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第96話  ルークの決意

 王都ヴァルドンガルドの朝。今日も無駄に晴れてて、空の青さが俺たちの足元の影を濃くしてる。


 騎士団本部の厩舎前。遠征の準備は怖いくらい順調だった。荷物の積み込み、馬の手配、物資の確認——全部が時計の針みたいに正確で、金属が擦れる音、馬のいななき、兵士たちの低い声。完璧なハーモニーで噛み合ってる。


 全部、あの人の指示。


「第三小隊、荷馬車の軸を確認しておけ。山越えには不安がある」

「第四小隊は先発してルートの安全確保。魔素溜まりの兆候があれば即座に信号を」


 オスカー副団長の声が響く。よく通る、いい声だ。迷いなんて欠片もない。銀色の鎧は今日もピカピカに磨き上げられてて、そこに映る太陽が眩しい。

 完璧だ。どこからどう見ても、理想の指揮官——でもさ、おかしいんだよ。


『……旦那。あの火、なんか変だぜ』


 俺の髪の中に隠れてる雷の精霊、アルクが小声で呟いた。俺もそう思う。オスカーの肩に止まってるはずの炎の上位精霊グラン・グラディオス。いつもなら威厳たっぷりに燃えてるあのトカゲが、今日はなんだか色が薄い。まるで燃料切れのランプみたいに心許ない。


 主の覇気に反比例して、精霊が弱ってる。

 それが何を意味するか。考えたくないけど、嫌でも分かっちまう。魂が、悲鳴を上げてるんだ。


「るっきー……?」


 足元でフェデが不安そうにクゥンと鳴く。この巨大なゴールデンレトリバー(自称)は俺の影に鼻先を突っ込んで、何かから隠れようとしてる。オスカーの影だ。あそこには昨日見た「何か」がまだ潜んでる。俺にははっきり見えないけど、フェデには匂うらしい。焦げ臭くて、冷たい、あの嫌な気配が。


「大丈夫だ、フェデ。……たぶん」


 フェデの頭をわしゃわしゃ撫でる。毛並みの良さに指が沈む。この感触だけが、今の俺を正気に繋ぎ止めてくれる命綱だった。


 オスカーは今回の遠征を「自分の力だけで」成功させようとしてる。俺の力は借りない。フェデの力も、六精霊の力も、計算に入れない。それは彼のプライドであり、騎士としての——いや、一人の人間としての最後の砦なんだろう。


 分かるよ。痛いほど分かる。

 俺だって、いきなり横から出てきた規格外の奴に全部いいところ持ってかれたら、腐るか意地になるかどっちかだ。オスカーは高潔だから、腐らずに意地を選んだ。立派だと思う。でも、その意地が彼自身を内側から食い破ろうとしてるように見えて仕方ないんだ。


 カインやノルンは忙しそうに走り回ってる。


「よし、俺の剣の手入れは完璧だ! 今回こそ副団長の役に立つぞ!」

「あ〜、水筒の水、補充しときましたよ〜。副団長のも入れときましたからね〜」


 あいつらはオスカーの完璧な振る舞いを信じてる。「すごい副団長」が戻ってきたって無邪気に喜んでる。その信頼が、今は一番残酷な重りになってるなんて、気づきもせずに。

 俺はどうする? 黙って見てろって言われた。余計なことするなって。でも、このまま放っておいていいのか? あんな硝子細工みたいにギリギリの状態で戦場に出たら、何かの拍子にパリーンといっちまうんじゃないか?


 足が勝手に動いてた。オスカーが書類の束を持って厩舎の柱に寄りかかり、一瞬だけふぅっと息を吐いた瞬間——その一瞬の隙間に、俺は滑り込んだ。


「副団長」


 ビクリ、と彼の肩が跳ねた気がした。でも振り返った時の顔は能面みたいに整った笑顔だった。


「どうした、ルーク。装備に不備でもあったか?」

「いえ、準備は万端です。フェデのあくび以外は」

「そうか。ならいい」


 会話を終わらせようとする彼に、俺は食い下がった。喉の奥がカラカラに乾いてる。言葉を選ぶのが、こんなに難しいなんてな。


「あの……その、顔色が少し悪い気がして」

「気のせいだ。体調管理も任務のうちだぞ」

「でも、昨日の夜も遅くまで訓練してましたよね。……あの」


 言えよ、俺。かっこつけてる場合じゃないだろ。


「あまり、背負い込まないでください」


 口から出たのは、ありきたりで何のひねりもない言葉だった。


「俺たち……候補生ですけど、一応部下ですから。副団長が全部一人でやらなきゃいけないなんてこと、ないと思うんです。カインだって強くなったし、ノルンだって優秀だし……俺だって、できることはあります」


 頼ってください、とは言えなかった。それが彼の逆鱗に触れるって分かってたから。だから、せめて「一緒にやりましょう」って、そう伝えたかったんだけど——


 オスカーの目がスッと細められた。青銀色の瞳。綺麗な色だ。でも今は凍った湖の底みたいに光がない。彼は書類を脇に挟み直すと、ゆっくりと俺に歩み寄ってきた。身長は俺とそんなに変わらないはずなのに、やけに大きく見える。


「……背負い込むか」


 彼は低い声で、俺の言葉を反芻した。


「ルーク。お前には、そう見えるのか? 私が無理をして、必死になって、余裕をなくしているように見えるのか?」


 図星だった。でも、それを肯定しちゃいけない気がして、俺は言葉に詰まる。

 オスカーは唇の端を吊り上げた。笑ってる。でも目が笑ってない。


「それはな、ルーク。お前が『持っている』からだ」


 心臓を冷たい手で鷲掴みにされたみたいだった。


「持たざる者が必死に足掻いて石を積み上げている姿が……天空にいるお前からは、滑稽な一人相撲に見えるのだろうな」

「ち、違います! 俺はそんなつもりじゃ……!」

「余裕がある者はいいな。部下を気遣い、上官の体調まで心配する。……素晴らしい心がけだ。称賛に値するよ」


 言葉のナイフだ。丁寧にラッピングされた、切れ味抜群のナイフ。

 俺の気遣いは、彼にとっては「強者の上から目線の憐れみ」でしかなかったんだ。俺が規格外の霊素を持ってて、フェデなんていうチート霊獣を連れてるから。だから俺の言葉は全部、「持ってる奴の戯言」に変換されちまう。


「副団長、俺は……ただ、あんたが壊れそうに見えて」

「壊れる?」


 オスカーは鼻で笑った。


「私はガルドリアの盾だぞ? 壊れることなど許されない。……兄上も、そうおっしゃっている」


 ダメだ。言葉が通じない。

 同じ言語を喋ってるはずなのに、意味が全部ねじ曲がって届いていく。彼の周りにある見えない壁が俺の言葉を全部弾き返してる——いや、弾き返すだけならまだいい。全部、毒に変換して吸収しちまってる。


『やめときな、ルーク』


 不意に炎の精霊ヴァルの声が脳内に響いた。


『今のあいつに何言っても無駄だ。油を注ぐだけだぜ。……魂が、乾ききってやがる』


 オスカーは俺の肩をポンと叩いた。その手は手袋越しでも分かるくらい冷たかった。


「心配無用だ。……今回の任務、私は完璧にやり遂げる。誰の手も借りずにな」


 それだけ言い残すと、彼は踵を返した。完璧な姿勢で。完璧な歩調で。その背中には、グランの姿すら霞んで見えるほどのドス黒い何かが渦巻いているように見えた。


 俺は立ち尽くすしかなかった。無力だ。霊核スコアが28000あろうが、世界樹に選ばれてようが、人間一人の心を救うことすらできない。魔法で魔物は倒せても、心の歪みは直せない。


「……くそっ」


 小さく悪態をつく。地面を蹴ると砂埃が舞った。フェデが心配そうに俺の足に体を擦り付けてくる。その温かさだけが、今の俺の救いだった。


「行くぞ、フェデ」


 俺は覚悟を決めるしかなかった。彼が俺の力を計算に入れないなら、計算外のところで支えるしかない。影になって。誰にも気づかれないように。それが今の俺にできる唯一のことだ。


「全隊、出発!」


 オスカーの号令が響き渡る。門が開く。その先には東へと続く街道が伸びている。エルフの森。ルナヘルム。そこには勇者エリシアが待っている——オスカーが何よりも焦がれ、何よりも嫉妬している、あの光の勇者が。


 車輪が回り出す。俺たちの旅は、どうしようもなく不穏な予感を乗せて動き出した。

 空は青いのに、俺の目には、世界が少しずつ黄昏色に染まっていくように見えてならなかった。


3日間の4話更新にお付き合いいただきありがとうございました。

明日からは2話更新に戻ります。

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