Rainy White Day
ホワイトデー。
バレンタインデーにチョコを貰えた幸運(?)な男性達が、チョコに込められた女性達の想いに答えるべく菓子を渡す日。菓子の種類は幾つかあり、場合によってはその菓子に意味を持たせる事もあるらしいが、相手の趣味に合わせる事もあるだろう。場合によっては「3倍返し」なる暗黙のルールがあるらしい。
だがしかし。
「元々バレンタインデーって女から男に渡すって決まってないし、渡すものもチョコじゃなくて花とかだし。ホワイトデーも、お返ししようって気持ちは分からなくはないけど、だからって何でお菓子なのかどうしても納得出来ない」
「毎年言うのな、それ」
ぼやきをついつい漏らしてしまった三枝奏に律儀にツッコミを入れたのは、小学校からの腐れ縁にして現在は高校で共に園芸部に所属している幸村淳。毎年毎年愚痴に付き合わせてしまって申し訳ないとは思うものの、こればかりは納得いかない奏である。
ぶすっと黙り込んだ奏に、淳は呆れ気味に続けた。
「多分、そう思うのは菓子嫌いの三枝くらいだって。大抵の男子はチョコ好きだし、甘いの苦手でもビターチョコあるし。大体バレンタインデーもホワイトデーも、主役はお菓子大好きな女の子だろ」
「う……」
淳の正論過ぎる正論に、奏は深々と溜息をついた。
そう、奏は大が付く程の菓子嫌いである。甘いものどころかせんべいやスナックも駄目。おやつはコーンの炒め物等、ちょっとしたおかず系だ。
そんな奏にとっては、バレンタインデーもホワイトデーも苦痛のイベントだった。
「お菓子買うのはこの時だけで、お菓子貰うのもこの時だけ……全然嬉しくない」
「あげなければ貰う事もないんじゃないの?」
「世の中には義理チョコというものがあってね、何だかんだと渡さなきゃいけないの」
「……世知辛いな」
奏が物凄く嫌そうな顔で淳の顔を見やれば、淳は何とも言えない微苦笑を浮かべていた。その「しょうがないなあ」という表情が納得いかず、奏は軽く口を尖らせる。
「何よ、幸村だってお菓子嫌いでしょ」
途端、淳の苦笑に苦み成分が増した。
「うん、俺は甘いもの限定だけど。だから奏の気持ちも分かるよ。ビターチョコでも駄目だから、チョコ貰っても嬉しくない。それでもお返しは強いられるもんな」
「……お互い、大変ね」
「そうだね」
溜息の合唱。2月14日から3月14日の2人のテンションは、毎年こんな感じだ。
「バレンタインもホワイトデーも、原点に戻って花のやりとりなら嬉しいのに」
「俺も」
奏と淳の共通点は菓子嫌いに加えて、花が好きという点にある。花好きが高じて園芸部でそれぞれ好きな花を栽培している2人は、ホワイトデーの今日とて花の世話にかまけていた。
「さて、帰りますか」
「ん、そうだね」
外の雨が少し弱まったのを見て、奏はベンチから立ち上がった。それに頷き、奏より少し手間取っていた花の世話を終えた淳も立ち上がる。
傘を広げ、並んで歩く。高校の部活は結構夜遅くまであり、帰る頃には暗い。年頃の女の子を1人帰らせるのが不安だという心配性の淳は、家が近い事もあり奏と一緒に帰宅している。集まる好奇の視線にも奏は慣れたもので、特に気にせず歩いていく。
「あー、雨って微妙に気が沈むなあ……花には良いんだけど」
「だね。空気が湿るからかな」
奏のぼやきに淳も頷いた。けれどその視線は近くにいた相合い傘のカップルに向いていて、奏は少しむっとしてからかう。
「おや、幸村はああいうの羨ましい? お年頃ね」
「ん、いや。あれ濡れるじゃん」
しかし淳は慌てふためく事もなく、あっさりと答えた。何となく拍子抜けして、奏は無意味に水たまりを蹴る。ぱしゃりと音がして、水滴が奏の靴と靴下に飛んだ。
(ほんと、幸村って夢が無いというか……他の男子よりも淡泊なのよね)
だからどうというものでもないが、奏は少し面白くない。もっとはっきり言ってしまえば、からかい甲斐がない。
「……あ。そうそう、ホワイトデー」
「は?」
唐突に今聞きたくない単語ベストスリーに——言うまでもなく、残り2つはバレンタインデーとお菓子だ——輝く単語を漏らした淳に奏が反射的に嫌そうな声を上げると、淳は気にする様子も無く繰り返した。
「だから、今日ホワイトデーだろ」
「……今現在お菓子を手に鬱々としている私にそれを言うとは、良い度胸ね」
「八つ当たるなって。ほら」
宥めるような物言いの後に、淳は奏に紙袋を差し出した。ふわっと甘い香りが漂う。
奏が受け取り中を覗けば、色調を統一する事で煩さを抑えつつも華やかな、センスの良い花束が入っていた。
「バレンタインデーのお返し」
「おー、ありがと」
雨の日でも目に鮮やかな花束に、奏の気分は途端浮上した。口元を綻ばせて奏が受け取ると、淳は肩をすくめる。
「恒例だけど。毎年作ってれば花束作る技術も上がるな。将来花屋で働けそう」
「私のホワイトデーは職業訓練か」
「三枝だって似たような認識なくせに」
「まあね」
そう返しつつ、奏は傘で顔を隠した。心の中でこっそり大きな溜息をつく。
(やーっぱ、気付いてないよなあ……)
バレンタインデーの花束にそっと忍ばせた、一輪のマーガレット。その花言葉は「心に秘めた愛」。
中学の時から、毎年。バレンタインデーの度に手渡した花束には、デザインをあれこれ工夫しながらも、必ずマーガレットを一輪差し入れた。
——口に出せない、臆病な恋心と共に。
けれど、バレンタインデーを受け取る時も、こうして律儀にホワイトデーを返してくれる時も、淳の態度には全く変わりがない。多分花言葉を知らないのだろうと、言ってしまえばそれだけだけど。
何の気なしに「義理」、せいぜい「友情」の贈り物だと態度で示されてしまうと、流石に奏だって落ち込む。
(それに、この花束もなあ……)
奏の気持ちをざわつかせるもう1つの理由である、受け取ったばかりの花束をちらっと見る。そこには、ごく自然な様子で一輪のチューリップが溶け込んでいた。その花言葉は「恋の告白」。
知らないから、時期だからだろう。けれど、毎年のように存在しているその花を見て、つい期待が膨らんでしまうのは無理からざる事じゃないかと奏は思う。
(……まあ、その意味を聞けない私が悪いってのは、分かっているけどね)
曖昧なまま続く、曖昧なやりとり。今の関係が壊れるのが怖くて1歩踏み込めない、中途半端な関係。
それはまるで、大した強さじゃないのに傘無しでは歩けない、降り続く細い雨のよう。
だから奏は——
***
「さて、帰ったら花を飾って、お菓子は家族に押しつけよ」
「あ、やっぱり押しつけてるんだ」
「当たり前。食べるわけが無い」
傘越しに見える辟易した表情の奏を横目に、淳は雨音に紛れる小さな溜息をついた。さりげなく傾けた傘で、表情を隠す。
(あー……やっぱ気付かないか)
中学の時に初めて貰った花束へのお返しから、ずっと。淳は毎年必ず、チューリップを一輪入れていた。
——自分の想いを、不器用なりにそっと込めて。
うっかり紛れ込んだようなマーガレット——その花言葉に答えて、毎年忍ばせるチューリップ。最初は不器用すぎてアンバランスの原因でしかなかったそれも、今となっては花束を引き立たせるアクセントに出来るまでになっている。
それでも、奏の態度に変化は無い。まるでマーガレットには何の意味も無いと言わんばかりに、チューリップの意図に気付いていないかのように、奏は淳に平然と花束を渡し、平然と淳からの花束を受け取る。
おそらく奏は花言葉など知らないのだろうと、淳も分かっている。花が好きだからと言って、花言葉に詳しい訳ではないから。
それでも。
(花束に毎年マーガレットを入れるくらいだから、意味分かってるんじゃないかって思う俺は悪くないと思う……)
もしかしたらという期待が消せなくて、淳はチューリップを添えるのをやめられない。
「しかし、カップル多いわねー……」
「おや、羨ましい?」
自分達も端から見たらカップルだという事すら思いつかないらしい奏に、何だかやりきれないものを感じつつ淳が茶々を入れると、奏は何言ってるんだと顔を向けてくる。
「別に。私は花さえ愛でていられればそれで良いし」
「三枝はほんっとうに、花命だよな」
「幸村もでしょ」
「まあね」
(……これだもんな)
奏の恋愛への無関心さが分かっていて、それでも期待してしまう自分が相当なものだというのも、淳は自覚している。
……そして、はっきりさせる方法を知っていて実行しない、自身のへたれ度合いも。
一言「マーガレットを毎年入れているのって、わざと?」と聞けばいい。そうすれば奏はきっと答えを返してくれるし、答えが淳の期待通りなら、淳もチューリップの意図を——自分の想いをはっきり告げる。
それでも訊かないのは、今の関係が変わってしまうのを恐れる故。
近付きたいと思う一方で、腐れ縁という、当たり前のように側にいられる立場が惜しくて。先に進みたい、でも今を大切にしたい。そんな葛藤が、淳の口を重くする。
幼馴染みに近い関係である淳には、奏も似たような理由で態度を変えないのではとうっすら分かっていて、それでも踏み込めない。
はっきりしない態度、ぐずついた関係。それはまるで、今朝から止みそうで止まない、細い雨のようで。
だから淳は——
***
近いようで遠い、遠いようで近い。傘が無ければ却って不自然に思われる中途半端な距離は、2人にはいつもより少し、近い。
そんな特別な距離を、雨は作り出してくれるから。だから——
「「——雨って、嫌いじゃないんだよなあ……」」
2人の呟きが、霧雨に溶けて消えた。