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第73話  出陣の朝

 ガルドリアの朝は、いつだって鉄の味がする。北方の山脈から吹き下ろす風は冷たく、肌を刺すというよりは、鎧の隙間から骨の髄まで冷やしにくるような陰湿さがある。


 空はまだ薄暗い群青色。黎明と呼ぶには寒々しすぎるその空の下、《世界樹守護聖堂砦》は巨大な獣が目覚めるように、低く、重い唸り声を上げ始めていた。


「……ふわぁ」


 盛大な欠伸が漏れる。眠い、心底眠い。

 昨夜はヒビの入った星霊剣アストラの鞘を応急処置したり、興奮した精霊たちをなんとかなだめたり、壁越しに伝わってくるオスカー副団長のピリピリした気配に胃を痛めたりで、まともに熟睡できなかった。  


 俺の足元では、フェデが「わふぅん」と鼻を鳴らしている。こいつは元気だ。朝飯の骨付き肉を山盛り食ったからな。黄金色の毛並みが、薄暗い中でも自発光しているみたいにツヤツヤしている。目立ちすぎだろ。少し光量を落とせ。


『旦那、いよいよだな! 遠足だろ遠足!』

「違いますー任務ですー静かにしてろよアルク」


 俺の髪の毛の中でバチバチと静電気を起こしているのは、雷の上位精霊アルクだ。こいつだけじゃない。懐には炎のヴァルがカイロ代わりに潜り込んでいるし、水筒の中には水のラグ、ブーツの金具には土のオルドが擬態している。


 総勢六名の最強不法侵入者たち。今回の遠征先は北方のドワーフグラナイト・クラウン。アストラの鞘を直せる唯一の希望、鍛冶王がいる場所だ。  

 絶対にバレるわけにはいかない。俺はあくまで「荷物持ち兼・雑用係の新人」として付いていくのだから。


「ルーク! 遅いぞ!」


 バシッ、と背中を叩かれた。振り返ると、そこには無駄に爽やかな笑顔のカインがいた。  

 支給されたばかりの旅装用軽鎧に身を包み、腰には愛用の二振りの剣。先日の覚醒以来、憑き物が落ちたように顔つきが精悍になっている。その横には、立ったまま船を漕いでいるノルン。狐耳がぺたんと寝ている。


「おはよーございますぅ……。朝早すぎません~?」

「全くだ。……カイン、お前その剣、手入れしすぎだろ。刃が痩せるぞ」

「うるせぇな! これは気合の表れだ!」


 カインが笑う。その笑顔に、少しだけ救われる。  

 俺たちは「特務候補生」という枠で、本隊の後方に配置されていた。位置的には輜重部隊(荷運び)の護衛に近い。最前線じゃないのが救いだ。


「あ、ルークさん。約束のケーキ、忘れないでくださいね~?」  


 ノルンが寝ぼけ眼でとんでもないことを囁く。昨日の隠蔽工作の報酬だ。


「わかってるよ。ホールで二つだろ」

「ふふ、ならよしです~」


 その時だ。カシャン、カシャ、と重厚な足音が響き、広場の空気が一瞬で凍りついた。  

 数百の視線が、一点に吸い寄せられる。 ざッ、と音を立てて騎士たちが整列し、敬礼の姿勢をとる。

 

 現れたのは、朝霧を切り裂くような白銀の威容。ガルドリア王国第二王子にして、セカイジュ騎士団副団長――オスカー=ヴァルド・ガルドリアンだ。


「…………」


 俺は息を呑んだ。今日の彼は、いつもの「執務服」ではない。戦場に出るための、本気のフルプレートアーマーを纏っていた。  

 磨き上げられた白銀の装甲には、王家の紋章である「双頭の獅子」が金細工で刻まれ、肩には深紺のマントが風に翻る。兜は小脇に抱え、その端正な顔を晒しているが、表情は鉄仮面のように硬い。

 

 美しい、と思った。悔しいけれど、絵になる男だ。けれど、俺の「精霊視」には見えてしまう。彼の内側で渦巻く霊素が、悲鳴を上げているのが。  

 完璧な鎧の下で、心臓が早鐘を打ち、焦燥という名の茨が彼自身を締め上げている。兄に見下され、部下に追い抜かれ、それでも「王族」として虚勢を張り続ける男の、ギリギリの均衡。


 オスカーが壇上に立った。横には、彼と契約している上位霊獣、獅子のアスト・レグナス《バルザード》が控えている。さすがは獅子、威風堂々としているが……俺がフェデの頭を撫でると、バルザードが一瞬だけビクッとこちらを見て、視線を逸らした気がした。


「総員、聞け!」


 オスカーの声が、朗々と響き渡る。よく通る、訓練された指揮官の声だ。


「我らの任務は、単なる輸送路の確保にあらず! 北方グラナイト・クラウンにおける魔素の兆候を断ち、同盟者たるドワーフとの絆を盤石にすることにある!」


 騎士たちがゴクリと息を呑む。オスカーは、群衆の一人一人を見回すように視線を走らせる。その視線が、一瞬だけ俺のところで止まった。

 

 冷たい、氷のような、感情を殺した目

『私の足を引っ張るな』と、無言で告げているようだった。


「ガルドリアは北西の盾である。我らが揺らげば、背後の世界樹圏ミドルリムも、東の国々も、全て闇に飲まれる! 我らの背には、世界の命運がかかっているのだ!」


 オスカーが剣を抜き放つ。  朝日に反射して、刀身がぎらりと輝いた。


「臆するな! 進め! ガルドリアの威光を、その剣で示せ!!」


「「「応ッ!!!!」」」


 地響きのような雄叫びが上がった。士気は最高潮だ。誰もが副団長に心酔し、その背中についていこうとしている。  


 完璧だ。  

 

 完璧な指揮官、完璧な演説、完璧な出陣。……そう、完璧すぎて、痛々しいほどだ。


(……無理すんなよ、副団長)


 俺は心の中で呟いた。その「威光」を示す相手は、魔物なのか、それとも王城にいる兄貴なのか。あるいは、自分自身に対して言い聞かせているのか。


「行くぞ、ルーク」


 隣のカインが、興奮した様子で俺の肩を叩く。フェデが「わふっ!」と短く吠えた。  

 俺は背負ったアストラの感触を確かめる。ボロ布でぐるぐる巻きにした鞘。その下にある亀裂。

 俺の目的は、この剣を直すこと。  

 そして、できれば――この危なっかしい上司が、ポッキリ折れてしまわないように、後ろから支えること。


「ああ、行こうか」


 俺は誰にも聞こえない声で答えた。東の空から、太陽が顔を出す。  

 巨大な要塞の影が、西へと長く伸びていく。その影が指し示す先は、これから向かう山脈か、それともさらにその先にある「黄昏」か。


 重厚な門が、軋んだ音を立てて開かれる。車輪が回り、蹄が土を噛む。長い、長い遠征が始まった。

 

 これが、俺たちの青春の終わりと、世界の崩壊へ続く旅路の第一歩だなんて、まだ誰も知らずに。  俺はフードを目深にかぶり直し、Dランク訓練生らしい猫背を作って、列の最後尾へと歩き出した。



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