おれがしんだ日 【一日目】
今日、おれが死んだ。
見下ろした先にはおれが横になった姿と、爪先の欠けた足があった。どうやら、おれは死んで一般的に霊体といわれるものになってしまったらしい。
よく漫画や小説では、近くに死神やら幽霊やらいてもおかしくはない状況だが、誰も何もいない。ここにあるのは、いつもと変わらない道路と、前方を赤く塗られた車体と見慣れたおれの姿だ。
手元を見ても、先にある道路がうっすらと見える。透けた体になるというのは本当のことらしい。だが、どうしておれの意識が死んで尚も残っているのか。それだけが不思議だ。
だけど、きっとそういうものなのだろう。考えてみれば浮遊霊なんて存在もあるのだから、おれもきっとその類に当てはまるのではないか。
何であれ、おれはまだここにいる。それが事実だ。恐らく、おれが消えることなんて、時間に換算して一瞬なのだろう。または、そうであってほしい。
「あー……バイト先に連絡できねぇな、こりゃ」
死んで真っ先に考えることがこれかと、我ながら悲しい人間だ。だが、そういうものだから仕方がない。バイト先には迷惑をかけるが、それもおれが死んだということで許してほしい。果たしておれにそれほどの価値があるのかは分からないが。
「……どうしようか。死んだら意識なんてないと思ってたんだけど……」
おれには家族がいない。母親はおれを産んですぐに死んで、親父はというと、おれが中学を出た途端に出ていってしまった。実際は、その親父に虐待紛いなことをされていたから別に出て行ったことに関して、悲しくはない。そんなものなのだな、と常に考えはするが、それを恨めしいと感じたり、憎らしいとも思わなかった。
おれにはおれのこだわりはない。ただ、現状を受け入れる。それだけが、おれらしさだ。だから、死んだように生き続けてきたこの十八年間にあっけなく終止符が打たれたのは驚いた。やはり、バイト先のことに気をとられて不注意になっていたのがまずかったか。
そんなおれの死因は、道路の死角から飛び出してきたトラックとの衝突事故だ。幸いトラックの運転手の命に別状はない。この事故現場に駆けつけてきた、とある男が救急車を呼んで、その救急隊員がそう言っていたのを聞いた。
だが、死んだおれよりも、そのトラックの運転手がかわいそうだ。おれはともかく、多分この人はこの事故処理が終わった後で裁判沙汰になり、新聞にも取り上げられて犯罪者の悉く社会復帰が困難になるのだろう。こんなおれを轢いてしまったばっかりに。
あるいは、特に取り上げられずに事故として淡々と終えられるのかもしれない。
「なんか……不憫だよなぁ、この人」
担架で運ばれるおれの身体を尻目に、おれはトラックの運転手の心配をする。だからといって、助けようとは思わない。身体に戻ろうにも、おれの手は半分消えかかっていて触れることすらできなかった。それにもう、他人がどうなろうと、おれには関係がない。そもそも、触れられないのだから。
「死んだらもう考えなくてもいいと思ってたのに……」
おれは元々口下手で、あまり物事を口にしない性分だ。だからいつでも考えすぎて、あらゆることが怖くて、ひたすら俯いて黙っていた。そうすれば、みんなの汚い部分や都合の悪いことだって、無視できる。だからその分、人の噂やおれの噂には敏感だった。
例えば、こうしていつも喋らないおれに対して、クラス全員からの悪口だとか。おれが使いっパシリにされて陽気になっている奴らの笑い声だとか。おれの存在は、実は先生でさえも手を余すほどの問題児であることだとか。そんなおれに別のクラスから同情の念を持たれていることや、正義感の強い学級委員長がおれを庇っている発言をしていることだとか。それが自我のために発揮されていることも噂として流れている。
「迎えがないなら、せめて自主的に消える方法とか教えておいて欲しいもんだ」
もう、考えたくない。考えれば考えるほど、どんどん惨めになっていく。考えて落ち込むよりは、いっそのことすぱっと消えたい。どうしてすぐには消えられないのだろう。
生半可に存在が残っているのもつらい。死神やら迎えが来るのはいつになるのだろうか。これからずっと先の話だろうか、それともすぐのことなのか。皆目見当がつかない。
「…………」
おれが死んだ明日って、どうなっているのだろう。そういえば、死んだらそれまでだと思っていたから、その先のことなんて考えたこともなかった。こりゃあ、明日が楽しみだ。
「地縛霊って、たしか、動けないんだっけ?」
以前にテレビ番組でそんなことを言っていたような気がする。少しばかり不安になったが、案外移動できることが分かった。スーっと滑るようにおれは動く。これなら、どこへでも行くことが出来そうだ。
そうは言っても行先なんて、おれしかいない自宅と、バイト先ぐらいしかないけど。