第十二節
「そういえば、私の髪がごわごわするのですが、何があったのですか?」
食卓を囲んでいる時、シェリムがそんなことを聞いてきた。
柚奈は既に料理の支度を終え、自分は手早く食べて出かける準備をしている。
あいつには本当にメイド料支払わなきゃ駄目だな。
で、シェリムの質問には思い当たることがない。
「特に何もなかったはずだぞ? ブランシェを風呂に入れようとしたらアヴィーラに止められたし」
「そうですか……」
シェリムは俺がブランシェを風呂に入れていないことにほっとしつつも、原因不明の髪のごわごわに首を傾げていた。
確かにシェリムの髪は、寝癖にしては少し乱れすぎていて、何か整髪剤を塗って放置したような髪になっていた。
「そう言えば、私はお風呂で髪を洗っている途中で無理やり引きずり出されてそのままでした! 半日シャンプー付いたままって事ですか! ひどい! 傷んだらどうするんですかっ!」
「いや、それは自業自得──」
「誰が! 私を! 無理やり! 引きずり出しんたんですかっ!」
「俺だけど?」
「あっさり!? とにかく! 髪を洗って来ます!」
まだ食事もあまりしていないのに、シェリムは席を立ち、駆け出して行った。
「まったく、何なんだあいつ」
まあ、食事中に急いで行ったってのは、俺に覗かれないようにするためだろうな。
「おいしいおいしい」
本当においしそうに朝食を口にしているノワール。
む、シェリムがいない今、ノワールといちゃいちゃするチャンスじゃないか?
あいつの言う一線がどこまでかは分からないが、とにかく、興奮してる最中に引き離されるのも興ざめだ。
やるなら今しかない。
だが、待てよ?
今シェリムは風呂に入っている。髪を洗う程度で出てくるからその時間はそう長くはないだろう。
だが、その間、あいつは全裸になるだろう。あの長い髪を洗うなら、そこまでしなきゃならないだろう。
おそらく、俺に踏み込まれるのを警戒して、何かを仕掛けているだろう。
だが、それを突破するだけの価値はある。
その先に、楽園があるのなら。
しかし、しかしだ。
シェリムの方へ行けばノワールと一線を越えたいちゃつきが出来ない。
ノワールといちゃつけば、シェリムは上がって来るだろう。
どうする? どうすればいい……?
「貴大、あそぽ?」
食事を終えたノワールがすり寄ってくる。
迷っている暇はない。
俺は、俺の選択をする……!
「よし、風呂に入るぞ!」
「にゃぁ♪」
ノワールは嬉しそうに、俺の後についてくる。
俺は振り返ることなく、浴室へ向かう。
ガラッ!
俺は勢いよく脱衣所のドアを開け、踏み込む。
今風呂に入っているであろうシェリムの姿はそこにはない。
だが、焦って踏み込むのは昨日までの俺だ。
アヴィーラの時にはひどい目に遭った。
今回、シェリムもさすがに警戒しているだろうから、うかつに中に入れない。
だが、ここは脱衣所。
シェリムが服を着るためにはここに入らなければならない。
もちろんここに入る時は全裸でだ。
「にゃあ。ここで何するの? 遊ぶの?」
「風呂に入るんだ、とりあえず服を脱ごう。な?」
「うんっ!」
そして、要警護対象であるノワールが今、俺の目の前で裸になる。
シェリムは出てきて止めなければならない。
当然シェリムは裸だ。
うまくいけば、シェリムとノワール、二人の裸が見れるかも知れない。
この、恐るべき策略の前に、シェリムはなすすべもないだろう。
「これはどう脱ぐの?」
「ああ、それは、こうだ」
ふふふ、どう出る、シェリム?
詰みに詰んだこの状況を抜け出すには、シェリムは裸を晒すしかないだろう。
「あのね、貴大、これ、ブラジャーっていうんでしょ?」
「ああ、そうだ……な……あれ?」
視界が、光に満ちていく。
目の前にいるノワールが見えなくなり、俺の視界は真っ白になる。
あれ? 身体も動かない。
なんだこれ、何が起こってるんだ?
「まったく、来ることくらい分かってましたよ。しばらくそうしててください」
シェリムの声。
くそっ! 出て来たのかよ!
何にも見れないなんて! 動けもしないなんて!
シャンプーの香りと湯気の温かさは感じる、神経は麻痺してはいないようだ。
なんで動けないんだよ!
「……はあ、これでやっと貯めた魔力もまたなくなってしまいますけど、仕方ないですね……ノワールさん、一緒に入りましょう」
「にゃ? うんっ! 一緒に入るっ!」
おそらく既に全裸のノワールの声も聞こえる。
なんだこの生殺しは!
目の前にいて、湯気の温かさまで感じるのに、何も出来ないなんて!
「しばらくそこでおとなしくしててください。ま、何も出来ないとは思いますが」
少し小馬鹿にした口調で言うシェリムに腹が立つ。
シェリムのくせに!
うおぉぉぉぉぉっ!
俺は必死に動こうとするが、全く動かなかった。
もはや負けを認めざるを得ないだろう。
結局俺は、二人が風呂から上がって、完全に服を着替えるまで何も出来なかった。
動いて視界が広がった瞬間、目の前に柚奈がいた。
「こんなところで何してたの?」と言われたが、正直に言うと、何もしていなかった。
「それじゃ、今日は休みだから、ノワールと一日中じゃれ合っていたいが、それだとシェリムを放置することになる。ここが悩みどころだ!」
「なやみどころ!」
「いえ、あの、私のことはほっといてもらっても構わないですが。むしろほっといて欲しいんですが」
シェリムが遠慮がちに言う。
出かける柚奈を見送った後、俺が独り言を言うと、ノワールとシェリムがそう返した。
「女の子を寂しがらせるなんて、紳士として許せない」
「紳士は人のお風呂に侵入して来ないと思いますが。あと、いつまでも私のパンツ持ってないでください」
何も出来なかった俺は、小さな抵抗で、洗濯機の中からシェリムのパンツを持ってきて握りしてめいたのだ。
「それは紳士ゆえに!」
「意味が分かりません!」
「紳士には、誰に批判されても通さなければならない筋ってものがあるんだ」
「もういいです。とにかくほっといてください」
シェリムがぷい、とそっぽを向く。
さすがに朝から怒涛のセクハラに、神とはいえ怒ったのだろう。
「貴大! たかひろっ! あそぼ!」
ノワールが俺の背後から抱きついて来る。
風呂上がりのノワールは石鹸とシャンプーの匂いがする。
実際はシャンプーの匂いじゃなくリンスの匂いだが、そんなことはどうでもいい。
簡単に言うと、いい匂いがしたし、背中に柔らかい感触があった。
「よし、風呂にでも入るか!」
「それはさっき入りましたっ!」
「何度入ってもいいだろ?」
「駄目ですっ!」
「それくらいいいだろ、ケツの穴が小さい奴だな」
シェリムが俺を睨む。
面倒くさい奴だな。
ん? そういえばシェリムのケツの穴って小さいのか?
確かめもせず決めつけるのも悪いよな。
こいつが睨んでるのもそれが原因かもしれない。
「私のお尻の穴は小さくありません!」って言いたいけど言えずに睨んでいるのかもしれない。
しょうがない奴だ。
「ど、どうしてこの空気でそんな暖かい視線を送るんですかっ」
「分かってる分かってる。ちゃんとケツの穴確かめてやるからさ」
「え? きゃぁぁぁぁぁぁっ!」
俺はシェリムをうつ伏せにして膝に乗せ、スカートをめくり、パンツを下ろそうとしたところで吹き飛ばされた。
「ぐふっ……いい……パンツだ……」
「安物ですっ!」
シェリムの見当違いの突っ込みの中、軽く気を失った。
気が付くと、ノワールがマウントポジションにいて、俺の目覚めとともに身体を下ろしてキスしてきた。
「むふ~♪」
未成熟なノワールの身体が俺に密着し、顔まで密着している。
俺は更に密着して、全身でノワールの身体を堪能しようと両腕を伸ばしたとき、シェリムの氷のような冷たい視線にぶち当たった。
興奮してヒートアップしていた俺の心は、その視線で一気に覚めてしまった。
「何してるんだ、シェリム?」
「……最初に言ったと思いますが、監視してます」
「混ざりたいのか?」
「結構です」
「結構は肯定だぁぁぁぁっ!」
「さっき聞きました」
俺が襲いかかろうとすると、空気の壁のような何かに止められた。
くそっ、着々と魔力を取り戻しつつあるな、こいつ。
「さっきの風呂場で結構使わせたと思ったんだが、それでも駄目なのか……」
「……誤解のないように言っておきますが、先ほどのお風呂場のはともかく、この程度の魔力消費は大したことありません。こう見えても神ですから、あなたが思っているよりは弱くはないのですよ?」
表情もなく淡々と言うシェリム。
だが、その言葉の中には「人間風情が神にかなうと思うなよ」という言葉が隠されているのが分かる。
「くそぉぉぉぉぉっ!」
その人間にこれまで翻弄されて来たくせに!
「にゃぁぁぁぁ♪」
俺は悔しさを癒すため、ノワールの胸に顔を埋め、溺死寸前まで溺れた。