第3話「"平和"国家 日本」
-2030年7月7日-
-日本国東京都渋谷区-
-渋谷駅ハチ公前[11:00]-
「朝鮮人は半島に帰れ!」
「寄生虫の難民は殺せ!」
「鳩岡政権は総辞職しろ!」
スピーカーを通して大音響でヘイトスピーチが鳴り響く。右翼の街宣車の街宣をうるさく思っていた道交う人々は下を向いて無関心を装ってそれぞれが歩いていく。
「ヘイトスピーチやめろ!」
「外国人参政権歓迎!」
「難民を虐めるな!」
「戦争反対!絶対平和!」
右翼の街宣車に向かって今度は左翼活動家十数人が傘や杖を持って街宣車を取り囲んでいた。
「売国奴め!非国民!」
「なんだと差別主義者!」
「ピース!セイ!ピース!」
すると、左翼活動家が傘で殴りかかったことから左翼右翼交えた乱闘事件が発生してしまった。左翼活動家の1人が平和を叫びながら殴りかかっている光景はなんとも理解しがたいものであった。
「渋谷駅前交番緊急事態発生!監視対象の活動家グループの乱闘が始まった!応援を要請する。」
近くで警戒に当たっていた当直警官が通信を入れ、すぐさま応援に警官数人が駆けつけた。
「こちらは警視庁です!すぐにやめなさい!やめなければ警告射撃を実施します!」
「止まれ!撃つぞ!」
小銃を装備した警官数人が銃を構え警告を行う。活動家たちは沈静化、警官たちは被疑者の確保を開始した。
2015年、日本の当時の戸部政権下で安全保障関連法案が衆参を通過、成立された。この法案に対して特定アジアを除く国際社会は歓迎、米国政府は歓迎の意を表明した。
一方の国内では「戦争になるぞ!」と日本共産党によるネガティブキャンペーンが貼られ、それ以降複数の反政府組織が結成、議員会館爆破や国会への火炎瓶投げ入れ、自衛隊駐屯地への簡易迫撃砲による砲撃でテロ活動が頻発していた。
テロやデモ隊の暴徒化が原因で治安の悪化と支持率低下で2019年に戸部内閣は総辞職。そのころ有権者の人々の支持は新しく結党された日本労働者党や平和を訴える日本共産党に集まっていた。
総辞職後の衆参合同の選挙の結果、日本労働者党が全議席の3分の2を占め勝利し、それに基づいて日本労働者党党首の鳩岡一郎衆議院議員が内閣総理大臣に就任、2020年鳩岡内閣が成立した。
鳩岡政権ではまず防衛費の削減を実施、自衛隊の総兵力を25万から22万へ、戦車保有数を600から200へ削減させた。次に外国人選挙権法案を成立、外国人も身分証明書があれば政治活動ができるようになった。続いて悪法だとして秘密保護法及び集団的自衛権の破棄を発表。
「国外の争いごとには一切関与しない。」と持論の日本モンロー主義を掲げた。これは国内の多数の人々に支持され「さすが平和国家日本!」といった声が国民から多く挙がった。
そして2030年の今日、2024年に勃発した第二次朝鮮戦争による半島からの難民総数100万近い人数を受け入れた日本は荒れていた。
それによる影響は凄まじいもので難民による犯罪件数は10年前の2020年度犯罪件数に比べ10倍に増加、テロ事件による被害者も増加の一途をたどっている。警察庁は現有装備では歯が立たないとして警官に小銃を装備させ、防弾防刃ベストなどの装備を常時装備することなったが、事件の急増により人員不足が慢性化、それに比例してどんどん治安が悪化していく一方であった。
経済もただどころではなかった。韓国と取引をしていた企業の債権や株が焦げ付き大不況が訪れリストラが多発、大量の失業者が世に溢れた。そこに安い労働力になりえる難民の労働者を企業がコストのかかる日本人の代わりに雇用し就職難に拍車をかけた。
選挙権を与えられたことで外国人は積極的に政治の舞台に立つようになり2年前の衆院選では20名近くの外国人系議員が擁立された。
人々は経済の混乱でより政治に不信感を抱くようになりさらに投票に行く人が減っていく傾向にあった・・・。政治に背を向ける結果がおぞましいことになるとも知らずに。
-2030年7月7日-
-アメリカ合衆国ワシントン特別区-
-ホワイトハウス[現地時刻19:00]-
年季の入った白髪にどこか凛々しい風貌を持つ男が1人、星条旗を背に椅子へ腰かけていた。
『ほとんどの戦力の移動が完了できたな・・・』
卓上に載せられた何枚かの資料に目を通してアメリカ合衆国第46代大統領ドナルド・スペードはそう感じた。
その資料題名は「旧在日米軍戦力の国外移転完了についての報告」。
内容は「日米安全保障条約の日本側からの破棄要請に従い条約は失効。旧在日米軍は2030年までに全戦力の日本国外への移転も目標に活動。7月5日、最後の陸軍第78通信大隊のアリゾナ移転を持って目標は完遂されたものとする。
陸軍大将トーマス・ホーキンス」
であった。
数年前日本の鳩岡首相は日米安保条約破棄の際に「我が国は平和主義を掲げる国です。平和をこよなく愛するゆえ戦争国家である貴方方とは一緒にいられない。」と一方的に言ってきたのを思い出し、無性に腹が立った。
『日本め、お前らを守るためにどれだけの米国民の血が流れたと思っている?どんだけ外交による不手際をフォローしてきたと思っている?』
腸が煮えきる彼の心情もわからなくもない。
実際にあった出来事で2004年4月24日にペルシャ湾でテロリストグループに日本のタンカーが襲われる事件があり自衛隊の護衛艦が近くで航行していたが法律の問題で動けず、代わりにタンカーを守るために米海軍艇がテロリストと交戦し、米海軍兵と沿岸警備隊員の計3名が犠牲となりつつもタンカーを守った。
『…日本人は国を血ではなく金で守ろうとするのはとんだ馬鹿な考えだ。日本は韓国が侵略されていても助けなかった。』
第二次朝鮮戦争時、韓国政府の要請により日本政府は自衛隊の派遣、米国は海軍による爆撃支援をしようとした。
しかし、日本の国会では野党の牛歩戦術(鈍いペースで歩き審議を遅らせようとする姑息な投票戦術)やバリケードを作るなどの実力行使により審議がもたつき代わりに韓国政府に支援金だけを出すことにせざるを得なかった。
米国は原子力空母「ロナルド・レーガン」を中心とした艦隊を黄海上に派遣したところ、艦隊所属の駆逐艦「ステザム」が突然謎の爆沈、そこで足止めされ危険を感じた米国は自国民の救出を終えてすぐ艦隊を撤退させた。
過去の出来事を振り返り大統領である彼はそっと眼を閉じ、
『これまでの経過をみて米国は今後付き合っていくべきパートナーを変える時期が来たようだ・・・。』
スペード大統領はそう考え手元にあった受話器を手に取り、あるところにダイヤルをかけた。
「………大統領のドナルドだ。すぐに中華連邦大使を呼び出せ。例の件だと伝えろ」