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第91話  カインの成長

 空気が、腐っている気がする。


 王都ヴァルドンガルドの上空は、今日も今日とて憎たらしいほどの快晴だ。見上げれば目が痛くなるような青。ここセカイジュ騎士団総本部の訓練場だって、本来なら踏み固められた乾いた土の匂いと、若手たちの熱気しかしねえはずなんだけど。

 

 俺の肌感覚がおかしいのか、それとも世界の方が狂っちまったのか。 今のここは、まるで湿気た火薬庫のど真ん中だ。火種を一つ落とせば、全員木っ端微塵になりそうな、そんなヒリついた気配が満ちている。


 原因はわかってる。十中八九、あの人だ。 副団長、オスカー・ヴァルド・ガルドリアン。 朝から不思議なくらい彼は完璧だ。 あまりにも完璧すぎて、見ているこっちが息もできなくなるくらいに、完成されちまっている。

 

 顔面に貼り付けた笑顔は、定規で測ったみたいに寸分の狂いもない。部下への指示も、神様が憑依したのかってくらい的確だ。無駄がない。隙がない。 人間味ってやつが、ごっそり抜け落ちている。


 俺の肩に乗った相棒が、嫌そうに身じろぎした。 『……あー、やだやだ。鼻が曲がりそうだぜ。焦げ付いた鍋の底みたいな、えぐい匂いがしやがる』 雷の精霊アルクが、バチバチと火花を散らしながらぼやく。精霊ってのは、こういう感情の澱みには敏感だ。 俺は喉まで出かかったため息を、無理やり胃袋へ流し込んだ。 今は、目の前のことに集中しなきゃならない。


「……よそ見すんな、カイン。また足元、浮いてんぞ」


 俺は声を飛ばす。 視線の先には、カイン・ヘルダート。俺の同期で、自称も他称も落ちこぼれ。 ボサボサの黒髪から、雨みたいに汗をボタボタ垂らして、木剣を握りしめている。指の関節が白くなるくらいに。


「……くそッ、わかってるよぉ!」

 

 カインが獣みたいに吠えて、土を蹴る。 こいつの霊核スコアはDからCの下限を行ったり来たり。エリート揃いのこの騎士団じゃ、間違いなく「その他大勢」の筆頭だ。

 

 霊素の『Intake(吸収率)』も『Core(容量)』も、あくびが出るほど平凡。 けれど、『Flux(循環速度)』だけが妙だ。 基本は鈍いくせに、時々、脈絡なく跳ね上がる。 教官連中はそれを「ムラがある」「情緒不安定」と切り捨てた。欠陥品扱いだ。 でも、俺にはそうは見えなかった。


「おいカイン、綺麗に流そうとすんな。詰まらせろ」

「はぁ!? 逆だろ普通! 流れを止めてどうすんだよ!」


「いいから聞け。お前の霊素はな、サラサラ流れる小川じゃねえんだよ。ダムだ。巨大な堰だ」


  俺は自分の胸を叩いて見せる。


「溜めて、溜めて、限界まで溜め込んで、一気に決壊させろ。綺麗じゃなくていい。爆発させちまえ」

 

 俺の適当きわまりないアドバイスに、カインは顔をしかめた。半信半疑。だが、他に縋るものがないのも事実だ。 彼は奥歯が砕けそうなほど歯を食いしばる。 肺いっぱいに空気を詰め込んで、血管の中を巡る熱い奔流を、あえて出口で堰き止める。破裂しそうな圧力を、身体の内側で練り上げるイメージ。


 瞬間。カインの身体の奥底から、ドォン、という低い音が響いた気がした。 霊素の爆発。 足元の硬い土が弾け飛び、カインの輪郭がブレる。 速い。 まばたきする間もなく、俺の鼻先に木剣が迫っていた。慌てて受け流すが、手首に万力で締め上げられたような痺れが残る。重い一撃だ。


「……へへ、どうだ……!」


 肩で息をしながら、カインがニカッと笑う。 悪くない。いや、かなりいい。 教本通りの優等生な騎士剣術じゃない。泥臭くて、荒っぽくて、不格好。でも、その一瞬の輝きだけは、誰よりも鋭い。それがカインという男の武器だ。


「――感心だな。精が出る」


 不意に。 背後から、氷水をぶっかけられたような声がした。 ビクリと肩が跳ねるのを止められなかった。恐る恐る振り返ると、そこには完璧な立ち姿の副団長が、絵画のように佇んでいた。


 オスカーだ。


 鏡みたいに磨き上げられた白銀の鎧。微塵の乱れもない金髪。そして、精巧なガラス細工みたいに整った笑み。


「ふ、副団長!」

 

  カインが弾かれたように直立不動の姿勢を取る。さっきまでの威勢はどこへやら、借りてきた猫よりも大人しい。


「し、視察ですかッ」


 俺が尋ねると、オスカーは音もなく頷いた。


「ああ。遠征の疲れも見せず、鍛錬に励むとは殊勝な心がけだ。カイン候補生、腕を上げたようだな」


 褒め言葉だ。言葉の意味だけを辿れば、間違いなく賞賛だ。なのに、ちっとも温かくない。まるで無機質な報告書の文面を、感情のない人形が読み上げているみたいだ。


 カインはそんな凍りついた空気に気づかないフリをして――あるいは、気づかないふりをして必死に食らいつこうとして――無謀にも一歩前に出た。


「あの、副団長! もしお時間があるなら……手合わせをお願いできませんか!」


 おい、やめとけ。馬鹿。 俺は心の中で絶叫した。今のオスカーは、いつ噴火するかもわからない静かな活火山だ。触れちゃいけない。 オスカーの碧銀の瞳が、すうっと細められる。


「……私とか」


 ほんの一瞬の間。 その空白に、どれだけのどす黒い感情が渦巻いたのか、俺には想像もつかない。 けれど、次の瞬間にはまたあの、完璧で嘘くさい笑顔が貼り直されていた。


「いいだろう。部下の成長を確かめるのも、上官の務めだ」


 オスカーが訓練用の木剣を受け取る。 構えは自然体。隙がない、というより、存在そのものが完成されている。 炎の上位精霊の加護を持つ、若きAランク騎士。普通に考えれば、カインに勝ち目なんて万に一つもありはしない。


 対峙する二人。 カインの額から、脂汗が流れる。緊張でガチガチだ。 対するオスカーは、庭の散歩でもしているかのような余裕。 いや、違う。

 余裕じゃない。 あれは、無関心だ。 眼の前の相手を見ていない。カインを、脅威として認識すらしていない。ただの「処理すべき午後の業務」として見ている目だ。


「来い」


  短く告げられた瞬間、カインが動いた。 さっきの爆発的な踏み込み。霊素を極限まで堰き止め、一気に開放する特攻スタイル。だが、オスカーは眉一つ動かさない。 最小限の動きで剣を逸らし、カウンターを合わせようとする。その動きはあまりにも洗練されていて、戦いというよりは舞踏のような美しさすら感じる。 王家の剣技。教本そのもの。正解の塊。


 ――そこだ。 俺は無意識に拳を握り込んでいた。 オスカーの動きは「正解」すぎるんだ。 対して、カインの太刀筋は、汚い。


 逸らされたはずの剣が、強引な手首の返しで軌道を変える。 霊素の暴発を利用した、関節を痛めそうな、なりふり構わない無理やりな軌道修正。 理屈の上での最高値をなぞるオスカーの予測を、その野良犬のような「下手くそさ」が裏切った。


 ヒュッ


 鋭い風切り音。 オスカーの顔が、わずかに弾かれるように横を向く。 静寂。 訓練場にいた全員の時間が、そこで凍りついた。 カインの木剣の切っ先が、オスカーの頬をかすめていた。


 本当に、薄皮一枚。けれど、確かに触れた。


 赤い筋が、白皙の頬に浮かび上がる。


「……あ」


 カイン自身が一番驚いたような顔をして、固まっている。 オスカーはゆっくりと、頬に指を這わせた。 指先についた微かな赤を見て。 彼の瞳孔が、針の穴みたいに収縮したのを、俺は見た。


 殺気。 背筋が凍るような、純粋で混じりけのない殺意が膨れ上がる。 やばい、殺される。

 俺が割って入ろうと足を踏み出しけた、その時。


「……見事だ」


 オスカーが笑った。

 あまりにも綺麗に。あまりにも穏やかに。 膨れ上がった殺気は嘘のように霧散し、そこには「部下の成長を心から喜ぶ理想の上司」だけが立っていた。


「虚を突かれたよ。まさか、あの体勢から打ち込んでくるとはな。……カイン、素晴らしい成長だ。ルークの指導のおかげかな?」


  ちらりと、俺に視線が流れる。

 その目は、笑っていない。氷河の底みたいな絶対零度の冷たさで、俺の魂ごと射抜いていた。


「や、やった……! 届いた、届いたぞぉ!」


 カインが木剣を掲げて喜ぶ。純粋な歓喜だ。憧れの副団長に一太刀入れたという事実が、彼を舞い上がらせている。

 オスカーは「手当てをしてくる」と言い残し、背を向けて歩き出した。

 その背中が、俺には叫んでいるように見えた。聞こえるはずのない声が、鼓膜の奥でガンガンと響く。


 ――なんでだ。 ――なぜ、落ちこぼれごときに。 ――なぜ、私の剣が届かない。 ――なぜ、ルークが関わると、路傍の石ころですらダイヤに変わるんだ。


 オスカーの歩く足元で、名もなき小さな草が枯れていくのを、俺の精霊視は捉えてしまった。 俺の中にいる炎の精霊ヴァルが、耳元で小さく、怯えるように呻く。


『……おいルーク。あいつの中の火、色が変わってきてんぞ。あれは、もう』

「……ああ」


 知ってる。言われなくてもわかってるさ。


 あれは、嫉妬だ。 自分より下だと思っていた人間に足元を掬われる恐怖。そして、その原因を作った俺への、どうしようもない劣等感。 カインの無邪気な喜びの声が、今はやけに残酷に響く。


 俺たちは、追い詰めてしまったのかもしれない。 完璧であろうとする彼を。 王族という呪いに縛られた、あの不器用な男を。 逃げ場のない路地の奥へ、奥へと。


 去っていくオスカーの背中は、訓練場の建物の影に飲まれて、ふっと消えた。まるで最初からそこには闇しかなかったみたいに。


 俺は肺の中の空気をすべて吐き出すようなため息をついて、空を見上げた。


 王都の空は、やっぱり重たい。 これから起こる何かの予兆を含んで、どす黒く垂れ込めているようだった。


「……頼むから、早まんないでくれよ、副団長」


 俺の呟きは、乾いた風に流されて、誰の耳にも届かずに消えた。


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