『境真人と鈴原桃花』
「…………はぁあああ」
さすがに何かあってからの職員室は息が詰まりそうだった。誰が見てるか分からないというのに緊張が緩んだことで、溜まっていた息を一気に吐く。
「おいおい、誰かに見られたらどうするんだ」
一瞬ドキっと心臓が跳ねるが、すぐに聞き慣れた声に安堵した。
「さすがに疲れたよ」
「ふ、珍しい」
相変わらずきざっぽく立ち振る舞う真人だった。
「そういえば、礼言ってなかったな。ありがとうな」
「ふ、職員室の前でいうようなことではないが、ここは素直に聞き入れておこうか」
「デンには休み明けにでも言っておくよ」
「奴には言わなくてもいいと思うが、好きにしたらいい。そんなことよりもだ。昨日の件を詳しくデンよりも早く聞いておこうと思い、あせ参じたんだが」
そんなことだろうとは思ったが、昨日件を人に言うつもりはなかった。口止めされていたわけではないが、あの世界観は人に言う気にはなれない。だいたいあんな話をされたって信じてもらえないだろうが、真人とそれにデンは信じてしまう恐れがある。ソッチの方が問題は多い。
「ああ、まぁその内話せる時がきたらな」
真人は手を顎に持っていく。
「うむ。それはそれで構わない」
デンと違ってこの辺は聞き入れてくれるのが早い。
「だが、一番先は私にしてくれよ」
……というより順番の方が重要らしい。
「はいはい」
話すときは同時に話すしかないだろうな。
「そういえば、デンって風邪かなにか?」
「知るわけないだろう」
訊く相手を間違えた。
「まぁいいや。俺はこれから行くとこあるから帰るわ」
「ん、これまた珍しい。いつも直帰なのにどこに寄るんだね。いや、まて言うな。イチの事だ、聖也がらみと言ったところだろう」
少なからず間違ってはいない。
「ああ」
これもまた話すわけにはいかない。聖也がらみではあるが、昨日の一件が絡んでくる。結局、昨日見た絶望の風景に呆気に取られ、聖也に『死虫』が憑いているかどうかの確認をできずにいた。
勿論、全ての話を信じ切れるだけ俺は呉羽達の世界のよく知らない。それでも万が一の可能性でもそんな世界があり、聖也に危機が迫っているならば俺はそれを振り払わなければならない。なんとしてでも。
そのためには、呉羽と連絡をとり、聖也の姿を見てもらわなければならなかった。
「ふむ、まぁそれに関しては私も協力を惜しまないが、昨日の一件も少なからずある。あまり無茶はしないように、いいな」
「分かってるよ」
そう言った直後、俺自身でそれを嘘に変えてしまうことになった。
マナーモードにしていたスマートフォンが震えた。
珍しくメールだと思いスマートフォンを操作すると、送り主の名前を見て動きを止める。
『疫病神(呉羽一葉)』
件名と本文は入力されておらず、添付ファイルだけが送り付けられている。一瞬、ウイルスでも送ったのではないかと思ったが、機械音痴である呉羽がそんなことはできないだろうとも思う。アドレス交換の時も全て俺がやり、その際俺の情報は極力残らないように、登録後の名前を消しておいたぐらいだ。
俺はその添付ファイルのダウンロードボタンを押す。
「ん、チェーンメールか何かか?」
真人に返事をしようと、一瞬スマートフォンから目を離し視界の外れに写っていてはいけないものが見える。真人の質問を一度無視し、送られてきた写真に目を戻す。
そこには、どことなく怒っている雰囲気のツインテールの少女と、何かを説明している少年の姿がある。
「ど、どうしたんだ、何が?」
どんな表情をしていたのかは分からない。だが、俺のその変化に真人は覗き込む形でその写真を見た。
「なんだデンシスターと聖也じゃないか」
第三者の言葉でそれは確実なものになった。
「おい、まていきなりどうした!」
走りながら舌打ちをしたのは覚えている。俺は携帯を操作しながら廊下を全力で走り出した。
「誰だっ、職員室前でうるさくしているのはっ!?」
「誰ですか?」
一輝の背中が角を曲がるタイミングで教師の二人が職員室の扉から出てきた。その教師の視界にもちらっとその背中が見えたのだろう。
「また奴か」
「一輝君……? な、何かあったんですか!?」
少し歳がいった男性教師の他、もう一人の教師は真人の担任でもある鈴原桃花だ。真人は今しがた話していた相手を気遣っての慌てブリだと自分たちの担任を疑ったりはしない。
「あはは、何を言ってるんですか鈴原教諭。一輝が慌てるのは聖也がらみの時だけですよ。この堺真人の親友はブラコンですからね。弟が転んだだけでも大騒ぎですよ」
「……はぁ、そうですか。何もないのならいいのですが……」
「そうですか、じゃないですよ鈴原先生っ。またなにか問題を起こしたら、今度は大問題になるますよ! そうなったら、他の生徒の親御さんになんて説明するんですか!? 今度こそ奴を……うっ」
親友の悪口、それも甲斐一輝の特別待遇を良しと思っていない教師の一人となれば真人の目つきは鋭い物に変わる。
品行方正、女子生徒からの人気絶大、加えて有名人の親を持つ生徒、それが堺真人という生徒だった。
担任の鈴原桃花の角度からはその様子は確認できない。それを確認し、真人はその敵である教師にだけ聞こえる声で言った。
「やれるものならやってみろよ」
男性教師の額から汗が流れる。
その雰囲気を悟ったわけではない。ただ、頭にキテいたのは真人だけではなかったというだけだった。
「お言葉ですが、彼は自分の家族の為に行動しているだけに過ぎません。それは他の生徒の親御さんだって理解してくれていると思います。元々、彼の待遇に関して反対意見はいただいておりません。それは彼が普段の行動や、周りからの評価でもあります。それでも納得できないというのであれば、PTAや校長先生にでもご相談し、話し合いの場を設けてもらっても構いません。その場合、私は全力で戦わせていただきます」
思わず真人は涙を流しながら拍手をしそうになった。
「おほん、まぁ、廊下を走ったことに関しては私が明日注意しておきますので、今はこの場に免じて治めてくれませんか?」
気が緩んだ瞬間を感じ取り、両方に損が出ないよう鈴原桃花は下手な咳一つで収束して見せた。
「んん、そうですね。廊下は走らないよう注意しておいてください」
二人に目を合わせることなく、鈴原先生の話に合せ男性教師は職員室の中に戻っていった。
桃花を背に扉が閉められる。
「中々やりますね」
「冗談を言ってないで、あの程度で喧嘩売ってはダメですからね」
「さすがに分かりましたか」
「私を誰だと思っているんですか、あなたたちの担任ですよ」
「御見それしました」
「まったく……、でも先生の言うとおり立て続けに問題が起きると私でも庇えきれなくなりますからね」
「なるほど確かに。では、弱みでも握っておきましょうか」
「桑折君みたいなことを言わないでください」
「ふむ」
担任がデンをどう思っているのか知りつつ、
「極度のブラコンか……」
親友の評価も同時に真人は知る。
「彼女とか良い人ができれば問題が減りますかね?」
「ど、どうでしょうかね。確かに、僕ほどではありませんが、イチもそこそこ陰で女子から人気がありますからね。本気を出せばあるいは」
担任からでるセリフではないとギョッとした真人だったが、冗談か本気か分からず、本気と冗談で返す。
「そ、そうですか」
勝った、と真人は内心で思ったのだが、
「……彼女がいないなら。奈津にもまだチャンスはあるか」
真人も鈴原桃花と霜山奈津の関係は知っている。だから、担任からでた言葉に一瞬固まってしまっている間に、桃花は職員室の中に入って行ってしまった。それが冗談か本気を確かめる事はできなかった。
「……勝てるわけがない」
担任のぶっ飛んだ思考に自分が小さく見えた真人だった。