第八節
「さて、服も買ったし、これから大きな問題の解決をしたい」
「問題ですか?」
「何よ、問題って?」
メイド服に着替えたブランシェと、新しいゴスロリに身を包んだアヴィーラが疑問を口にする。
ちなみに着替え中は手足を縛られてた。
そんなことしなくても俺は紳士的なふるまいをしたんだがな。
着替えを手伝うとか。
「問題ってのは、柚奈に何と言うかだ」
こいつらが来て半日は経つし、隠すのもそろそろ限界だろう。
「柚奈さん! 知ってます、可愛がってくれます!」
ブランシェは嬉しそうに言う。
「誰よそれ? あんたの妹か何か?」
「どちらかというと、お母さんだ」
「はあ?」
「ちなみに本当のお母さんは由紀子という」
「どうでもいいわよ。で、誰なのよ、柚奈って?」
「俺の妹で、俺の世話の八割以上をやってくれている」
「はあ、それは大変ね」
こいつ、シェリムと同じこと言いやがった。
しかも、同じような表情でな。
「で、それが何の問題なのよ?」
「お前らがここに住む以上、柚奈に事情を話すことは避けられない」
柚奈にこいつらのことを隠していただけで分かったが、俺は柚奈から何かを隠すことは不可能だ。
同居してる以上、なかなか隠せるものじゃない。
それに自分の世話もあいつにしてもらっている身として、更に他人の世話を俺一人で出来るわけがない。
「ふうん、でもさ──」
「そうだな、ペットが人間になったならともかく、押しかけ悪魔なんて非現実的な話が信用されるわけがない」
ペットが美少女になる、なんてのはギャルゲでもよくある話だし、まあ、常識的な話だとは思うが、悪魔の美少女が人間界征服のためにやってきて、男の子の家に住み着くなんて非現実的過ぎる設定が信用されるわけがない。
「……ペットはいいんだ」
アヴィーラが不思議そうに俺を見るが、まあ、こいつもこっちに住むなら人間界の常識をもっと勉強したほうがいいな。
「まあ、とにかくだ、アヴィーラ、お前はノワールになり切れ」
「はあ? なんであたしが猫のふりなんかしなきゃならないのよ?」
アヴィーラが少し腹立ち気味にそれを拒否した。
「けど、それだと、柚奈に認めてもらえないぞ?」
「人間に認めてもらう必要なんてないわ。あたしは魔王の娘よ。本来ならあんた達なんて話も出来ない高貴なる身分なのよ?」
アヴィーラはそう言い放って、ふん、と腕を組んだ。
ここを追い出されたら、生活すら出来ないくせにな。
む、そうこう言ってるうちに柚奈の気配がする。
まずったな、説得する時間がなかった。
「柚奈が来たぞ! アヴィーラ、ちゃんとしろよ!」
「だから、しないって言ってるでしょうがっ!」
アヴィーラはあくまで説得には応じない。
しょうがないか。
このままなんとか押し通すしかない。
「ただいま、お兄ちゃん」
玄関が開く音と共に、柚奈の挨拶が聞こえる。
「よし、行くぞ」
「はいっ!」
「……しょうがないわねえ」
俺は二人を引き連れ、階段を降りる。
玄関に行くと、柚奈が相変わらずにこにこした表情で俺を見る。
「あ、お兄ちゃん、まだ制服のままなんだね。ごめんね? お着替えしないで出かけちゃったね?」
「ああ、うん、それもそうなんだけどさ……おい」
俺は後ろにいる、二人に並ぶように促す。
柚奈はにこにこしたままで二人を見る。
「お兄ちゃん、バンザーイ!」
「え? お、おう」
にこにこしたまま、柚奈が言うので、俺は条件反射で万歳をすると、柚奈は俺のシャツを脱がす。
そのままいつもの流れで、ズボンも脱がされる。
俺は玄関先でパンツ一丁になった。
いや、普通、素性が分からなくても、兄の女の子の友達の前で裸にするものなのか?
「──で、見かけないけど、この子達は、誰?」
「いや、こいつら──」
半裸の俺は考えていた言いわけを言おうとして柚奈に向かい、そして、何も言えなくなった。
柚奈が、笑っていなかった。
俺がどんなわがままを言っても笑っていた柚奈が、笑っていなかった。
それがどういう事態か、考えるまでもない。
「こここ、こいつらは、ブランシェとノワールが人間になって──」
ドゴォッ!
柚奈の裏拳が、玄関のドアを吹き飛ばす。
「ペットが人間になるわけないよね?」
柚奈は、再びにこにこと笑い出す。
だが、その目は笑っていなかった。
「そんな嘘つくならしょうがないなあ、お兄ちゃんには女の子になってもらおうかなあ」
「ひぃっ!」
俺はその場で腰を抜かす。
半裸で足をがくがく震わせている俺は、傍から見れば滑稽だったことだろう。
だが、俺はそれどころじゃなかった。
女の子になる、これはつまり、俺の男の象徴たる男の根の部分を引っこ抜く、という意味だ。
俺は普通の男よりほんの少しだけ性欲が強いようで、そこに一番近くにいる同世代の柚奈は妹とはいえ、本来ならその性欲の対象になる。
だが、柚奈にそれをすると必ずこう言われたので、俺は柚奈に一切セクハラ行為はしなくなった。
考える事すらトラウマになって出来なくなった。
だって、一度抜かれかけた事あるしな!
思い出しただけで震えが止まらない。
だから、柚奈がこう言った時点で、俺は何一つ逆らえなくなる。
「嘘じゃないです! 本当になったんですっ! な、な? ブランシェにノワール?」
「はいっ! 私、ブランシェです! 柚奈さんにも可愛がってもらってます!」
「にゃー、ノワールだにゃー。ごろごろ」
アヴィーラも柚奈に脅威を感じたのか、ノワールになりきろうとしていた。
「そんな話、信じられると思う? お兄ちゃんから抜いた男の子をあなたたちにつけちゃおうかな? ちょうど針と糸持ってきてるんだ」
「ひっ、ひぃっ! 貴大っ!」
アヴィーラががたがた震えながら、俺の背後に隠れる。
だがその俺はパンツ一丁で腰を抜かしていた。
「本当です、柚奈さん! 私は柚奈さんに可愛がってもらってました!」
だが、ブランシェは一歩も引かず、柚奈に言う。
しかも嬉しそうに。
「柚奈さんは貴大さんがいないときにお部屋に来て、私を可愛がってくれましたっ! 一緒に女の人が載った本を探したり、パンツの枚数を数えたり──」
「ぎゃぁぁぁぁっ!」
柚奈は叫びと共に、ブランシェの口を塞ぐ。
「…………」
そして、無言で俺の方をちらちら見ながらブランシェと見つめ合う。
「……ブランシェ?」
「はいっ!」
ブランシェは尻尾を振って吠えるような元気で嬉しそうな声で返事をする。
柚奈は、ブランシェを離し、俺のところに戻ってくる。
「不思議なこともあるね? 本物、だったね?」
柚奈は、死んだような目でそう言いながら、にこにこ笑う。
「あ、ああ、そうなんだけどさ。人間になったからといって放り出すわけには行かないだろ? だからさ、飼おうと思うんだけどさ……」
俺は窺うように柚奈の表情を見る。
柚奈から殺気が消えたのは分かる。
だが、震えは止まらない。
俺の後ろのアヴィーラも震えているのが密着している身体から伝わっている。
「そっか、それは仕方がないね。ペットの美少女化はお兄ちゃんの夢だったからね」
柚奈はにっこりと笑う。
それは多分いつもと同じ笑みのはずだが、それでも俺は何故か恐怖を感じていた。
「それでさ、その……こいつらの餌も俺と同じ人間に物を食べさせたいと思ってさ」
「そうだね、犬猫の食事だったら可哀想だね」
「ご主人さま! 私はドッグフード大好きです!」
「そっかあ、でも、人間になったら味覚も変わってるかもしれないから、私のお料理も食べてみて?」
「柚奈さんの料理! 食べたいです!」
「ブランシェは本当に可愛いねえ」
柚奈がブランシェの頭を撫でると、ブランシェは気持ちよさそうに目を細くした。
「ノワールもご飯食べるよね?」
「にゃ、にゃあ。食べるにゃあ……」
アヴィーラはがたがた震えながら、ノワールのふりをして言う。
「ノワールも変わらないねえ」
柚奈はにこにこと笑いながらそんなことを言う。
ブランシェは柚奈にもなついていて、だから、ノワールから見れば天敵の仲間であり、柚奈が来ると、いつも俺の背に隠れていた。
それがちょうど、俺の後ろでがたがた震えて隠れている今のアヴィーラのようだったので、柚奈はうまく騙されてくれたようだ。
「あ、お兄ちゃん、寒いね? 着替え持ってくるから着替えようね?」
そういれば俺は、パンツ一丁で動けない状態のままだった。
柚奈が奥に行くと、アヴィーラがホッとしたように力を抜く。
「な、なんなのよあれ……」
まだ、アヴィーラの震えは止まってない。
まあ、俺の震えもまだちょっと残ってるかもしれないから、どっちの震えか分からないけどな。
「俺の、妹だ」
「あんな殺気、悪魔でもなかなか出せないわよ! なによあの子! 悪魔?」
「いや、だから、俺の妹だ」
「ただの人間? ただの人間にあんな殺気出せるの?」
アヴィーラの感じている恐怖は、おそらく本物だ。
ってことは、柚奈のあの殺気は悪魔並みなんだろう、実際。
怖いよ俺の妹!
まあ、普段は優しいし、俺のわがままも大抵は聞いてくれるんだけどさ!
「な、何とかしなさいよ!」
「いや、怒らせなきゃ優しいし、俺、あいつの世話がなきゃ、三日くらいしか生きられないしな」
「……まずあんた自身を何とかしなさいよ!」
「そう言われてもな」
俺がどれだけ世話になっているかを語ろうとしたら、柚奈が服を持って戻ってきた。
「お兄ちゃん、じゃ、目を閉じて~」
「おう」
俺はいつものように目を閉じると、柚奈はTシャツを俺の頭にかぶせた。
それを腐った魚を見るような目でアヴィーラは眺めていた。
「うーん、でもお料理の材料が二人分しかないから、有り合わせになるけど、それでいい?」
「まあ、いいんじゃないか? どうせ俺とペットの飯だし」
「冗談じゃないわよ! あたしは魔王のむぐぅっ!」
アヴィーラが抗議しようとするので、慌てて口を塞ぐ。
「? ノワール、どうしたの?」
「いや、こいつは猫の時からグルメだったからうるさいんだよ」
「そうなんだ……でも、ごめんね? 今から買いに行く時間もないから、今日は一人分のおかずを三人分に分けて、あと雑炊でいいかな?」
にこにこと笑顔の柚奈がアヴィーラに聞く。
アヴィーラはさっきの恐怖を思い出したのか、こくこくと慌てて首を縦に振る。
「じゃ、作ってくるね?」
柚奈は笑顔のまま、台所へと歩いていった。
「あ、こら、ブランシェ?」
「み、見てていいですか? ご飯作るの! ご飯!」
「もう、しょうがないなあ」
台所からそんな楽しげな声が聞こえてきた。
そう言えばいつのまにかブランシェがいなかった。
「……あいつ(ブランシェ)の人生って、楽しそうだなあ……」
俺がつぶやくように言った言葉に、アヴィーラは答えなかった。
「ご飯! ご飯! ご飯!」
「ブランシェ落ち着け、そして待て!」
雑炊を前に、嬉しそうに吠えるブランシェを制して、俺は隣に座る。
目の前には柚奈が鍋から取り分けた雑炊と、あと簡単なおかずがほんの少し並んでいた。
俺の待てに従って、待ってはいるが、目の前のごちそうに飛びつきたい一心のようだ。
ちなみにブランシェはとりあえず行動を止めさせるための「まて」と、食事を前にした時の「おあずけ」はほとんど同じ意味だと思っている気がする。
「じゃ、食うか」
「はいっ! 早く『よし』を!」
ブランシェは待ち遠しそうに俺を見る。
やっぱり教育してきた言葉は絶対で、俺が「よし」と言わないと食べない様子だ。
「よし、いっぱい食べろ」
「はいっ!」
俺が言うと、ブランシェは急ぐように茶碗に口を──。
「待て! ちょっと待てっ!」
俺は慌てて止める。
「ご主人さまぁ……」
ブランシェは泣きそうな顔で切なげに抗議する。
「いや、食事を止める気はないんだが、スプーンとか箸を使え。直接食べたら火傷するぞ?」
さすがに顔に火傷させたら、シェリムも怒ると思う。
「む、そう言えばみなさん使ってますね」
改めて俺やアヴィーラを見て、匙を使って雑炊を掬っているのに気づいたようだ。
さっきまでは飯しか見てなかったってことか。
ブランシェは俺や柚奈やアヴィーラを見ながら上手に匙を使って食べ始めた。
その表情が本当に美味しそうだったので、俺も嬉しかった。
「さて、では、俺はゲームをする」
食事も終わり、柚奈が食器を洗いにキッチンへ行った後、俺は二人にそう告げた。