四章 永遠の想い①
誠の実家は新興の商社をしていて、代々綿織物の問屋をしていた私の家も何かと取引があった。
両家でのパーティーやお茶会などはよくあることで、両家の子供達もその場に引き出されることもしばしばだった。
そんな仕事の場など私にとっては面白くもなく、半ば辟易しながらも、家の為だと割り切って出席していた。
もちろん顔には完璧な営業スマイルを張り付かせていたが…。
だがそんな場であるにも関わらず、つまらなそうに空を見ながらお茶を飲んでいる青年がいた。
それが誠だった。
両親が誠に私を紹介しても、誠はどうでもよいとばかりに席を立って外に行ってしまった。
私の両親はそんな誠の態度に腹を立てていたが、私は誰にも媚を売らない彼の人柄をむしろ好ましく思った。
数日後、あるお茶会の席で、お家自慢に花を咲かせている大人たちの話が耐えられなくなっていた。
やれウチでは車を買っただの、
やれお宅の株価は最近上昇傾向だから羨ましいだの
やれこの間、有名な画家が絵を描いてくれただの……
そんな自慢にはうんざりだった。
さらには私の結婚の話にまでおよび、いくつかの縁談をもちかけられることとなってしまった。
私はその話から逃げるように席を立ち、中庭に出るとほぉっと息をついた。
「つまらなそうだな。」
後方からふいに声をかけられ、私は驚いて振り返った。
そして、その声の主が誠であることに、さらに驚いた。
彼は別世界の人間だと思っていたからだ。
彼の周りだけは時が違く流れているように、他に気にも留めず、自分の好きなように振舞っているように見えた。
だから、そんな彼は私にも興味はないと思ったのだった。
「そうだな……つまらない。」
しばらく間を空けてから、私は誠に答えた。
「でも。それはお互い様だろ?貴方も面白そうには見えないが?」
私が言うと、誠は意外な返事をした。
「いや、面白いよ。金と欲にまみれたおば様方のお喋りを、遠くから見物するのは」
「その『おば様方』には、貴方の母親も含まれているんじゃないか。」
「だから、面白いんじゃないか。」
そういうものなのかと、私が首をかしげると、誠は木に寄りかかったまま空を見つめた。
気がつくと、先ほどまで晴れていた空は厚い雲に覆われ始め、やがて雷鳴が空を響かせた。
「何で、雷は鳴るんだろうな。」
独り言のように誠は言った。
突然の質問に、私はついていくことが出来ず、間の抜けた声で聞き返してしまった。
「は……?雷……?」
「そうだよ。雷光が光るのは電気の所為だって言うのは分かるけど。なんで何も無いところから音が響くのだと思う?」
そう言われればそうだ。
だがそんなこと気にも留めたことの無い私には、持ち合わせる答えなど限られたものしかなかった。
「えーっと……。雷様が太鼓をたたいている…から??」
「ぶっ!!」
私の答えに、誠は噴出し、そして笑った。
体をくの字に曲げ、大声で笑いたいのを押し留めながらクツクツと笑う彼をみて、私は幼稚な自分の発言が恥ずかしくなって怒鳴った。
「し、仕方ないだろ!!そんなこと考えたこともなかったんだから!!」
「それは勿体無い。世の中はこんなに不思議に満ちているのに。」
「いいんだ、私は雷が嫌いだ。」
「ふーん。雷は綺麗なのに。」
「それでも嫌い。」
「でも、雷は植物の成長に欠かせないんだ。諸説はあるけど、俺は雷が大気を震わせ、何らかの化学反応を引き起こすためじゃないかと思うんだ。」
そう言って、自分の理論を展開する誠を見て、私はとても楽しかった。
彼は私の世界にはいなかった新しい存在だった。
彼の世界を垣間見ると、何の色も味気も無かった世界が途端に鮮やかに感じた。
だから、一緒にいることが楽しかったのだ。
※ ※ ※ ※
誠は、実家の家業を手伝う傍ら、独学で実験をしているようであった。
むしろ、家業そっちのけで実験にのめりこむ姿は、周囲の人間からすると奇異に映ったかもしれない。
だが、私はそんな彼が好きだった。
家に縛られた私は、彼のように自由に生きることは出来なかったから。
私は度々彼の家を、そして彼の実験室を訪れるようになった。
そんな日々を経て、私たちは結婚を前提に付き合うこととなった。
両親は新興の彼の家に私が嫁ぐことを快しとはしていなかったが、彼の家の羽振りのよさは同業界でも有名だった。
そのことも後押しをして、私たちの結婚話はとんとん拍子に進んでいった。
だが、正直、そんなことはどうでもよかった。
ただ誠の傍で、彼の存在を、彼の世界を感じることが何よりも幸せだったから。
愛していた。
共に歩んでいくと思っていた。
だけれども、その幸せはある日突然に終わってしまった。
風雲急を告げる電話のベルが、私の屋敷に鳴り響いた。
けたたましく鳴るベルは、普通なら何にも感じないのに、その日ばかりは胸をざわめかせていた。
「え……倒産……した……?」
父の部屋に呼び出された私は、父の言葉をそのまま鸚鵡返しに尋ねた。
誠が実験用に欲しがっていた赤いバラ手に持ったまま。
父が心痛名面持ちで詳細を告げる。
要は、誠の実家が莫大な借金を抱えて倒産してしまったとのことだった。
「もうあの家はおしまいだ。お前にはもっと相応しいところに嫁いでもらいたい。」
父が言った。
「そうね。それが貴女の幸せなのよ」
母が言った。
「嫌!!私は彼と結婚したい!!」
それは、私が始めて言ったわがままだった。
私は逃げるように彼の元に走った。
彼に会って、事情を聞いて、これからのことを二人で考えようと思ったのだ。
財産が無くても、彼と共に居れるなら、それでも良かった。
ただ一言『傍に居て欲しい』と、誠に言ってもらいたくて、私は彼の家まで走った。
だが、彼が私に言ったのは、全く予想もしなかった言葉だった。
「俺、大学に行こうと思うんだ。やっぱり研究がしたい。」
「研究って、お金はどうするの?結婚は?」
「丁度、父の古い知り合いが学資を援助してくれるって言ってるんだ。だから……」
そう言って、誠は言葉を濁した。
私と共に歩く人生よりも、自分がやりたいと思う研究を選んだのだと察した。
「そうか。」
とだけ、私は呟いた。
怖くて聞けなかった。
――私を愛しているかとは。
言うことが出来なかった。
――それでも貴方を愛していると。
それは、私と共に歩む人生よりも、自分のやりたいことを選んだ誠への、精一杯の強がりだった。
一方で、私は彼の才能を、凡人である私が束縛してはいけないとも思った。
家を継ぐよりも研究をしているほうが何倍も幸せなのだと思う。
だから、この出来事は、彼にとっては家から解放される、良いきっかけだったのではないかと、私は思い始めるようになっていた。
彼は、私に新たな自由に生きるということを教えてくれた。
そして、私に愛を教えてくれた。
人を愛し、愛される喜びを教えてくれた。
「解放……してあげるよ。」
彼の家からの帰り道、私は静かに言った。
枠にはまった私という存在から、自由にしてあげる。
私も、自由に生きるから。
それからしばらくの間は、私も意地になっていた。
彼ではない人と、結婚して、子供を産んで、暖かい家庭を築いて、幸せになろうと、そう思った。
だが、そう思えば思うほど誠が忘れられなくて、苦しい日々が続いた。