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第8話  初依頼は薬草採取

 一夜明けて、Dランク冒険者としての初仕事の日。意気揚々とギルドの扉をくぐった俺を出迎えたのは、輝かしい冒険の予感でも何でもなく――鼻が曲がりそうな「現実の臭い」だった。


 安い羊皮紙ってのは、どうしてこうも酢を腐らせたような酸っぱい臭いがするんだろうな。  

 多くの手垢と、乾いたインク、それに冒険者たちの脂汗が染み込んだ独特の悪臭だ。ギルドの掲示板の前に立つと、その発酵したような臭気が鼻の粘膜をじわじわと焼いてくる。  

 俺は鼻をつまみながら、ずらりと並んだ依頼書クエストの森を彷徨っていた。


 視線は上じゃない。下だ。赤い文字で『ワイバーン討伐』だの『死霊騎士の調査』だのと書かれた花形依頼なんて、見るだけで胃酸が逆流する。俺が探しているのは、もっと地味で、誰もやりたがらない、埃を被ったようなやつだ。


「……あった」


 掲示板の右下、画鋲が錆びついて今にも剥がれ落ちそうな一枚を見つけた。


『依頼:薬草ヒールグラスの採取』 『場所:近郊の森』 『報酬:一束につき大銅貨三枚』 『推奨:F~Dランク』


 震えたね。感動で。ノルマなし。危険なし。ただの草むしり。これぞ俺が求めていた「スローライフ」の記念すべき第一歩だ。ドラゴンと殴り合う必要もなければ、古代遺跡の罠に怯えて神経をすり減らすこともない。

 

 前世の俺に教えてやりたい。お前が毎日終電まで削っていた寿命は、異世界ではこの草むしり以下の価値だったかもしれないぞ、と。いや、それは言い過ぎか。


「よし、フェデ。初仕事はこれだ」

「わふっ!」  

 

 足元でフェデが短く吠えた。周囲の冒険者たちが「お、今日もあのデカい犬がいるな」「モフりてぇ……」とヒソヒソ話しているのを背中に感じつつ、俺はカウンターへ向かった。  

 受付嬢のミリアさんが、依頼書を受け取って花が咲いたような笑顔を見せる。


「薬草採取ですね! ルークさんらしい、堅実な選択だと思います。……ただ、ヒールグラスは似たような雑草が多いので、気をつけてくださいね?」

「予習は完璧です。図鑑も借りましたから」

 

 俺はニカっと笑って見せた。大丈夫。俺には最強の相棒もいるし、なにより「精霊視」がある。雑草と薬草の区別くらい、霊素の輝きを見れば一発だ。

 

 ……そう思っていた時期が、俺にもありました。


 ***


 森の空気は、街中とは密度が違う。 グレイウッドから歩いて一時間ほどの「浅い森」。木漏れ日がレースのカーテンみたいに揺れていて、土を踏むたびに湿った腐葉土の柔らかい感触が返ってくる。  

 深呼吸を一回。肺の中が、清浄な霊素で満たされていく感覚。美味い。コンビニ弁当と缶コーヒーで出来ていた俺の体が、細胞レベルで浄化されていくようだ。


「さてと……」

 

 俺は腰のカゴを下ろし、しゃがみ込んだ。 狙うはヒールグラス。傷薬の原料になる、ギザギザした葉っぱが特徴の植物だ。  

 意識を集中して、視界を切り替える。精霊視、オン。世界の色相がズレて、緑色の森の中に、ぼんやりと青白く光る植物たちが浮かび上がった。霊素を含んでいる証拠だ。


「お、あるある」  

 そこかしこに生えている。さすがファンタジー世界の植生、生命力が半端ない。  

 俺は鼻歌交じりに、手近な一本を引き抜いた。  プチッ。  土の香り。根っこについた泥を払う。うん、いい形だ。これを十束くらい集めれば、今日の夕飯代と宿代にはなるだろう。


「フェデ、お前も手伝ってくれるか? 変な魔物が来ないか見張り役を――」


 言いかけて、俺は振り返った。  そこに、フェデはいなかった。


「……あれ?」  


 さっきまで俺の足元でフンフンと地面の匂いを嗅いでいたはずの、巨大な金色の毛玉が消えている。

「フェデ? おい、どこ行った?」


 ガサガサッ!  返事の代わりに、少し離れた茂みが激しく揺れた。何かが飛び出してくる。魔物か? いや、あの黄金色は――。


「わふっ!!」  


 ドサァッ。飛び出してきたフェデが、俺の足元に「何か」を落とした。それは、草だった。 いや、ただの草じゃない。ヒールグラスだ。それも、俺がさっき抜いたやつの倍はあろうかというサイズで、葉の一枚一枚が宝石みたいに艶々と輝いている。  

 精霊視で見なくても分かる。濃厚な霊素がギュウギュウに詰まっていて、抜かれた今でも発光しているレベルの代物だ。


「……え、これ、最高品質(Sランク)じゃん」

 

 俺は引きつった声を出した。通常のヒールグラスが「大銅貨三枚」なら、これは一枚で「小銀貨」に届くかもしれない。いわゆるブランド薬草だ。


「お前、これどこで……?」

 

 フェデは得意げに鼻を鳴らすと、「もっとあるぞ!」と言わんばかりに再び茂みへダイブした。そこからは、悪夢のような収穫祭フェスティバルだった。


 ガサガサッ、ドサッ。  「わふっ!(とってきた!)」

 ガサガサガサッ、ドササッ! 「わふふっ!(こっちにもあった!)」  

 バサァッ、ドカァッ! 「わおーん!(すごいのあった!)」


 速い。速すぎる。俺が一本を丁寧に泥を払っている間に、フェデは残像が見える速度で森を駆け回り、次々と最高品質の薬草を積み上げていく。  


 霊素嗅覚レイソ・センス。そうか、こいつには「匂い」で分かってるんだ。俺が視覚で探している霊素の光を、フェデはもっと直接的に、美味しい獲物の匂いとして感知している。しかも、より霊素が濃い個体=上質な個体を選り好みして。

 

 最上位霊獣にとって、この程度の森の素材探しなんて、庭に隠した骨を探すより簡単なのかもしれない。

 三分後。俺の前には、緑色に発光する小山が築かれていた。  

 籠? 入りきるわけがない。リヤカーが必要な量だ。しかも全部が最高級品。これ市場に出したら価格崩壊するぞ。


「……待て。ストップ、ストップだフェデ!」

 

 俺は慌ててフェデに抱きついた。モフモフの胴体をホールドして動きを止める。


「わふ?(もういいの?)」  


 キョトンとした顔で振り返るフェデ。口にはまだ、極太のヒールグラスが数本くわえられている。


「いいも何も、多すぎだ! それに質が高すぎる!」  


 俺は山積みの薬草を指差して叫んだ。

「俺たちはDランクだぞ! 新人が初仕事でこんな『幻の薬草』クラスを山ほど持ち帰ってみろ! 『こいつら何者だ?』って絶対なるだろ!?」  


 ギルドでの計測器破壊事件を忘れたのか。あの時は「故障」で乗り切ったが、今回は物証が残るんだぞ。  

 ただの薬草採取で英雄扱いされたら、俺のスローライフ計画は破綻する。もっとこう、虫食いの跡がある葉っぱとか、ちょっと枯れかけたやつとか、そういう「新人らしい苦労の跡」が見える成果物が必要なんだよ!


『……贅沢な悩みだな、ルーク。金になるならいいじゃねぇか』

 

 懐で眠っていたヴァルが、呆れたような声を脳内に響かせる。


『なりません! 目立ったら終わりなんです! フィオ、お前からも言ってやれ』

『……風が告げています。この量の特級薬草を持ち込めば、市場価格は三割崩れ、錬金術師ギルドが血眼になって採取者を探すでしょう。リスク回避を推奨します』


 ほら見ろ。俺は心の中で頭を抱えつつ、フェデに向き直った。フェデは、しょんぼりと耳を垂れていた。尻尾の動きも止まっている。


「くぅ……(ほめて、くれないの?)」  


 上目遣い。琥珀色の瞳が、潤んで俺を見上げている。あ、これダメなやつだ。俺の良心がクリティカルヒットを受けるやつだ。フェデに悪気はない。ただ、俺の役に立ちたかっただけだ。大好きなご主人様のために、一番いいものを、一番たくさん持ってきたかっただけなんだ。それを叱るなんて、俺はなんて心の狭い飼い主なんだ。


「……いや、ごめん。怒ってない。怒ってないぞフェデ」

 

 俺は膝をつき、フェデの首元をワシャワシャと撫で回した。


「すごいぞお前は。天才だ。世界一の採取犬だ。俺がトロい分をカバーしてくれたんだもんな。ありがとうな」

「わふっ!?」  

 フェデの顔がパアァッと輝く。尻尾が再び高速回転を始め、ブンブンという風切り音が森に響く。


「わふわふ!(もっと! もっととってくる!)」

「いや、量はもういい! 量は十分だ! あとはお前の『お手』を見せてくれ!」


 結局。俺たちはその場で「選別作業」を強いられることになった。輝きすぎている最高級品は、泣く泣くフェデのおやつにし(こいつ、ムシャムシャ美味そうに食いやがった)、そこそこの良品と、俺が採った普通品を混ぜて、籠一杯分に調整する。  

 ミルフィーユ構造だ。底の方にいいやつを隠し、上には普通の草を被せる。これなら「運が良かった」で誤魔化せるはず。


「……よし。これなら、いける」

 

 籠の中身を確認し、俺は額の汗を拭った。草むしりでこんなに冷や汗をかくことになるとは思わなかった。  

 フェデは満腹になったのか、満足げに欠伸をしている。口の端から、一束数千円はしそうな高級薬草の切れ端がはみ出していた。


「お前なぁ……まあ、いいか。帰ろうぜ、フェデ」

 

 俺は苦笑しながら立ち上がる。念のために、泥を塗りたくっておいた。  

 ピカピカの葉っぱに、べっとりと黒土を擦り付ける。生産者が見たら激怒しそうな暴挙だが、輝きを隠すにはこれしかない。


「薄汚れた新人と、泥遊びをした犬。……完璧な絵面だ」

   

 帰り道、すれ違った同業者の冒険者たちが、俺たちの荷物を見て


「うわ、泥だらけじゃん」「初心者はこれだから……」と失笑していた。

 

 よし。目論見通りだ。俺はリュックの紐を握りしめ、小さく安堵の息を吐いた。 ……ギルドのカウンターで、査定係の爺さんが俺の出した「薄汚れたヒールグラス」を見て、眼鏡を三回くらい拭き直して絶叫することになるのは、もう少し先の話だ。

 

 いくら見た目を汚しても、フェデが見つけた薬草の「霊素含有量」までは誤魔化せないということを、俺はすっかり失念していた。

 

 今はただ、今日の晩飯の肉のことだけを考えていよう。平和だ。俺の胃がキリキリする以外は、概ね平和な一日だった。



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