根をたたき始めた。
それは瞬時に勢いを増し、外は一瞬にして紗のカーテンを引いたようになった。
ひんやりとした空気が部屋の中に入ってくるのを感じ、私は心地よさに耳を澄ませた。
ごおぉんという雷鳴が響き始めた。
本格的な夕立だ。
「雷って、何で鳴るんだろう…。」
不意に葵が言った。
「は…?いま、何て言ったんだ?」
「え?あぁ、雷は何で鳴るんだろうなって言ったんだよ。」
「どうして、そんな風に思ったんだ?」
「だってさ、雷が光るのっていわゆる放電現象…みたいなものでしょ?」
「ま、そうだな。」
私も詳しいことまでは分からないが、発達した積乱雲中の氷の粒がマイナスとなり、一方で積乱雲の上部や地上がプラスを帯びる。
それが引き合って光を放つ…とかなんとか科学的には説明されるのだそうだ。
「でもさ、何で何も無いところで音が鳴るんだろう。これって、凄く不思議なことだよねぇ…」
その言葉を、私は全く違う人物から聞いたことがある。
その人も葵のように、世界が不思議に満ちていると感じているような人物だった。
私はその人から聞いた言葉を思い出して説明した。
「確か…稲妻の通った後は空気が何万度にも達し、急激に膨張するんだそうだ。瞬間的に真空状態になって、この衝撃波が雷鳴になる…とか言うのを聞いたことがあるな。うる覚えだし、知り合いからの又聞きだから、どこまで正しいかは不明だがな。」
「すっごい!!」
聞きかじりを話しただけにも関わらず、葵は心底尊敬したような眼差しで私を見つめた。
「んじゃさ、んじゃさ、なんで雷の後は植物が育つっていうの?」
「あ……それは……確か、空気中の窒素が雷の影響で化学反応を起こして、硝酸になるとかって話だった……な。」
かなり怪しい解説ではあったが、葵は満足したようだった。
自分のなかで、私の拙い解説を砕き、分析し、吸収しようとしているらしく、何度も話を反芻してはうなずき、また首をひねっては納得した表情を浮かべた。
「そっか……なるほどなぁ。」
やはり、と私は思った。
面立ちや雰囲気があの人に似ているが、こんな性格までも、あの人に似ていた。
胸が少しちくりとする。
だが、一方で純粋に今を生きている葵が眩しくもあった。
「雷とプラズマって違うのか…な。やっぱり。」
ポツリと葵が言った言葉を、私は聞くともなく聞いていた。
葵は一旦研究モードに入ると、全てのことを関連付け、高速で論理を展開させる傾向があった。
その呟きにいちいち反応していては、自分の身が持たないというのも、ここ最近で分かった葵の対応策である。
「ナツコさんってさ、幽霊とか信じる??」
また突然、葵が言った。
「幽霊か??なんでだ?」
「この間、雑誌に幽霊はプラズマの影響だって書いてあったんだよ。」
そういえば、夏休み特集でそんなのが雑誌に載っていたのを思い出した。
『都市伝説』やら『心霊スポット』など、面白おかしく記事が書かれていた。
どうやら葵の脳内では雷→光る→プラズマ→幽霊と変換が行き着いたらしい。
だが、プラズマの影響で出現するのは、と私は自分の記憶を辿りながら葵に言った。
「それは幽霊じゃなくて火の玉だろ?」
「あ、そっか。」
「なんだ、葵。さてはお前、幽霊が怖いのか?」
「ち、ちがう!」
「そっか、葵はこんなに大きいのにお化けが怖いのか!」
私は葵の弱みを掴んだような気持ちになり、笑いながら言った。
そんな私の様子をみて、葵は真っ赤になりながら否定した。
「違うよ!ただ…母さんに会えたらいいなって」
勢い良く言った後、葵は失言したとばかりにはっとした。
そしてぼそぼそと弁解を述べた。
「数年前に……母さんが死んだんだ。」
「そうか。じゃ、今は父さんと2人で暮らしているのか?」
だから、寂しくなった父親が、毎日電話をかけてくるのではないか、と私は考えた。
だが葵は一言冷たく言い放った。
「あんなの、父親じゃない…」
「え?」
余りに冷たい言いように、私は戸惑ってしまった。
いつも電話の後といい、やはり葵にも何か抱えているものがあるのだろうか。
だが私は、葵のその冷たい態度の裏には、寂しさが混じっているような気がしていた。
「お前は、父親が嫌いか?」
「うん。嫌いだ。」
それきり葵は何も言わなかった。
ただ、降りしきる雨の音だけが、静寂の広がる部屋にこだましていた。
私はただ語る言葉もなく、窓の外を見やった。
葵が雨に打たれたようにうつむいて、立ち尽くしてしまったから。
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