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第75話  砦都市グラン・アーン

 死ぬかと思った。鼻毛が凍って折れる音なんて、前世の記憶をひっくり返しても出てこない。雪山、なめてたわ。そんな極寒の地獄行軍の果てに、そいつは唐突に姿を現した。


 山だ。いや、山なんだけど、ただの岩塊じゃない。神様が巨大なスプーンで山腹をえぐり取って、そこに鉄と炎と筋肉をぎゅうぎゅうに詰め込んで蓋をしたような、とんでもない要塞都市。


 砦都市グラン・アーン


 大陸北東部の山脈グラナイト・クラウンに穿たれた、ドワーフたちの総本山だ。


「……でっか」


 思わず声が漏れた。隣で青い顔をして震えていたカインも、凍った鼻水を垂らしたまま口をぽかんと開けて見上げている。  

 見上げるほどの巨大な石の門。岩盤をそのまま削り出したような圧倒的な質量感。その隙間から、ドォン、ゴォン、という腹に響く重低音が漏れ出している。まるで山脈そのものが呼吸しているみたいだ。あと、匂い。焦げた鉄と、硫黄と、石炭の匂い。  


 俺の懐で、赤い毛玉――炎の精霊ヴァルが身じろぎした。


『へへっ! いい匂いがすんじゃねぇかルーク! 極上の火の気配だぜ!』

「お前にはご馳走だろうけどな。俺たちにゃ、ようやく凍死の危機を脱した天国だよ」


 先頭を行く副団長オスカーが、愛馬の手綱を引いて止まった。

 吹雪の中を三日も歩き通したってのに、彼の背筋は定規が入ってるみたいにピンと伸びている。マントについた雪をバサリと払い、乱れた金髪を手櫛で整えるその姿は、まさに「王国の騎士」そのものだ。

 

 門の前には、身の丈ほどの戦斧を担いだ衛兵が二人。背は低い。俺の胸くらいしかない。でも横幅が倍はある。樽に手足が生えて鎧を着てるみたいだ。顔の半分が髭で埋もれてて、その奥から鋭い眼光がこっちを睨んでいる。  


 オスカーが馬を降り、ザッ、と雪を踏みしめて進み出た。


「ガルドリア王国第二王子、セカイジュ騎士団副団長、オスカー=ヴァルド・ガルドリアンである!かねてよりの書状通り、盟約の更新と補給要請に参った。門を開けられたし!」


 よく通る声だ。冷たい風に負けていない。門番のドワーフが、小指で耳をほじりながらニヤリと笑う。


「へっ、人間の王子様か。ずいぶん綺麗な鎧着てんじゃねぇか。飾りもんか?ここは鉄と汗の街だぜ。お上品な騎士サマにゃ空気が重すぎるんじゃねぇの?」


 挑発だ。俺なら「あ、すいません出直します」って帰りたくなるレベルの圧。でも、オスカーは眉一つ動かさなかった。むしろ、フッと口角を上げて笑ったんだ。


「飾りかどうか、貴公のその目で確かめるといい。この鎧についた傷は、先日の地下水路で部下を守ったときの名誉ある勲章だ。磨きはしたが、鉄の匂いまでは消えておらんだろう?」


 そう言って、一歩踏み出す。その瞬間、彼の全身から「武人」としての覇気が立ち昇った気がした。ドワーフの衛兵が、ほじっていた指を止めて目を丸くする。

 

 オスカーはそのまま、腰に下げた革袋を放り投げた。  

 ドサッ、と重たい音がして、中から上質なドワーフ銀貨がこぼれ落ちる。


「入城税と、部下たちの酒代だ。……ここの酒は喉が焼けるほど強いと聞く。冷え切った身体を温めるには丁度いいだろう」

「……ほう」


 衛兵の目が変わった。値踏みするような目から、同類を見る目へ。ニカッ、と髭の奥で白い歯が光る。


「わかってんじゃねぇか、若造! 通りな!ただし、中でへばっても知らねぇぞ!」

「感謝する」


 オスカーは優雅に会釈し、堂々と門をくぐる。すげぇ。あの頑固そうなドワーフを一瞬で懐柔しやがった。後ろをついていく俺たちにも、衛兵は「おう、王子の連れか。しっかりついていきな!」なんて陽気に声をかけてくる。  


 さすが副団長。伊達に王族やってないわ。

 門を抜けると、そこはもう別世界だった。山の中身をくり抜いた巨大空洞。天井が見えないほど高く、壁面には無数の住居や工房が、蜂の巣みたいにへばりついている。

 眼下には、都市の血管みたいに張り巡らされた溶岩の流れる水路(火路?)。  


 カン! キン! ガシャーン!  


 鉄を打つ音、蒸気の噴き出す音、怒鳴り声みたいな会話。うるさい。熱い。そして、生きてる。都市全体が、一つの巨大な工場みたいに脈打っている。


「すっげぇ……」


 カインがアホみたいに口を開けてる。ノルンも眠そうな目をこすりながら、きょろきょろと周りを見回している。案内役のドワーフ高官が出てきて、オスカーに書類を突きつけた。


「補給リストだ。確認しな。文句があっても受け付けねぇがな」

「……ふむ」


 オスカーは羊皮紙に目を通し、数秒で眉をひそめた。


「鉄鉱石の純度が約束より二割低いな。それに、この『修復用リベット』の数、あえて少なく見積もっていないか? 我々の砦の損耗率を考えれば、あと五百は必要だ」

「あァ? 細けぇこと言うなよ人間。鉄なんてどれも一緒だろ」

「違うな。貴国の『黒鉄クロガネ』は粘りが違う。だからこそ我々は頼みに来たのだ。……それとも、グラナイト・クラウンの職人は、混ぜ物をした安鉄を友軍に売りつけるほど腕が落ちたのか?」


 ピリッ、と空気が張り詰める。周りのドワーフたちが一斉に作業の手を止めてこっちを見た。言っちゃったよ。職人の誇りを逆撫でするようなことを。でも、高官のドワーフは怒らなかった。むしろ、嬉しそうに髭を撫でたんだ。


「……カッカッカ! よく見てやがる! 最近の若いのは鉄の区別もつかねぇ腰抜けばかりだと思ってたが、お前さんは違うようだな!」

「戦場で命を預ける道具だ。妥協はできん」

「気に入った!おい野郎ども!一番いい倉庫を開けろ!この王子様は『わかる』男だぞ!」


 うおお、と歓声が上がる。ドワーフたちが次々と木箱を運んでくる。さっきまでの「めんどくせぇ客」扱いが嘘みたいだ。オスカーは涼しい顔で指示を出し、的確に物資を選定していく。その姿には、一切の迷いがない。  


 カインが小声で俺に耳打ちした。


「すげぇな、副団長……。あんな強面たち相手に一歩も引かないなんて」

「ああ。やっぱすげぇわ、あの人」


 俺は素直に感心した。剣の腕だけじゃない。交渉術、胆力、そして相手の文化へのリスペクト。あの完璧主義は、こういう外交の場だと最強の武器になるんだな。

 ドワーフたちも、最初は「綺麗な鎧のお坊ちゃん」って目で見てたけど、今は違う。「人間にしては肝が据わってる」「いい目をしてる」って、一目置く雰囲気になってる。


 そんな中、俺の足元でフェデが「わふっ」と鳴いた。近くにいたドワーフのおっちゃんが、フェデを見て目を輝かせる。


「おおっ! なんだこの立派な犬は! いい毛並みしてやがる!」

「わふぅ(撫でろ)」

「よしよし、いい子だ! 干し肉食うか?」


 フェデもフェデで、ちゃっかり可愛がられている。でも今回は、オスカーが無視されているわけじゃない。  

 オスカーは「武人としての敬意」を勝ち取り、フェデは「愛玩動物としての人気」を集めている。住み分けができているというか、むしろオスカーの株が上がったことで、俺たち部下とペットへの当たりも柔らかくなってる感じだ。


「これなら……いけるかもな」


 俺はそっと胸を撫で下ろした。正直、心配してたんだ。オスカーのあの堅苦しい性格が、自由奔放なドワーフたちと衝突するんじゃないかって。でも、杞憂だったみたいだ。

 彼は立派に「ガルドリアの顔」としての役目を果たしてる。宿舎への道すがら、オスカーがふと振り返って俺たちを見た。その表情には、厳しい中にも達成感のようなものが滲んでいる。


「ルーク、カイン。荷解きが済んだら身体を休めろ。明日は鍛冶王ハルド殿への謁見だ。粗相のないようにな」

「はっ! 了解です!」


 カインが良い返事をする。俺も慌てて頷いた。順調だ。何もかもが上手くいっている。  

 ……ただ一つ、俺の懐にある「爆弾」を除けば。


 俺はマントの下で、こっそりと腰のアストラに触れた。ボロ布で隠した鞘。その表面に走る、微細な亀裂。  


 俺の霊素に耐えきれず、世界樹の枝で作られた鞘が悲鳴を上げている。これを直せるのは、この国の主、鍛冶王ハルドだけだと言われている。明日の謁見。オスカーの交渉のついでに、こっそり頼み込めればいいんだけど……


「……頼むから、空気読んでくれよ、俺の剣」


 俺の呟きに、アストラが小さく「キン」と鳴った気がした。それが肯定なのか、それとも不吉な予兆なのか。熱気に満ちた都市の騒音にかき消されて、俺には判別がつかなかった。


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