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第86話  鍛冶王の忠告

 ガン、ガン、と。頭のふたの裏側で、見えない小人がリズムよくノミを打ち込んでやがる。

 二日酔いだ。それも、記憶ごと脳みそを半分くらい持ってかれたレベルの、凶悪なやつ。ドワーフの酒は「嗜好品」の棚じゃなくて「可燃物」の倉庫に保管すべきだと、俺は昨夜の自分を問い詰めたい。気づいたら宿舎の硬いベッドの上で、雑巾みたいにひしゃげて転がっていた。  


 隣では、フェデが腹を天井に向けて大爆睡中。「わふぅ……(肉……おかわり……)」とか寝言を漏らしている。こいつ、昨日の宴でドワーフたちに神様扱いされて、高級な骨付き肉を山のように貢がれてたからな。野生、どこかに置き忘れてきたのか?


 俺は鉛みたいに重い頭を両手で挟んで、のろのろと上半身を起こした。窓の外が、やけに白い。雪の反射で網膜が焼けそうだ。  


 今日は出発の日。昨日の無茶な出力でまた悲鳴を上げかけたアストラのさや、そのメンテナンスが終わる時間だ。それを受け取ったら、この鉄と熱気の匂いが染み付いた砦都市ともおさらば。


「……行くぞ、フェデ。起きろって、この穀潰し」


 揺すっても起きない巨大な毛玉を、俺は無理やり引きずって部屋を出た。廊下は、妙に静まり返っている。ふと、昨日の夜に見た光景がフラッシュバックした。  

 薄暗い回廊の隅。壁を殴りつけていたオスカー。血まみれの拳。そして、あの能面みたいに感情が抜け落ちた横顔。俺は、何も言えなかった。かける言葉が見つからなかった。そのツケが、今も胃のあたりにコールタールみたいに粘っこく溜まっている。


 ***


 工房エリアに近づくと、ムワッとした熱気が肌にまとわりついてきた。鉄を打つ音、蒸気の噴き出す音。ドワーフたちは二日酔いなんて概念がないのか、それとも酒を動力にして動いてるのか、朝から全開でハンマーを振るっている。  


 その中心、鍛冶王ハルドの専用区画に、先客がいた。


 オスカーだ。彼は直立不動で立っていた。一分の隙もない。俺が来たことに気づくと、彼はチラリとこちらを見た。  

 目が合う……何も言わない。ただ、スッと視線を逸らされた。拒絶、というよりは、「今は関わるな」という無言の壁。


「おう、揃ったか」


 奥から、すすけたエプロン姿のハルドが出てきた。

 その手には、歪な形をした鉄塊が握られている。いや、鉄塊じゃない、盾だ。  


 昨日の戦いで、溶岩亀のブレスを受け止め、ドロドロに溶解してしまったはずのオスカーのタワーシールド。それが今、荒々しくも美しい形で、叩き直されていた。


「持ってけ、王子様」


 ハルドが、その重そうな盾をドスンと作業台に置く。表面はかつてのような鏡面仕上げじゃない。黒々とした鉄の肌に、無数のつちの跡が残っている。無骨で、飾り気がない。でも、だからこそ、以前よりも遥かに「頑丈」に見えた。


「……これは」


「装飾なんざ全部剥がした。溶けたミスリルも、純度が落ちた分は削ぎ落とした。代わりに、この山の霊導鉄スピリット・アイアンと、昨日の亀の甲羅を混ぜて鍛え直してある」


 ハルドが、太い指で盾の表面をコツンと叩く。硬質で、低い音が響いた。


「見た目は悪ぃが、熱には強くなったはずだ。……少なくとも、昨日みてぇにあっさり溶けることはねぇよ」


 オスカーが、震える手で盾に触れる。冷たい鉄の感触。でも、そこには確かに、職人の熱が残っている。  

 ハルドは、ぶっきらぼうに鼻を鳴らして言った。


「良い守りだったぞ、人間」


 オスカーの肩が、ピクリと跳ねた。


「あんなブレスを正面から受け止めて、蒸発しなかった盾なんざ、俺は初めて見た。……道具も立派だったが、使い手が根性見せなきゃ、ああは残らねぇ」


 それは、鍛冶王からの最大限の賛辞だった。結果として盾は壊れた。敵を倒すこともできなかった。でも、「守った」という事実だけは、この頑固なドワーフの王が認めたんだ。普通なら、ここで胸を張っていい。誇っていい場面だ。


「……感謝する、鍛冶王」


 オスカーが、深く頭を下げた。その所作は完璧だった。王族としての威厳を保ち、職人への敬意を示す、教科書通りの礼。でも、顔を上げた時の彼の表情を見て、俺は息を呑んだ。


 笑っていた。口角を綺麗に上げて、穏やかに。でも、目が死んでいる。瞳の奥にある光が、まるでガラス玉みたいに冷たくて、何も映していない。  


「認められた」という喜びよりも、「あんな無様な戦いを評価されるのか」という、自分自身への強烈な侮蔑が透けて見えた。


「……次こそは、この盾に恥じぬ戦いをお見せしよう」


 オスカーは盾を受け取ると、逃げるように背を向けた。その背中には、「もう二度と、誰も守れないかもしれない」という恐怖が張り付いているように見えた。


「……おい、若造」


 オスカーが出て行ったのと入れ違いに、ハルドが俺を手招きした。作業台の下から、ボロ布に包まれた棒きれ――アストラの鞘を取り出す。


 ブロムと一緒に直した、星霊剣アストラのさやの最終調整を頼んでいたんだ。

 俺は鞘を受け取る、手に吸い付くように馴染む。以前は、俺の規格外の霊素を流し込むと、鞘が悲鳴を上げてきしむような感覚があった。無理やり細い管にダムの水を流し込んでるみたいな、破裂寸前の危うさ。  


 それが今は、スッと通る。まるで最初からそこにあった血管みたいに、俺の霊素を自然に受け入れて、循環させてくれている。


 完璧な調整だ。  


 礼を言って立ち去ろうとした時、ハルドに腕を掴まれた。万力みたいな力。振り向くと、魔導レンズの奥の瞳が、俺を射抜くように見つめていた。


「……いいか、よく聞け」


 周りの職人たちには聞こえない、押し殺した声。


「お前の獣は、強すぎる」


 ドキリとした。フェデのことだ。昨日の、あの黄金の巨獣。山脈の怒りそのものだった溶岩亀を、たった一撃で沈黙させた、理不尽なまでの「格」の暴力。


「自覚がねぇのが一番タチが悪いんだよ。……昨日のアレ、ドワーフどもは『すげぇ』って馬鹿騒ぎしてたがな。戦場に立ってた奴からすりゃあ、ありゃあ『災害』だ。味方にとってもな」


 俺は、言葉に詰まる。フェデの力。俺は、みんなを助けるために使ったつもりだった。誰も死なせないために。


「太陽ってのは、遠くから拝む分にはありがてぇもんだ。暖かくて、道を照らしてくれてな。……だが、近くに寄ればどうなる?」


 ハルドの声が、重く響く。


「焼けるんだよ」

「……」

「どんなに立派な蝋燭ろうそくだろうが、松明だろうが、太陽の隣に並べられちゃあ、自分の光なんて見えなくなる。酸素を奪われて、熱で溶けて、形すら残らねぇ」


 脳裏に浮かんだのは、昨夜のオスカーだ。血まみれの拳で壁を殴り続けていた、あの姿。  


『なぜだ』『私は王族だぞ』


 あの慟哭は、俺たちが彼を追い詰めた結果だったのか。


「隣に立つ者の自信をへし折るほどにな」


 ハルドは、残酷な真実を突きつけた。


「あの王子、良い盾を持ってたぜ。根性もあった。……だがな、お前の獣が全部『無かったこと』にしちまった。命懸けで稼いだ時間を、お前が一瞬で終わらせた。……そりゃあ、心も折れるわな」


 殴られたような気がした。ああ。そうか。そうだったのか。

 俺は、傷つけないように、目立たないようにって、必死にブレーキを踏んでた。でも、いざ解放した瞬間、その反動で彼を吹き飛ばしてしまったんだ。  

 彼が必死に積み上げた石積みを、俺が無邪気に蹴飛ばしたようなもんだ。助けたんじゃない。彼の「戦う意味」を、奪ったんだ。


「……どうすれば、よかったんでしょうか」


 声が震えた。自分でも情けないくらい、弱々しい声だった。


「知るか。そんなもんは、お前さんが自分で考えることだ」


 ハルドは突き放すように言って、背を向けた。


「ただ、覚えとけ。……強すぎる力は、時に毒になる。友を守りたきゃ、力の使い所を間違えるなよ」


 ***


 工房を出ると、冷たい風が頬を叩く。外は、昨日よりも激しい吹雪になりかけていた。視界が白い。宿舎の前には、すでに出発の準備を整えた部隊が集まっていた。


 ドワーフたちが、見送りに集まっている。


「おい英雄! また来いよ!」

「犬っころにもよろしくな! 次はもっといい肉用意しとくぜ!」


 口々に叫ぶドワーフたち。その視線は、もっぱら俺とフェデに向けられている。  

 オスカーに向けられるのは、儀礼的な会釈だけ。その中心で。オスカーは、馬上で微笑んでいた。


「やるじゃねぇか、人間! あのブレスを受け切るとはな!」

「ガルドリアの盾ってのは伊達じゃねぇな! 見直したぜ!」


 昨日の戦いぶりを見ていた一部のドワーフが、彼にも声をかけている。素直な称賛だ。本来なら、それはオスカーが一番欲しかったもののはずだ。異種族からの承認。個人の武勇への評価。


 でも、俺は見てしまった。


「……あぁ。感謝する」


 オスカーが、微笑んだ。完璧な、王族の笑み。口角の上がり方も、目の細め方も、教科書通りの美しい笑顔。  

 けれど、その目が、笑っていない。称賛を浴びているのに、彼の心には一滴も染み込んでいない。まるで雨水を弾く油紙みたいに、言葉が滑り落ちていく。  

 彼は笑っているようで、心の中で耳を塞いでいる。『どうせ、俺じゃない』『本当の英雄は、あっち(ルーク)だろ』と。

 そんなくらい独り言が、聞こえてくるようだった。


 ハッとして、俺は足を止める。ハルドの言葉が、呪いみたいにリフレインする。『隣に立つ者の自信をへし折る』。

 オスカーが、ふとこちらを見た。俺と目が合う。一瞬、その能面のような笑顔が崩れかけ――すぐに、また完璧な仮面が張り付く。


「遅いぞ、ルーク。……出発だ」


 事務的な声。そこには、以前のような「対抗心」や「怒り」すら感じられない。ただ、透明な壁があるだけ。    

 俺は、何も言えずに頷くしかなかった。足元のフェデが、心配そうに「くぅん」と鳴く。ごめんな。お前の力が悪いんじゃない。俺が、未熟なだけだ。


 雪を踏みしめて、隊列が進み始める。俺たちの間にある溝は、降り積もる雪でも埋まりそうになかった。むしろ、白く覆い隠されることで、見えない場所でより深く、暗く、口を開けていくような予感がした。    


 次の目的地は、エルフのルナヘルム光溢れるその場所で、この歪な影がどうなってしまうのか。  

 俺は、背中のアストラの鞘を強く握りしめた。


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