第五章
第五章
その日、最後に風呂を終えた外道がリビングに戻ると、とことことルーンが近づいてきた。無表情なのは相変わらずだが、いつもより少し慌てているように見える。
「ソトミチ、ソトミチ」
「んっ? どした、ルーン?」
「アマカがおかしくなった」
「はっ?」
ルーンの言葉の意味が分からず、天夏へと視線を向ける外道。そこには……
「御面アマカー参上!」
と叫んで、ちびっ子とイケメン好きの主婦に大人気のテレビ番組『御面カイザー』(のブルーレイ)を見ながら、ポーズを決める天夏がいた。ちなみにその格好は、学校指定のジャージ、マント代わりの風呂敷、腰に、対象年齢五歳くらいのおもちゃのベルト(今年の誕生日に父親からプレゼントされたらしい)を巻いて、顔に縁日の屋台で買った昆虫の御面を着けている、というものだった(余談だが、変身時の天夏は、完全に御面アマカーになりきっているので、お得意の天夏神拳ではなく、特殊なヒーロー技を使う)。
若干、頭痛を覚えた外道が、眉間の辺りを指で押さえる。
「あー、何と言うか……大丈夫だ、ルーン。放っておきなさい」
「でも、アマカ、ちょっと変」
「ああ、あのブルーレイを見ると、天夏は少し変になるんだ。しばらくすれば元に戻るから、放っておけ」
「ん、分かった」
一応納得してくれたらしく、ルーンはコクリと頷いた。
喉が渇いたので、冷蔵庫から麦茶を取り出そうとした外道だったが、自分のスマホから着信音が響いていることに気づき、慌てて手に取る。かけてきたのは音奈だった。
「こんな時間に何の用だ、音奈?」
スマホから切羽詰った声が響く。
『助けて! げどうっち!』
「断る」
しかし、外道はあっさりとスマホを切って、何事もなかったように麦茶をコップに注いだ。
再び、外道のスマホが着信を知らせる。外道は小さく舌打ちして、再び出た。
『げどうっち、助け「断る」』
しかし、またも一蹴。注いだ麦茶を一気に飲み干す外道。
そして、三度スマホから着信音が響いた。
外道はうんざりといった表情を浮かべながら、とりあえず出る。
「ことわ『げどうっち、今から私とエッチしない?』する!」
外道は、今度は断らなかった。少し鼻息を荒くして、興奮しながら口を開く。
「で、場所は?」
『カジノエリアにある幸運の女神像噴水。急いできて。もう私、我慢できない』
そこで、通話は切れた。
外道は慌てて勝負下着に着替え、財布に○ンドームをセットし、玄関へと向かう。
「ソトミチ、出かけるの?」
玄関に向かう外道に気づいたルーンが、とことことやってきて尋ねた。
「あ、ああ。ちょっとな」
「一緒に行きたい」
「あー……、今回はダメだ。いい子でお留守番しててくれ」
「……ん」
いつも通りの無表情でルーンが答える。
しかし、その顔は少し落ち込んでいるように見えた。
若干、罪悪感を覚えた外道が、小さく息を吐いて、ルーンの頭にポンと手を乗せる。
「ゴメンな。すぐ……じゃないかもしれんが、できるだけ早く戻ってくるよ。お土産買ってくるからさ」
「……ん、分かった」
そして、少しションボリ気味のルーンを残し、外道はマンションを出た。
二〇分後、カジノエリアにある幸運の女神像噴水に到着。天夏の母が所有するバイクを(無断で)借りただけあって、思ったより早く着いた。
バイクを降りた外道は、とりあえず音奈を探す……必要はなかった。噴水から少し離れたところで、音奈が、見るからにガラの悪そうな男三人に囲まれているのを発見する。周囲の人々は、皆、遠巻きに見ているだけで助けようとはしない。
どう見てもトラブルくさい。一瞬、このまま帰るという選択肢がチラリと頭を過ぎった外道だったが、残念ながら少し遅かった。
「あっ、げどうっち! おーい、こっちこっち!」
外道を発見した音奈が、周りの人間全てに聞こえるような大声で叫ぶ。
呼ばれた外道は、内心で頭を抱えた。男達の視線が、音奈から外道へと移る。
「兄ちゃんかい、この女の彼氏ってのは?」
リーダーらしきスキンヘッドの男が、値踏みするように外道を見ながら尋ねた。
「いいえ、違います」
しかし、そんな視線を無視して、さっさと帰ろうとする外道。そんな外道に、音奈が待ったをかける。
「ちょっとちょっと、可愛い彼女を見捨ててどこ行くの、ダーリン♡」
「誰がダーリンだ!」
外道が思わず叫んだ。
この状況を把握しきれず困惑気味のスキンヘッドが、一つ咳払いして口を開く。
「彼氏かどうかはともかく、この女の知り合いなんだな?」
「いいえ、知りません。会ったこともありません。それじゃ僕はこれで」
そう言って、再びバイクに乗ろうとした外道を止めたのは、やはり音奈だった。
その手を振り払おうとした外道だったが、半泣き状態の音奈の顔を見て、バイクから降りる。
「こいつ、何やったんですか?」
本当に仕方なくといった感じで外道は尋ねた。
「この女、ポーカーの負け分払わずに逃げやがったんだ。そんで、金がないなら体で払えって言ってたのさ」
「はあ、それは……。ちょっと待っててください。この女と話つけてきますから」
そう一言断り、外道は音奈を連れて男達から離れた。
(「音奈、いくら負けたんだ?」
「てへ♡ 二〇万ちょっと♪」
「テメー、大して金持ってねーくせに、そんなに負けてんじゃねえよ!」
「だってえ、カモだと思ったんだもん」
「お前がカモられてちゃしょうがねーだろ」
「ゴメン。でも、お願い。助けて、げどうっち♡」
「断る」
「ええっ! 美女のお願いだよ? 普通は即答だよ?」
「だから、即答で断っただろうが」
「そうじゃなくて、普通はすぐ引き受けるよ? フラグポイントだよ?」
「俺はお前のフラグなどいらん。俺が興味あるのはお前の体だけだ」
「うあっ、最低」
「お前にだけは言われたくない」)
しばらく言い合っていた外道だったが、結局どうにかしなければ帰れそうもないわけで。
そして結局、やれやれとため息を吐いて男達の元に戻った。
「事情は分かりました。あなた達のお怒りもごもっとも。なので、払えない分は、この女が体で払います」
「ええっ!」
外道の言葉に、音奈は驚愕の、男達は好色の表情を浮かべる。
「ですが、お兄さん方、ちょっといいですか」
そう言って外道は、若干前屈みになった男達を引き連れ、音奈から離れる。
「なんでえ、兄ちゃん。俺たちゃ、さっさとあの女連れて、しっぽりいきてえんだがな。ウヒヒッ」
「それは全然構いませんが、あの女、病気持ちですよ」
「何!」
先ほどまで浮かれていた男達の顔が、露骨に引きつる。
「僕も負け分を体で払わせたことがあるんですが、どうもそれからアソコが痒くて仕方ないんですよ」
「…………」
「あまりにも痒いんで、近々病院に行こうと思ってたんですよね」
「…………」
「ああでも、もちろんあなた達が、あの女と何をしようが、僕には何の関係もありませんから。どうぞ、楽しんでください。ただ僕は、同じ男として忠告しておこうと思っただけなんで」
「…………」
完全にドン引きしている男達を見ながら、外道はニッコリと笑って最後に一言。
「で、どうします?」
男達は、無言のまま去っていった。
「まったく。誰が病気持ちよ。失礼しちゃう」
バイクで送る道すがら、音奈は頬を膨らませて外道に抗議した。
「しょうがねーだろ。それとも、あのまま見捨ててほしかったのか?」
「うっ! それは嫌だけど……」
音奈は、決まりの悪そうな顔になった。
「でも、もうちょっとカッコよく助けてくれても良かったのに。あれじゃ好感度ダウンだぞ」
「俺は、お前の好感度なんぞいらん。第一、負け分払わずに逃げたら、怒るのも当然だろ?」
「ううっ……」
完璧な正論に、堪らず黙り込む音奈。
そうこうしているうちに、音奈の住んでいるマンションへと到着した。
音奈の住むマンションは、三階建ての新築ワンルームマンション。
モダンな造りが特長の、独身女性専門のマンションである。
「良いとこ住んでんだな」
「まあ、カジノ特区だからねえ。どこもおしゃれで、それなりのお値段すんのよ」
「そりゃそうか」
「ちょっとお茶でもしてく? さっきのお礼に」
「おっ、そうか? じゃ、遠慮なく……」
と、そこで靴を脱ごうとした外道の動きが止まった。外道の脳裏に、出かける間際に見たルーンの顔が蘇る。
「やっぱ、今日はやめとくわ」
「えっ! マジ?」
音奈の顔が驚愕に染まった。
「どうしちゃったの、げどうっち? 何か悪い物でも食べたの?」
「どういう意味だ、それは?」
「だって、頭に性欲しか詰まってないげどうっちが、こんな美女の誘いを断るなんて。明日は槍が降るかも」
「……いい度胸だ。もう二度と助けんからな」
「ゴメン。うそうそ。今日は助かったよ、げどうっち♪」
慌てて笑顔を浮かべ、手を振る音奈。
「黙っていれば美人なのに」と、外道は思った。
ヘルメットを被り直し、バイクを出そうとした外道だったが、急に思いついたように音奈に尋ねる。
「なあ、この辺にコンビニあるか?」
自分のマンションに着いた時には、すでに午前一時を過ぎていた。
静まり返った真っ暗なリビングの明かりを点けると、ルーンが眠そうに目を擦りながら、ソファーの上にポツンと座っている。
「ルーン! まだ起きてたのか?」
外道の声を聞いたルーンが、眠そうな顔をしながら、外道の元に寄ってきた。
「ソトミチ待ってた」
「そうか。天夏は?」
「さっきまで必殺技の練習してたけど、疲れて先に寝た」
「そっか。お前も先に寝ててよかったんだぞ」
ルーンが首をフルフルと振った。
「私、ソトミチのペットだから、ちゃんと帰ってくるの待つ」
その言葉に、外道が顔を綻ばせる。
「ありがとな。そうだ! これ、お土産」
「あっ、ベビーカステラ♪」
ルーンの眠気が一気に吹き飛ぶ。
「食べていい?」
「ああ、もちろん」
そして深夜、二人だけの小さなお茶会が始まった。
次の日、珍しく時間に余裕を持って登校した外道が、先に来ていた新号三兄弟と挨拶を交わす。しかし、どうも青之進の様子がおかしい。
「よう、青之進」
「ツーン」
といった具合である。外道の挨拶を、青之進が顔を背けて無視。
そんな反応は初めてだった外道は、不審に思い、さらに声をかけた。
「おい。どうしたんだ、青之進?」
「……ふん。自分の胸に聞いてみるといいよ」
またも不機嫌そうに顔を背ける青之進。どうやら、かなりご立腹のようだ。
「何だよ。何かあるならはっきり言え」
外道の言葉に、青之進はくわっと目を見開いた。
「分かったよ。じゃあ、場所を変えよう」
連れてこられたのは屋上だった。ホームルーム直前のため、他に人はいない。
「で、どうしたんだ、青之進?」
尋ねる外道に、青之進は顔を真っ赤にして言った。
「外道君、ぼ、僕はね、すごく怒ってるんだよ」
「そんなの見りゃ分かるって。理由を言え、理由を」
「こ、これを見るんだ」
怒りに燃える青之進が取り出したのは、一台のスマホだった。画面に映っていたのは……
「こ、これは……」
そこに映っていたのは、音奈を後ろに乗せて、自分もバイクに跨る外道の姿だった。
「お、お前、どこでこれを……」
「き、昨日、偶然見たんだよ」
青之進が唾を飛ばしながら続ける。
「さ、最低だよ、外道君。天夏タンという恋人がいながら、前は白髪の美少女をホテルに連れ込み、今回はあんなに綺麗ばお姉様だなんて」
「待て。俺は別に、天夏と付き合ってるわけじゃないぞ。それ以前に、何故お前が白い髪の女のことを知ってるんだ?」
「フフフッ。忘れたのかい? あそこは『シンゴー』キングダムホテルだよ」
「なるほど。俺達のことを天夏にチクッたのはお前か」
「その通り。愛する天夏タンのためなら、僕は協力を惜しまない」
天夏に喰らったホテルでのお仕置きを思い出し、外道の心にムクムクと怒りが湧き起こってきたが、今は何とかそれを押し殺した。
「ムフフ。今回のことも、天夏タンに報告させてもらうよ」
「これでまた好感度アップだ」などと、一人で呟きながら不気味に笑う青之進。
それを聞いた外道の顔から、サッと血の気が引いた。
「ま、待て。そんなことをしたら俺が殺される」
「フフフ。リア充なんて絶滅しちゃえばいいのさ」
その意見には外道も同意だったが、無実の罪で殺されては堪らない。
外道は思考を巡らせた。頭の中で何かの種が弾けるほどに思考を巡らせた。
そして外道は、突然、青之進の肩に腕を回す。
青之進はビクッと飛び上がって、震える声で言った。
「ス、スマホを取り上げても無駄だよ。パソコンにもデータが入ってるんだ」
外道は内心で「チッ!」と舌打ちしながらも、笑顔で返した。
「落ち着け、青之進。そんなことしないさ。ここは一つ、取引しよう」
「と、取引?」
「そうだ。もし、そのデータを全て消去してくれたら……」
「くれたら?」
「天夏のパンツをやる」
というわけで、その日の午後八時過ぎ、外道は、難易度SSSのミッション『天夏のパンツをゲットせよ』に挑戦していた。
現在地は、外道の部屋のバスルーム。そして天夏嬢は、現在入浴中である。
外道の喉がカラカラに渇く。見つかれば死刑は確実。故に、失敗は許されない。
脱衣所の籠には、天夏の着替えのパンツ。そして、洗濯機には天夏の着用済みパンツが入っていた。
外道の心の泉から、一人の妖精(友情出演の内道)が現れ、外道に問いかける。
(「汝の求める物は、この着用前パンツか? それとも、この天夏の匂いの染み込んだ着用済みパンツか?」)
内道が、普段からは想像もできないほど厳かな態度で尋ねた。
外道は迷った。猛烈に迷った。仮に他の美少女の下着をゲットするとして、着用前か着用済みかと聞かれたら、迷わず着用済みだろう。ただしそれは、自分が使用、もしくは所持する場合である。少なくとも他人に渡す場合ではない。
外道は迷った。着用前のイチゴパンツか、それとも着用済みのくまさんパンツか。
きっとこれを手に入れた瞬間に、青之進は匂いを嗅いだり、舐めてみたり、頭に被ったりすることだろう。そして大事に額縁にでもしまって、自分の部屋に飾っておくに違いない。
これが全く知らない不細工な女の下着ならともかく、さすがに天夏の物は……
それから約一〇分ほど行われた激しい脳内闘争の結果、外道は心の中で妖精(内道)に答えた。
(「どちらでもありません」)
そして翌日の放課後、待ちきれないとばかりに興奮する青之進を屋上に連れ出し、外道は一つの紙袋を差し出した。
「約束のブツだ」
青之進の顔が歓喜に包まれる。
「こ、これが夢にまで見た天夏タンのパンツ」
緊張した面持ちで、紙袋に手を伸ばす青之進。
しかし、その指が紙袋にかかる直前、外道がサッと紙袋を引いた。
「待て。まずはデータの消去が先だ」
言われた青之進は、急いでスマホのデータを削除する。
「お、終わったよ」
「パソコンの方は?」
「そっちは嘘。ああ言わないと、外道君がスマホ取り上げると思って」
「そうか。もし今の話が嘘だったら、このパンツは、お前が天夏から盗んだことにするぞ。天夏に嫌われるのは嫌だよな?」
青之進がコクコク頷く。
「よろしい。では、取引成立だ」
外道がようやく青之進に紙袋を手渡した。
青之進が、恍惚の表情を浮かべながら紙袋を開封する。
「おおっ! これが……」
そこから現れたのは、一枚のトランクスだった。
青之進は、一瞬だけ驚きの表情を浮かべるが、すぐに恍惚とした表情に戻る。
「あ、天夏タンが、男物のトランクスを。こ、これを天夏タンが……」
そんなことをブツブツと呟きながら、遠い世界へと旅立つ青之進。
そんな青之進を残して、外道は屋上を去った。
手の中にあった、『トランクス 780円』と書かれたコンビニのレシートを握り潰して。