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第80話   炎熱の戦い

 あついとか、そういう次元の話じゃない。ここにある空気は、もう気体じゃなくて凶器だ。  

 呼吸をする。たったそれだけの動作が、ここでは命懸けの苦行に変わる。息を吸い込むたびに、肺の内側を目の粗い鉄ヤスリでガリガリと削り取られているような幻痛が走る。吐く息すら熱すぎて、喉の奥が焼けるようにヒリつく。


 視界が赤くなる、剥き出しの岩肌は、怒張した血管がブチ切れたみたいに真っ赤に脈打っているし、天井を見上げれば、「落ちたら死ぬよ?」とでも言いたげな高熱の雫が、あちこちで滴っている。

 

 ジュッ、ジュッ、と岩を穿つ音が、不気味なリズムを刻んでいた。


 サウナ?冗談じゃない。ここは火葬場の炉の中か何かなのか。普通の人間なら、ここに放り込まれて一分で脱水症状、三分で意識混濁、五分もあればこんがりと絶妙な焼き加減ミディアムレアの肉塊が出来上がる。そんなふざけきった環境だ。


「うぐ……っ、はぁ……!」


 隣で苦悶の声を漏らし、カインが膝をつきかけた。  

 無理もない。全身から噴き出す汗は、拭う端から蒸発して白い湯気になっている。顔なんて茹で上がった蛸みたいに真っ赤だし、瞳の焦点も怪しい。


 獣人であるノルンに至ってはもっと悲惨だ。杖にしがみつくのが精一杯で、自慢の大きな狐耳もペタンと力なく垂れ下がっている。よりにもよって、あいつは南方とはいえ高原地帯の生まれだ。分厚い毛皮をまとってこの灼熱地獄を行軍しろというのは、もはや拷問に近い。


 俺?俺はまあ、平気な顔をして歩いている。懐の中に、炎のヴァルという最強の保冷剤――もとい、熱吸収機能つきの精霊様が鎮座しているからだ。

 俺の周りだけ、局所的に春の陽気である。とはいえ、さすがに同期たちがバタバタ倒れていくのを眺めているだけというのは、いささか寝覚めが悪い。

 

 助け舟を出してやるか。俺は誰にも気づかれないよう、こっそりと指先を動かした。極小の風魔法を編んで、冷気でも送ってやろうとした――その時だった。


「――総員、密集しろ!」


 凛とした声が、ドロドロに淀んだ熱気をナイフのように切り裂いた。先頭を行く、白銀の背中。オスカー副団長だ。  

 見ているだけで暑苦しいフルプレートアーマーを着込んでいるというのに、汗ひとつかいていない。いや、かいた瞬間に気合で蒸発させているのか? あの男ならやりかねない。  


 彼が抜き放った剣を天へと掲げると、柄に埋め込まれた真紅の宝石が、カッと眩く明滅した。


「展開! 炎精霊加護・熱遮断結界ヒート・インシュレーション!」


 ヴォン、と空気が重く鳴る。目に見えない薄い膜のような魔力が、俺たち部隊全体をドーム状に包み込んだ。  

 途端に肌をジリジリと焦がしていた暴力的な熱波が、嘘みたいに引いていく。


 え、マジで?俺は思わず目を見開いた。この人数だぞ? 俺たち候補生だけじゃない。装備のかさばるドワーフの救助隊まで含めた数十人を、たった一人でカバーするというのか?

 しかもこれ、ただの魔力障壁じゃない。解析するまでもない、高度な術式だ。外の熱を完全に弾きつつ、内側の空気を循環させて冷却している。移動式の氷室つき防空壕とでも言うべきか。

 こんな出鱈目な芸当、並大抵の魔導士なら三分で魔力の泉が干上がって、白目を剥いて倒れるやつだ。それを、涼しい顔で維持している。


「す、すげぇ……! 息ができる……!」

「たすかったぁ……干からびてミイラになるかと思ったですよぉ……」


 死にかけだったカインが息を吹き返す。ノルンの耳も、水を吸った植物みたいにピコっと復活した。俺も、こっそり展開しかけていた魔法を霧散させた。  

 出番、ねぇな。俺がちょっかいを出して補助する隙間なんて、ミリ単位も残っていなかった。それくらい、あの結界は完璧かつ堅牢に構築されていたのだ。


『へぇ。やるじゃん、あのトカゲ野郎グラン


 懐の中で、ヴァルが感心したようにヒュウと口笛を吹く(実際には吹けないが、そんな気配がした)。

 

 オスカーの肩には、陽炎のように揺らめく赤騎士風のトカゲ――炎の上位精霊グラン・グラディオスの姿が見える。あいつも主人の気迫に応えて、限界を超えて魔力を回しているらしい。


「魔力供給を絶やすな! 前衛、私の視界から出るなよ! 一歩でも離れれば灰になると心得ろ!」


 指示が速い。迷いがない。崩れそうな脆い岩盤があれば、崩落する前に剣圧で吹き飛ばし、煮えたぎるマグマ溜まりがあれば、凍らせるのではなく「熱干渉」で凝固させて道を作る。  


 まるで、この灼熱地獄が自分の庭ででもあるかのように、オスカーはズカズカと進んでいく。


「前方、魔獣反応! 数、10!」


 斥候の声とほぼ同時だった。岩陰から、溶岩を無理やり固めて命を吹き込んだようなトカゲ――マグマ・リザードが、わらわらと飛び出してくる。  

 全身から黒煙を上げ、口からドロドロの火炎を吐き散らしながら、結界に体当たりしてくる特攻野郎たちだ。


「怯むな! 雑魚だ!」


 カインたちが身構えるより速く、オスカーが動いた。結界を維持したまま? 器用貧乏なんてレベルじゃない。頭の中に意識が二つあるのか疑いたくなる処理能力だ。白銀の鎧が、赤い光の残像を引いて走る。


「はぁッ!」


 一閃


 ただの斬撃じゃない。剣に纏わせた精霊の炎を、刃の延長線上に飛ばしたんだ。先頭にいた三匹が、断末魔を上げる暇もなく両断される。切り口が瞬時に炭化して、血の一滴すら落ちない。  

 鮮やかすぎる。昨日の、あの焦り散らかして空回りしていた副団長はどこへ行ったんだ? 寝ている間に中身が別人に入れ替わったりしていないか?


「す、すげぇ……副団長、マジでつえぇ……!」

「あれが、ガルドリアの王剣……」


 同期たちが目をキラキラさせて見惚れている。うん、わかるよ。あれは男の子なら誰だって憧れる。

 俺も、腰のアストラの柄からそっと手を離した。  

 完全に「オスカー独壇場オンステージ」だ。俺は後ろで「わーすごーい」と賑やかし(モブ)らしく拍手していればいいポジションである。


 楽でいいや。


「次が来るぞ! 陣形を崩すな!」


 さらに奥から、今度はもっとデカいのが湧いてきた。岩の塊がそのまま歩き出したようなゴーレムだ。全身が赤熱して発光しており、触ったら即アウトなのが見ただけでわかる。丸太ほどもある剛腕を振り上げ、結界ごと俺たちを叩き潰しにかかる。


「ひっ……!」

「下がるな!」


 巨躯に圧倒され、弱気になりかけた兵士たちを、オスカーの裂帛の気合いが叱咤する。彼は一歩も引かない。それどころか、背中の大盾タワーシールドを構え直し、自らゴーレムの前に立ちはだかったのだ。


「私が支える。貴様らは、私の作った隙を突け!」


 ドォォォン!!  


 衝撃波が結界の中を駆け抜け、鼓膜を揺らす。足元の岩盤が砕け、オスカーの鉄靴が深々とめり込む。  

 凄まじい質量の激突。でもオスカーは、一歩も動かなかった。鉄壁の城塞が如く、そこに在り続ける。


「私の後ろにいれば、焼かれはしない! 信じて、撃て!」


 ――うっわ  


 なんだその決め台詞。カッコよすぎて鳥肌が立ったわ。物語の主人公かよ。言われたカインが、弾かれたように飛び出す。


「うおおおおッ! やりますッ!」


 ノルンも杖を掲げ、鋭い風の刃を放つ。オスカーが攻撃を受け止め、こじ開けた一瞬の硬直。そこに、同期たちの攻撃が雨あられと集中する。巨岩のゴーレムが音を立てて崩れ落ちるのと、オスカーがゆっくりと盾を下ろすのは、ほぼ同時だった。


「状況、制圧完了クリア。……怪我人はいないな?」


 振り返ったオスカーの顔。これだけの激戦の後だというのに、涼しい顔をしている。兜の覗きスリット越しに見える蒼い瞳が、チラリと俺を見た気がした。

『どうだ』と言いたげな、でも決して驕っているわけではない、確かな実力者の目。


(……参りました)


 俺は心の中で、静かに白旗を上げた。悔しいとか、そういう感情じゃない。純粋に感心してしまった。

 

 あの人は、本当に「守る」ために力を磨いてきたんだなと。自分のプライドのためとか、優秀すぎる兄への対抗心とか、そういうドロドロしたものも根底にはあるんだろうけど。いざ戦場に立てば、部下を背中に庇って、一歩も引かない。そういうことができる人間を、世間では英雄と呼ぶのだろう。


「ルーク君、ぼーっとしてないで行くよ! 副団長に置いてかれる!」

「あ、はいはい。行きますよ」


 ノルンに背中をバシッと叩かれて、俺も慌てて走り出す。  

 前を行く白銀の背中が、昨日よりもずっと大きく、頼もしく見えた。これなら、大丈夫かもしれない。この人がいれば、俺が変に力を使わなくても、この任務はなんとかなる。


 そんな甘い希望を抱いてしまうくらい、今のオスカーは完璧だった。  


 ……そう、完璧すぎたんだ。その完璧さが、逆に危ういということに、この時の俺はまだ気づいていなかった。


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