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第76話  鍛冶王ハルド

 胃が重い。朝からドワーフ名物の「岩塩焼き超厚切りベーコン」なんていう、脂と塩の暴力みたいなメシを目の前にして、おれは深いため息をついた。いま、おれの胃袋が求めてるのはこういうのじゃないんだよ。もっとこう、優しい、おかゆとかさ、そういうのがいいわけ。


 なんでこんなに胃が死んでるかっていうと、原因は目の前に座ってる副団長殿にある。


「……ルーク。襟が曲がっているぞ」

「あ、はい。すんません」

「カイン、スープをすする音が大きい。我々はガルドリアの代表として王に会うのだ。一瞬の気の緩みも許されん」

「へ、へいっ!」


 カインがパンを喉に詰まらせて咳き込む。隣のノルンなんて半分寝ながらスプーン動かしてたのに、オスカーの鋭い視線が飛んだ瞬間にビクッて狐耳を立てて背筋伸ばしちゃってるし。


 ただ、おれの懐にいる炎のヴァルが、さっきから不機嫌そうに燻ってて熱い。


『ケッ、堅苦しい野郎だぜ。火ってのはな、薪と空気の隙間があるから燃えるんだよ。あんなにギュウギュウに詰め込んだら、窒息して爆発するだけだっつーの』


 的確な例えはやめてくれよ。その爆発に巻き込まれるのは、一番近くにいるおれらなんだからさ。


 ***


 鍛冶王の居城――って言っても、この都市グラン・アーンの中央にそびえる、一番巨大な岩塊をくり抜いた「大工房」へ向かう道中も、針のむしろだった。

 すれ違うドワーフたちの視線が痛い。相変わらずオスカーの煌びやかな鎧を「実用性ゼロだな」「また人間が飾り物を着て歩いてらぁ」って目で見てくる。

 けど、オスカーは顔色ひとつ変えない。堂々と胸を張って、カツン、カツンと蹄鉄の音を響かせて歩く。その精神力だけは、本当にすげぇと思う。ただ、その背中が悲鳴を上げそうなくらい張り詰めてるのが、おれには見えちまうんだけど。


 大工房の扉が開く。熱波そして轟音。


 謁見の間と聞いてたけど、そこは巨大な溶鉱炉の前だった。天井からは鎖で吊るされた巨大な鉄塊が揺れてるし、床には溶岩の流れる溝が幾何学模様を描いてる。玉座の左右には、槍を持った兵士じゃなくて、身の丈ほどのハンマーを担いだ筋肉だるまの親方衆がずらりと並んで睨みを利かせてるし。


 その一番奥。黒鉄くろがねで作られた無骨な椅子に、一人のドワーフがどっかりと座っていた。


「――来たか、人間」


 石の椅子に座ってたのは、岩みたいな男だった。昨日の衛兵たちよりさらに一回りでかい。灰色の混じった赤髭は三つ編みになって胸板を覆ってるし、右目には分厚い魔導レンズを嵌め込んだ眼帯をしてる。 王冠なんて被っちゃいない。代わりに額には、煤けたゴーグル。


 王っていうより、「山の親父ボス」って呼ぶ方がしっくりくる威圧感だ。グラナイト・クラウンの主。鍛冶王ハルド・グラン=クラウン。彼は手元のジョッキを傾け、中身を一気に煽ると、ドンとテーブルに叩きつけた。


「挨拶はいい。昨日聞いた。ガルドリアの第二王子だったな」

「……お初にお目にかかります、鍛冶王殿。オスカー=ヴァルド・ガルドリアンです」


 オスカーが進み出る。相手が作業着だろうが、酒を飲んでいようが、彼の所作は崩れない。優雅な礼。そして、従者に持たせていた長細い箱を受け取り、恭しく差し出した。


「本日は、我が国の友好の証として、王家に伝わる名剣を献上いたします」


 箱が開かれる。中には、青白い光を放つ長剣が収められていた。柄には宝石が埋め込まれ、刀身には繊細な波紋が走ってる。素人目に見ても、国宝クラスの業物だとわかる。  


 カインが「うおっ」て声を漏らすし、ノルンも目を丸くした。

 おれも息を呑んだ。さすが王家、とんでもないもん持ってくるな。

 ハルドは片方の目でチラリと剣を一瞥した。鼻で笑うかと思った。昨日の門番みたいに。  


 でも、違った。


 ハルドは無言で玉座から立ち上がり、その太い指で剣を取り上げたんだ。シュッ、と空を切る音。その動きは繊細で、まるで赤子を抱くみたいに慎重だった。魔導レンズがぐるりと回り、剣の芯を見定めるように輝く。

 

 長い沈黙


 オスカーが、唾を飲み込む音が聞こえた気がした。


「……悪くねえ」


 ハルドが、ぽつりと漏らした。ドワーフたちのざわめきが止まる。


「焼き入れは丁寧だ。重心もいい。飾り剣に見えて、中身はちゃんと『血を吸う覚悟』ができてる」


 ハルドの指が、剣の柄をなぞる。


「それに、手入れだ。……アンタがやったのか?」

「……はい。毎晩、欠かさずに」

「だろうな。脂も湿気も完璧に抜けてる。道具を愛してる証拠だ。……いい剣だ。使い手の魂が乗ってやがる」


 ハルドがニヤリと笑って、剣を箱に戻した。空気が、ふわっと緩んだ。

 オスカーの頬が紅潮する。あの鉄仮面みたいな表情が崩れて、年相応の、認められた少年の顔になってる。


 やった、通じたんだ。オスカーの真面目さが、不器用な努力が、この頑固オヤジに届いたんだよ。  

 周りの親方衆も「へぇ、やるじゃねえか」「人間にしては見所がある」なんて頷き合ってる。


 最高の雰囲気だ。これなら、この後の交渉も上手くいく。オスカーが誇らしげに胸を張って、口を開きかけた。


「光栄です。我々は、この剣にかけて――」


 その時だった。


『うわ、あっつ! ちょっとルーク、汗かいてるって! 滑る!』


 懐のヴァルが、炉の熱気に当てられて身じろぎした。その拍子に、おれが背負っていたリュックの留め具が緩んだんだ。中に入れていた、ボロ布でぐるぐる巻きにした「棒」――アストラの鞘が、スルリと滑り落ちる。


 カタン


 石床に、乾いた木の音が響いた。


「あ、すみません」


 おれは慌てて拾い上げようとした。ただの棒切れだ、誰も気にしないはずだ。今、オスカーがいい所なんだから、邪魔しちゃいけない。


 そう思ったのに。

 空気が、消えた。


 さっきまでの和やかな空気が、真空パックされたみたいに圧縮されて、弾けた。ギィン、とハルドの魔導レンズが奇妙な駆動音を立てた。


 ハルドが、ピタリと固まる。オスカーに向けられていた好意的な視線が、霧散する。

 太い首が、ギギギと回る。その視線は、国宝の剣を献上したオスカーを通り越し、その後ろのカインも素通りして。列の最後尾で猫背になっていた、おれに突き刺さった。


「…………あ?」


 ドスの効いた声に心臓が跳ねた。  

 バレた?いや、指輪ジャマー・リングはしてる。霊素は隠蔽してるはずだ。

 だが、ハルドが向き直る。獲物を見つけた熊のような圧力で、一歩、また一歩と近づいてくる。  

 オスカーが顔を上げる。


「へ、陛下? まだ話は――」

「どいてろ」


 ハルドは王子を手で押しのけた。


 えっ。


 オスカーがよろめく。その横を、巨体が通り過ぎる。さっきまで「魂が乗ってる」って褒めてた剣のことなんて、もう記憶から消え失せたみたいに。

 そして、おれの目の前で止まった。見上げれば、岩壁のような胸板と、燃えるような赤髭。そして、レンズの奥の瞳が、ギラギラとおれの腰元――いや、手の中の鞘を睨みつけている。


「おい」

「は、はい……?」


 声が裏返った。  

 やばい。  

 逃げたい。


 ハルドの太い指が、おれの手の中にあるボロ布を指差した。


「そこの若造。……なんだ、それは」


 震える声だった。怒りじゃない、畏怖だ。

 オスカーが呆然とこちらを見ている。


「……は?ルークの……武器、ですか?ただの木刀のような……」


 そうだよ、ただのボロい木の鞘だ。国宝級の剣を持ってきた王子の後ろに立つ、新人の安っぽい装備。比較するのもおこがましい。


 なのに。


 鍛冶王の目は、もうオスカーの剣なんて見ていなかった。まるで、太陽を見た後に蝋燭の火なんて目に入らないみたいに。レンズがぐるぐると回り、おれの隠蔽魔法を、そしてその下にあるアストラの悲鳴を解析している。


「次元が……違うぞ」


 ハルドが呻くように言った。


「その匂い……ただの木じゃねえな。何百年、いや何千年寝かせた? こいつぁ……地脈ラインなんてもんじゃねぇ、これは『源流』そのものだ」


 おれの背筋に、冷たい汗が伝った。ハルドの視線が、おれの魂の奥まで刺さってくる。


 オスカーの顔から、さっきまでの喜びが消え失せ、代わりに絶望的な色が浮かんでいた。自分の剣が認められた。その瞬間に、比較にもならない「本物」を見せつけられた。無視されたんじゃない。格の違いを、残酷なほど突きつけられたんだ。


 ハルドは周りに聞こえないほどの小声で、けれど爆弾みたいな言葉を吐いた。


「おい若造。……その『世界樹の枝』、一体、誰に貰った?」


 ドワーフたちがざわめく。オスカーが唇を噛み締め、拳を震わせる。

 隠していた爆弾の導火線に、盛大に火がついた音がした。


 ああ、神様(世界樹様)

 どうしておれのスローライフは、いつもこうやって最高速で崖から転がり落ちるんですか。  

 おれは泣きたい気持ちで、燃えるようなハルドの瞳を見つめ返すしかなかった。


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