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第9話  ヴァルの暴走と手加減

 薬草をむしって小銭を稼ぐ。そんな日々に味を占めて、三日が経った。

 Dランクの薬草採取。安全で、簡単で、日の高いうちに帰れる仕事。これぞ理想の暮らしだと、そう思い込んで油断していたのが間違いだったのかもしれない。調子に乗って、いつもより森の奥へ足を伸ばした、その時だった。


「……くっさ」


 思わず本音がこぼれ落ちる。腐った臓物を煮汁ごと三日三晩煮込んで、仕上げに真夏の炎天下で放置したような悪臭だ。鼻が曲がるなんて生易しいもんじゃない。鼻腔の粘膜にべったりと張り付いて、脳みそまで腐らせてきそうな暴力的な刺激臭。

 

 たまらず足を止めて、顔をしかめた。せっかくの森林浴気分が台無しだ。さっきまでの、湿った土と緑の清々しい香りはどこへ消えた?隣を歩くフェデの毛並みから漂う、干し草のようなお日様の匂いすら、この不浄な空気に塗りつぶされてしまいそうだ。

 

 フェデを見れば、あいつも鼻にシワを寄せて「くしゅん」と大きなくしゃみをしている。霊獣の鋭すぎる嗅覚じゃ、これは拷問に近いだろうな。すまん、フェデ。

 

 ガサガサッ、と茂みが揺れた。一つや二つじゃない。五つ、六つ。下卑た笑い声が聞こえてくる。「ゲギャ」「ギギッ」。錆びた鉄板を爪で引っ掻いたような、神経を逆撫でする不快な音。  

 出やがった。冒険譚じゃ定番中の定番。駆け出し冒険者の登竜門にして、最初の壁。  


 ゴブリンだ。

「ゲギャアアッ!」


 茂みから這い出してきたのは、泥と垢にまみれた緑色の小鬼たちだった。背丈は子供くらいだが、その顔は醜悪そのもの。腰布一枚の貧相な格好に、手には赤錆の浮いたナイフや棍棒、石斧なんかを握りしめている。  

 濁った目には知性のかけらもなく、ただ欲望だけがギラついている。口元からダラダラと垂れる涎が、俺たちの荷物――泥を塗りたくった薬草の山――ではなく、俺たち自身の肉に向けられているのが分かって、背筋が寒くなった。


(……ツイてない)


 深く、重いため息をつく。こっちは平和に草むしりをして帰りたいだけだっていうのに。向こうはやる気満々だ。包囲網を敷くように、ジリジリと距離を詰めてくる。普通のDランク冒険者なら、ここで悲鳴を上げて逃げ出すか、腰を抜かして震える場面だろう。

 

 だが、不思議と俺の心境は凪いでいた。恐怖がない。心拍数も上がらない。精霊視で見ると一目瞭然なのだ。彼らの体内にある霊素の光が、あまりにも弱々しい。蛍の光どころか、燃え尽きる寸前の残り火レベル。俺から溢れ出ている霊素の、一万分の一もないんじゃないか?


「あつッ!?」


 思考を遮るように、懐がいきなり沸騰したかと思った。  

 飛び出したのは、赤い弾丸――炎精霊のヴァルだ。普段は猫かぶりならぬ狐かぶりで愛玩動物のフリをしているくせに、敵意を感知した途端にこれだ。沸点が低すぎる。  

 空中で器用にクルッと回ったかと思えば、着地も待たずにその小さなあぎとをガパッと開きやがった。喉の奥に見えるのは赤じゃない。白熱した「死」の色だ。ジリッ、と眉毛が焼ける音がした。周囲の水分が一瞬で消し飛び、喉が張り付くような乾きが襲う。


『汚らわしい雑魚どもめ! オレ様の極大殲滅炎球ヘルフレア・ノヴァで塵一つ残さず消え失せろォォォ!!』


 ……は?  極大? 殲滅?  待て待て待て、馬鹿かお前は!

 相手を見ろ、ただの小鬼だぞ!? たかだか六匹の雑魚相手に、なんで地形が変わるレベルの戦略級魔法を撃とうとしてんだ!  ここ森! 足元、枯れ葉! 引火!  山火事一直線だろ! 「新米冒険者、不注意で森を焼く」なんて罪状でお尋ね者になる未来が鮮明に見えたわ!


「ストォォォップ!!」


 思考より先に手が動いた。敵? 知るか。今の最大脅威は目の前の身内だ。  

 俺は両手を突き出すと、今まさにブレスを吐かんとする子狐のマズルを、物理的に「ガッ!」と鷲掴みにした。  

 慈悲なし。上下から全力プレス。強制閉口。


「むぐぅッ!?」  


 ヴァルの口の中で、行き場を失った炎が「ボフッ」とくすぶった。指の隙間から黒い煙が漏れる。焦げ臭い。


「あつっ! あつっ!?」  


 俺の手のひらが焼けるように熱い。精霊王の加護で身体強化してなきゃ大火傷だ。 「お前、森ごと燃やす気か!? 目立たないって約束しただろ! ボヤ騒ぎで済むか!」  俺は暴れる子狐を脇に抱えて締め上げた。

 

 ゴブリンたちが、ポカンとしている。そりゃそうだ。いきなり獲物の懐から赤い生き物が飛び出してきて、それを獲物自身が必死に羽交い締めにしているんだから。完全に茶番だ。


「ギ、ギャ?」


 先頭のゴブリンが、状況が飲み込めないまま、とりあえず棍棒を振り上げた。ナメられたもんだ。この隙だらけの人間ならやれると思ったらしい。迫りくる棍棒。遅い。あくびが出るほど遅い。  

 俺の目には、ゴブリンの動きが止まっているかのように見える。筋肉の収縮、重心の移動、振り下ろされる軌道。すべてが手に取るようにわかる。精霊王の器ってのは、動体視力まで底上げしちゃうのか。便利だけど、これじゃスリルも何もない。

 

 さて、どう反撃するか。ヴァルは封印した(脇の下でモゴモゴ言ってる)。魔法は使えない。  

 アストラを抜く? 論外だ。こんな雑魚相手に星霊剣を抜いたら、世界樹様に怒られる。そもそも抜けないし。となると、物理だ。一番地味で、一番原始的な解決策。


「フェデ、下がってろ。俺がやる」

 

 俺は腰の鞘に手をかけた。抜かない。鞘ごと、帯から外す。見た目はただの、ちょっと古びた木の棒。

 手加減だ。絶対に殺しちゃいけない。Dランクの新人らしく、泥臭く、ギリギリの攻防を演じなきゃいけない。イメージしろ。小石を払うように。いや、それだと強すぎるか。  デコピン。そう、悪戯っ子に「めっ」てするくらいの、優しい力加減。


「……ふんっ」


 俺は迫りくる棍棒を半歩下がってかわし、すれ違いざまにアストラの鞘を振るった。狙いはゴブリンの胴体。軽く弾き飛ばして、戦意喪失させれば勝ちだ。振る速度は、できるだけゆっくり。霊素も乗せない。ただの腕力だけで。


 コツン。そんな軽い音がするはずだった。


 ドォォォォォォォォンッ!!


 ……え?  手応えがおかしかった。豆腐を巨大な戦鎚ウォーハンマーで殴ったみたいな、抵抗感ゼロの感触。直後、目の前で大気が爆ぜた。鞘がゴブリンの脇腹に触れた瞬間、衝撃波が発生したのだ。  

 俺の意志とは関係なく、鞘そのものが俺の溢れ出る霊素を勝手に吸い上げ、運動エネルギーを数百倍に増幅して吐き出したらしい。  


 ゴブリンの体が「くの字」に折れ曲がる――暇すらなかった。砲弾のように、いや、光の矢のように、水平に吹き飛んだ。一匹だけじゃない。その後ろにいた二匹、三匹も巻き込んで、緑色のつぶてみたいに弾け飛び、そのまま森の木々の隙間を縫って、遥か彼方の空へ吸い込まれていく。


 キラーン。


 お伽噺みたいな光が、遠くの空で瞬いた気がした。  

 数秒遅れて。  ズドオオオオオン……!  

 遥か彼方で、木々がなぎ倒される轟音が響いた。土煙が上がり、鳥たちが一斉に飛び立つ。

 

 目の前には、地面がえぐれた扇状の痕跡と、綺麗さっぱり消滅したゴブリンの群れ(の残像)。残されたのは、俺に向かって振り上げられようとしていた錆びたナイフが一本、クルクルと空中で回転して、地面に突き刺さる音だけ。


「…………」


 俺は、手の中の「木の棒」を見つめた。煙が出ている。鞘からじゃない。空気摩擦で。


『……おい、ルーク』


 脇の下から解放されたヴァルが、呆れたような声で言った。


『オレ様のブレスより、よっぽどエグいことしてんじゃねえか』


「……ち、違うんだ」  


 俺は震える声で言い訳をした。誰にともなく。


「俺は、軽く……そう、蚊を払うみたいに……」


『蚊を払うのに大砲撃つ奴がいるかよ。あーあ、あのゴブリンども、星になっちまったな』  


 空を見上げる。雲一つない青空。あいつら、生きてるかな。……無理だろうな。今の衝撃、暴走した地竜に正面衝突されたようなもんだったし。

 生き残った数匹のゴブリンたちが、へたり込んでガタガタ震えている。仲間が一瞬で消滅した光景を見て、彼らの欲望に塗れた目は、恐怖の色一色に染まっていた。ナイフを取り落とす音。カタカタと震える膝。

「ギ、ギャアアアアアアア!!」  悲鳴を上げて、残党が一目散に逃げ出していく。武器も何もかも放り出して。

 

 追撃? するわけがない。どうぞお帰りください。二度と来るな。


「……はぁ」


 静寂が戻った森で、俺は深いため息をついた。アストラを腰に戻す。カチリ、という音がやけに大きく響く。


「手加減……難しすぎだろ」

 

 Dランク相当に力を絞っているつもりだった。でも、アストラ自体が世界樹の枝製だから、俺のダダ漏れ霊素を勝手に吸って、増幅器みたいに変換してしまったらしい。

ただの物理攻撃が、衝撃波付きの範囲攻撃に化けた。これじゃ「木の棒を持った魔王」じゃないか。


『我が王よ。見事な一掃でした。風の抵抗を無視した美しい軌道です』  


 いつの間にか肩に戻っていた小鳥のフィオが、感心したようにさえずる。


『……もう少し出力を絞らないと、ゴブリンが可哀想ですね。霧散していましたよ』  


 水筒の中からラグの冷静なツッコミ。


「わふー!(るっきーつよい!)」  


 フェデだけが無邪気に俺の周りを飛び跳ねている。


「……誰も褒めるな。慰めるな。俺は今、自分の力の制御できなさに絶望しているんだ」

 

 頭を抱える俺。こんなので、本当に一般人として生きていけるのか?ちょっと小突いただけで相手が空の星になるような人間が、街中で喧嘩なんかしたら大惨事だ。くしゃみ一つで家を吹き飛ばさないように気をつけないといけない。


「帰ろう……。今日はもう、肉食って寝よう」


 疲労感がどっと押し寄せてきた。肉体的な疲れじゃない。精神的な摩耗だ。俺たちは再び歩き出した。背後には、不自然にえぐれた地面と、薙ぎ倒された木々の道。  

 誰かが見たら「古竜でも通ったのか?」と勘違いするであろうその痕跡を、俺は必死に見ないふりをして、グレイウッドへの帰路を急いだ。


 ――なお、この時吹き飛ばされたゴブリンの一匹が、数キロ先の隣町の広場に墜落し、ちょっとした噂になったことを、俺は後日知ることになる。



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