第82話 理不尽な再生
カッ、と。視界が暴力的な白に塗りつぶされた。
熱い、いや、痛い。鼓膜がおかしくなるような高音が、脳みそを直接掻き回す。
ズズズ……ズズズズズ……
地面が鳴いた。いや、山そのものが悲鳴を上げてる。俺の足元、岩盤のずっと奥深くを流れる霊脈が、いきなり痙攣して逆流を始めたんだ。
精霊視が焼き切れそうになる。赤、黒、赤、黒、視界いっぱいに広がるノイズ。
『うわ、最悪! なんだこれ!?』
懐でヴァルが呻く。
『ルーク、これ自然現象じゃねぇぞ! 誰かが地下で霊脈をいじりやがった! 出口を塞いで、腐った油を注ぎ込んだみたいに火の気が暴走してやがる!』
魔王軍の工作か。
工作員が、この鉱山そのものを巨大な爆弾に変えて待ち構えてたってわけかよ。
光が収まる。
そこにいたのは。
「……嘘、だろ……」
カインが、へたり込んだ。無理もない。俺だって、乾いた笑いが出そうになった。
再生? そんな生易しいもんじゃない。さっきオスカーが命懸けで切り落とした右足。そこから、ボコボコと沸騰した溶岩が噴き出して、瞬きする間に新しい足が形成されていく。
それだけじゃない。甲羅がメキメキと割れ、さらに巨大な岩塊が突き出してくる。一回り? いや、二回り。全長十五メートル……二十メートル近いか。もはや生物じゃない。歩く要塞だ。
「グオオオオオオオオオオッ!!!」
咆哮
さっきまでの「痛み」を含んだ声じゃない。無限に供給される魔素に酔っ払った、狂喜の声だ。
「ふ、ざける……な……」
オスカーの声が震える。
煤だらけの顔。血の滲む唇。全てを賭けた一撃だった。プライドも、命も、魂も薪にくべて、ようやく届いた刃だった。
それが、まるで「無かったこと」にされた。
理不尽
そう、これが魔王軍のやり方だ。個人の武勇なんて、システムとしての暴力の前じゃ紙くず同然ってか。
でも、絶望はそこで終わらなかった。
ボコッ。ボコッ。壁が、天井が、地面が。至る所から、赤い水膨れみたいに隆起する。
パンッ! と弾けた中から這い出してくるのは、マグマ・リザード。アッシュ・ゴーレム。
一匹、二匹じゃない。十、二十、三十……数えきれない。霊脈の暴走が、周囲の岩石を片っ端から魔獣に変えていく。パンデミックだ。ここはもう、戦場じゃない。災害のど真ん中だ。
「ひっ、あ、あああ……!」
「囲まれた! 逃げ場がねぇ!」
兵士たちがパニックになる。剣を構える手すら震えて、戦意なんてとっくに消し飛んでる。当たり前だ。あんなデカブツ一匹でも無理だったのに、軍勢相手にどうしろってんだ。
俺は、アストラの柄を握りしめた。やるしかない。隠蔽? Dランク? 知ったことか。ここで全力を出さなきゃ、全員生き埋めだ。
フェデ。いけるか。足元の相棒に合図を送ろうとした、その時だ。
「退けぇッ!!」
裂帛の気合。空気がビリビリと震えた。
オスカーだ。彼は、膝をつかなかった。絶望的な光景を前にして、心が折れるどころか、逆に燃え上がっていた。ただし、さっきまでの「功名心」の炎じゃない。もっと静かで、悲痛で、透き通った炎。
「総員、撤退だ! 出口へのルートを確保しろ! 重傷者を最優先! 装備は捨てていい、走れッ!!」
的確な指示。でも、その声には「自分」が含まれていない。
「ふ、副団長!? 貴方は!?」
カインが叫ぶ。オスカーは、ボロボロの剣を構え直した。盾はない。鎧も半分砕けてる。なのに、彼は一歩、前に出た。迫りくる魔獣の群れと、再生した巨大亀の前に、たった一人で立ち塞がるように。
「私は残る」
「は……!?」
「殿が必要だろう。この数は、誰かが食い止めなければ全滅する」
淡々とした声だった。計算なんてない。ただの事実として、自分が死ぬのが一番効率がいいと言っている。
「馬鹿な! 死にますよ!?」
「死なん!」
オスカーが吼えた。その背中から、炎の上位精霊グランが顕現する。精霊もまた、主の覚悟に応えるように、悲壮なまでに輝いている。
「私はガルドリアの盾だ! 民を守らずして、何が王族か! 何が騎士か!」
彼は、笑った気がした。自嘲気味に。でも、どこか吹っ切れたように。
「……ようやく分かったよ。兄上が正しかった。私は、王の器じゃない。ただの、頑丈さが取り柄の『駒』だ」
違う、そうじゃないだろ、アンタ。そんな、自分をゴミみたいに捨てるのが、アンタの誇りなのかよ。
「行け! カイン、ノルン! 部隊を頼む! ルーク! ……お前もだ!」
オスカーが、一度だけ振り返った。
その瞳
さっきまでの濁った嫉妬の色は、もうない。あるのは、澄み切った「死」への覚悟。
「お前の力は……認める。 悔しいが、私より上だ。だからこそ、生きて帰れ。未来のために」
ズルいよ、そんな顔で言われたら、文句も言えないじゃないか。
最期にカッコつけて、全部チャラにしようなんてさ。
「グラン! 我が命、使い尽くせ! 《皇炎・最終防壁》ッ!!」
ドォォォォンッ!!
オスカーを中心に、炎の壁が展開される。坑道の幅いっぱいに広がった火の壁が、押し寄せる魔獣の波をせき止める。
でも、精霊視で見ればわかる。あれは魔法じゃない。彼の霊核そのものを燃料にして燃やしてる、命の灯火だ。数分も保たない。燃え尽きた時が、彼の死ぬ時だ。
「副団長ぉぉぉっ!!」
カインが泣き叫びながら、他の騎士に引きずられていく。ノルンも、顔をくしゃくしゃにして走る。誰もが悟ってる。あれが、見納めだと。ガルドリアの第二王子は、ここで英雄として死ぬんだと。
(……はぁ)
俺は、ため息をついた。本日何度目か分からない、重たいやつを。
美談だねぇ。教科書に載りそうな、立派な騎士の最期だ。後世の吟遊詩人が歌い継ぐだろうよ。「盾の王子、北の山に散る」ってな。
……で? 俺がそれを、黙って見てると思ったか?
ふざけんな。俺はスローライフがしたいんだ。目覚めが悪い朝なんて、一番嫌いなんだよ。知り合い(・・)を見殺しにして食う飯が、美味いわけないだろ。
「……フェデ」
俺は、足元の相棒に声をかけた。フェデは、すでに臨戦態勢だ。
オスカーの背中をじっと見つめて、低く唸っている。こいつも、気に入らないらしい。あの男が、勝手に死に場所を見つけた気になってるのが。
「悪いな。隠蔽、解除だ」
「わふっ!」
俺は、懐からボロ布――アストラの鞘を取り出した。
俺は歩き出す。逃げる兵士たちの流れに逆らって。炎の壁の向こう、死地へ向かって。
すれ違う兵士が、俺を見て目を見開く。
「何してる、戻れ!」と誰かが叫んだ。
無視だ
俺は、オスカーの隣に立った。炎の熱さが、肌を刺す。彼は、気づかない。目の前の敵を食い止めることに集中しすぎて、意識が飛びかけている。
「……退けと、言ったはずだ……」
うわ言のように、オスカーが呟く。剣を握る手は炭化しかけて、ガタガタ震えてる。
「聞き取れませんね」
俺は、いつもの調子で答えた。Dランクの、空気読めない新人のふりをして。
「ここはウルサすぎる。……少し、静かにさせましょうか……フェデ」
足元を見る黄金の光を纏ったまま、低い姿勢で唸っている相棒。俺の意図を、言葉にしなくても完全に理解している。尻尾が、楽しそうに揺れている。コイツ、俺が本気を出すのを待ってやがったな。
「サイズ制限、解除。……この穴が崩れない程度にな」
「わふぅっ!」
嬉しそうな声。その瞬間、光が爆発した。もう隠蔽なんて気にしない。どうせバレてる。なら、派手に終わらせて、あとは全部ギルベルトあたりに丸投げしよう。
光の中で、シルエットが変わる。大型犬サイズだった影が、ぐわりと膨れ上がる。坑道の天井をこするほどの巨躯、黄金の毛並みは、燃え盛る炎よりも眩しく、神々しい。
世界樹最上位霊獣、《セイジュ・レトリバー》
その真の姿が、灼熱の地獄に顕現する。
オスカーが、呆然と振り返った。
その瞳に映るのは、死神じゃない。彼がずっと追い求めて、手が届かないと絶望していた。
圧倒的な、「理」そのものだった。




