第77話 優先順位
ごうごうと溶鉱炉が唸る工房のど真ん中で、おれの心臓の音だけがやたらとデカく聞こえる。ドクン、じゃない。ギチギチと油切れの歯車が悲鳴を上げてるみたいな、嫌な音だ。
目の前には、岩の塊――ドワーフの鍛冶王ハルド・グラン=クラウン。丸太みたいな腕組みをして、おれの鼻先数センチまで顔を近づけている。魔導レンズを嵌めた右目が、ぎゅるりと回って焦点を合わせる音がした。
熱い、プレッシャーでこっちの血液が沸騰しそうだ。その視線は、おれの顔じゃない。腰元にある、薄汚いボロ布でぐるぐる巻きにした「棒」に釘付けになっている。
「……おい」
地響きみたいな声だった。おれは一歩、後ずさる。無理だ。この圧力。生物としての格が違いすぎる。さっきまでオスカーの剣を「悪くねぇ」って褒めてた空気はどこ行ったんだよ。和やかなムードが一瞬で消し飛んで、嵐の前の静けさみたいになってるじゃねぇか。
「陛下! お待ちください!」
叫んだのは、オスカーだった。彼は顔面蒼白になりながらも、王族としての矜持だけで一歩前に出た。ハルドとおれの間に割って入る。その背中は、見てるこっちが痛くなるくらい張り詰めていた。せっかく認められたんだ。その流れを断ち切らせたくないっていう必死さが伝わってくる。
「戯れが過ぎます。そのような……訓練生の装備など、陛下の御目に触れる価値もない。どうか、先ほどの剣の話を――」
「どけ」
一言だった。ハルドは、オスカーを見なかった。視界の端に映る羽虫を払うみたいに、太い腕を軽く振っただけ。それだけで、完全武装したオスカーの身体が、枯れ葉みたいによろめいた。
「あ……」
オスカーが、信じられないものを見る目で、自分の足元を見た。よろめかされた。力負けしたんじゃない。無視されたんだ。
さっきまで「魂が乗ってる」って褒めてくれた相手に。あんなに優しく剣を扱ってくれた相手に、今はもう、視界にすら入れてもらえてない。
ハルドは止まらない。ズシン、ズシンと床を揺らして、おれの目の前まで来る。逃げ場なんてない。後ろはカインとノルンだけど、二人とも口を開けて固まってる。フェデだけが「わふ?」と首を傾げていた。お前はいいよな、大物で。
「貸せ」
問答無用だった。グローブみたいに分厚い掌が伸びてきて、おれの腰からアストラ(鞘に入ったまま)を引っこ抜く。
抵抗なんてできるわけがない。ハルドは無造作に、偽装用の薄汚い布をビリビリと引き剥がした。
現れたのは、ただの古びた木の鞘だ。装飾なんてない。宝石もない。オスカーが持ってきたミスリル剣みたいなピカピカの輝きなんて、カケラもない。ただ、黒ずんだ木の表面に、血管みたいな木目が浮き上がっているだけ。
……の、はずなんだけど。
「……ほう」
ハルドの喉の奥から、唸り声が漏れた。ごつごつした指先が、鞘の表面を這う。途端に、鞘が微かに震えた気がした。いや、震えたんだ。おれの中にいる六精霊たちが、一斉にざわついたから間違いない。
懐のヴァルが『おっ、このジジイ、わかるのか?』とニヤついている気配がする。やめてくれ、今は静かにしててくれ。ハルドがゴーグルのレンズを調整する。
キュイ、と微かな駆動音。
「おい、ものども。よく見ろ」
ハルドが、その鞘を高く掲げた。周りに控えていたドワーフの親方連中が、一斉に身を乗り出す。そして次の瞬間、工房内がどよめきに包まれた。
「なんだこりゃ……木か? いや、脈打ってやがる」
「霊素の吸い込み方が尋常じゃねぇぞ。周りの熱を全部喰ってやがる」
「おいおい、これまさか……『直系』か?」
ドワーフたちの目の色が変わる。それは、さっきオスカーの剣を見た時の「好意的な評価」じゃない。畏怖。そして、抑えきれない興奮。職人が、一生に一度出会えるかどうかの素材を前にした時の、あの狂気じみた熱量だ。
「こいつは生きてる。……いや、ただ生きてるだけじゃねえ。世界そのものと繋がってやがる。とんでもねぇ『柱』だ。……だが、悲鳴を上げてやがるな」
ハルドの隻眼が、おれを射抜く。
「使い手がバカだからだ。……おい小僧、てめぇだ。とんでもねぇ質量の力を、無理やりこの細い器に流し込み続けやがったな?竜をウサギ小屋に押し込めるような真似しやがって。鞘がミシミシ泣いてんのが聞こえねぇのか!」
「あ……う、すみません……」
おれは縮こまるしかなかった。バレてる。全部バレてる。おれの霊素量が規格外すぎて、鞘が耐えきれずにヒビが入ってることまで、一目で見抜かれた。
「ったく、これだから人間は……」
ハルドは舌打ちすると、親方衆に向かって怒鳴った。
「総員、配置につけ! 第一級警戒態勢だ! 炉の温度を上げろ! 一番いい霊導鉱を持ってこい! こいつの修理をやるぞ!」
おおおおおッ! とドワーフたちが沸き立つ。まるで祭りだ。誰もが目を輝かせて走り出す。
……完全に、蚊帳の外に置かれた人物が約一名。
オスカーだ。
彼は立ち尽くしていた。手には、さっき褒められたばかりの剣が入った箱を持ったまま。その顔色は蒼白なんて生易しいものじゃない。表情が抜け落ちて、能面みたいになっている。
無理もない。やっと認められたと思ったのに。その直後に、比較にもならない「本物」が出てきて、誰も彼を見なくなってしまった。彼は震える唇を動かした。プライドを総動員して、声を絞り出す。
「お、お待ちください……! 鍛冶王殿!」
ハルドが足を止めた。鬱陶しそうに振り返る。その目は、すでにおれのアストラのことでいっぱいで、他のことなんてどうでもよさそうだった。
「あぁ? なんだ、まだいたのか」
「この剣は……褒めていただいた、この剣は。我がガルドリアとドワーフの友好の証として持参したものです。どうか、お納めください。そして……」
オスカーは言葉を継ぐ。必死だった。ここで無視されたら終わりだという焦りが、その端正な顔を歪ませている。
「我々の装備の……点検も、お願いできないでしょうか。前線で戦う騎士たちの命がかかっているのです」
工房がしんと静まる。ドワーフたちが顔を見合わせる。ハルドは鼻を鳴らし、のっそりとオスカーの方へ歩み寄った。そして、彼が持つ剣を一瞥し、次いで背負っていた大盾に目を止めた。
「……ふん」
ハルドがコンコンと、オスカーの大盾を指で叩く。
乾いた音がした。
「剣は悪くねぇって言ったろ。手入れも完璧だ。俺が手を入れる隙間なんざねえよ。……だが、盾の方はもっといいな」
「え……?」
「ガルドリアの古鉄か。無骨だが、芯が通ってる。お前さんが何度も修理して使ってるのがわかるぜ。傷の入り方がいい。……逃げずに受けてきた証拠だ」
ハルドの口元が、ニヤリと歪んだ。
「いいだろう。その盾の強化、やってやるよ」
オスカーの瞳に、光が戻る。拒絶されたわけじゃない。認められたんだ。彼は深く頭を下げた。
「か、感謝いたします! 鍛冶王殿!」
「おう。……『ついで』にな」
え? おれは耳を疑った。ハルドはおれの方を親指で指し示しながら、こともなげに言ったのだ。
「こいつの『柱』を直すのに、炉の火力を最大まで上げるからな。その余熱がありゃあ、盾の一枚くらいついでに焼けるだろ。ラッキーだったな、王子様」
ついでの余熱。
その言葉が、熱気の渦巻く工房の中で氷のように響いた。オスカーが顔を上げる。その表情は、笑っていた。いや、笑おうとしていた。でも、頬の筋肉がひきつって、うまく形にならない。
「……ついで、ですか」
「ああ。なにしろこっちは世界の『柱』だからな。優先度が違う。悪いが、お前の盾はサブだ。適当な弟子に任せときゃいいだろ。……文句あるか?」
ハルドは悪気なく言った。職人として、素材の格に従っただけ。でも、それは残酷すぎた。
おれ――ただの新人訓練生のボロ装備が「メイン」で。一国の王子の、命を預ける盾が「ついで」で、「弟子任せ」。さっき剣を褒められた喜びなんて、もうどこにもない。太陽の横で、豆電球が褒められたみたいなもんだ。
オスカーは拳を握りしめた。革手袋が軋む音が聞こえるくらいに。それでも、彼は頭を下げた。
「……いえ。感謝いたします。……よろしくお願いします」
声が震えていた。屈辱を飲み込んで、それでも礼を言う。その姿は立派なはずなのに、どうしようもなく惨めだった。ハルドは興味を失ったように背を向けた。
「よし、ブロム! この小僧を連れて行け! あっちの炉で、こいつの霊素の波長を解析する!」
「へいへい、親方!」
奥から出てきた、手だけが異様にゴツい職人――ブロム・アイアンハンドに腕を引かれる。おれはずるずると引きずられながら、工房の出口を振り返った。
オスカーは、立ち尽くしていた。ドワーフたちがおれを取り囲み、「すげぇ素材だ」「祭りだ!」と熱狂している中心から、弾き出された場所で。彼は自分の盾を見つめていた。
「悪くない」と言われた盾。でも、おれに向けられたあの狂気じみた熱量とは、比較にもならない。
合格点ではある。
でも、一番じゃない。
兄上と比べられた時と同じ。
勇者と並んだ時と同じ。
重厚な扉が閉まる瞬間、オスカーがふと顔を上げた気がした。その瞳に浮かんでいたのは、安堵なんかじゃない。ドロリと濁った、暗い沼の底みたいな色。
『……おいルーク、あの王子、やべぇぞ』
懐のヴァルが、真剣なトーンで囁いた。
『火が消えちまった。……いや、違うな。外側の火が消えて、内側で黒いのが燻り始めてやがる』
わかってる。おれが、またやってしまったんだ。目立たないように、波風立てないようにって思ってたのに。結果的に、おれの存在が、オスカーのプライドを「ついで」という形で粉砕してしまった。
「おい小僧、ボサッとしてんな! さっさと歩け!」
ブロムに背中を叩かれる。おれはアストラを抱きしめた。この剣が直るのは嬉しい。でも、その代償に支払ったものが、あまりにも重すぎる気がしてならない。
スローライフ? そんな言葉、もう辞書から消えちまったよ。おれは胃の痛みを堪えながら、熱気の渦巻く工房の奥へと連行されていった。




