表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

95/167

第94話  魔王の誘い

 ざん、  ざん、ッ。

 風を斬る音じゃない。あれは、もっと重い、夜の闇そのものを物理的に断ち切ろうとするような、そんな粘ついた音がした。  

 王都ヴァルドンガルドの夜は冷える。石造りの宿舎の壁は冷気を溜め込むし、布団は煎餅みたいに薄いしで、俺――ルーカス・ヴァレリオは寝付けずにいた。  


 いや、嘘だ。本当は、胸の奥がざわざわして眠れなかったんだ。隣のベッドでは、フェデが「くぅ〜……」と幸せそうな寝息を立てて、完全にへそ天状態で爆睡している。

 この無防備な毛玉を見ていると、世界のことなんてどうでもよくなるくらい癒やされるんだけど、今夜ばかりはどうしても、昼間のことが頭から離れなかった。


『副団長は、すごく立派な樽!』

『ルークくんは、湖かな?』  


 アリスの無邪気な声が、呪いみたいに鼓膜へ張り付いている。  


 樽と、湖。  

 努力で磨き上げた器の限界と、生まれ持った理不尽な容量。あの言葉を聞いた時の、オスカー副団長の顔。能面みたいに笑ってたけど、あの人のプライドが音を立てて砕けるのが、俺には見えちまったんだ。


『……おいルーク。起きてんだろ』  


 脳内に直接、ぶっきらぼうな声が響く。炎の上位精霊、ヴァルだ。


「……悪い、起こしたか?」

『いや。あの音がうるさくてな』

「音?」

『わからねぇか? 空気がきしんでやがる。……行ってみな。お前が作った“歪み”だ』


 ヴァルに言われて、俺は上着を羽織り、宿舎を抜け出した。石畳の冷たさが靴底越しに伝わってくる。騎士団総本部の夜は静かだ。見張りの兵士たちの規則正しい足音以外、なにもないはずなのに。  

 本部の裏手。日中は新人たちが汗を流す第3訓練場の方角から、その音はずっと響いていた。


 ブォン!!


 空気が爆ぜる。月明かりの下、一人の男が剣を振っていた。上着は脱ぎ捨てられ、薄いシャツ一枚。汗で背中に張り付き、湯気が立ち上っている。  

 オスカー・ヴァルド・ガルドリアン副団長だ。


 いつもなら、彼は完璧だ。髪の毛一本乱さず、銀の鎧を隙なく着こなし、理想的な笑顔と敬語で部下を導く。それが俺の知っている副団長。でも、今そこにいるのは、何かに取り憑かれたような修羅だった。


「……ッ、しぃ!!」


 鋭い呼気と共に、模造刀が走る。速い、目で追うのがやっとだ。  

 ガルドリア流剣術の基本、「袈裟斬り」。それをただひたすら、何百回、いや何千回と繰り返している。正確無比。重心の移動、踏み込み、刃筋。どこをどう切り取っても、教科書に載せられるくらい完璧なフォームだ。カインが見たら、感動して泣くかもしれない。  


 だけど。俺の『精霊視』に見えてしまう世界は、まるで違っていた。


『……ひでぇ色だ』  


 ヴァルが、不快そうに呟く。


『炎が濁ってやがる。あいつの契約精霊グランの声も届いてねぇな。……自分のこころを薪にして燃やしてやがる』


 オスカーの体から立ち上る霊素は、本来なら綺麗な赤色のはずだ。それが今は、どす黒くすすけている。  


 彼は、見えない敵と戦っていた。いや、敵じゃない。彼が斬ろうとしているのは――たぶん、俺だ。正確には、俺やフェデが持っている「理不尽な力」そのもの。


「……足りない」


 剣を振るう合間、オスカーの唇から言葉がこぼれ落ちた。それは独り言というより、呪詛に近かった。


「技は……極まった。速度も……上がった。だが……」


 ブォンッ!  風圧だけで、地面の砂が舞い上がる。人間が到達できる領域としては、間違いなく最高峰の一撃。Aランク冒険者だって、この一撃を受け止めるのは骨が折れるはずだ。  

 でも、彼は首を振る。


「……届かない」


 絶望的な響きだった。俺の脳裏に、ドワーフの鉱山での光景が浮かぶ。オスカーが命がけで防ごうとした溶岩の奔流。それを、フェデは「お手」ひとつで石に変えた。  

 

 戦いですらない。現象の書き換え。どれだけ剣を研いでも、どれだけ筋肉をいじめ抜いても、嵐に向かって剣を振るうようなものだ。オスカーは、その「壁」の高さに気づいてしまっている。  

 気づいているのに、認めることができなくて、体だけを動かし続けている。


「……くそッ、兄上は……兄上だけは……!」


 また一太刀。今度は、兄であるレオンハルト王子への感情だろうか。手紙に書かれていたという『優秀な盾』という言葉。それが彼を縛り付けている。  

 俺にはわかる気がした。彼は「盾」になんてなりたくないんだ。誰かを守るために傷つくことを厭わない、あんなに高潔な人なのに。本心では、すべてを薙ぎ払う「剣」になりたがっている。光り輝く、誰よりも前を行く王の剣に。  


 俺が、そうさせてしまったのか。俺が無自覚に振るった力が、彼のプライドを粉々にして、こんな夜中に亡霊みたいに剣を振らせているのか。


「……はぁ、はぁ、……ッ!」


 オスカーがよろめいた。限界なんだ。とっくに。  

 声をかけるべきか? 「十分強いですよ」って? いや、それは今の彼には「強者の余裕」という名の侮辱にしかならない。  

 俺は拳を握りしめ、逃げるようにその場を離れた。背中で聞く剣の音は、夜明けまで止むことはなかった。


 ***


 翌日の夕暮れ。俺は隠密スキル全開で、城下町の裏路地を歩いていた。いや、ストーカーじゃない。断じて違う。ただ、オスカーが非番だっていうのに、一人でフラフラと街へ出て行くのを見かけちまったんだ。あの精神状態で一人歩きなんて、危なっかしくて放っておけるわけがない。


 オスカーは、賑やかな大通りを避けるように、薄暗い路地裏へと足を進めていく。その背中は、騎士団の鎧を着ていないせいか、いつもより一回り小さく見えた。  

 西の空が、紫色に染まっていく。魔王領に近いこの街特有の、不気味な黄昏たそがれ。  


 ふと、オスカーの足が止まった。廃墟になりかけた古い石造りの倉庫の前だ。影が動いた。地面の影じゃない。建物の陰から、ぬるりと「人の形をした闇」がにじみ出してきたんだ。


「……誰だ」


 オスカーの声。鋭い。さすがに腐ってもAランク、気配察知は鈍っていない。俺は物陰に身を隠し、耳をそばだてる。  

 現れたのは、フードを目深に被った小柄な男――いや、魔族か?  気配が薄い。霊素の流れが、普通の人間とは逆回転しているような気持ち悪さがある。


「おやおや。ガルドリアの至宝、第二王子殿下ではありませんか」


 間者の声は、老婆のようでもあり、少年のようでもあった。耳の奥がかゆくなるような、粘着質な響き。


「貴様、魔王軍の手先か」  


 オスカーが腰の剣に手をかける。だが、間者は動じない。クスクスと、嘲笑あざわらうように肩を揺らすだけだ。


「ええ、ええ。ですが今は戦いに来たのではありませんよ。……ただ、可哀想なあなたに、少しばかり『真実』をお伝えしに来たのです」

「戯れ言を。斬るぞ」

「斬れますか? その剣で。……あの『規格外』の小僧には、かすり傷ひとつ負わせられないその剣で?」


 ピクリと。オスカーの肩が跳ねた。間者は、そこを見逃さない。言葉の毒を、傷口に直接流し込んでいく。


「見ていましたよ、あの鉱山での戦い。あなたは立派でした。完璧でした。……ですが、世界はあなたを称賛しましたか? いいえ。称えられたのは、運だけで強大な力を手に入れた、あの子供と獣だけ」

「……黙れ」

「悔しいでしょう? アリス嬢も言っていましたね。あなたは『よくできた樽』だと。所詮は入れ物、中身が決まればそれまで」

「黙れと言っている!」


 オスカーが剣を抜く。切っ先が震えている。間者は一歩も引かず、むしろ両手を広げて歓迎するように笑った。フードの奥で、赤黒い瞳がギラリと光る。


「認めましょうよ、オスカー様。この世界は間違っているのです。正しき者が報われず、力ある者がすべてを奪う。……ならば、あなたも手に入れればいい」


 間者の手から、黒いもやのようなものが立ち上る。それは魔素だ。甘く、重く、人の心の隙間に入り込む、誘惑の香り。


「魔王様は、公平なお方です。求める者には力を与える。……嫉妬? 劣等感? 大いに結構! それを燃やせば、あなたは光すら焼き尽くす『黒き炎』になれる。あの新人など足元にも及ばない、真の王に!」


 ゴクリ。  

 オスカーの喉が鳴ったのが、離れた俺の場所まで聞こえた気がした。彼の霊素が、揺れている。グランの赤い光が弱まり、黒い影が心臓に絡みつこうとしている。  


 まずい。飛び出すか?俺が足に力を入れた、その時だった。


「――ふざけるな」  


 低く、地を這うような声。


「私が、欲しいのは……そんな、借り物の力ではないッ!!」


 銀光が閃いた。

 

 迷いこそあった。恐れもあった。それでも、オスカーが振り抜いたのは、騎士として鍛え上げた「正道の剣」だった。  


 ズンッ!!  


 間者の身体が、袈裟懸けに両断される。  悲鳴も上げず、影は霧のように散り散りになった。斬った、拒絶した。オスカーは、荒い息を吐きながら、剣をだらりと下ろす。  


 勝ったのか? いや。


『……ククク。立派、立派』


 斬られたはずの間者の声が、路地の壁という壁から反響する。姿はない。だが、呪いのような言葉だけが、べっとりとその場に残る。


『ですが、覚えておきなさい。……拒絶しても、現実は変わりませんよ』


 影が、オスカーの足元にまとわりつく。


『光の隣に、影は立てない。あの勇者の隣に立つのは、あなたではない。……お前は、永遠に二番手だ』

「消えろぉぉぉぉッ!!」


 オスカーが、何もない虚空を薙ぎ払う。炎の精霊術が炸裂し、路地の壁を焦がした。

 静寂が戻る。残されたのは、焦げ臭い匂いと、肩で息をする一人の男だけ。


「私は……ガルドリアの騎士だ……」


 自分に言い聞かせるような、掠れた呟き。剣を鞘に納める手が、カチャカチャと音を立てて震えている。  

 彼は勝った。魔王の誘いを、その誇りで跳ね除けた。すごい人だ。普通なら、あんな甘い言葉を囁かれたら、心が折れてもおかしくないのに。  


 でも。俺には見えてしまった。彼が斬り捨てた黒い霧の一部が、消滅せずに彼の影の中にスーッと吸い込まれていったのを。  

 種は、蒔かれてしまったんだ。


 『永遠に二番手』  


 その言葉は、たぶんどんな魔法よりも深く、彼の魂に突き刺さっている。


『……ルーク。帰ろうぜ』  


 ヴァルが、沈んだ声で言った。


『今、お前が出ていってみろ。「助けましたよ」なんて顔して。……あいつ、その場で自害しかねねぇぞ』


 ああ、そうだな。俺が出ていけば、彼の「一人で誘惑を断ち切った」という最後のプライドまで奪うことになる。  

 俺は唇を噛み締め、音もなくその場を去った。  

 遠ざかる背中で感じるオスカーの気配は、まるで嵐の前の静けさのように、不気味に静まり返っていた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ