13.炎龍種
「カフカ!!!」
「――――え?」
パキパキと、炎が爆ぜる音が響いた。
目の前の熱量に、身体が本能的に拒否反応が起きる。
――カフカの目の前には、巨大な火炎を、剣一つで受け止める、ベルンハルトが立っていた。
彼の外套には、少しずつ延焼が広がっていた。
高濃度の火炎を浴び、ズルリと倒れ込んだ。
ポタ、ポタと腕から血液が滴り落ちている。
「ッ、ベルンハルト、どうして!?」
「ベルンハルト!!!大丈夫か!?」
先程までよろけていたフォンスが、必死にこちら側に走り抜けてくる。
「シールドを展開します。
今は一度、傷を手当てしましょう。
……ただし、相手の魔術の出力的にほんの少ししか持ちませんが。」
薄緑色のエーテルが大きく展開される。
ダメージを負っているのにも関わらず、炎龍種は必死にこちら側に火炎を浴びせ続ける。
シールドが攻撃のたびに振動し、今にも弾けて消えてしまいそうだった。
一方、ベルンハルトの右腕は、焔が外套を貫き、大きく焼け爛れていた。
今にも焦げ付いてしまいそうな皮膚がなんとも痛ましく、クルトが目を覆う。
シールドを展開しながら、必死に調合した薬品を塗り込む。
エーテルの消耗が激しい。
クルトは荒く息を吐く。
「かなり傷が深い……。
ここは一度、地上に戻って――。」
「ダメだ。」
倒れ込んでいたベルンハルトがよろけながら立ち上がる。
その足には、何度も炎龍種の攻撃を浴びたせいで、傷や火傷が痛ましく見えた。
「炎龍種の腹部は、貫いたはず。
――だが、今この一瞬で歪ながらも再生している。」
ベルンハルトが炎龍種の腹部を指差す。
たったこの数分で、傷が元通りになっている。
「クソ……、オレの力が足りてなかったのか?」
フォンスが悔しそうに拳を握りしめる。
「いや違う、貫いた瞬間は確実に内臓まで見えていた。
……フォンスが魔術を叩き込んだ後、徐々に皮膚が元に戻っているのが見えたんだよ。」
「そんなことって、あり得るんですか。」
「こんな化け物見たことねぇぞ……。」
シールドの膜が、焼けるように赤く染まり、ひび割れる。
火炎の猛攻がみるみるうちに岩場を燃やし続けているのが、薄膜越しに見えていた。
「あのさ、あの子、ずっと苦しそうじゃない?」
ずっと黙っていた、カフカがポツリと呟く。
「苦しそうって、そうなのか?」
「う、うん……。
わかんないけどさ、必死に何か訴えかけている気がするの。
この場所に来るまで、何回もあの炎龍種の爪痕や暴れた跡を見たから……。」
彼女は目を細め、じっと炎龍種を見つめていた。
「あの子……ここにいるのが嫌なんだよ、きっと。」
スッとカフカが立ち上がった瞬間、彼女の杖が地面に落ちる。
――シャラン。
あの、金属音が燃え盛る洞窟内に響き渡る。
猛攻が止まり、一瞬熱が止まる。
――ギャアアアアアアアアアアアア!!!!!
強大な咆哮が、大地を揺らす。
「もしかして、この杖に反応しているのか!?」
炎龍種は、悲しげに天井を仰いで叫ぶ。
その目には怒りではなく、苦しみが滲んでいた。
まるで、誰かに届いてほしいと言わんばかりに。
ピタリと攻撃が止む。
炎龍種が翼を広げ、飛び立とうとするが――この狭い地下空間では、不可能に等しい。
「もしカフカさんの言う通りなら、あいつをどうにかして地下空間から追い出す以外討伐の方法はない。
――フォンス、あと2回撃てるか?」
ベルンハルトが、フォンスに視線を送る。
「大丈夫だ。
ここはエーテルがかなり濃いみたいだな、また撃てそうだ。」
「クルトは、このシールドを再度俺たちの足元に展開してほしい。
かなり消耗しているかもしれないが……、これがないと恐らく地下からの脱出は難しい。」
「わかりました。
とびきり頑丈なものを展開します。」
「で、カフカさんは。」
ゆっくりと、地面に転がっている杖に視線を移す。
カフカは、胸元で拳を握りしめ、ベルンハルトの目をじっと見つめている。
「この杖を持って、炎龍種の気を引きながら全力で出口まで走ってくれないか。
なるべく俺とフォンスで攻撃はいなす。」
「――わかった。
必ず成功させる。」
空間に、また熱風が満ちる。
「……よし。
決行する。」
「クルト、頼んだぜ。」
スッと手をかざす。
足元に薄緑色の陣が走り、四人の足元を包む膜が生成される。
それは、焔の赤に対抗するように静かに光り続けていた。
「よし、お前ら、歯ぁ食いしばれよ!!!!!!」
フォンスが勢いよく拳を大地に突きつけ――地面に閃光が走る。
白光が視界を奪い、雷鳴が鼓膜を劈く。
バヂバヂバヂィィィィィィッッッ!!!!!
ドゴォォォォォッ!!!!!
雷魔術が地面に炸裂。
衝撃が走り、地面を抉る音が響く。
敷いたシールドが大きく揺れる。
足元の岩盤ごと爆ぜ、重力が消える。
――四人が宙に投げ出される。
「うわぁぁぁッ!?」
カフカが思わずよろけ、また大きく金属音が鳴り響いた。
炎龍種が吹き飛ぶ四人に焦点を合わせ、ギロリと睨みつけた。
「もういっちょだ!!!
舌噛み切るなよッッ!!!」
フォンスが更に、脚力のみで飛び上がった。
地下空間を狭く覆う天井に目掛けて、拳を振り落とす。
バリバリバリバリ――
「どぉりゃあああああッ!!」
ドガァァァァァァッッッ!!!!!!
放たれた雷光が、激しく岩盤に突き刺さる。
雷鳴に劈かれた天井は、ガラガラと大きな音を立てながら雨のように地下へと落ちていく。
熱風の満ちた洞穴に空気が通った。
炎龍種は空間が広がったことに驚き、思わず翼を広げ飛び立とうとする。
「やりましたね!」
シールドが衝撃を吸収し、地上に降り立つ。
パキパキ……!と静かに割れ、魔術が弾け――先程クルトが置いた薬草たちが出口に向かって淡く光りだした。
「これを辿れば洞穴の外だ!
カフカちゃん走れ!!」
「うん!わかった!!」
カフカが杖を思い切り握り、走り出す。
洞穴は今にも崩落しそうに石がパラパラと降り注いでいた。
激しく杖の音が鳴る。
洞穴の満ち足りたエーテルに共鳴するかのように、金属部分が少し赤くなる。
「フォンス、援護するぞ!
絶対にカフカさんに、攻撃を当てさせるな!!」
「おう!!」
炎龍種が、大きく開いた穴から地上に降り立った。
その瞬間、洞穴が再度揺れる。
更に振動が強くなり、クルトがよろけながらも咄嗟に手を岩場に翳した。
「……っこれくらい……!!」
膝をつきながら、大きく息を吸う。
瞬間、足元から薄緑色が滲んだ。
植物が根を張るように静かにエーテルが広がり、今にも崩落しそうな天井を絡めとる。
ミシ……と静かに亀裂が止まる。
炎龍種は、クルトの魔術には目もくれず、カフカの杖を追いかける。
続いて、フォンスとベルンハルトが追いかける。
「っ、崩落が収まった!?」
カフカが走りながら叫ぶ。
「恐らくクルトだ!
転ばないように出口まで走ってくれ!!」
呼応するように、ベルンハルトがカフカ目掛けて声を出す。
「クルト、ありがとおおおお!!」
炎龍種がカフカの声に反応し、火炎を放つ。
遮蔽物が何一つもないため、直撃は免れない――が。
「お前の火炎は一度受けてんだッ!!!」
ベルンハルトの剣が、焔を食い止める。
シュウウウウ……!!
高温の炎が蒸発し、白い煙を放ちながら相殺される。
ギャアアアアアアアアッッッ!!!
間髪入れずに、炎龍種の口から巨大な焔が繰り出される。
ベルンハルトの腕が熱に灼かれ、じくじくと痛む。
ギリ、と歯を食いしばり、更に両腕で強く剣を握りしめた。
傷まみれの足を軸にしっかりと踏み込み、エーテルが鋒に集中する。
刹那、突風が洞穴を突き抜ける。
暴風が、焔を掻き消す。
――ベルンハルトの右腕は、もう炎龍種の猛攻に耐えられる程の力は残っていないはずだった。
剣を大きく振る反動で、ズキ、と大きく腕が痛む。
空中で体勢を立て直しながら、顔を顰める。
カフカが走る方を一瞥する。
彼女は、エーテルが使えない、魔術を行使したことがない。
この世界の脅威を跳ね除ける力なんてないのに。
なのに。
(どうしてあんなに、必死で走れるんだ。)
ベルンハルトは、次の焔を打ち消すためにもう一度炎龍種に対峙する。
だが、巨大な体躯はベルンハルトの構えた剣も意に介さない。
ただ真っ直ぐにカフカに向かって、今にも火炎を放とうとしている。
この小さな洞穴に似つかわしくないほどの立派な翼は、岩壁を切り裂くようにして削り落とす。
ガガガガガ!!!!!!
草魔術で固定された空間は、攻撃の衝撃でさらに大きく揺れる。
クルトが荒く息をしながら必死で、エーテルを込める。
指先は震え、手には汗が滲んでいる。
「あと少し!!」
カフカの声は、希望に満ち溢れていた。
彼女は必死で走る。
後ろは振り返らない、彼らの力を信じているからだ。
ゼェ、ゼェ、と必死で息を吐く。
呼気が大きく乱れ、今にも杖を落としてすっ転んでしまいそうだ。
「もう少し、だから――ッッ!!!」
足がもつれる。
こんな高いヒール、履いてくるんじゃなかったとか。
もう少し走りやすいドレスは家になかったのかな、とか。
彼女が、孤独で生きてきた長い時間では、一つもこんなこと思い付かなかったのに。
カフカは目を大きく開く。
瞳に宿る、大きな焔が揺れる。
(こんな時に思うことじゃないんだろうけど)
背後から、黒煙が上がる。
焦げる匂い、耐え難い熱さがジリジリと迫ってくる。
けれど、立ち止まることは許されない。
肺に煙が入り込みゲホ、と咳込む。
お気に入りのヒールは底が欠け、間抜けな音を立てている。
今にも崩れ落ちそうな身体を、気合いで支える。
(私、第二十師団のみんなが好きだ!!!)
(みんなが私を守ってくれた、それに応えなきゃ!)
「炎龍種!!!!!!!出口はここだよ!!!」
――晴天、青空。
カフカの目の前に広がっていたのは、まるで暗闇から這い出てくるのをずっと待っていてくれたような、青い空だった。
樹々がざわめき、川のせせらぎが耳に心地良い。
炎龍種が洞穴の入り口に大きな音を立てて、ぶつかる。
ドゴォ!!と岩が鳴り、目を真ん丸くした。
――浮かんでいたのは、安堵だった。
キシャアアアアアアアアアアアア!!!!!!
地下空間で聴いた咆哮とは全く違う声色だった。
太陽を仰ぎ、翼を羽ばたかせる。
強風が起き、草木が薙ぎ倒されていく。
炎龍種は、カフカには目もくれず、ただじっと空を見つめていた。
「誰か、呼んでいるの?」
喜びに満ちた声、とカフカは悟った。
「カフカちゃん!!大丈夫か!?」
カフカが振り返ると、そこには顔に煤がついたフォンスがいた。
右脇にはベルンハルト、左脇にはクルトがしっかりと抱えられており、全員で生還したということに胸を撫で下ろした。
「だ、だいじょー……ぶじゃないかも……。」
カフカが笑う。
どさ、とその場に倒れ込んだ。
杖がカランカラン、と地面に転がる。
「生まれて初めてだよ……こんなに走ったの……。」
あはは、とフォンスを見上げながら目を細めた。
「スッゲー頑張ってくれたな。
ありがとな。」
「私、最後に走っただけだよ……。」
「いや、あそこで少しでも立ち止まっていたら、俺たちはあそこで全員死んでいただろう。」
ベルンハルトが、木にもたれかかるようにゆっくりと座り込んだ。
ふう、と小さく息をつき、右腕をさする。
「カフカさんの走りがもう少し遅かったら、僕の固定魔術は解けていたでしょう。」
「――ううん、みんなのお陰だよ。
信じて振り返らなかったんだ。
きっと、なんとかしてくれるって思わせてくれた。
本当に、ありがとうね。」
キシャアアアアアアアアアアアア!!!!!
炎龍種の高らかな声が大地に響き渡った。
「ん?」
その瞬間、音もなく何かが近づいているのがわかった。
白昼の中、太陽の眩しさが奪われていく。
周辺が一気に暗がりとなり、大きな影がその場を覆った。
宙に何かがいる――。
四人が咄嗟に空を見上げた。
――炎龍種。
だが、地上に蹲る個体とは全く別の。
翼の音は聞こえなかった。
ただ、大気を揺らす風の音だけが静かな地上に響いていた。
ゆっくりと草木の茂る大地に降り立ち、優しく蹲る個体を撫でる。
「――迎えに、きたのかな?」
カフカが堂々と巨大な炎龍種をじっと見つめる。
攻撃の意思は無いようで、炎龍種もまたカフカの顔を覗いた。
「あれは、暴れていた炎龍種の……親なのか?」
「みたいだな。」
「よかった……。
お母さんに会えたんだね。」
小さな炎龍種が、四人を一瞥し、風が靡く。
――キュアアアアアアアアア!
穏やかな叫び声が、こだまする。
二体が翼を大きく広げ、ゆっくりと宙に浮かび上がった。
二体の影が重なり、やがて青空に溶けていった。
「どうやら、初任務は成功のようだな。」
「やったーー!!!」
「逸れたときはどうなるかと思いましたが……。
よかったです。」
「明日はパーティーだな!」
「パーティーやりたーい!!」
「お前ら、元気だな……。
今から帰って報告書だぞ……。」
「報告書なんて、パーティーが終わってからでもいいだろ?」
フォンスが口をとんがらせる。
「……まあいいか。」
ベルンハルトは少しため息をつき、笑った。
「報告書、手伝いますよ。
……そんなことよりも、歩いてまた寮の方に帰るのがなんとも面倒ですね……。」
「ゲ、まじか……。
つーか喉乾いたし、まず水汲みに行こうぜ!」
「水筒、もうあと一つしかないですよ……。」
「嘘だろ!?」
「岩場から飛び降りた時にどこかに置いてきてしまったようですね……。」
「ミザンさんに叱られんじゃね……?
まあいいや、クルト、水汲みに行こうぜ!」
「フォンスさんは元気ですね……。」
フォンスとクルトが、水分を探し求め川まで走る。
戦闘前の騒がしさが戻り、やけに耳がくすぐったい。
「あのさ、ベルンハルト。」
「なんだ?」
「私のこと、どうして庇ったの?」
「あー……。
さっきのか?」
「うん。
あの時庇わなければ、こんな大怪我負わなかったのに。」
カフカが目を伏せる。
少し眉尻が下がり、申し訳なさそうに立ち尽くしていた。
「仲間を助けるのに、理由なんてあるのか?」
「それは……。」
「俺は、隊長だからな。
ほら、カフカさんも行こう。」
ベルンハルトが、ゆっくりと歩き出した。
カフカは、彼の背中をじっと見つめた。
まだ自分よりも幼い青年に、守られてしまった自己嫌悪と、申し訳なさ。
だが、それと同時にほんの少し誇らしかった。
(仲間、か。)
「そうだね、ありがとう、隊長。」
ほんの小さな声で、呟く。
遠くでフォンスの笑い声が聞こえる。
それを嗜めるクルトの声も。
カフカがくすりと笑った。
彼女の黒のドレスが、柔らかく揺れる。




